第3話

 武はカメラマンをしている。ある女性ファッション誌の撮影を担当しているそうだ。

「可愛いって思う子とかいるの」

 二人で飲みに行った時、何気なくそうけしかけてみたら、武は首を振った。

「仕事だし、そういうのはないな。客観的には可愛いんだろうけど、俺自身としては別に」

「へぇ」

 そういうもんなのか。俺はつまみの胡瓜の漬物を箸でつまみながらジョッキを傾けた。拍子抜けした気持ちだった。

「そういうもんなのかって思ったろ」

「ひぇっ、エスパーですか」

「そうかもしれないな」

 怖いことを言う。俺の心が筒抜けだったらえらいことだ。なんとなく後ろめたい気持ちになる。なぜかは分からなかった。

 だし巻き卵がやってくる。お礼を言って受け取る。

「あ……そうか。付き合ってる子とかいるの」

 だったら、他の子が眼中にないのも頷ける。

「内緒」

「なんだそれ」

 ざわりと心が波立った。イライラする。俺は無意識のうちに、コツコツと机を指の関節で叩いた。

「怒ってんの」

「え……うん。俺とお前の中に隠し事はなしだろ」

「隠し事ねぇ」

 武は頬杖をついてこちらを見る。

「じゃ、いないよ。恋人なんていない」

「ほんとかねぇ」

「信じないのか」

「信じるけど」

 なんとなくモヤモヤしたものが心に溜まる。武にではなく、自分の態度に。俺はなんで怒ったんだ? 本当に隠し事に苛立ったのか。純粋無垢な高校生でもあるまいに。

「ごめん、武。俺が深く突っ込むことでもないよな」

「なんでそこで身を引くんだよ」

 武は笑った。

「俺の部屋来てみる? 一人暮らしの野郎の痕跡しかない状態を見せてやるよ」

 その誘いに乗ることにした。美咲に連絡を入れる。

【今日武の家泊まるから】

【分かった。明日は帰ってくるよね?】

 そうだと返信をして、携帯を仕舞う。

 二人連れ立って、武の家まで歩いていった。

 武の部屋には、無駄なものが何もなかった。塵一つ落ちていなさそうなフローリングに恐る恐る座る。

「武、潔癖症に磨きがかかってない?」

「そうかもな」

「なんかあったの?」

「何も」

 暗い目をして缶ビールを傾ける武。

「なんだよそれ。隠し事はなしって言ったろ」

「はは」

「おい」

 武ににじり寄ると、武は目を逸らした。

「つい最近までいた奴が出てっただけだよ」

 そうだった。武は何かネガティブな出来事があると、一時的に潔癖症がひどくなる。

「どんな人」

「頼りない奴」

「そうなんだ」

 そういえば、俺は武のタイプを知らない。それなりに長く付き合ってるつもりなのに、大事なことを知らないんだなと愕然とした。

「……そういう子が好きなの」

「かもな」

 武は目を瞑って缶ビールを飲んだ。俺は元の位置に戻った。

「……俺、お前の好きなタイプとか知らないや」

「俺が誰かと付き合うとかあんまりなかったせいじゃないか?」

「そうかもしれない」

「はは」

 また乾いた笑い声を立てた。俺は三角座りをして膝の間に顔を埋める。

「なんかごめん」

「なんでお前が謝るんだよ」

「いや……覚えてる? あの時のこと。あれでなんかトラウマになって、恋人作れなくなったとかじゃ……」

「ちげぇよ」

 武は優しげな目をしてこちらを見た。

「忘れちまえよ、あんなの。さっさと美咲ちゃんと幸せになれよ」

 その声があまりに静かで優しかったから、俺はつい言ってしまった。

「じゃあなんであの時、別れたらなんて言ったの。そっちが本心じゃないの」

 武はショックを受けた顔をした。

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