1-2【家族の亀裂】



◇家族の亀裂きれつ


 その日の朝方、オヤジ殿。

 つまり今世の父ルドルフ・スクルーズが家を出ると、すぐさまオイジーがやって来やがった。

 まるで見計みはからったかのように、ニヤニヤしながら。

 普段のイケメン顔も、ゲスみた蛇のように、目が気色悪くゆがんでやがる。


 母親、レギンは軽く挨拶あいさつをするも、徹底して相手にはしないようでまずは一安心だ。

 それにしてもルドルフ……このオヤジ、顔はいいクセになんつぅ鈍感どんかんっぷりだろうか。

 最近の男は、過敏かびんなくらいがいいんだぜ?知らんけど。


「……奥さん。今日からスクルーズはいませんねぇ」


 ――ちっ!!分かり切った事ぬかすな!てめぇが仕組んだんだろうが!

 畑を広げるなんて、農家としちゃ嬉しい事だ。

 それを、他人のおんな手籠てごめにしようと簡単に差し出すあたり、もしかしたらこのオイジーの父親……村長もやべぇ奴なんじゃないだろうな……?


「そう、ですね……でもこの子たちが居てくれますから、さびしくありません」


 おっと、ママンが先手を打ったぞ。

 先にさびしくないと言って、オイジーの初手を読んだな。


「そうかい?でもさ、知ってるかい?」


「……なんです?」


 おい、その目止めろ。舐めつくすような、下卑げびた視線。

 その糸目、蛇のような糸目を止めろと言ってんだよ!

 人の母親おんなに向けていい目じゃねぇだろうが!!


「新しい畑……実はロクッサ家と、共同の畑なんだよ?」


「……」


 俺を抱くレギンの顔がやばい。

 ロクッサ家?誰か知らんが、レギンの様子で理解できる。

 その人を、絶対にルドルフに近付けたくなかったんじゃないか?


 俺には知らないその理由を、オイジーは丁寧ていねいに教えてくれる。

 勿論もちろん、俺にではなく……レギンに知らしめるためだろう。


「――あ~そう言えば、ロクッサのとこのお嬢さんって……ルドルフの元恋人・・・だったっけ……確か何年も付き合ってたんだったな~」


 おいこら糸目!!最っっ低だなマジで……!!

 つまりレギンは、長年付き合っていたルドルフとそのお嬢さんが別れた後、結婚したって言いてぇんだろう!?

 お前の言い方だと、ママンが略奪りゃくだつしたみてぇじゃねぇか!!

 ママンも、何か言い返し――て……レギン?


「……」


 おいおいおいおい!?

 何で涙目になってんだよ!なんか言い返せって!違うってさ!

 別れた後なんだろ!?ならなにも問題ないじゃないか!


「ばぶぅぅぅ!」


「……うん、いい子ね」


 俺の必死の想いが通じたのか、ママンも俺をあやしながら、オイジーの野郎を軽くにらんだ。俺もにらんでる……つもりだ。


「たとえ、ルドルフがリュナさんとどうなろうとも、私たちは変わりません。愛が……この子たちがいるんですから」


 レギンは抱く俺と、まだ寝ている二人の姉を優しく見つめて、オイジーに言ってやった。

 ――つっても、オイジーの野郎の顔もやべぇな……今にもおそい掛かって来そうだ。流石さすがにそこまではしねぇだろうが……もし、そんなことになってみろ……


 俺が成長したら、お前ただじゃ置かねぇからな……!


「……まぁいいさ。この後の展開なんてたかが知れてる。きっと、何度も何度もスクルーズはロクッサのお嬢さんと逢瀬おうせを重ねて……その子たちの腹違いの子が産まれるだろうさっ!」


 てんめぇぇ!!それは言っちゃいけねぇだろぉがぁぁぁぁ!!

 ルドルフが何処までの鈍感野郎どんかんやろうか知らねぇが!そんな簡単に種をく馬鹿野郎じゃねぇんだよ!!ざっけんなこらぁぁ!!


 そして最後までにくまれ口を叩きながら、オイジーの野郎は帰って行った。どうせまた直ぐに来るんだろうけどな!

 それにしても、ロクッサ家のお嬢さん……リュナだっけ?そのお嬢さんはどんな子なんだろうか、ルドルフの元カノなんだろ?

 妻のレギンがかなりの美人さんだ。

 あれ……?も、もしかして……ルドルフってめちゃめちゃモテるのか!?


 頼むから、畑で変なことしてくれるなよオヤジ殿!!

 別の種をくなんてクソ寒いギャグは絶対に駄目だぞ!!


「ぁう、あうぅ……ばぁぁ」


 くっ。話せねぇ!当たり前だが、筋肉が未発達で舌が動かせん!

 頭で理解できても、身体がついて行かないんだ。

 笑ってないのに「ほらみろ、笑ってるぞ!」と言われるように、赤ちゃんは自分から笑う事はない。

 表情筋がヒクヒクしてて、笑って見えるだけだから!!


「ひっぃうぅ……あうぅぅ」


 ああ~、無理にしゃべろうとすると、変な声出る。

 ママンが笑ってくれるからまだいいが……どうすんだよ、この状況じょうきょう

 せっかくの異世界転生……スタート地点は何もねぇド田舎。

 しかも家庭環境かんきょうは、ママンを狙う間男のせいで不安だらけだ。

 も、もし……もしだぞ……オイジーの野郎にレギンが寝取られてしまったら、俺はあのクソ野郎をオヤジと呼ばにゃならんのか?


 赤ちゃんなんだからまだ分からないと思って貰っちゃ大間違いだ。

 全部知ってんだよ!全部見ちゃってんの!!何から何まで、朝から晩まで、全部見えてて理解もできてんだから!!

 夫婦の甘い時間も、意味の分からん喧嘩けんかも、夜の秘め事も全部!!

 身体が動かせないだけで、見えてるし聞こえてますからぁぁぁ!!


「……う、うう……うぇぇぇぇぇぇ」


「あらあら……お腹が空いたのかなぁ、お姉ちゃんが起きる前に、おっぱい飲んじゃおうね~」


 違うんだ。違うんだよママン。

 俺は将来を悲観ひかんしてんの……ママンの未来が不安でならんのよっ!!

 二人の姉も、あんな男が新しい父親になってみろ。

 百パーグレる!しかもあの男なら、娘に手を出すことも考えられそうで尚更なおさら怖い!!


 俺は乳を吸いながら、心の中で泣いている。

 血涙けつるいかもしれない。ああ、早く大きくなりたい。

 なぁ女神よ……なんで赤ちゃんの俺に自意識があるんだよ。

 大きくなってからって言ってたじゃん……転生に気付くのはさぁ……


「美味しいでしゅか~?」


 うん。多分美味うまい。俺は前世では粉ミルクだったらしいから、母乳は初めてなんだ。多分美味うまい。てか、少し前からそう思い込むことにした。

 だって赤ちゃんなんだもん。ばぶばぶ。




 夕方になり、父親ルドルフがほくほく顔で帰って来た。

 家族ひとの気も知らないで……よくもそんな笑っていられるな、まったく。

 仕事を上手くやっても、家庭が壊れちゃ無意味だぞ。前世で独身だった俺が言うのもなんだが。


 そう考えた俺は、二人の間柄を修復しようと策に出る……別にまだ壊れてはいねぇんだけどさ。

 丁度いいタイミングで、レギンが夕食の準備をしている。

 これはチャンスとばかりに、俺は行動を移した。


 そう……ガン泣きしてやったのだ。


「――おぎゃあああああん、あぎゃぎゃあぁっぁあ!!うにゃぁぁぁん!!」


 ひっくひっく!オラオラオラァ!!赤さん様が泣いてんよ!!

 ママンは忙しいぞ!ほらほら!オヤジ殿よぉ!俺をあやしやがれぇぇぇ!


 全身でアピールする俺を、ルドルフがあせったように抱えてよしよしとする。

 ちげぇんだよなぁ!もっと優しくだ!かごのようにやるんだよ!!そんなんじゃ誰も眠りゃあしねぇぞ!!


 ――はっ!ち、違う、そうじゃない!!

 つい赤さんの心を代弁だいべんしてしまった……違うんだよ。俺がしたいのはそうじゃない。

 せっかくレギンが台所で忙しくしてるんだ。ルドルフを探るチャンスだ!


「おーしおしおし、いい子だなぁミオは……だから泣き止んでくれよ~」


 俺はルドルフの胸元に顔をうずめて、クンカクンカと鼻を利かせる。

 赤さんなりの嗅覚きゅうかくを最大限に発揮して、オヤジの身体から女の匂いがしないかを確かめた。


 うん、まぁ……なんだ、草と土の匂いだな。農作業万歳ばんざい

 えっと誰だっけ……ああそうだ、リュナだ。リュナ・ロクッサだったな、確か。


 結論から言うと、ルドルフから女の匂いはしなかった。

 普通に汗の臭いと、農作業の過程かていでまとわりついた草や土の匂いだけだ。

 今日は浮気うわきをしなかったようで一安心だ。

 しかし安心は出来ない。オイジーの野郎はまだ何かをたくらんでいそうだし、そのリュナって元カノがルドルフに気がある可能性だって、なくはない。


 なにせルドルフは顔がいい。二人の姉も将来が楽しみになるほどの美形姉妹だ。

 え?俺?……いや、まだ分からんよ。この家に鏡なんてないし、自分の顔見たこと無いんだ。

 親だったなら可愛いって当然言うだろうし、言葉では信用が出来ない。


 あ、やべ……なんか急に不安に。

 どうしよう、せっかく異世界転生したのにブサイクだったら。


「う……うぇ……うぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


「おわっ!……ちょ、ちょっとミオ!暴れちゃ駄目だめだってっ!」


 だぁぁぁ!!身体が勝手に!泣き声と連動するみたいに動いちまう!!

 オヤジあやせ!せっせとあやすんだ!ほら、その無駄に美形な顔でいないいないばあっ!ってやれよっ!!赤さんの圧に負けんなっ!!


「……レ、レギンっ!!ミオがぐずった!助けてくれ……!」


 ……。……。……。……。

 はぁ……駄目だめだ。簡単にあきらめんなよ。

 お前父親だろ?もしかして、姉二人の時もそうやってママンに頼りきりだったのか?苦労が分かる……根気が必要だな、これは。


 更に数日がった。

 ここ数日は……あのイケメン間男オイジーの野郎も大人しかった。

 おかげで俺も、ゆっくり乳を飲んで休めたよ。

 母親の身体ってのも精神に影響えいきょうされるもので、精神的不安が多いと母乳の出が悪いらしい。

 そろそろ俺も食事がしたい。なんせ中身は三十の男だ。食の楽しみを知ってるんだよ。


 まだ歯も生えてないが、何かかじりたい。なんかかゆいんだよな。不思議と口の中に何か入れたいんだ。


 そう、こんな感じで。

 パクッ――と。


「ああ~!!ミ、ミオがぁぁぁっ!」


 おっと、長女のレインが何かさけんでいるぞ?

 ははは、きっと俺がおもちゃでも口に入れたんだろうな。

 しかし、なんだろうな、この苦さ……なんか……覚えがあるようなないような。

 二十歳に成った時、一度だけ吸った記憶のあるものによく似ているが。


「――ミオ!!何してるのっ!!」


 え?ママン……?

 なんだよ、そんなに怖い声出して……ちょっと待って、今目を開けるから。


 気が付くと、俺は右手に何かを持っていた。

 茶色い筒状つつじょうの、乾燥かんそうした何か。

 うっ……なんだ……急に気持ち悪く……


 おえっ――


「ミオっ!?」


「ミオがいたぁぁ!」


 いた?俺、いたのか?

 自分じゃよく分かんねぇ……どうなってんだ?


「お~い、どうしたんだ~?ひっく……三人共~」


 おいおい、ルドルフが酔っ払ってるじゃねぇか。

 空気を読めよ、俺がやっちまったとは言え、今……多分やばいぞ?


「あなた!!なんでこんな所に葉巻を置いたのよっ!!ミオが食べちゃったのよっ!?」


「――え」


 俺、葉巻食ったの?

 寝ぼけてって事?つーか、赤さんのすぐ横に置くなよ葉巻を!!


「そ、そんな……僕は……」


 あからさまにショック受けてねぇで!何かする努力をしなさいよ!!

 俺は苦しんでるぞ!!


 レギンは食っちまった葉巻をき出させようと、必死になって俺の背を叩く。ルドルフはあわてふためくばかりだ。

 二人の姉も泣きそうな顔で俺を見てくれている。


「――げぼっ!」


いた!!」

「やったっ!」


 ボトリと落ちたのは、小指の先ほどの葉巻の欠片かけらだった。


「良かった……」


 レギンはホッ――と胸を撫で下ろして、俺を抱いたまま立ち上がってルドルフの前に立った。

 ママン?どうしたんだよ、そんな怖い顔して……


「よ、よかったよミオが無事で、本当によか――」


 パッーーーーーン!!


 かわいた音が、家中にひびいた。

 レギンが、ルドルフをぶったんだ。


 あー、だからやばいって言っただろ?


「――普段からかわいいかわいいって言うくせに……泣いたらあやすのは私、オムツを換えるのも私、夜泣きで散歩をするのも私っ!全部全部全部!昔から全部私じゃない!!」


「……」


 やばい。やばいやばい…マジトーンだ!


「なんなの!?葉巻なんて高級な物、どうすれば手に入る訳っ!?しかもこんな……赤ちゃんの前にそのまま置いて……食べたのよっ!?この子、これを食べちゃったのよ!?」


 手に持つ葉巻をぐしゃりとつぶして、レギンは泣きながらルドルフに叫んだ。

 二人の姉も、ルドルフが完全に悪いと分かっているからか、レギンの後ろに隠れてちらりと様子をうかがっていた。

 俺が招いたとはいえ……完全に悪者だよ、オヤジ。

 なら、ここからどうするかだ。親の意地を見せてくれ。


 二人の姉に連れられ、俺は姉弟で別室にいる。

 母レギンが、長女レインに「ミオとクラウを連れて、そっちにいってなさい」と、遠ざけたのだ。

 長女のレインは五歳、次女のクラウは三歳で、夫婦のいざこざなどまだよく分からない年頃だろう。

 夫婦の事情なんて、実際子供は知らなくてもいい。そうは思うが、このせまい家の中だ、嫌でも聞こえてくる。


「……お母さん、怖かったね」


「……うん」


 しかし、父親が圧倒的あっとうてきに悪いとも理解できているのか、二人共レギンを悪くは言わなかった。

 それが子供の感受性かんじゅせいだろう。分かる、分かるよ俺にも。


 確か、あれは小学生の頃だった。

 前世でのオヤジはギャンブルが好きで、そりゃあもう朝からパチンコ店に並びに行っていた。帰ってくるのは店が閉店してから数時間後。


 ギャンブルで勝った金で、そのまま飲みに行ってたんだろうな。

 いつもは何も言わない母さんだったけど、その日はキレ散らかした。

 弟が熱を出したんだ。保育園から貰って来た、確かインフルだったと思う。

 酔っぱらったオヤジに、母さんはそこら辺にあるものをぶん投げてた。

 確か、目覚まし時計だったかな……それがゴチンと命中したんだよ、オヤジのデコに。


 そこからは、俺は見てない。

 弟を連れて、単独で病院に走ったからな。

 その後に、二人そろって病院に顔を出した両親は、二人共ボロボロだったさ。医者にもこっぴどく言われてたな。

 けれど、お互いがお互いの悪い所を理解し合って、結局のところ仲は良かったんだ、と思う……思いたいだけだが。


 あんな夫婦喧嘩は、絶対に子供に見せてはいけないと俺は思う。


 そんな事を考えながら大人になって、三十年だ。結局、夫婦どころか恋人もろくに(一度も)出来なかった俺は、今はこうして異世界だ。

 しかし残念なことに、前世と同じような事態におちいってしまっている。

 なにせ赤さんだからな、何も出来ん。


「「……」」


 お姉ちゃんズが、ハッ――として顔を見合わせてる。

 これは終わったかな……長女のレインが俺を抱えて、そっと扉を開けた。


「……」


「おねぇちゃん?」


 レインは、扉をそっと閉じた。

 そしてクラウを見て首を振る。

 ああ……駄目だめだったか。想像できるが、レギンが一人項垂うなだれていたのだろう。

 さっき大きな音が聞こえたからな。きっとルドルフが思い切り扉を閉めたんだ。

 出ていった……って事だろうな。


 これってさ、俺のせいになるのかな?そうだったら、流石さすがに悪い事をしたって思うよ、赤さんとはいえ、自意識は三十歳の魔法使いなんだからな……

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