1-3【赤さんなりの撃退方法】



◇赤さんなりの撃退方法◇


 「お父さんは、少し帰ってこないわ」……その夜、レギンが子供たちに言ったのは、そう言う事だった。

 出て行ったんだ。あのオヤジ。

 これは俺の勝手な想像だけど、きっとママンに言い負かされたんだろう。

 それにしても、逃げ出すか普通。


 もしこれでうわさのリュナって娘の所に行ってみろ、俺は一生軽蔑けいべつするからな。


「お父さん、帰ってこないの?」


 長女のレインは、どちらにも気を遣えるとてもいい子だ。

 次女のクラウは、少し寡黙かもくかな?まだ三歳だし、分かんないけどさ。


「……」


 レギンは答えられない。

 自分でも自信が無いのだろう。

 確信が持てない事を、子供には言えない。いいお母さんだよ。

 無責任に「大丈夫」「心配ない」という奴よりも信用ができるさ。


 でも多分、子供はそう言われたいんだろうけどさ……

 安心出来る言葉を貰えるだけで、子供の心は落ち着くからな。


「そっか……」


 理解したのか?五歳の女の子が、夫婦間のトラブルを?

 いや……我慢がまんだなコレ。やせ我慢がまんだ。

 涙目で母親を見つめる大きな目には、今にもこぼれそうなものが光っている。蠟燭ろうそくで照らされるその表情は、父親が居なくなったと言う事実を受け止めているように見えた。


 次女のクラウは、無言でレギンを見つめているが、その顔は暗い。

 やはり三歳でも分かるものは分かるんだな。そんな二人を、レギンは優しく抱きしめる。


「ごめんね……」


 俺は床で寝てるよ。大人しくさ。

 もしかしたら、戦犯せんぱんかもしれんしな……言うなよ。自分でも分かってるんだから。

 だから、何とかしないとな……赤さんなりにさ。





 あの日からさ、もう……ひと月だってさ。

 父親、ルドルフ・スクルーズが出て行って、ひと月だ。

 今から俺が言う事、おどろくなよ?

 まぁ俺はおどろいた……って言うよりは、あきれに近いかな。


 ママンに抱っこされながら散歩さんぽをしているとさ……近所の人たちがうわさしてるんだよ。こそこそとだけど、聞こえるようにあからさまにさ。

 ルドルフのうわさだと思うだろ?違うんだよ。

 村に出回っているうわさは――レギンのものだった。


 若い男にうつつを抜かして、夫を裏切ったビッチ女。

 分かりやすいように言葉をチョイスしたのは俺だけど。


 そう……悪く言われているのは、母レギンだ。

 産後すぐに浮気を繰り返し、愛想あいそうをつかしてルドルフは出て行ってしまった。

 そんなうわさの出所なんて……狭い村の中だ、すぐに分かる。


 オイジーの野郎、ずっと伏線張ってやがったんだ。

 毎日のように、ルドルフが仕事で居なくなってからやって来ては、甲斐甲斐かいがいしく人妻の世話を焼く。

 村長の息子であり、顔もいいイケメン。

 そんな好青年が、美人でスタイルの神ってる三人の子持ちの人妻のもとに通っているのを見たら、誰だって錯覚さっかくするだろう。

 オイジーのクソったれは、それを狙ったんだよ……レギンが悪く言われて、それを自分が助けてやれるような展開をさ。


 悪いうわさはあっと言う間に広がっていく。

 広められたレギンのうわさを、こんなド田舎のせまい村では信じる者が大半だった。

 せまい村の中、娯楽ごらくのない退屈たいくつな世界だ。

 それならば他人の噂話うわさばなしでもして、退屈たいくつまぎらわそうと言うのだろう。


 しかしそれは、当事者からすれば地獄だ。

 ありもしないうわさは、尾ひれを何枚も付けて泳いでいった。

 長女のレインも、友達と遊べなくなった。

 子供たちは関係ないだろうに、世間体とは残酷ざんこくだ。


 そんな中、赤さんの俺は暢気のんきなもので……毎日乳を飲んですくすくだ。

 しかし、味が若干じゃっかん変わった感はいなめない。

 多分、精神的にヤバい……レギンの心が、結構なダメージを受けている。

 日に日にやつれているのが目に見えていて、こちらも心が痛い。


 そんな時だった。


「おやおや、授乳中じゅにゅうちゅうでしたか……」


「――っ!」


 来やがった。クソったれイケメン。

 お前はもう来んじゃねぇよっ!!

 お前のせいで、ママンがつらいだろうがっ!!


「ひ、非常識ひじょうしきではありませんか?いきなり上がって来るなんて……オイジーさん」


 その通りだ!言ってやれママン!!

 そしてその大きな乳房ちぶさを隠して!!――って、俺がしゃぶりついてるからじゃねーかぁ!!


「声は掛けたんですけどねぇ……しかし、ひどいものですね……ルドルフは」


 オイジーは部屋でかわかしている洗濯物をジロジロと見ている。

 見んじゃねぇよ!誰のせいで外でせなくなったと思ってんだっ!!


「で、出て行ってくれませんか?……もう来ないでくださいって、この前言いましたよねっ!?」


 この前?そんな事があったのか……くそ、俺が寝てた時なのか?それにしても、したり顔でやって来るな……コイツ。

 もしかして、そろそろ落とせるとか思ってんじゃねぇだろうなぁ!?


 そんな事させる訳ねぇだろっ!赤ん坊の前で堕とされる母親とか、どんな同人展開だ!見たくねぇよそんなの!だから断固だんことして邪魔じゃまするからな!思い通りに行くと思うんじゃねぇぞ!!


「ばぶ~」


「どれ……」


「――あ、ちょっと……」


 な!!コイツ、俺を抱く気か!?あ、やめろぉぉ!


「ほ~ら、たかいたか~い!」


「――きゃっきゃ!」


 なんじゃぁぁぁ!!嫌なのに笑っちまう!!

 上に持ち上げられた浮遊感ふゆうかんで、声が出ちまうよぉぉ!!

 やめろ!何度もたかいたかいをすなっ!!


「きゃっきゃぁ!うぁう~」


「ミオ……」


 違うんだ!ママン違うんだよ!信じてくれ!!決してコイツが好きで笑ってるんじゃないから!そんな悲しい顔しないでくれ!そんな、「この人には笑うのね」みたいな顔はやめてくれ!

 確かに、ルドルフで笑った記憶が無いのが悲しいが、違うからぁぁぁぁ!!

 俺を抱くオイジーのクソ野郎と、それを悲しそうに見る母レギン。

 なんて無力なんだ畜生ちくしょう。せめて言葉を話せたら、コイツは駄目だめだって高らかに叫んでやるのに!


「ばぶ~、えへ、えへ」


 違うって……笑いたいんじゃないんだって。


「この子も、父親がハッキリと分からない内に……決めた方がいいですよ?」


「……」


 決める?おい何をだよ!ママンも、なんでそんな考え込むんだ!


 いや違う。レギンは自分の事を考えているんじゃない。

 俺や二人の姉、三人の子供たちの未来を考えているんだ……自分の事なんか、これっぽちも考えていない。

 子供たちの未来の事だけを考えて、レギンは……この男を受け入れようとしているのか?


 違う、そんなの違うだろ!……自分の未来の事も考えてくれよ!レギンはまだ二十五歳だ、三人の子供がいたとしても、まだまだ人生の選択は出来るはずだ。

 だからって、こんな男を選ぶ必要は……


 だけど、気付いてしまう。

 この村の中で生きていくしかない現状を。

 確かに、村長の息子であるこのオイジーと言う男と一緒になれば、多少の安定はのぞめる。

 好き放題うわさをしていた奴らも、村長の息子の嫁ともなれば、そうそう言えなくなるはずだ。

 でも、本当にそれは幸せなのか?


 そんな事、母親が決める事じゃない!ましてや父親でもない!

 子供には子供の未来がある。それは自分で決める事が出来るんだ。

 守ってもらう事だけが、赤ちゃんの出来る事じゃないんだ!


 俺は、オイジーの腕に抱かれている。

 そして、今さっき満腹になったばかりの、お腹がパンパンの赤さんだ!


 つまりどういうことかと言えば……そう、腹が痛いんだよ!!


 今の俺が出来る、最高の嫌がらせだ……赤さんが無力なだけの庇護ひごされる存在だと思うなよ!!


 くらえオイジー・ドントー!!

 赤さんにしかできない、大人には到底真似できない最高の必殺技だ!!

 大人でやったら、その時点で人生終了だよ馬鹿野郎!!


「……ふぐぐぐぐぐぐぐぐっ!」


「……あ?なん……だ?」


 最近便秘気味だったんでな、出るも出るぞ!

 赤さんの意地をその身で受けろっ!クソ・・イケメン!


「――うわぁぁっ!!こ、このガキぃっ……!クソをらしやがった……汚ねぇ――あっ」


 両手で俺をかかげるその先には、レギンの姿が。

 ふふふ……オイジー、お前……子供嫌いだろ?

 子供は分かるんだよ。自分を好きな大人と、そうじゃない大人がさぁっ!!


「――オイジーさん。息子を返してくれますね?それとも、オムツをえますか?……その汚れた服と一緒に」


 クスクスと、今までにないレギンの表情かおに、オイジーは口元を引きつらせてやがる。


「……くっ。はい、ど、どうぞ……げ、元気なお子さんですね、まったく、流石さすがにスクルーズの息子なだけはある……」


 そう言い残して、オイジーは家から出ていった。

 そしてタイミングよく、外で遊んでいたレインとクラウが帰って来たのだが……その隣には。


「――あ、あなた……?」


 父親、ルドルフが……久しぶりに帰って来た。

 居たたまれなさそうな顔をして、両手を娘二人の手でつながれている。


 ルドルフは、レインとクラウにうながされる。


「ほら、お父さんっ」

「……んっ!」


 クラウがルドルフの足を踏んだ。

 おい三歳児……やる事が三歳じゃないぞ。


「いっ!……あ、ああ……分かってる、分かってるよ二人共。や、やぁレギン……その、ただいま。すまない……何日も、家を空けて」


 もしかして、レインとクラウが迎えに行ったのか?

 風のうわさでは、リュナって元カノの所にいるって話だったよな?


 あぁそうか……その時点で、俺も同じだ。

 聞こえてきたうわさを信じてしまって、ルドルフがどこで何をしてるかなんて、本当は知らなかったんだからな。


「ねぇ、今まで……何をしていたの?」


 ひと月だぞ。その間何してたんだよオヤジ。

 俺の疑問ぎもんと妻の問いに、ルドルフは。


「……新しく出来た畑の近くに小屋を建てて、そこで寝泊まりをしてたよ、真剣に、農作業をしていた。でも、本当は帰るつもりだったんだ」


 ――マジで……?ひと月も?


「――それで?家族が恋しくなって……やっと戻って来たの?」


「……うっ……ごめん。身勝手で、最低だ」


 めっちゃ刺すじゃんママンも。

 いや、でも多分違うよ。それをさ、レギンも分かってて聞いたんだろ?

 ルドルフの両隣にいる女の子二人を見れば、答えはおのずとわかる。

 レインとクラウの二人が、ルドルフを迎えに行ったんだ。


 心無いうわさと、クソったれなイケメンのせいでやつれていく母を、娘二人も見ていられなかったんだ。

 心から思うよ、俺の姉ちゃん二人は……めっちゃいい子だ。尊敬そんけいするよ。


「ふふ……分かってるわ。この子たちに感謝ね……お互いに」


「……あっ、ああ!ああっ!!」


 うんうんとうなずくオヤジ殿。

 涙ながらに、二人の姉を抱きしめた。


「ごめんな二人共、お父さんが全部間違ってたっ!レギンも、本当にすまない……だらしのない夫で、申し訳なかった!」


「痛いよ~、お父さんっ」

「……パパ、ひげが痛い。キモイ」


 ……キモイ?


「まったく、しょうのない人ね……」


 ああ、感動的だ。家族愛とかさ、昔から弱いんだよ。

 テレビでいっつも泣いちゃうんだよな。


「……で、でもさ、何か」


 ん?どうしたんだよオヤジ殿。そんな鼻をクンカクンカさせちゃってさ。

 お姉ちゃん二人も、顔をしかめてんじゃないよ、感動的な場面でしょうが!


「あ!あらあら……ミオのオムツだったわ。えないとね」


 ――あ。俺じゃん。俺の、世紀に一度の――ふんっ!!のせいじゃん。

 こ、これは恥ずかしい。でも、赤さんは気にしないんだぞ。

 そう、気にしないのだ。たとえ、心の中で恥ずか死んでいたとしても。


「――ミオのオムツ、僕がえるよ。この子のお陰でもあるからね……」


 お、そうだぞオヤジ殿。自分から育児に積極的なのは、いい男の条件だ。

 まぁでも、えてくれるのならママンがいい。もう慣れたしな。


「ばぶ~、ばうあ~」


「ふふ、ミオは嫌だってさ」


 お?ママンにはつたわったのか?

 オヤジ殿。「そんな~」じゃないのよ、誰が好き好んでオヤジに股を開くねん。

 自意識のうすい赤ちゃんならまだしも、俺は赤さんだからな。


 だからさ、次の機会でいいよ。また次にしてくれ……そうすれば、家族は一緒に居られるんだからさ。

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