第7話
自室に着いたのは太陽が真上に来てからだった。シャワーを浴びながら今の出来事をすぐに想に相談したかったが彼は今家にはいない。タオルで身体を拭きながらため息をついていると部屋をノックする音がした。勇樹は肩にタオルをかけるとズボンを履いて扉を開けた。
「勇樹……」名前を言ってから扉も外にいた幻は険しい顔をした。「服着てから出迎えるのが礼儀じゃない?」
「……そうか」
彼女に睨まれ、勇樹は仕方なく部屋に戻るとシャツに手をかけた。その間に幻が入ってきて椅子に座った。その姿まるで自分の部屋のようであった。
「なに?」
シャツを着た勇樹は、ベッドに上に胡坐をかいて幻を見た。彼女は真剣な顔をしている。
「あのさ、兄さん出掛ける時なにか言っていた?」
「いや。西にむかうとは言ってだけど」
「西に行って連絡がないのはいつものことなんだけどさ。私が連絡をして出ないってのは、初めてなんだよね」
いつも強気な幻が不安そうな表情を見せたので勇樹も心配になった。
「スマートフォンに連絡したのか?」
「うん。大抵は一週間以内には返事くれるだけどもう二週間はない。兄さんに限ってとは思うけど西には佐伯の味方がいないから」
「で、どうすればいいんだ?」
「確かめるためには西に行くしかない」
気合いを入れる彼女を見て、相談ではなく指示をしにきたのだとすぐに理解した。霊媒師界隈に入って日が浅い自分よりも彼女の方が適格な判断ができる思った。。
「私が行ってくるから」
「佐伯はどうするんだ?」
その言葉に幻は頷いて、扉を開けた。頭を下げて入ってきたのは黒いスーツを着た筋肉質で長身の高齢女性だ。。
「だれ?」
「失礼な口を聞かない方がいいよ。彼女は勇樹のおばあさんだよ」
「……」
今朝、庵の祖父と名乗る男性にあった。今度は自分自身の祖母に出会った。親族紹介に日だなと思った。
「始めまして」女性は胡坐をかいている勇樹を見た。彼女にじっと見られて、慌てて立ち上がると姿勢を正した。勇樹が立ったのを確認すると女性はゆっくりと口を開いた。
「私は佐伯純です。貴方の母親である佐伯綺羅の母親です」
「そうなんですか」
「母の名前も知りませんか?」純は鋭い口調で言った。
「はい……。父の罪もここで初めて知りました」
情けないと言う顔をする純に勇樹は腹が立った。子どもだった自分に母は勿論のこと、この祖母と名乗る女性も一度も会いにきたことがなかった。
「勘違いしないように。貴方の事を責めてはいません。全てはあの男の罪です。我が娘を嫁にして佐伯に迎えようとしたのにそれを断ったのです」
「だから黒鉄なんですね」
「そこまでは、寛容に見ても良かったのです。しかし……」ここで純の目がキラリ鋭く光った。「勇樹、貴方が生まれると同時に綺羅は亡くなりました」
母の死を聞いても勇樹は驚かなかったし感傷にも浸らなかった。それは、父である黒鉄雄路の罪を聞いた時と同じ感情であった。
「更に」純は勇樹と正反対のようで言葉に熱が籠っていた。「勇樹をさらってしまったのです」
「マジ」
それには驚いた。物心ついたときから父方の祖母と平和に暮らしていたのだ。
「ええ、でも幻のおかげ見つけたのです。彼女はそういった能力に長けていますからね」
その言葉に納得した。幼い頃やたらと幻に構われたのを思い出した。彼女はクラスでも友だちが多い方であったにも関わらず、よく問題を起こす自分に構っていたのだ。
「貴方が起こした殺傷事件も存じております。警察沙汰になりましたが全て私がもみ消しました」
幼少期の不思議が今解消されていった。何をしても次の日を普通に過ごせたことを不可解に思いながらもそれを追求せずに過ごしていた自分が恥ずかしくなった。
「ただ……」そこで純は言葉を止めた。「そのことは想が帰宅してからでもいいでしょう」
「……はい」
純の言葉が気になったが、想の帰宅後というならそれでもいいと思いそれ以上詮索することはしなかった。
「まぁ、でも」純は勇樹の姿……、正しくは庵海斗の姿を上から下までじっくりと見た。「花ケ前陽炎の孫の身体であろうと中身は私の孫です。力になりましょう」
高齢とは思えない元気の良さに勇樹は押されつつも花ケ前陽炎という言葉は聞き逃すことができなかった。
「その人にさっき会いました」
「え?」
「はぁ?」
純と幻が鬼のような形相で勇樹を見た。彼女たちの圧の思わず後ろに下がったため、ベッドに足があたり座ってしまった。
「何を言われたの?」
「何かされましたか?」
同時に聞かれて何を答えていいかわらずに戸惑った。二人に見下ろされてキョロキョロと左右の鬼を見た。
「失礼いたしました」先に理性を取り戻したのは純だ。「怖い顔で迫られては話もできませんよね」
一歩さがる純を見ると、幻も冷静さを取り戻したようで同じくらい下がって小さな声で謝罪した。
「えっと……」説明を待っている彼女たちの顔を見ると勇樹はゆっくりと口を開いた。「花ケ前陽炎さんにあったのは幻と別れたあとです。公園のベンチにいたら、現れました」
彼の事を思い出すと不快感が広がった。しかし、彼女たちには必要な情報なのだと割り切って話すことにした。
「養子になるように言われました」
「養子」二人の声が被った。
「あの男は女好きで有名ですが実際はもっとひどいモノです」純は腕を組み長い足を広げ激怒していた。「女性を霊力が高い子どもを産む道具としか思っていません」
「あ、俺より年下の息子がいるって言っていました。たしか……」
「陽真」勇樹が考えていると純は顔を歪めて、即答した。「花ケ前の次期当主ですよ。相当な力を持って、年はいくつでしたっけ……。小学生だった気がします。あの男が大切にしている子どもです。それ以外にも多くいるようですが表にでませんし花ケ前家も把握していないじゃないですか」
「そうだと思います。庵の両親のどちらかが自分の子どもかも把握していないようでした」
「最低ね」大きくため息をついたのは幻だ。「花ケ前はね。昔しから能力にしか興味ないんだよ。特に花ケ前当主は歴代一番やることがえげつない……」
幻はそうとう花ケ前家が嫌いらしく、悪態をつき始めたら止まらなかった。次から次へと感心するほど悪口が出てきた。
「幻。貴女の言い分は分かりました。けど、想の様子を見にいくのでしょう。ここは私が守りますから」
純にやさしく諭されると、幻は正気に戻ったようで「そうだった」と言った笑顔に戻った。
「勇樹、じゃ行ってくる。庵は置いていくけど消費しないでよ」
「え?」彼女の言葉に驚いて目を大きくした。常に一緒にして怨念のように執着しているから連れて行くのだと思っていた。
「本当は一緒がいいけど。兄さんと連絡が取れないとなると西の状態が分からないし危険なんだ。そもそも、貴方から離したらよくないのよ」
優しく笑う彼女を見て勇樹は嫌な予感がした。しかし根拠はなく、気のせいだとその気持ちを追い払った。
「分かった」
幻が元気よく部屋を出て行くのを勇樹と純は見送った。彼女がいなくなると、純は小さくため息をついた。
「ちょっと座らせてもらうよ」
「はい」
純が席についたため勇樹はテーブルを挟んで向かいの椅子に座った。
「佐伯が国家機構になったのは六年前なんです。だから他の三家には疎まれていてその中でも花ケ前から親の仇のように嫌われているのです。それもあって幻はあんな感じなのですよ」
「そうですか。あの……俺のおばあさんなら敬語でなくて大丈夫ですよ」
「おや」純は嬉しそうに微笑んだ。「流石、私の娘の子ども。優しいのですね。しかし、これは崩せません。私は霊力が低く自分の身を悪霊から守ることも難しいのです。佐伯の血をひいていますが使用人と同じなんですよ」
「それって花ケ前と同じじゃないですか」
腹が立って思わず声が大きくなった。すぐにそれに気づき口を抑えて座りなおした。
「違いますよ」純は口を抑えて穏やかに笑った。「佐伯家の皆さんは私を佐伯の人間として扱ってくれていますよ。現に幻は佐伯を私に任せて出掛けたでしょう」
「確かに……」
早とちりした自分が恥ずかしくなり、床に視線を落とした。
「私の為に怒ってくれてありがとうございます」
その言葉からは寂しさが感じられた。勇樹はそんな純になんて声をかけて良いか分からず、床を見たまま黙っていた。
椅子に座りなおした純はゆっくりと勇樹を見た。その視線を感じて、勇樹も顔を上げて彼女の方に視線を向けた。
「娘は霊力の高い子でね。当時の当主佐伯幻治が霊力も高かった黒鉄雄路と縁談を娘に進めたのです。彼女も状況を理解して承諾しました。しかし、貴方を出産すると当時にこ世を去りました」
「後悔しているのですか?」
勇樹の質問に純は困った顔をしたあとゆっくりと首をふった。
「貴方が産まれてきてくれたのですから後悔なんてないですよ」
そっと勇樹の頬にふれてきた純の手は温かく、育ててくれた祖母を思い出した。自分が愛されていたことを実感すると胸が熱くなった。
「貴方には辛いでしょうけど、黒鉄雄路は止めなくてはなりません」
「はい」
返事をしながら勇樹は自分のポシェットに手をいれて黒い石を出した。純も幻から預かった黒い石をテーブルに並べた。
「全て黒鉄雄路が作った悪霊から出てきました」
「これだけあれば十分ですよ」
純はテーブルに地図を広げた。細かい地図であり、住んでいる人間の名前も書いてあった。その上に黒い石を並べた。すると、石はグラグラと揺れて地図に至るとこに散らばった。
それを勇樹が興味深くみていると純はクスリと笑った。「この地図の上に霊力もしくは魔力のこもったものを置くと同じ気配のある場所に移動するのですよ」
「へ~」
散らばった黒い石は、地図にある場所に多く固まった。それ見て勇樹は眉をひそめた。
「俺んちじゃねぇか」
敬語も忘れるほど酷く動揺した。死んでから一度も帰っていないため現在自分の家がどうなっているか分からなかった。
「やっぱり西に黒鉄雄路がいるって情報はデマでしたね」
「なんですか? それは」
「想が西に向かった理由です。彼も嘘である可能性は考えてたはずですが四家集合でしたから行かないわけにいきませんでした。そもそも黒鉄雄路の件は佐伯の失態ですからね」
「またソレですか。センセイも言っていました。けど……」勇樹は不愉快そうに顔をしかめた。「黒鉄雄路の勝手な暴走ですよね」
「そうですが、彼は佐伯にいた人間です。指導できなかった責任があります」
悲しそうな顔はせず、凛とした態度で話す純がかっこよく見えて勇樹自身が酷く子どものように感じた。
「いつ、行きます?」
「では今日はゆっくり休み明日に備えましょう。なにか会ったら呼んで頂いて構いません」
そう言って、テーブルの上に腕輪を置いた。勇樹が不思議そうに持ち上げると通信機だと説明してくれた。
「これから携帯で電話している余裕はありません。それはすぐに私通じますから」
「ありがとうございます」と礼をいうと勇樹は腕輪をはめた。つけた違和感はなくピッタリとした物であった。
「それでは私も失礼します」
純は軽く頭を下げて部屋を出て行った。丁寧に教えてくれる純は祖母というより指導員のようであった。
彼女がいなくなると、勇樹はベッドに転がり腕輪を見た。黒く手に張り付いてるそれはリストバンドみたいでもあった。
全く感じなかったが身体は疲れていたようで、窓から太陽に光が差し込むなかぐっすりと眠りについた。
目を覚ますと、外は真っ暗で雨が降っていた。
「マジかぁ」
ずっと天気が良かったため、油断していた。延期になるとこを雀の涙ほど期待しながら起き上がるとクローゼットの前にパーカーとハーフパンツそれにトレンカが掛けてあった。近づいてみると全て防水だ。
「着ろってことかなぁ。今日行くってことだな」
勇樹は来ていたシャツをベッドの放ると着替えをすませると、テーブルに置いてあったパンを数口で食べて栄養ドリンクに口を付けた。
扉を叩く音と共に、扉が開いた。
「勇樹君。行きますよ」
黒いピッタリとしたパンツにフロントチャックのついたジャケットを着た純が立っていた。高齢の女性とは思えないほどのスタイルの良さに驚き口に入っていた栄養ドリンクを吹き出した。
――黒いスーツの時もカッコの良い人だと思っていたが身体にフィット服を着ると身体のラインがしっかりと見えて……。
「うん?」純は動揺する勇樹を見てニヤリと笑った。「私は最高にカッコよくてセクシーなんですよ」
「……そうですね」
「スタイルでしたら、院瀬見家の明空さんも素晴らしいですね。佐伯は、私以外ゴリラですから」
「センセイは分かりますが、幻もですか?」
「幻? アレはちびゴリラですよ。ボディビルみたい体型しています」
いつも制服か体型の目立たないふわふわとしたワンピースにレギンスを着ているので分からなかった。
「そうですか」そう言って台布巾で自分が吹いたものを丁寧に拭いた。「皆黒を着ていますが制服ですか?」
「霊媒師は目立たないように基本的に黒です。例外もいますが……」
「例外?」
勇樹は台布巾を置くと、フードをかぶり純の傍にいった。すると、純は不愉快そうな顔をして「あのじじいのことは気にしなくて大丈夫です」と話を止めた。黒い服を着ない霊媒師の老人を勇樹は一人しか知らなかった。
勇樹の実家は東地区ではあるが、街から離れて森の中あった。祖母が所有していた山に家を建て二人で暮らしていた。それはまるで一目を避けるような暮らしであったが幼い勇樹はそれに気づいてはいなかった。
「幻の家とうちって結構離れているですよね」そう言って勇樹は車の外を見た。佐伯の家を出るとき降っていた雨はやんでいた。真っ暗であったが街の方は明かりが見えた。
「ええ、この辺に家を借りて暮らしていました」
隣に座る純は運転席の方を見ながら話した。
「あー、もしかして俺を見つけて監視するためか?」
「ええ」
「だから、権藤と争った後幻の家に行った時に違和感があったのですね」
「佐伯家の場所はずっと変わっていません。国家機構になった時に佐伯は大規模な工事を行いました。施設の規定があるので変更が必要だったのです。公費が出るので問題はありませんが」
「庵は幻の家知っていたのか?」
小さくなり肩に乗っている庵に話しかけた。相変わらず首輪は付けているが犬みたいなリードは外した。
「知らないよ。君と行ったのが初めてっていうか、まともな会話もだよ」照れ臭そうに庵は言った。「幻は人気もので僕が一歩的に憧れていたんだ」
「一方的?」
「う、うん。幻から話しかけてくれたけどなかなか返せなくて。いつも返事を考えているうちに時間が経って。幻は優しいからそんな僕に毎日話しかけてくれたんだよ」
「毎日……。そうか」
返事をしない男に毎日話かける彼女の気が知れないが他に目的があったことを考えれば納得がいった。
車速度が落ちると懐かし光景が広がっていた。
「着きました」落ち着いた声で運転手が言うと、先に車を降りて後部座席の扉を開けた。
「ありがとうございます。丹波さん」
「ありがとうございます」純が挨拶をしたので慌てて勇樹も挨拶をしてから車を降りた。外に出た途端、暑さで手がぬめり額に汗が噴き出したのを感じた。
「いえ。それではお待ちしております」
昨夜純が来ていたのと同じような黒いスーツを着た丹波は丁寧に頭を下げた。
木々に囲まれたそこは葉や虫の音が聞こえ多少は涼しさを感じたが汗は止まらない。車からさほど離れない距離に勇樹の家があった。広い庭も平屋で木造建築の家も健在だったが人の気配がなかった。「さびれた」という言葉が似合う場所になり少し感傷に浸った。
「うーん。何か感じますか?」
当たりを見回しながら純は黒い手袋をした。
「その恰好熱くないですか?」
カッコいいとは思うが、夜でも真夏だ。車から降りてすぐとはいえ彼女が一切汗をかいていないのが不思議であった。
「この服も手袋も想さんに霊力を込めて貰っているですよ。これがないと霊力がミジンコの私は戦えないですね」
「じゃ、俺のもですか」
勇樹が期待を込めて自分の服を見た。
「いや」すぐに純は首を振った。「勇樹君には必要ありませんから、ただの服です」
「……そうですか」期待しただけにショックが大きかった。
しょぼくれて、庭を歩いているとシャベルを見つけた。真っ赤なシャベルでよく庭を掘り返して祖母に怒られたものだ。
「懐かしいな」
手を伸ばした。その瞬間、大きな手に捕まれた。身体全身の毛穴が開き汗が噴き出した。手を掴んでいる相手が怖くて顔を上げられなかった。周囲の風景がなくなり、真っ暗になっていった。今まで聞こえていた木々や虫の声も聞こえない。さっきまで汗ばむほど暑かったのに寒気を感じた。
「久しぶりだね」
手を掴んだ人間が声を掛けてきた。その低い声はヘビのように勇樹に絡んできた。恐怖で声どころか指一本動かすことができなかった。
「久しぶりの親子の再開だよ?」
――黒鉄雄路……?
「おや、睨まないでくれよ」雄路は残念そうな声で言った。「昔のように父さんと呼んでくれよ」
彼のねっとりとした声が身体をはい回るようで気持ちが悪かった。強く手を引かれ、必死に抵抗した。しかし、雄路の力は強く引きずられるように立ち上がった。そのまま手を引かれ彼の後を歩いた。あたりは真っ暗であり前を歩く彼の姿も見えなかった。
気づけば肩にいた庵がいなくなっていた。もちろん純の姿もない。腕の通信機を何度も押したが繋がらなかった。
不安で押しつぶされそうになり、必死に逃げる術を考えた。どこまでも続く暗闇に自分の居場所も分からなかった。しばらくすると、ぼんやり光るモノが見えた。近づくとそこが家だということが分かった。さっき見た祖母の家のようであるが寂れていなく幼い頃過ごしたままであった。
家の玄関がガラリと音を立てて開いた。
「勇樹?」そう言って家から出てきたのは祖母であった。「あれま、どこ言ってんだ?」
顔も声も全て祖母であった。心が熱くなり、彼女に声を掛けようとした瞬間、嫌な感じがした。
「あれまぁ、お父さんと帰ってきたのけ」
彼女の言葉に強い違和感を覚えて、後ろに下がった。すると、大きな壁にぶつかった。
「どこに行くんだ? 勇樹の家はそこだろ。おばあちゃんも待っている」
壁から雄路の声がした。上を向くと今度ははっきりと雄路の顔が見えた。壁だと思っていたのは雄路であった。穏やかに笑うその顔を見たことはなかった。
――この世界はおかしい。
勇樹は、雄路を振り切り必死に家と雄路から離れた。背後から追ってくる気配があったが振り向く余裕もなく走った。
「待って雄路。なんで逃げるんだい?おばあちゃんもいるよ」
目の前に雄路が現れた。慌てて足を止めると方向転換してソレを避け走った。雄路の余裕な笑い声が聞こえた。
『アハハ、ピンチ~?』
突然頭の中で、間の抜けた声がした。それに驚いたが、答える余裕は勇樹になかった。
『あれ?僕ちゃんだよ? 死魔のロスだよ?』ヘラヘラと緊張感なく笑った。『余裕なしかぁ。まぁ、僕は助けないよ。助かりたいならな頑張りなよ。佐伯の坊から教えてもらったじゃないの?』
彼の言葉で、気づきすぐに霊幕を作った。すると、暗闇の中がはっきりと見えた。永遠に広がっていると思っていたそこは、学校の体育館程度の大きさであった。
勇樹はぐるぐると円を描くように同じ場所を走っていることに気づき足を止めた。
「あ~、分かってしまったかな」焦る様子のない雄路が笑いながら目の前にいた。スーツを着た彼は一見サラリーマンのように見えたが彼の瞳は人ではないように感じた。
勇樹はすぐにカッターナイフを作ると彼に向けた。状況を把握ができると、恐怖で震えていた身体が落ち着いた。父と言っているが見たことがない顔に愛着はなかったが、人間だと思うと躊躇した。
――あれは悪霊、悪霊。
何度も繰り返し分の中で唱え思い込ませた。
「ふ~ん。すごいね」
余裕の笑みを浮かべた雄路は構えることもしなかった。しかし、彼の霊幕に黒いモノが混じっていた。それを見て想の言葉を思い出した。
「え? この青の中にある黒?」勇樹の部屋のソファに転がり雑誌を見ている想が「魔力だよ」と即答するとまた雑誌を見てへらへらと笑っている。
「あのさ、水着のねぇちゃんより俺の話聞いてくれねぇか?」
「なの?」
「魔力って教えて」
勇樹が困った顔をすると、想は面倒くさそうな顔して雑誌を置くとソファに座った。
「いーよ」
無造作に広がった肩までの黒い髪を後ろで馬のしっぽのように縛った。
「魔力ねぇ」そう言って、両手の前に差し出すと黒い球を作った。「これ、なんだけど」
黒いかと思った球体は真っ黒ではなかった。近づいてよく見ると、中で更に黒いものが渦のようにクルクルと回っている。
「悪魔はこれだけで使っているだけど、人間には難しいだよね。そもそも、そんなに大量に魔力使ったら」想はニヤリと笑って言葉を止めた。「死ぬよ」
「死ぬのか」それを聞いて、目を大きくして勇樹は慌てた。「じゃ、ソレすぐにしまって。センセイの寿命が減っちゃう」
「あ~私?」持っていた魔力の玉をボールに見たい身体を這わせながら笑った。「今更。契約したのは八歳の時なんだよね」
「そんなに幼い時から? だって契約すると死後大変なんだろ」
「そーね」想は魔力の玉を人差し指の上に乗せるとゆっくりと回転させた。「その時、佐伯は国家機構じゃなくて今の三家の下請けだったんだよね。そこで霊力が強い私が産まれた」
「成り上がりチャンスってわけだな」
勇樹が両手を握りしめ笑顔で想を見た。すると、彼は乾いた笑いをして眉を下げた。
「霊力が強すぎて悪霊に好かれちゃって。熱を出さない日が三日間となかったらしいよ。いくら除霊してもキリがなくてさ」
「霊幕とかは?」
「それ~」想は持っていた魔力の玉が青い壁で包まれた。「こうやって、自分や自分自身に関わるモノにはできるだけどね。他人や家とか大型な物はかなり難しいね。まぁ私は出来るけどね」
そう言った瞬間、勇樹は想の霊幕で包まれた。いつも自分の霊幕とは全く違った。隙間が一切なくそれ厚みがあるが視界を遮ることはない。
「へーじゃ。センセイは自分以外の人を浮かせられるの?」
「まさか」想は肩をすくめて笑った。「私が浮けるのは魔力を使っているからだよ。いや……まぁ霊力と魔力を混ぜればできるのかも。でもそれだけ魔力使ったら数年で死にそう」
「そいや、なんで魔力使うとすぐ死ぬんだ? 生命力みたいなの使ってんのか?」
「近いかな。魂だよ」想はパッと魔力の玉を消して、勇樹の霊幕を解いた。「魂を使って魔力を発生させる。それで相手の魂に直接攻撃できるからかなり有効な技だよね」
「諸刃の剣みて」
「そうだね」
「あ~」勇樹は思い出したように手を叩いた。「そのままじゃ使えねぇだろ。さっき言ってた霊力にまぜるのか?」
「素晴らしい」想は大げさに手を叩いた。「そうだよ。混ぜて使うと魔力の消費もおさえられるし何より扱いやすい。でも、それ練習が必要だしおすすめしないよー。練習も魂使うからね」
話はおしまいと言いたげに雑誌を開き、うつぶせに寝転んだ。
「なぁ、さっきセンセイが言った今更ってどういうこと?」
「ん?」想は雑誌をめくる手を止めて少し考えた。「八歳から十八年間ずっと霊力と魔力の修業。身体の再生もそろそろ限界かもねぇ」
悲しむ様子もなく、軽く答えると雑誌をめくり始めた。胸の大きな女性の写真が出てくるとか顔をニヤニヤと笑った。
「センセイは死ぬのが怖くないの?」
「怖くない? それは君だろ」雑誌から視線を逸らさずに口を開いた。「対した力もないのに逃げもせずに悪霊に向かっていくじゃないか」
「俺は死にたくないから戦うんだ。相手が強いならなおさら逃げられねぇだろうし、やるしかねぇじゃん」
「君は面白いね」ケラケラと笑いながら、また雑誌をめくった。「怖いと言っても多分そろそろ限界ぽいんだよね」
「分かった」勇樹は大きな声で言うと想は驚いて雑誌をめくる手止めた。勇樹は想の傍にいくと、彼の持っていた雑誌を取り投げ捨てた。
「時間がないんだよな。これから付き合え」
上から睨みつける勇樹に、想は眉を下げながら笑い立ち上がると自分より頭一つ以上小さい彼の肩を抱いた。
「なーに?」ニヤニヤと笑いながら想は勇樹の顔を覗き込んだ。「もしかして結構私のこと慕っている?」
「……センセイはセンセイだから」
そう言って彼から乱暴に離れると扉にへ向かった。すると、嬉しそうにヘラヘラ笑いながら自分の後をついてきた想の姿を今でもしっかりと覚えていた。
「魔力なぁ」
現在、目も前にいる黒鉄雄路の霊幕に混じっている黒い物が魔力だとしたら想が使っていたやり方と同じだ。
「勇樹? 境域からは逃げられないよ」
「境域?」聞き覚えのある言葉だった。
「あぁ、ここは現世と霊界の境界にある境界域。そこに俺の部屋を作った」雄路はいやらしく笑った。「佐伯の坊主はそんなことも教えてくれないのか」
想を馬鹿にする雄路に腹が立ち睨みつけた。
「なんだ? 佐伯の坊主に情があるのか」眉を下げ、口をへの字にするとわざとらしく悲しげな顔をした。「あんな小僧よりも父さんを慕うべきだろう」
「……境域、自分の部屋」勇樹は思い当たることがあった。想の悪霊と戦った場所だ。そこ彼は「境界」と呼んでいた気がした。
「勇樹、お父さんを無視して考え事かい?」雄路は苛立ったように大きな声をあげると、手を上げた。すると、空中に音もなく亀裂が走った。嫌な予感しかしなかった。
「ソレ、絶対やべーでしょ」
亀裂からは長く黒い爪の手が出てきた。その瞬間、強い圧を感じ足が動かなくなった。額から暑くもないのに汗が噴き出て、全身の力が入らなくなり出してした霊力のカッターナイフも消えた。
『ハハハ……、このタイミングでお出ましかぁ』
頭の中で陽気な声が響いた。勇樹の頭の中で話す人物は一人しかいなかった。
『アレは、天魔。勇ちゃん死ぬよ。手を貸そうか?』
『なんで? 俺が死んだ方がロスのモノなっていいんじゃねぇの?』
『うーん』死魔は困ったような声を上げた。『ちょっと違うだよね。魔力に殺されたらそれは魂の消滅。僕ちゃんのモノにならないだよー』
『条件は?』
『ふえ』死魔は変な声を出したあとニタリと笑った気がした。声しか聞こえないが気配を感じた。『想ちゃんの入れ知恵かぁ』
どんなに友好的な態度をとっても悪魔は悪魔だと耳にタコがだらけになるくらい想に言われた。
『本当に惜しい人材だったよね』死魔が不吉なことを言った。しかし、彼が更に言葉を続けたため詳しく聞くことができなかった。『オッケー。勇ちゃんの目を頂戴な』
『目?』
彼の言葉に首を傾げたその瞬間、身体に電撃が走った。空中の亀裂が広がり、黒い爪の手が二本出てきた。雄路自身も辛いらしく顔から笑顔がなくなり冷や汗をかいているように見えた。
『見えなくはならないよ。僕ちゃんの目と繋ぐだけ、勇ちゃんの見た情報が全て僕に流れる』
『そんなんでいいのか? 寿命とか持ってかれると思った』
『勇ちゃんにはもっと生きて魂を磨いてほしいだよね。じゃ、交渉成立でいい』
『あぁ』
返事をした瞬間、身体が嘘のように軽くなった。全身が黒い靄で覆われている。
「勇樹、お前も契約していたのか」
雄路の怒鳴り声と共に、亀裂がら黒いフードが見えた。その時、何かに引きずられ亀裂の中に戻った。しばらくすると、亀裂は小さくなり消えた。
「勇樹、俺のウィッケン様ぉぉ」
怒鳴りながら雄路は大きな平らなハンマーを出現させた。持ち手が輪っかになっている。それを後ろに引き、身体をひねり投げつけてきた。
「うえ、マジ」
武器からは黒い靄が出ていて嫌な予感がしたため、うかつに触れずに避けた。すると、空中を旋回して勇樹の元に戻ってきた。
「ハンマーの形なのに、ブーメランみてー」
それも避けると雄路の元に戻った。戻ってきたハンマーを持ちながら、逃げてばかり勇樹を見てニヤリと余裕を笑みを雄路は浮かべた。
「ウィッケン様の召喚を邪魔したから、警戒したが所詮は子どもか大したことがことない」
彼はまたハンマーを投げてきた。それを勇樹は避けるのに精いっぱいであり、彼の言っていることは間違っていない。
雄路は調子に乗り、楽しそうに何度もハンマーを投げてきた。彼は勇樹をいたぶり遊んでいるようであった。
『勇ちゃん、バカなの? せっかく僕ちゃんが天魔と戦ってあげているのに』
『そうなのか?』
『そうだよ。引きずり戻してさ。さっさと勝ってくれる?』
『うーん』勇樹は迫りくるハンマーを避けながら考え込んだ。『どうしようかなぁ』
勝てそうにない戦いも勇樹は面白いと思った。
『勇ちゃんには悪魔の血が流れているだよ。そんで、僕ちゃんとも契約してるんだよ』死魔の大きなため息が聞こえた。『いつもの武器出して』
ハンマーを避けながら言われた通りカッターナイフを出したが、ハンマーの方に気をとられて文房具サイズのモノしか出せなかった。
『ちっさい』死魔の馬鹿にした声がした。『まぁいいや。それに力込めて。なんか黒い感じするでしょ。勇ちゃんの体内にある魔力と僕ちゃんの魔力つなげたからさ』
お腹のあたりに違和感があった。それは以前霊力を使うとき想に教えて貰ったやり方と似ていたためすんなりできた。カッターナイフにそれを移動させるとカッターナイフは赤く光った。それは炎が燃えているようであり美しく見えた。
『きれいな赤でしょ。僕ちゃんの色』
「いいのかコレ」
勇樹が疑問に思いながら、燃えてるように赤いカッターナイフをハンマーに投げつけた。すると、ハンマーにヒビが入った。
「お、マジか」
勇樹は調子に乗り、更にカッターナイフを出して数本投げるとハンマーは壊れ消えた。それがとても楽しくはしゃいでいると、目の前にタコのような長い触手が現れ襲ってきた。勇樹は慌てて避けて、雄路の方をみると触手は彼から背中から生えていた。
「キモ」
「俺の武器まで」
唸り声を上げながら雄路は変体していった。数えきれないほどの太い大きな触手は、ぬめり軟体動物のようであった。その中心には大きなぎょろついた黄色い目がついていた。
「ピンチで巨大化って本当に悪役だな」
ため息をつきながら、迫りくる触手を避けカッターナイフを投げた。的が大きいため刺さるが吸収されその分触手が大きくなった。
「やべじゃん」
突然、目の前に触手が現れたためそれを避けようとしたが背後、そして上下左右からも出現して囲まれた。上にある触手からゼリー状の体液がタラリ勇樹の頬に垂れた。
「ピンチじゃん」
銀色の鎖にしばられて、死魔は天魔を見上げていた。彼は黒ローブを脱ぎ捨て、銀色の髪を逆立てゲスな笑いを浮かべていた。
「死魔ロスもざまねぇなぁ。ガキなんか構っているからだろうがよ」
天魔は罵りながら死魔を蹴り上げた。死魔のフードが外れ銀色のまっすぐな髪に赤い目があらわになった。彼に蹴られた頬がほのかに赤くなっていた。
「そーね」
死魔は悔しそうな顔もせずに平然と答えた。それが天魔を苛立たせた。
「大体、あのガキは俺のモノだ。俺の血が入っているんだぞ」
「はい、言質とりました」
「え?」
その瞬間、死魔を縛っていた鎖は音立てて崩れた。彼はゆっくりと伸びをすると立ち上がり蹴られた頬を抑えながら「痛かった」とつぶやいている。
「な、なんだ……?」
天魔は突然立てなくなり、その場に座り込んだ。彼自身もなぜ動けないのか理解できないようであった。それが楽しくて死魔はフードをかぶりながら大笑いした。
「なぜだ。確かに悪魔の血を人間に与えたがなぜ悪い」
「禁忌だからだよ」
「禁忌を犯すのが悪魔だ」天魔は悶えながら見下す死魔を黄色い大きな目で睨みつけた。
「そーだよね。なら仕方ないじゃん。ねぇ、陽ちゃん」
ゆっくりと、天魔の前に現れた黒いローブ姿の陽炎に天魔は驚きのあまり口も聞けなかった。
「お久しぶり御座います。天魔ウィッケン様」
陽炎は地面に這いつくばる天魔にあいさつをした。
「きさま、裏切ったのか?」
「いいえ」陽炎は落ち着いた声で返事をしてゆっくりと首を振った。「ウィッケン様のご命令通り、悪魔の血を飲み息子を作りました」
「そうだ、人間に悪魔の血が入っているだけなら悪魔の量産ではないから聖典制裁はおこらない。俺の血だから俺の配下だ」
「ええ、私の他にも黒鉄雄路を紹介して息子が血を引き継ぎました。ウィッケン様の血を継いだ人間が二人になりました。ご希望通りでございます」
穏やかに笑いながら、説明する陽炎は不気味であった。その後ろで死魔が宙で胡坐をかき身体を左右に揺らしながらニタニタと嫌な笑いを浮かべている。
「では、この状況はどういうことだ」
「ウィッケン様の血を引く我が息子、陽真が魔力を使い五蘊魔へイン様と契約しております佐伯想の魂を消滅させました」
「それがどうした」天魔は興味なさろうに言った。
「五蘊魔へイン様は、お怒りになり花ケ前陽真は悪魔であると認定しました。死魔ロス様も同意でございます」
「まさか」天魔は酷く動揺した。そして自分の下に描かれている血の文字の見て黄色い目が震えた。「この血は、三人のモノか」
「ええ、悪魔が増えました。煩悩魔ザイ様の同意も得ましたので聖典制裁を阻止するために、悪魔祓いをさせて頂きます」
陽炎は両手を合わせ三角の形を作ると、呪文を唱え始めた。すると、這いつくばっている天魔の下にある血の文字が光を放った。それに天魔がズルズルと引き込まれていった。
「いや、待て……なぜ俺が……」天魔は言葉の途中で完全に光の中に吸い込まれて、彼の姿なくなると光は消えた。
「だって、天魔のは一つでしょ」死魔はケラケラと笑いながら陽炎を見た。「なぜ、悪魔になったのが自分だって言わなかったの?」
「……」陽炎は口角を上げると感情のこもらない笑顔を作った。「私を認定してくださった御三方には感謝していますよ」
「まぁ、いいけどちゃんと天魔やってよね。四魔は平等で干渉しない。アイツ見たいに自分がトップになろうとしない方がいいよ」
陽炎は頭を下げると、その場から去って行った。
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