入学式と謎の先輩
「あの子」
「あれが例の?」
「フォンタニエ公爵令嬢に決闘で勝ったという──」
講堂のある建物の近くまで来ると寮から歩いてくる新入生の姿が現れはじめた。
噂が相当に広まっているのか、ひそひそ声が届くと共に視線がいくつも送られてくる。誰もが僕とリアを遠巻きにして近づいてこようとしない。
「男だというのは本当なのかしら?」
「あの子、一緒に歩いているけれど……黒リボンを持っているのに恥ずかしくないのかしら」
「誤っても触れないようにしませんと。魔力を吸い取られてしまいます」
リアへ「やっぱり離れたほうがいいんじゃ」と声をかけると「構いません」と首を振られた。
「見ず知らずの方からの心象より、クリス様のお傍にいる事の方がわたくしには大事です」
「……リア」
「本当は手を繋ぎたいくらいなのですが……」
懇願するように横目で見られた僕は胸が高鳴るのを抑えられなかった。彼女に他意はない。移動している間に魔力の受け渡しができたら好都合だというだけだ。でもさすがに恥ずかしいし人目もあるので「そろそろ着くみたいだよ」と言って誤魔化した。
広くて大きな建物だ。
漆黒の壁にステンドグラスの窓。天井は高く、床には黒く艶やかな石が使われている。入り口から奥へはまっすぐ絨毯が敷かれ、両側面には高級そうな丸テーブルと背もたれ付きの椅子が点在していた。
「すごい。思ってたのと全然違った」
「そうなのですか?」
「うん。立ったままずらって並ぶのかなって」
平民は「学校」というものにあまり縁がない。
一般的なのは学のある平民が小遣い稼ぎで営んでいる私塾だ。これはどこも規模が小さいのでこれだけの人数は集まらない。平民用の学校もあるけれど、通えるのは裕福な家の子供だけ。そういう学校でもこういう時は僕の言ったように「立ってずらりと並ぶ」光景なんじゃないかと思う。
ついきょろきょろと見回していると横手から声がかかって、
「お好きな席に座って静かに待っていてください」
制服姿の上級生だった。僕は「ありがとうございます」とお礼を言って軽く頭を下げる。
返ってきたのは微笑。
「入学おめでとう、
「っ」
からかうような声音に緊張を覚えながら、リアと一緒に隅の席に腰かけた。ここなら目立たないはずだ。実際、近くにいる生徒からは視線が送られてくるものの、こちらに気づいた様子もなく前のほうに向かっていく新入生も多くいた。
これなら一息付けそうだ──と。
「あら、名無しのオリアーヌ様。殿方と一緒に行動なさっておいでだなんて、随分とはしたないですわね」
一度見れば忘れない紅の髪。
制服を見事に着こなし、黒いリボンを左胸にあしらったフランシーヌ・フォンタニエが僕たちのテーブルの前に立った。
傍らには昨日、校門の前で見たメイド。公爵家なら学園に出入りできる魔力量のメイドを雇っていてもおかしくないし、使用人を従えるのは許可されているけれど、物凄い贅沢だ。
ぱちん、と、昨日も見た扇子を閉じたまま口元へ当てて、
「彼は最底辺の白リボン、しかも魔女の敵と言ってもいい力の持ち主ですわ。学園の恥と呼ばれないうちに距離を取ることをお勧めいたします。なんでしたら私と同室にして差し上げても──」
「大変ありがたいお話ですが、お断りさせていただきます」
応じるリアもまた微笑を浮かべていた。ただし、向こうが火の粉を飛ばす炎なら、こっちは高嶺の頂にある楽園。一見穏やかで近づきやすそうに見えても、ほとんどの者が懐に入ることさえ許されない。
言葉を途中で遮られたフランシーヌは虚を突かれたような表情を浮かべ、それからリアを睨んだ。
「貴女──」
「ちょうどよかった。僕も話があったんだ。決闘の条件、果たしてもらってなかったよね? 早くリアに謝ってくれないかな」
「っ」
舌打ち。
彼女が露骨にイラっとしたのがわかる。
「揃いも揃って人の話を遮って……! 謝罪ならもうしたでしょう!?」
「え、いつ?」
「先程、きちんと『名無しのオリアーヌ様』と認めたわ! 終わった話を蒸し返さないでくれるかしら!?」
「それは謝ったとは言わない」
「黙りなさい」
強烈なプレッシャー。今にも魔法を放ちそうな剣幕で僕を睨みつけたフランシーヌは扇子をこっちに突きつけて、
「あの決闘で格付けが終わったなどと思わない事ね。あれはあくまでも不意打ちで勝っただけ。もう一度やれば確実に私が勝つわ」
「また決闘がしたいって言うならいつでも受けるよ。僕だってこのままじゃ気に入らない」
「そう。なら──」
少女の唇が開き、なんらかの言葉が紡がれようとした時、
「早く席に着きなさい。それから私語は慎む事」
見回りに来た教師の声が僕たちの感情に水を差した。軽く息を吐いて言葉を呑み込んだフランシーヌは空いていた椅子を引いてそこに腰かける。
「って、他のところに行きなよ」
「貴方たちに時間を取られたせいで多くの椅子が埋まってしまったのです。今更会場を彷徨うような真似ができますか」
お陰で、僕たちのテーブルには他に誰も寄ってこなかった。
◇ ◇ ◇
「決闘の話はまたいずれ。私もあまり暇ではありませんので」
入学式が終わると、フランシーヌはすぐに去って行った。
僕たちは講堂に人が少なくなるのを待ってからゆっくりと席を立つ。今日の予定はこれで終わりだ。授業は明日から始まることになっている。
「どうしようか。帰りに掲示を見ていく?」
「おそらく、そちらも非常に混みあっているでしょうね……」
どんな授業がどこで行われるか。休講となる授業はないか。特別な催しものに関する案内などは広場に設置された掲示板に張り出される。生徒はこれを覚えるなり記録に取るなりして利用する──と、入学式で案内があった。当然、いまそこは人でいっぱいのはずだ。
混雑の中では落ち着いて確認もできない。僕たちは掲示の確認を後回しにしようと決めながら講堂を出て、
「……見つけた」
入り口脇から伸びてきた手に首根っこを掴まれた。
ひんやりとした指が首の裏に当たってぞくっとする。振り返れば、紫色をしたぼさぼさの前髪の奥に爛々と輝く瞳。
なんかよくわからないけど怖い、と本能的に感じた僕は「ひっ」と声を上げて、
「な、何事ですか……!?」
「別に怖がらなくてもいい。ただあなたに話があるだけ」
「……へ?」
よく見ると単なる生徒だった。というか先輩だ。制服に刺繍された校章の色が違う。
女の子ばかり、貴族の多いこの学園で身嗜みに気を遣っていないというのは珍しいしちょっと怖いけれど、
「話って、なんでしょう?」
尋ね返すと、彼女は「にこり」ではなく「にたり」といった感じに笑って、
「私は学園二年のシビル。研究部所属。あなたに頼みたい仕事がある」
「仕事、ですか?」
「そう。まずは話だけでも聞いて欲しい。お昼ご飯くらいはご馳走する」
思ったより普通の話なのだろうか。僕はリアと顔を見合わせ「とりあえず行ってみようか」と確認しあった。
「じゃあ、ついてきて」
歩幅は小さいのに早足、という不思議な歩調のシビル──先輩についていくと、彼女が向かったのは意外にも僕とリアの家がある方向だった。
つまり、寮からも校舎からもだいぶ離れているということ。
「研究部の部室は邪魔だからって僻地に追いやられている。心外」
「あの、研究部ってなんですか?」
「研究する部」
そのまますぎてまったくわからなかったものの、とにかくついて行くと石造りの建物に行き当たった。大きさ的には僕たちの家の五倍くらいある。間に森を隔てているのでぐるっと遠回りする必要はあるものの、家からは意外と違い。
「ここが部室」
勝手知ったる、とばかりにドアを開けて入っていくシビル。
「あ、少年は建物にも備品にも触らないように」
後をついて中に入ると学園内の建物には似つかわしくない埃っぽさを感じた。けほ、とリアが咳き込むのがわかったので、とりあえず換気のためにドアを開け放しておく。
触るな、という忠告に関しては言われるまでもなく、外出した時点で手袋をしているので問題ない。
中は雑然としていて統一感がない。部屋の真ん中に大テーブル、壁にはいくつもの本棚が並び、合間にドアがいくつか。床にもテーブルにも物がたくさん散らばっていて、そのうちの何割かは用途さえわからない何か。ガラクタと言ってもいい。
なんかすごいところだな、と思うと同時に『あの人』の家を思い出していると、ガラクタの間から『何か』が身を起こしてにゅっ、と腕を伸ばしてきた。
「わっ」
「新入生だー。もしかしてこの子が例の子ー?」
首に絡みつく素肌のままの腕。続けて背中に押し当てられたのは女の子の身体だ。幸いというか胸はそんなに大きくないみたいだけど、全体的にとても柔らかくて心臓に悪い。大人しいリアはいきなりのハグに目を丸くて手で口を隠している。
シビル先輩は第四の人物をジト目で見て、
「ミシェル。さすがに服くらい着て」
「えー。いいじゃない。研究部の建物内は治外法権でしょう? どうせ同性しかいないんだし……って、今は男の子もいるんだっけ」
離れてくれるかと思ったら腕を回したまま僕の正面に回り込んだ先輩は、明るい緑色の髪と瞳を持ったショートヘアの女の子だった。
身に着けているのはつくりのしっかりした上下の下着。リアが驚くのもシビル先輩がジト目になるのも無理はない。僕はもう「ちょっ……!?」と声を上げて身を硬くするしかなかった。
「えっと、ミシェル──先輩? 離れてくれませんか?」
「んー。もうちょっと触って本当に男の子か確かめたいんだけどな。っていうか、本当に男の子?」
「男です! 男ですから!」
まさか自分が男だと大声で主張する羽目になるとは。けれどそのお陰でミシェル先輩は離れてくれて、そのへんに落ちていた制服を身に着けてくれた。
「ごめんなさい。ミシェルは部の中でもかなり変人の部類だから」
「あははー、シビルには言われたくないかなー」
「私はこんなところに下着姿で寝たりはしない」
「研究に夢中になると平気で徹夜したり三食抜いたりするくせにー」
むっとした顔になったシビル先輩は「暇なら食堂まで買い出しに行ってきて」と告げた。
「適当にお昼ご飯を四人分。お駄賃は払う」
「おっけー」
ぱんぱん、と糸くずやらを払ったミシェル先輩は「じゃ、行ってくる」と入り口に立って、
「《風よ、わが身に、纏え》」
目で追うのが大変なくらいの早さで走っていった。あっという間に見えなくなる。あれなら寮まで行くにもあまり時間はかからなさそうだ。
「……魔法とは、かくも恐ろしい力ですね」
「うん、本当に」
「学園の生徒とは思えない感想」
「僕もリアも普通の生徒とはとても言えないので」
「? あなたも特異体質なの?」
「ええ、その。少々」
言い淀んだリアは僕のほうにもなにやら目配せをしてきた。詳しくは内緒にして欲しいらしい。二人だけの秘密みたいでなんだか嬉しい。
シビル先輩もそんなに興味はないのか「そう」と答えると「それで話だけど」と平然と続けた。
「クリス。あなたに私たちの研究を手伝って欲しいの」
「もしかしてマジックアイテムの研究ですか?」
「それもある。人によっては魔法自体も研究しているし、ポーションを研究している子もいる。いろいろだけど、共通しているのは研究が大好きだってこと」
だから研究部か。
でも、それだけだったらこんな僻地に追いやられなくてもいい気がする。魔女の学園なんだし魔法関係の研究をするのはなにもおかしくない。
「私たちは『迷惑も考えずに好きな研究をしすぎる』と厄介者扱いされている」
「わりと自業自得な気がしてきました」
今のところ所属メンバーが二人とも見るからに変人だし。
するとシビル先輩は表情を動かさないまま「そんなことはどうでもいい」と言って、
「あなたには研究の手伝い──というか、失敗した研究を終わらせる手伝いをして欲しい」
「終わらせる?」
「研究で一番大変なことがなにかわかる? それは失敗作の後片付け」
無造作にテーブルからガラクタの一つを持ち上げた先輩はそれを僕のところへ放り投げてくる。刀身のついていない剣の柄に宝石が嵌まったようなもの。
ここまで言われればなにをしたらいいかだいたいわかった。
「失敗作から魔力を抜く仕事、ってことですね」
「話が早くて助かる」
右の手袋を外しながら尋ねると先輩はじっとこっちを注視してきた。
僕はガラクタに手を触れ、そこに籠められた魔力を抜いていく。放たれた魔法を受け止めるのと違って人体や物品から魔力を抜くには少し時間がかかる。そして、高い魔力が籠められていればいるほどその時間は長くなる。
「実は前にもこういうことをさせられていたんです」
「じゃあ、引き受けてくれる?」
「お駄賃がもらえるなら喜んで引き受けます」
物に魔法を付与するのは普通に魔法を使うよりずっと難しい。失敗することも多いけれど、再チャレンジしようにも物に変に魔力が残って邪魔になってしまうことがある。あるいは処分したいけどそのままだと悪影響が出かねないからきちんと壊さないといけないとか。
そういう時、僕の能力はとても役に立つ。再利用したい物から魔力だけを抜くことができるし、壊すにしても安全にしてから壊せるからだ。
「ありがとう。じゃあ、報酬はこれくらいでどう?」
シビル先輩が提示してきた額は僕の予想よりずっと多かった。
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