第5話

月の光を背にうけながら宿屋の部屋の窓を開けた。すると恐ろしい顔をしたユキノがいて、思わず窓を閉めてしまった。

「カァァナァァタァァ」

すぐに窓は開けられて、顔を出したユキノに睨まれた。

「……」カナタは頭をかきながら、部屋に入った。

「建物に行ったん?」

「うん」カナタは上着を乱暴にイスに投げ捨てた。「俺の興味がないもんだった」

そう言うと、ユキノが何か言ったがカナタは聞かずに洗浄室に行った。

中に入ると、入口のボタンを押しながらふと天井を見た。

「上着置いて来なければ良かった……」と呟きながら、天井から落ちてくる光をしばらく浴びると頭をなぜてから洗浄室を出た。

室内に戻るとベッドがふくらんでいた。

――寝たのか。

カナタは脱いだ上着を洗浄室に放りこむとボタンを押した。それから、靴を投げ捨てるように脱ぎベッドにうつ伏せに倒れこんだ。すると、隣のベッドの掛け布団が飛んだかと思うと座り込んだユキノが現れた。

「怒ってんからね」

鼻息を荒くしたユキノに睨みつけられた。

「あ~」カナタは面倒くさそううつ伏せのまま顔だけをユキノの方に向けた。「本当は建物には大した物はなかった」

「違うわ」

怒鳴り声と共に枕が飛んできた。それを顔の前で掴むと頭の下に入れた。

「あんたの事、心配してんだよ。洗浄室から出たらいなくて……」ユキノの声が震え始めた。「宿屋中探して、外出て周囲を探したけど見つからなくて……。どんどん暗くなるし」

「泣いてんのか?」

強い感情をぶつけられてカナタは動揺した。悪意ある感情なら喜んで立ち向かったが、『心配』という今までにないモノに途方に暮れた。

「泣くわ」

今度はユキノの拳が飛んできた。カナタはそれを避けたり防いだりせずに受けた。そうしなければならないような気がした。

ユキノの拳で殴られた頬は痛み、赤くなった。頬や背中を殴られているとしならくして止まり背中に頭部に重みを感じた。

「俺、心配されるほど弱くねぇよ」

「知ってる」ユキノの強い言葉と共に、背中に衝撃を食らった。「でも、心配するわ。大切な弟だから」

「……大切」

アオに『大切なパートナー』と言われたし師であるダイにも「大切な弟子」と言われたことはあったが彼に心配されたことなどなかった。むしろ、常に高度な事を要求されて身体は傷だらけてあった。怪我するたびに『未熟だ』と怒られたのはよく覚えている。

「私はずっと、あんた事心配してんよ。そりゃ、私の方が弱し力にならんけど……」ユキノの声は最後の方小さくなった。

ユキノの言葉は強く乱暴であるが暖かいモノを感じた。

「……ごめん」気づいたら謝っていた。「もう、勝手にいなくならねぇ」

「うん」

ユキノはカナタの言葉に納得したようで、頷くと自分の布団にもぐった。そして、すぐに寝息が聞こえた。

ユキノに投げつけられた枕からは彼女の匂いがした。その匂いはカナタの気持ちを和らげて眠りに誘った。


朝日が上がると共にカナタが目を覚ますとユキノはまだベッドの中で寝息を立てていた。

カナタは服を脱ぎ洗浄室に投げ入れた。洗浄室は昨日入れた上着があったがカナタは構わずに起動した。上半身裸になったカナタは外へ行こうかと靴を見たが目を細めて視線を寝ているユキノにうつし頷いた。

床に片手を置き、垂直に体を持ちあげ逆さまになるとそのまま腕を曲げて額を床につけ離すというのを繰り返した。その回数が四桁を超えた時に手を逆にして同じように運動した。

「……汗」

突然声を掛けられたがカナタは動きを止めずに返事をした。

「かかないんだ。ずっとそれやってんよね」

布団から顔を出したユキノ言った。

「たいした運動じゃないから」

「なら、たいした方を運動すれば」

不貞腐れたようなユキノの声にカナタは困った。

――まだ、昨日勝手に出ていった事を怒ってんのかよ。

「いや、それだと外へいかねぇといけないから。けど姉貴起きねぇし」

「外……」ユキノは目を大きくした。「まさか、昨日のこと反省してん?」

「……反省つうか」カナタは床についている手をバネにして飛び上がると回転して地に足をつけた。「怒られるのヤダし……」

「素直なんね」ユキノは嬉しそうに笑うと「じゃ、行こうか」と言いベッドから出た。

「うん?」

「食材を狩りつつ運動してくれば。木を集めて焼けるようにしとくよ」

ユキノはそう言うと上着をきた。

「なら、先行くな」

カナタは鞄からコインを出すテーブルに置いた。洗浄室から服を出してきると鞄を持ち窓から出て行った。ユキノは開けっ放しになった窓を見てため息をつきながら、閉めた。そして、鞄を持つとテーブルに置かれたコインを握り部屋を出た。

「おはよう。もう出るの?」

昨日、部屋に案内をしてくれた店主が笑顔で受付台にいた。

「ええ」ユキノは頷きながら、受付台の上にコインを置いた。

「お兄さんは?」

店主はコインを数えながら言った。すると、ユキノは眉を寄せて「弟です」と即座に否定した。

「そうなの?」店主コインをしまうと、大きな腹を揺らして笑った。「落ち着いているから年上かと思ったよ」

――落ち着いている?カナタが?

『気になる』だけで夜一人で、得体のしれない場所に出かけたアホだ。そんな人間よりも劣っていると言われて腹が立った。

「金額はちょうどだよ。ありがとうね」

「いえ」

店主には色々言いたい事があったが、二度と合う事がないと思うと面倒臭くなった。

ユキノは出ていこうとすると、「待ってよ」と店主に呼び止められた。

「あんたはどこへ行くんだ?」店主ニヤニヤと笑っていた。「魔物だらけのこの世界で旅をするなんて死に行くようなもんだ」

「……」

彼の笑顔が気持ち悪く全身がゾクゾクとした。ユキノは彼を視界に入れたままゆっくりと後ろに下がった。

「昨日も言ったが勇者様が来て下さったため、余裕があるんだ。旅なんかするよりずっといい生活をさせてあげられるよ」

大きな腹を揺らしながら、店主はユキノに近づいてきた。そのたびにユキノは後ろへと下がったがとうとう壁に追いつめられた。

周囲を見たが他に客はいない。

「お兄さんじゃなくて弟だっけ?必要なら彼も一緒に過ごすといい」

「必要はありません」

父親よりも遥かに年上の男に迫られて、ユキノは吐き気がした。彼から逃げようとしたが、隙がなく戸惑った。

「照れなくても大丈夫だよ」

男の唇が近づいてきて、ユキノは寒気がした。彼の顔面に拳を食らわせると宿屋を出た。

店主が倒れる大きな音がしたがユキノは振り向かなかった。

恐怖で心臓が破裂しそうになりながら、街を出て森に入ったがそのまま走り続けた。

「はぁはぁ……」

息が切れて、足が限界を超えたところで近くの木に寄り掛かり座り込んだ。膝を立てるとそこに頭をつけて地面を見た。

店主のニヤついた顔が頭に浮かび吐き気がした。

「あぁぁぁ」

大きな声を上げると気持ちを落ち着けようとした。その時、後ろの方でうなり声が聞こえた。

「クソが」ユキノはふらふらと立ち上がると、うなり声の方向を見た。「クソ野郎」

ユキノはうなり声に向かって、走った。

「グルルルル」

すぐに近くにクマのような魔物がいた。

「あはは」

ユキノは狂ったような笑い声をあげると、自分より遥に大きい魔物を見上げた。そして、両手を脇に構えると飛び上がり魔物の顔を狙った。しかし、魔物に平手打ちを食らいユキノは飛ばされた。

「うぅ……」

背中を木に打ちつけて、跳ね返り地面に顔面を打った。

すぐ近くで、魔物のうなり声を聞いてユキノはもうダメかと思った。その時カナタに顔が思い浮かんだ。

――助けて……。

そう思った瞬間、ドサリと大きな音がした。

「え……」

ユキノが驚いて頭を上げるとクマが倒れていて、その上にカナタが座っていた。

「自分から戦い挑んで諦めてんじゃねぇよ」

カナタは大きな声を上げると、魔物の体にナイフを入れた。

「大体、感情的になりすぎて攻撃が雑」

「それは……」ユキノは座り込むと下を向いた。「さっきの宿屋で店主に襲われかけて……」

「あん?」カナタは眉を寄せた。手を止めるとユキノを見た。「人間に負けたのか?」

「そんな事ない。殴って倒して逃げてきた」

ユキノの大きな声にカナタは「ふーん」と興味なさそうに答えるとまたクマのような魔物の解体をし始めた。

「なら、問題ねぇじゃん」

「そうだけど……」

ユキノは成人した男に襲われたのに心配もしてくれないカナタに怒りと悲しみを覚えた。「男に襲われかけたんよ」

大きな声を出した瞬間、ナイフが飛んできてユキノの頬をかすめると木に刺さった。

「――ツ」ユキノは驚いて声が出なかった。

「俺に何を望んでんだ?」

カナタは鞄から新しいナイフを出すと魔物の解体を再開した。

「そもそも、なんで俺と行動してんだ?勇者を追う義務はねぇだろ」

カナタの言葉に反論できなかった。

ユキノは恥ずかしくなり、うつむいた。カナタと行くと決めたのは自分であり、その旅が危険を伴うことを知っていた。

――死も覚悟してきたはずなのに……。

カナタを守るつもりでいたのに、自身におきた事を慰めてもらおうとしていた。更に、魔物から助けてもらうという失態を犯した。

ふと、昨日の水浴びやカナタと部屋が一緒であった事に驚いた自分がいたことを思い出した。

――女を意識し過ぎてんな。

「甘えてんね」ユキノは立ち上がるとカナタの方を見た。「ごめん。私はカナタを助けるために一緒に来たんよ」

「そうか」カナタは解体した魔物の肉を持ってユキノの近くに来た。「今はまだいいが、魔王城に近づくたびに魔物は強くなる。姉貴を守ってる余裕なんてねぇと思う」

カナタは木に刺さったナイフを抜くと鞄にしまった。

ユキノは困った顔をするカナタの青い瞳をまっすぐと見た。ユキノと同じ色だが、全く違う物に見えた。

――甘えんな。自分。

「必要ない」ユキノは自身の頬を強く叩き甘えた自分に別れを告げた。「やられそうなら、容赦なく捨てていい」

「そうか」

カナタはユキノが『男に襲われた』と聞いた瞬間、宿屋に残れば良かったと思ったがそれを口にせずに、突き放した言葉を選択した。

このあたりは魔王城から距離があるため、集団にならなければ魔物討伐に苦戦することがないが今後は分からない。できれば村に戻った方がいいと考えた。しかし、彼女の選択を否定するつもりも自分の意見を強要するつもりもなかった。

「で、火は?」

「あっ」ユキノは慌てて、木に登ると枝を数本持って降りてきた。それを山のように組むと鞄から二つの石を取り出した。

「火石、持ってきたのか」

「うん」ユキノは二つの石を数回叩き合わせると枝の中に入れた。「家で使って奴拝借してきたんよ」

枝の中の石から火が出た。しばらくすると山になっていた枝が燃え始めた。それを見て、ユキノは枝を増やした。

カナタはユキノが持ってきた枝をナイフで細く削ると魔物の肉に刺した。それから火の回りの土に刺した。

「アレの残りどうするん?」

ユキノが倒れているクマの魔物を指さした。

「あ~、干し肉にするか」

カナタは鞄からナイフと布袋を取り出して魔物のもとへ行った。そこで残っている部分を全て解体すると細かくして布袋に入れると戻ってきた。

「干し肉袋なんて持ってたん?」

「勇者村からの支給品の一つ」カナタは鞄に布袋をしまいながら「姉貴いた護衛団でも使ってんじゃねぇの?」と言った。

「うん」ユキノは頷いた。「入れるだけで干し肉になるから重宝している」

カナタは「便利だよな」と言いながら、焼けた魔物の肉を食べ始めた。それを見てユキノも焼け具合を確認しながら肉にかぶりついた。

「ねぇ」

腹が満たされて、焼いた肉がなくなる頃にユキノが話しかけてきた。

「うん?」

「あのさ」

彼女の真剣な顔付きに、カナタは食べ終わった枝を集めている手を止めた。

「手合わせしてくんない?」

「はぁ?」ユキノの申し出にカナタは顔を歪ませた。「やだ。俺は魔導士。体術は専門外」

「だって、大きな魔物あっという間に倒したじゃん」

ユキノは殆ど、骨になった魔物を指さした。すると、カナタは小さく息を吐いて頭を乱暴にかいた。

「俺は力で倒してるわけじゃねぇ」

それで話を終わりにしようとした時、左手が勝手に動き出した。ソレは手の平を上に向けると、そこから黒い球体を出した。

「あ、お前勝手に」

カナタが文句を言ったが左手は言うこと聞かずに黒い球体を大きくした。それを見て、ユキノは目を細めた。

「あれ、忘れてたけどカナタの左手ってなくなったんよね」

左手をユキノに見られて、カナタは更に乱暴に頭をかいた。

「魔力で作った」

それを聞いたユキノは目を大きくした。

左手は出した魔力の塊を握りしめて投げるようなポーズを取りユキノに伝えていた。しかし、彼女はそれが理解できないようで首を傾げていた。

それに安心してその場を過ごそうとしたら次の瞬間、彼女の表情が変わった。

「なるほど、魔力の塊を魔物の核にいれるんだ。そうすると魔物が停止すんだね」

「え。コイツの言っていること分かんのか」

嬉しそうに笑うユキノに、カナタは驚いて自身の左手をじっと見た。すると、左手は魔力の塊をユキノに向かって投げつけた。魔力の塊はユキノの口に入り彼女は顔をしかめた。

「まず……」

次の瞬間、瞬きを何度も繰り返して自分の体をみた。

「どうした?」

「痛みがなくなったんよ」ユキノは立ち上がり身体を様々な方向に動かした。「木のぶつけた時から身体が痛かったんだけどさ」

カナタは左手を見ると、ソレは左右に手をひらひらと動かしていた。それはまるで自分の成果を自慢しているようであった。

――魔力の塊食べると回復するんのか?

カナタが目を細めると、左手は上に引っ張った。その力は強く、左手が取れそうになったためカナタは立ち上がった。

「……まさか、手合わせしろってこと?」

カナタの言葉に左手は反応せず動かなくなった。自由に動かせるようになった左手を見てカナタはため息をついた。

「仕方なねぇ。こいよ」

カナタが言うと、ユキノは嬉しそうに地面を蹴り向かってきた。

アオや師であるダイに比べたらゆっくりな動きであるが、体幹がいいのか攻撃の後必ず元のかまえに戻っている。

「上品だな」そう言いながらカナタは手を後ろで組んだままユキノの攻撃を避けた。「綺麗すぎるんだよなぁ。だから次の攻撃が読みやすい」

全く攻撃が当たらなくて、ユキノは焦っているらしくどんどん単調になっていった。

「感情的になりすぎ」

カナタが足払いをするとユキノはバランスを崩して転びそうになったが、地面に手をついて回転するとすぐにカナタの前に戻ってきた。

「もっと、こう……。なんつうかヒュウってできねぇ」

「わかんない」

ユキノは首を傾げながら、更にカナタに攻撃をしたがどれもカスリもしない。カナタは涼しい顔をして汗一つかいていなかった。

数時間後、ユキノの体力に限界がきたようでその場に座り込んだ。

「終わりか」

息切れをするユキノに呼吸を一切乱さないで涼しい顔をしたカナタが言った。

「あんたが強すぎ」

「俺は勇者のパートナーだからな」

一般人がここまでできるのはすごいことであるが褒めることはできない。勇者やパートナーに比べたら、アリのような実力だ。今後、魔物は強くなる。ソレらは勇者やパートナーじゃないからと手加減してはくれない。同等以上の実力が必要だ。

ユキノは大きく深呼吸をすると「まだ大丈夫」と立ち上がった。

「マジ?」カナタは驚いた。

「攻撃食らってないから。赤の勇者と手合わせした時は、血反吐はいても終わらなかった。動けなくなったらミサキ様に回復してもらってつづけた」

「げっ」ユキノの言葉を聞いて顔を歪めた。「どこの勇者様も鬼だな」

カナタはアオと手合わせをした事を思い出した。

「魔力なして手合わせしよう」笑顔のアオが突然言い出した。

基本、魔力に頼って生きているカナタにとってソレがなくなるのは五感をふさがれるようなものだ。

すぐに断ろうとしたが……。

「魔力封じにもあったらどうする?」

「……」

そんな事が出来るなんて聞いた事はないが、絶対にないと言えないため彼の提案を受け入れた。

カナタは深呼吸をしてから魔力探知を解除した。その瞬間、目の前いるアオが認識できなくなった。見えているのに存在を認められない。

アオだけではなく、勇者村の内部や村全体の人々を認識できなくなり世界に自分一人でいるような感覚に陥った。

カナタは戸惑ったが楽しくなってきた。

「僕も剣使わないからさ」

アオはそう言うと、剣を切り株の上に置いた。彼はカナタを見ると地面を蹴り走ってきた。その速さに追いつけずに脇腹に蹴りを食らった。

手合わせはこれが始めてではないが、彼の動きについていけないのは始めてであった。次の攻撃を読むことができず腹、顔と拳や蹴りをもろく食らった。

「あはは」アオはいつになく楽しそうであった。「魔力なしだと、お前も凡人だな」

彼の言葉にカナタは腹が立った。

魔力探知が使えない以上、アオの魔力を見て攻撃を避けることができない。

――魔力以外で動きを見るには……。

カナタはアオの攻撃を受けながら、彼の身体の動きに集中した。すると、筋肉の動きや血液の流れが見えてきた。その動きによりアオの存在がカナタの中でハッキリと感じられて次にくる攻撃が段々と予想ついてきた。

「よし」

アオの足を掴むことに成功した。彼が驚いて動きを止めているうちに足を自分に引き寄せると、彼の背中に蹴りを入れた。

「うぅ」鈍い声を上げた。

更に数発蹴りを入れたところで、手からアオの足が抜けた。

「短期間ですごいね」アオは座り込むと首や手を動かした。「疲れた」

そう言って、アオは地面に仰向けになって転がった。カナタも彼の横に転がった。

アオの攻撃で全身が痛かったが、魔力探知を展開したため周期の状況が明確になり精神的に安定した。しばらくすると、身体全体が温かくなり痛みがひいてきた。

――治癒効果もあるんだったなぁ。

物理攻撃を普段ほとんど受けないため、自動的に魔力治癒することを忘れていた。

しばらく何も言わずに、空を見上げていると額の上に黒いモノが上ってきた。

「え……」と驚いていると、それはカナタの顔の上をふらふらと歩いていた。

「あ、おい」

アオは声をあげると、カナタの顔の上にいた黒いモノを両手でそっと抱き上げた。

「おい、それ」

カナタがアオの方に顔を向けると、彼は座り肩に黒いモノを乗せた。カナタは起き上がり黒いモノを指さした。

「カナタに貰った魔力人形だよ」アオが優しい顔をしてそれを見ているのを見ると複雑だった。

カナタは魔力人形をアオから奪いソレの腹部を握りしめた。するとソレは手足をばたつかせた。

それが面白くて更に強く握ると……。

「わぁ」鋭い牙を出してソレが噛み付いた。

振り落そうと手を振ったが牙が食い込み離れない。次第に、血が出てきて痛みが強くなった。

「こいつ」引っ張っても叩いても離さない。段々、力が抜けていくのを感じた。「なんだこれ」

魔力探知を解いてないはずなのに周囲の状況が分からなくなった。

「クソ」カナタは噛まれていない方の手で、魔力の塊を作ろうとした。しかし、魔力が集まらない。

「はぁ?なんで?」

魔力が集まらないのではなく、身体から魔力がなくなっていた。

「おいで」と優しい笑顔でアオは魔力人形を呼んだ。それは、すぐに手から口を離すと嬉しそうに尻を振ってアオの元へ戻った。彼は、魔力人形を撫ぜると手の上に乗せた。

「カナタ、お前さ」アオは魔力人形を肩に乗せるとニヤリと笑いながらカナタを見た。「魔力ないでしょ」

「……なんで」

「アハハ」焦るカナタをアオは楽しそうに笑いながら見た。「こいつ魔力食べるんだよ」

「はぁ?」

「お前の魔力なのに、別個体みたいだね」

笑顔でアオは構えた。

嫌な予感しかしなかった。

「さっきコイツに僕の魔力もあげたんだ」

「これで、本当に対等だね」アオは嬉しそうに軽くジャンプした。「僕らは魔力差があるから実力差がよくわからないじゃん。ソレ知りたいだよね」

「なるほど」

カナタは面白いと思った。

「常に魔力で自動的に身体能力を上げている勇者様の実力ねぇ」

「アハハ、魔力で自動的に身体能力を上げているのはお互い様でしょ。僕と違って意識的に魔力を使える分なくなるとヤバいじゃない?」

「どうかな」

カナタは頷くと、構えるアオはじっとみた。いつものシゴキではなく純粋な戦いにカナタは心を躍らせた。

ニヤリと笑ったアオは、地面を蹴るとカナタに突っ込んできた。右足が左の脇を狙ってきたが、左腕で難なく防いだ。

普段のアオよりも速度は遅く、蹴りの重さがないがそれはカナタも同じであった。彼の動きを目で追えるが身体がついていかない。

――さっき手合わせで魔力を控えたがやっぱり自動で使ってなのか。

防いだ腕からは強い痛みを感じた。しかし、それに臆することなくカナタはアオに腹を殴りつけた。アオが蹴った足を地面に降ろす前に殴ったため彼はふらつきながらカナタから距離をとった。

すぐにカナタに近づくと頬を殴りつけた。カナタはよろけながら、アオの足を蹴り飛ばした。

もはやただの喧嘩であったが、カナタは楽しくて仕方なかった。アオも同様にようでいい顔をしている。

それは数時間続き、お互いが体力切れで倒れたところで終了した。


「結局、勝負つかなかったな」

カナタの突然のぼやきに、ユキノは目を大きくした。

「続けよう」そう言った瞬間、魔力が減っていく感じがした。

アオは目を細めて、自分の左手を見た。すると、左手はカナタの意思とは無関係に自由に動きまわっている。

「ねぇ、その左手はあんたの言うこと聞かないん?」

ユキノはカナタに攻撃しながら聞いた。カナタは彼女の攻撃を軽くかわしながら頷いた。

「コレなぁ」

ピースの形を作りなめた態度をとる自身の左手を見てカナタはため息をつた。

「俺の魔力で作ってんだけど別個体なんだ」

カナタは身体が重くなるのを感じて、ユキノの攻撃に集中した。かろうじて魔力感知が出来ているが、自動で行われている身体能力強化はなくなっていた。

これはカナタの意思とは関係なく発動されている効果であるため制御は不可能だ。魔力が減れば消える。

――意識して自分に能力強化魔法は掛けられねぇんだよなぁ。

「アレ?速度遅くなってんね?」

楽しそうなユキノの声にカナタは目を細めた。

「左腕が魔力吸ってんだよ。でもまぁ」カナタはニヤリと笑った。「それくらいのハンデねぇ面白くねぇしな」

「あーねぇ」

ユキノは頷くと、攻撃の速度を上げた。今までもかなり速く動いていたのに更に速度を上げた事にカナタは驚いた。

「流石、赤の勇者仕込みだな」

魔力が完全になくなり、魔力探知もできなくなるとカナタは額から汗を流した。

ユキノの攻撃を避ける余裕がなくなり、全て腕で防いだ。腕に痛みがあったがカナタは気にせずに攻防を続けた。彼女とは体格差と力の差があるため何とかなっている。

――ヤバいな。

そろそろ終わりにしたくて、彼女向かい足を飛ばした。足は彼女の脇腹にあたり、鈍い声を上げて倒れたがすぐに立ち上がった。それから即座にユキノが殴りつけてきたが手を盾にして防いだ。

魔力が使えないため身体速度が遅くなり彼女の魔力の流れが読めない。しかし、筋肉の動きから彼女の行動を先読みできるため攻撃を防ぐことは造作もない。

――分かっても身体がついていかねぇから避けられないけどな。

彼女の攻撃を防ぎながらかなり数打ち込んだが、立ち上がる彼女を見てカナタは目を細めた。

「しつけぇ」

ユキノは額を流れる血を腕で拭くと、構えた。

「諦めるなっていったんカナタじゃん」

「そーだけど」

カナタは後方に飛びやる気満々の彼女から少し距離をおいた。小さいゆっくりと息を吐くと地面を蹴り、勢いをつけるとユキノの腹に拳を埋め込んだ。

「うぅ……」

鈍い声を上げて、ユキノはその場に倒れ込んだ。それを確認するとカナタは彼女に横に膝を立てて座ると後ろにあった木に寄り掛かった。

「お前、一般人だよなぁ」とカナタはユキノに向かって言ったが彼女からは返事はない。

意識を失っているユキノを見てカナタは頭をかいて左手を睨みつけた。しかし、ソレはビクリとも動かない。

「あっ」

ユキノが魔力の塊を食べて回復したことを思い出して、カナタは魔力の塊を出そうとしたが何もでない。

「あー、ねぇもんはだせねぇよな。結局自分に使えねぇじゃん」

カナタは大きなため息をついて、空を見上げた。木々の隙間から青空が見えた。

その時、周囲から魔物の声が聞こえた。

「マジか……」魔力探知の使用ができないため、魔物の位置把握ができない。「今、めちゃくちゃ疲れてんだけど」

チラリと横を見るとユキノは規則正しい寝息を立てて起きる気配がない。

「魔力も空だしよ。ピンチじゃねぇか」

周囲の草むらの動きから、オオカミくらいの大きさの魔物が数体いることが推測できた。

「チィ」舌打ちをして、立ち上がるとカナタは左手を見た。「お前のせいで魔力ねぇんだけど」

大きく左手を振ると、ソレはピクリと動いた。

「お前、アイツらの魔力吸えねぇの?」

カナタは左手を顔の前に持ってきて睨みつけると、ソレは手のひらを上にして『わかりません』と言うようなポーズを作った。

「あぁ?」

ダイに勇者のパートナーとして『感情的になるな』と言われていたが左手には腹が立った。右手で左手を掴むと、ソレにユキノを見せた。

「ここままじゃユキノもやられんぞ」

すると、左手は大きく頷くように動き魔物を指さした。

「はぁ?」ソレの態度の変わりようにカナタは眉を寄せた。「お前、姉貴のためなら働くのかよ」

カナタは横で眠るユキノをじっとみた。真っ黒な髪はカナタよりも少し長いが短髪の部類だ。顔はカナタに似ており瞳の色も同じ顔だ。胸は大きい方かもしれない。それがなければ男に見える。

「俺と同じようなもんじゃねぇか」カナタは左手を睨んだ。「なら俺の言うこと聞けよ」

左手はカナタの言葉を否定するように、左右に動いた。

「チィ」舌打ちをするとカナタは周囲を見た。「まぁいい。ここは手伝えよ」

左手を離すと手は何度か手を開いて握りしめた。それをやる気とカナタはとらえると魔物の気配を探った。

魔力は追えなくても、これかけ近ければなんとなくわかる。

小さく息を吐くと、草むらに飛び込んだ。すると、すぐにオオカミの形をした魔物が飛び掛かってきた。ソレに左手をつけると、真っ黒であった魔物が茶色くなり赤かった瞳は黒くなった。

「くぅーん」と魔物か悲しげな声を上げるとトボトボと草むらの奥に行ってしまった。

「なんだ?」

カナタは眉を寄せながら、周囲にいた魔物全てに触れた。すると、どれも同じよう茶色い毛並みに黒い瞳になると悲しげな鳴き声を上げて去って行った。

しばらくすると身体に魔力が戻ってくる感覚があったが、違和感があった。自身の魔力とは違う気がした。

「魔物の魔力が俺の中に入ったのか」

不思議に思いながら、自分自身を見て顔を歪めた。手足が真っ黒になっている。

「マジかぁ」カナタは左手を見た。「お前だけ俺の肌の色のままじゃねぇか」

カナタは服の中をのぞき、手足だけではなく左手以外全身が黒くなっていることを知り、肩を落とした。

「見えねぇけど、顔もか?」

自身の顔に触れながら、ユキノも元へ戻った。彼女は同じ場所で眠っていた。

――こんなん見たら驚くか。

カナタはユキノの隣に座り木に寄り掛かると手足を見た。すると、それはまだら模様になっておりまるで何の病気を患ったような気持ち悪さであった。更に時間が経つと全身にあった黒い模様が消えてそれと同時にカナタ自身の魔力が回復していた。

「俺の魔力が魔物の魔力を打ち消したのか?」

ユキノが気付く頃には太陽がいなくなっていた。

「あ……、寝すぎた」

ユキノが申し訳なさそうに言うと、気絶させた張本人であるカナタは首を振った。

今思えば、口で『終わり』を告げればよかったのだ。一般人であるユキノの強さにムキになった自分を恥じた。

「暗いから今日はここで一泊」

「……うん」


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