2、涙のわけ
「ナーシャ、どうしたんだ」
「カトル…」
「眠りながら、涙を流すなんて、余りにもナーシャらしくない…」
「…私、泣いていたの?」
「あぁ…何度声をかけても起きなかった。だから、小一時間、隣にいたんだ」
「カトル……」
「分かっている。ヒラユのこと……だろう?」
精神をつかさどるカトルは、ナーシャの精神のどんな些細な揺れも見逃さない。そして、それを、ナーシャがヒラユにしたように、わざと言わない、なんてこともしない。カトルは、ヒラユを尊敬している。だからこそ、涙の訳を、誰に恋をしたのかを、何故、恐れ多くも、その涙を湖に投げ入れたのかも、知りたかった。
「ナーシャなら、心を読んでいるのだろう?ヒラユは誰に恋をしたんだ?」
「………それが分かったら、私だって、こんなに悩んだり、悲しんだりしていないわ…」
「なんだって?じゃあ、本当に心をつかさどるナーシャにも、ヒラユが誰に惹かれ、何故涙を流し、それを湖に沈めたのか…それを分からないと言うのか?う!ゴホ!ゴホ!」
カトルは、驚きのあまり、咳き込んだ。
「だって、仕方ないじゃない…。本当に読めないの…。ヒラユの心が……こんなこと初めてよ…。確かに、私は妖精になってひと月。経験値がないから、仕方がないのかも知れないけれど、でも……」
「でも…なんだい?」
「ヒラユの役には立ちたいわ……せめて、黒崖になんて………いって欲しくないもの…」
ナーシャの瞳から、眠っていた時と同じようにまた、涙が零れた。
「……ナーシャ、君も、そんなんではだめだ。君は心をつかさどる妖精だ。もしも、ヒラユが誰かに恋をいしていたとして、それが誰なのか、そして、何故泣いているのか、その心を読まなければ、本当に、ヒラユは黒崖へ追放されてしまうかも知れない…」
「カトル、あなたに、心当たりはないの?ヒラユとは1個差でしょう?少しは私より付き合いが長いんだし、誰か、心当たりはいないの?」
ユラユラと、ナーシャが揺れているのが精神から感じ取れた。これは、大変なことになると、精神が、ピリピリする想いで、カトルはその質問に答えることは出来なかった。
「ヒラユ……」
ヒラユが、湖の隅にぼーっと座り込んでいる。その瞳には、確かに涙が見て取れた。そして、『ヒラユ』と呼んだナーシャの声にも気づかず、ヒラユはまた湖の中を覗き込む。
愛をつかさどるヒラユは、湖に浮かぶ波紋で、色々なことを見てとる。妖精の愛は、若くして育まれる。16歳で天国へ栄転する前に、結ぶ。その結ばれる相手と相手が相応しいかを、湖の波紋によって、視るのだ。波紋が大きければ大きいほど、その2人は相応しい、と言う合図になる。
本来、相応しいかどうかを見極める為に、男女2人の顔を映し出すその水面は、今、ヒラユの涙で波紋が広がっていた。
(また…泣いてる…どうしたら…どうしたら良いの?)
このままでは、本当に、湖は澱み、枯れ果て、白楽から愛が消える。そして、その責任を取らされ、黒崖へと導かれるに違いない。ナーシャは、湖を覗き込む、ヒラユをその場に残し、森に戻った。
大きな、白楽の拍來はくらい(森を守る大樹)の樹の幹に、右手の手のひらをそーっと触れた。
ドクン…ドクン…ドクン………………
拍來の幹から、白楽の妖精たちの心が聴こえてくる………。
悦び。悲しみ。憂い。楽しさ。嬉しさ。愛しさ…。
なのに、何故だろう?ヒラユの心の音だけが聴こえない。心を読めなくなったら、ナーシャも、黒崖へと堕ちるかも知れない。そう思うと、ナーシャは、とても苦しかった。
それから数日、少しずつ、湖の水に変化が表れ始めた。水が、底まで見通せるか見通せないか…と言うくらい、不透明になってきた。そして、それと並行して、水嵩が減ってきている。
ヒラユが、病にかかった。湖の妖精であるヒラユが、瀕死であることが、白楽に知れ渡ったのだ。
「何故だ。何故こんなことになるまで、ヒラユの心を読めなかったのだ。ナーシャよ」
メティが、少し強くナーシャをたしなめる。それは、ナーシャ自身が一番、疑問に思っていることでもあった。
「申し訳ありません。メティ様…。私が…拍來を触っても、何故か…ヒラユの心だけ聴こえてこないのです。それはもう…悲しいほどに…」
そう言って、ナーシャは涙を流した。
「カトルはどうなのだ。お前は、ヒラユの精神をどう感じた」
「私は…揺らぎ、うろたえ、衰弱し、一方、何処か儚く、美しい精神が見て取れました。湖が、ヒラユの病が在っても、まだ、それほど澱まず、それほど枯れずに済んでいるのは…もしかしたら、ヒラユの何かの力が、ナーシャもヒラユも知らぬうちに働いているのかも知れないと思っています」
「……何かの力か……」
メティは、大きく息を吐いた。
「メティ様、発言を…赦していただけますか?」
「…良いだろう。なんだ」
「カトルに聞きたいのです。私も知らぬうちに働いた力とやらは、一体何なのですか?」
いつもは、カトルに敬語など使わないが、メティの前ではそうはいかない。
「…精神の乱れに、何か今まで感じたことがないモノを感じるのです。私は、空の妖精になって3年が経ちます。ヒラユは、私に色々なことを教えてくれました。愛とは何か…と。ヒラユが、湖の妖精になってから4年。ヒラユは、沢山の妖精たちを結びました。しかし、波紋の大きさでしか計れない結びに、ヒラユは…何か想いを馳せているようでした…」
「そうか………。しかし、今、森、空、湖をつかさどっているのはお前たち3人だ。しかと、その役目を果たすよう、勤めないさい。ヒラユが…黒崖へと導かれる前に…」
黒崖へと導かれる前に…。
それは、ナーシャにとって、恐ろしい言葉だった―――…。
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