学園長室へ
母さんは少し不思議な人だった。
村のはずれで僕との二人暮らし。村の人たちと仲が悪いというわけではなく、普通に談笑することもあったし余ったものを物々交換をしたりもしていたけれど、それでもどこか他の人たちとは距離を置いていた気がする。
父さんがどんな人だったかは詳しく知らない。
尋ねたこともあったけれど、そのたびにはぐらかされてしまった。教えてくれたのは僕が物心つく前に死んでしまったということだけ。なにか事情があったのか、それとももっと大きくなったら教えてくれるつもりだったのかは今となってはわからない。
生活は近くの森で薬草を積んできて薬にしたり野兎を取ってきて干し肉にしたり、家の傍に小さな畑を作ったりといった小さなことの積み重ねで賄っていた。今にして思うと「それだけで生活していけるものなのか」と思うけれど、質素ながらも食べるものに困ったことは一度もなかった。
母さんは月に一度くらいの割合で朝早く街に出かけては暗くなる頃に戻ってくる、というのを繰り返していた。
あれは、もしかすると実家と連絡を取っていたんだろうか。
貴族だったというのなら平民として二人で暮らしていくくらいのお金は実家から与えてもらえてもおかしくない。やんわりと人を避けていたのも事情があったからだとすれば納得できる。
レルネ、という家名は初めて聞いた。
貴族名鑑で調べてみるとレルネ家はこの国の男爵家だった。ただし、図書館にあった最新版の名鑑には「シルヴェール・レルネ」の名前はない。
司書の人に過去の名鑑について尋ねたところ、今の僕の権限では閲覧できないらしい。
白リボンの一年生。今の貴族について知るのはいいとしても深入りは許されない。
仕方なく名鑑を諦めて、今の学園在籍者にレルネ姓の生徒がいないか調べてみた。
「……いない、かあ」
女性は結婚で姓が変わることが多い。レルネ家の子供がいなくても縁者がいないとは限らないけれど、そこまで行くと調べる方法がない。
どうしたものかと途方に暮れたところで放課後を告げる鐘が鳴った。
気づかないうちに授業をひとつサボってしまったらしい。その割に進展は十分ではないけれど、リアを待たせるわけにもいかないので調査を切り上げた。
待ち合わせ場所に走っていくとリアはもう来ていた。
ぽつんと立つ少女の姿がどこか寂しげに見えて、僕は「ごめん」と謝る。
「図書館で調べものをしていたら放課後になってて」
「図書館で? いったいなにを調べていらっしゃったのですか?」
「それが……」
かいつまんで話すと、リアは「そうだったのですね」と頷いた。
「驚かないんだ」
「クリス様は平民とは思えないほど博識です。読み書きに苦労されている様子もありませんし、魔法に関する基礎知識もお持ちのようです。お母様が貴族で、学園の卒業生だったとすればむしろ納得できます」
「ああ、確かにそうなのかも。母さんにはみっちり勉強を教えられたっけ」
魔法関係は十歳から世話になっていた『あの人』にしごかれたせいだけど、それだって母さんに読み書きや計算を教わっていなかったらスムーズにはいかなかった。
「では、クリス様。放課後も図書館へ?」
「そうしてもいいんだけど、これ以上は手がかりがないんだ。いっそのこと誰か人に聞いた方が確実かな、っていう気もする」
そう答えると、リアは少し考えるようにしてからこう言った。
「では、一度部室へ参りませんか?」
「部室へ?」
「はい。貴族のことは貴族へ尋ねるのが一番かと」
◇ ◇ ◇
「シルヴェール・レルネがクリス君の母親だったとは驚き」
「ですが、それならば納得できる部分が大いにあります。可能性は高いでしょう」
部室へ行って事情を話すと、シビル先輩とフェリシー先輩の両名が僕の推測に賛同してくれた。
ちなみに肉体派かつ感覚派のミシェル先輩はというと、
「そのシルヴェール様って誰だっけ?」
「現学園長と同期にしてその代の首席。そのくらい覚えておいた方がいい」
「へー。学園長って首席じゃなかったんだ」
まるっきり僕と同じような反応で安心するというかなんというか。
いや、むしろ知っていた二人がすごい、と言うべきか。尊敬の念を覚えながら視線を向けるとフェリシー先輩が「自衛のようなものです」と微笑む。
「触れられたくない話題をあらかじめ知っておけば獅子の尾を踏むこともないでしょう?」
「学園長にとって主席を取れなかったことは『触れられたくない話題』なんですね?」
「嫌味な相手にたびたび指摘されるみたいだから嫌になっても当然」
華やかな貴族社会の裏側か。優雅な見た目に反して嫌味や悪口の類がぽんぽん飛び交う恐ろしい場所だと噂には聞いている。
その点、この魔女学園は「魔力」という別の基準がある分だけまだマシだし、生徒がみんな若いのでストレートな攻撃が多い。あのフランシーヌがいい例だ。
「お二人はクリス様のお母様──シルヴェール・レルネについてなにかご存じですか?」
「わたしも詳しくは存じ上げません。彼女は学園を卒業後、表舞台から消えてしまったらしく情報がほとんどありませんから」
フェリシー先輩は「ですので」と言葉を継いでこう言った。
「申し上げられるのは彼女の異名程度のものです」
「異名?」
「『調律の魔女』。シルヴェール・レルネは魔力を整えることに長けた魔女だったと言われています」
「整える、ですか」
リアは先輩の言葉を繰り返すと、あまりピンとこないと言うように目を瞬いた。僕も気持ちとしては似たようなものだ。
『爆炎の魔女』に比べるとずいぶん平和的な名前のせいかあまりすごそうに思えない。
僕たちの反応を見た先輩は「そうですね」とおっとり言うと少し考えるようにして、
「先日、わたしがクリス君に差し上げたポーションを覚えていますね?」
「はい。傷がぜんぶ治ってすごく助かりました」
「あのポーションは一般流通向け。効果が安定していて比較的安価に作成可能な量産型です。そのレシピは基本的に十五年以上前から完成していました。そして、レシピを作ったのはシルヴェール・レルネ。かの『調律の魔女』なのです」
「っ」
十五年前に製作されたレシピが今でも「安くて良く効く」と重宝されている。その間、数多くの魔女が改良に挑戦していったはずなのにだ。
「今、流通している
それだけの才能なら『爆炎の魔女』を抜いて首席を取ったとしても不思議はない。
苦汁を舐めさせられた学園長──クローデットにはシルヴェール・レルネを恨むだけの理由が十分にあった。
◇ ◇ ◇
次の日の放課後、僕はリアと共に教員棟を尋ねた。
一階は事務作業を行うスペースになっていて、生徒が各種相談で訪れることも多い。手の空いている人に近づくと快く対応してくれた。
「あの、学園長と面会するにはどうしたらいいでしょうか?」
「学園長と? 用件はなにかしら?」
「僕の母が以前、お世話になっていたんです。一言、お礼だけでもと。……それから母の昔話を聞けないかと」
事務員(学園内にいる以上は彼女も一定レベル以上の魔力持ちだ)は僕の隣に立つリアの姿とそのリボンの色を見てから小さく頷いて、
「面会依頼を提出してもらえれば学園長に確認を取るわ。……もちろん、お忙しい方だから後日になるだろうし、内容を見たうえで却下される可能性もあるけれど」
「そうですか……」
会える場合でも数日から一週間待たされるのは普通だという。
じれったいけれど、可能性がないよりは……と面会依頼の用紙を受け取ろうとしたところで、事務員はリアに「ちなみに、あなたは?」と尋ねてきた。
「リアと申します。もし可能であれば、わたくしの体質について高名な魔女である学園長様に相談できれば、と」
これはリアのアドリブだ。
本当は「いつも行動しているから」くらいの理由で一緒に来ただけなのだけれど、実際、最高レベルの魔女に相談するのは有効かもしれない。
これに今度は僕の方がちらりと見られて「この子と一緒にいるのはそういうことか」みたいな顔をされた。僕、なんて名乗ったのもあって「噂の男の子」だというのはバレバレらしい。
「今日は急ぎのご予定がなかったはずだから伺ってみましょう」
「ありがとうございます!」
リボンの色やコネクションがこんなところにも影響するというのはちょっと不満もあるけれど、今回はいい方向に行った。
少し待たされた後、なんと回答は「会ってくれる」とのこと。
「では、こちらにどうぞ」
僕たちはできるだけ身嗜みを整えるように言われた後、普段は一般生徒が入ることを許されない学園長室へと通された。
◇ ◇ ◇
「突然訪問した無礼をお許しください。お忙しい中、お時間を取っていただきありがとうございます、学園長」
「挨拶は必要ありません」
黒い色調に纏められた広い部屋。
広さの割に贅沢だったり煌びやかな印象はなく、むしろ落ち着いて作業をするための場所といった印象だ。背表紙を見ただけで難しそうだとわかる本も数多く置かれていて、学園長の肩書きとその仕事ぶりが伊達ではないことを感じさせる。
奥にある大きな机に座っていた学園長は意外にも席を立ち、机の前に回り込むようにして僕たちを出迎えた。
丁寧な一礼に慌てて礼を返すと(僕の方はただ頭を下げただけだ)、視線がこちらに向けられて、
「では、貴方の用件から聞きましょうか。……クリス、でしたね?」
「はい」
目が合う。
これだけしっかりと向かい合ったのは初めてだ。彼女の髪を見ていると「あの時」を思い出して胸がざわめく。だけど、何度思い出そうとしても確証は得られない。
そして、これ以上のチャンスはきっと来ない。
僕は意を決して口を開いた。
「シルヴェール・レルネという人を知っていますか?」
「───」
僅かな間。返ってきたのは淡々とした「もちろん」という言葉。
「同期でしたから。決闘をした事さえあります。……それが何か?」
「絵姿かなにか、お持ちではないでしょうか? 僕は母のことが知りたくて調べているんです」
「貴女の母親の名前は?」
「シルヴェールです。でも、母が家名を名乗るところは見たことがありませんでした」
「そう」
『爆炎の魔女』クローデット・フォンタニエは目を伏せると「あいにく、肖像画は持ち合わせていません」と言った。
「そこまで親しい間柄ではありませんでしたし、絵は簡単に描けるものではありませんから。……ですが、必要ないでしょう?」
「え?」
「貴方のその目、彼女にそっくりです。『調律の魔女』シルヴェール・レルネに」
「………っ」
こんなにはっきり教えてもらえるとは思わなかった。
瞳に涙が滲む。記録だけの存在だった「シルヴェール・レルネ」という人物に僕の知る母さんの姿が重なる。少しだけ僕の知らない母さんに近づけたことに感謝しそうになりながら、僕は本命の質問をぶつけた。
「母は死にました。三年前、魔法による爆発で家ごと吹き飛ばされたんです」
「……そう」
「生き残った僕は遠ざかっていく人影を見ました。……赤い髪の女性でした。なにかご存じありませんか、学園長?」
クローデットは再び少しの間を置いて「さあ」と答えた。
「わかりません。赤い髪の女なんていくらでもいるでしょう。シルヴェールに息子がいた事も亡くなっていた事も今、初めて知りました。申し訳ないけれど、力になれることはありません」
「そう、ですか」
彼女の紅の瞳をじっと見つめてみたけれど、嘘を見つけることはできなかった。貴族社会で生きてきた学園長が本気で演技をしたら十三年しか生きていない僕には到底見破れない。
だからって「お前が殺したのか」なんて尋ねても意味はないだろう。
その程度で動揺するならさっきまでの質問でボロを出している。しらを切っているのだとすれば隠しきるつもりでいるはずだ。
僕は身体から力を抜くと「ありがとうございました」とお礼を言った。
進展はあった。母さんがシルヴェール・レルネなのはほぼ間違いない。なら、その足跡を追う方法もあるはずだ。その過程で学園長が犯人だという証拠が出てくるかもしれないし、別の人物の名前が浮かび上がるかもしれない。これから調査をしていくためにも下手なことは言えない。
クローデットも深くは追及してこなかった。
彼女は僕から視線を外すとリアを見て、静かに告げた。
「では、本題に入りましょうか」
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