第5話

「バルブが緩んでるだけだったよ」

 俺は美咲にそう言った。

「ありがとう、よかった〜! 助かる!」

 ぎゅっと抱きしめられる。俺は苦笑しながら美咲の頭を撫でた。

「急に電話来るから、何かと思ったよ」

「だって、頼れるの航平くんしかいなかったんだもん」

「俺、頼りになる?」

「いつもはふにゃふにゃしてるけどね。こういう技術的なところは頼りにしてるよ」

 なるほどな。うりうりと頭を押しつけてくる美咲の肩を叩いて、風呂に向かう。

「……あたしも入っていい?」

「いいよ」

 二人でシャワーを浴びる。美咲が後ろから抱きついてきた。

「航平……好きだよ」

「……いつから?」

「知ってるくせに……大学に入学して、あなたを見かけた時から、ずっと」

 美咲は俺と同じ文学部で、サイクリング部に所属していた。映画サークルと掛け持ちしていた俺は、健康的な笑い方の彼女に出会った時、ふと亡くなった母親のことを思い出した。俺の母親はよく笑う人だった。

「……俺のどういうところが好きなの」

「……頼りなくて、どこか儚くて、守りたくなるところ」

 武も似たようなことを言っていた。そんなに頼りなさそうなのだろうか。

「頼りがいのある人間になりたいな」

「ううん、航平くんはそのままでいいよ……」

 頬を背中に押しつけてくる。

「可愛い、航平、可愛い私の恋人」

 胸が苦しくなった。こんなに溺愛してくれる人に、俺は秘密を抱えている。でもこれは、決して明らかにしてはいけない錘だった。未精算だった過去の出来事。それが今、僕にその意味を突きつけている。

 俺は武のことが好きなのだろうか? 美咲のことは? なんで俺の感情はこんなにもはっきりとしないのだろうか。

「航平くんはどこか、離人的なところがあるね」

 と、昔美咲に言われた言葉が蘇る。俺は俺のことがよく分からない。何を感じているのか、どうしたいのか、その場では理解できないことが多い。後になって初めて、その時の感情がなんだったかを思い知るのだ。

「ねえ、美咲」

「んー?」

「美咲はさ……俺からの愛情、ちゃんと感じてる?」

 沈黙。ややあって、くぐもった声が聞こえてきた。

「……私が好きすき言う担当だから、いいんだよ。……航平くんに愛情表現はそんなに求めてない。私の愛を受け止めてくれる航平が好きなの」

 答えは明らかだった。美咲は俺からの愛情を感じていない。

「俺……」

「いいの。こうやって一緒に暮らせて、私は嬉しい。そうなるように言ってくれたので十分だよ」

「うん……」

 あの時は無意識だった。人恋しくてそう言ったのだと思う。

「結婚、したいな……」

 ぽつりと美咲が言った。俺はそれに返事ができなかった。

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