第9話

「武くんばいば〜い!」

 美咲が手を振った。

「航平も、明日の夕飯には帰ってきてねー!」

 この前の泊まりが実現しなかったことで、美咲が埋め合わせをしてくれたのだ。俺は武と連れ立って、家まで歩いていった。

「航平はさぁ、夢を追うのはいつまで、とか決めてるの」

「……決めてる」

「え、いつまで」

「三十歳になって芽が出なかったら就職する」

「……そうなんだ」

 鼻の頭を赤くして、武は白い息を吐いた。

「航平才能あるからさ。きっと芽が出るよ」

「そうかなぁ」

「そうだよ」

 澄んだ空気に、呼気が溶けていく。明日の予感が、世界に満ちている。


 シャワーを浴びて、ソファに座る。ポテトチップスが机に並べられ、武は映画をつけた。大学時代を思い出す。こうやってお互いの下宿に行き、夜通し映画を観ていた時代を。

「懐かしいだろ?」

「うん……懐かしい。ああいう日々がずっと続くんだと思ってた」

 武は目尻に皺を寄せて笑った。

「そんなはずないよ……」

 武は遠い目をした。そう、そんなはずはなかった。俺は武との関係が変質してしまうのが嫌だったのかもしれない。だから、日常が変化することから目を背けていた。でも、変わってしまう。どうしたって、今までの関係ではいられない。

「武」

 振り向いたところにキスをした。逃げられないように両手で頬を挟んで、深く口づける。武は最初固まっていたが、気がつくと両手で俺を押しのけた。

「馬鹿」

 恨めしい目で見られる。

「なんで今日、劇場に来たの」

「それは……仕事のためだ」

「それだけ?」

「それだけだよ……この自意識過剰男」

「俺は会えて嬉しかった」

「あのな、自分のやってること分かってるのか? 結婚するかもしれない女性を置いて他人にキスしてんだぞ」

「美咲とは……もう長い間体の関係がない」

 目を見開く武。

「……そうなのか?」

「何度か試したんだ。でも最近は全然勃たない。……俺の方の問題なんだけど」

「美咲ちゃんはなんて」

「大丈夫だって。自分が俺のこと好きだから、このままでいいって」

 額を押さえて武はソファに沈み込んだ。

「……その言い方だと、お前は美咲ちゃんのことなんとも思ってないみたいじゃんか」

「そういうことを暗に言われた……美咲はなんか、母親みたいな愛情をくれるんだよ」

「恋人をお母さん代わりにしてるってことか?」

「そうかもしれない……」

 これ以上ないくらいソファに呑み込まれる武。

「……それは美咲ちゃんにとっても不本意なんじゃないか?」

「でも好きなんだって……」

「受け身だなぁ」

「勃たないの、病気かなって思ってたけどさ……」

「ん?」

「今のでそうじゃないことが分かった」

 武がブツを触ってくる。

「あー……」

「体の問題じゃない」

「どうすんだよ、それ」

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