6-6
動くのは炎だけだ。
ゾラだったものは動かない。額に空いた風穴も、そこから漏れ出た大脳も、全ては炎の中に紛れる。光を浴びたことのない様に白かった身体は、もはや燃えるだけの水分も失い、黒く炭化しつつあった。
その隣で、俺も動けない。
右足のフレームは耐久限界を迎え、発砲の衝撃に折れた。左足の板バネは形こそ保っているが、内部電線が断裂し、膝が駆動しない。交換に足る予備パーツが必要だった。探せば見つかってもおかしくはない、このビルで俺は作られた。
だが、可能性は所詮可能性だ。見つからなければ、そこまで辿り着けなければ意味は無い。
両手に力を入れる。セクサロイドの軽いフレームは辛うじて僅かに浮き上がり、床の上を這った。しかしほんの僅かだ、燃え広がる炎の速さには、到底満たない。
最早火は留まりようもなかった。天井に繋がれていた全ては焼け落ち、そう遠くなくビルそのものを飲みこむ。
いずれこの炎は、シリコンの肌からフレームの骨を溶かし、電子回路を焼き尽くすだろう。ならば、いつ死ぬのか。回路上へ直に熱が吹き付け、記憶素子やニューロンプロセッサを焼いた時か。その何割が失われたとき、意識は消えるのか。半分か、八割か、或いは素子の一片まで残る限り、意識と苦痛が続くのか。どこまで俺は俺なのか。それが死なのか。
或いは、既に死んでいるのか。何も感じず、何もせず、静けさにただ一人佇むだけのセクサロイド。それは死体と、既に死んでいるのと変わらない。
倒れ伏す隣には、ブラスター拳銃が転がっていた。
全て借り物だ。このブラスターも、この身体さえも。文字通りの無数の幸運に救われ、偶然生き延びたに過ぎない。ならばただのセクサロイドが、レプリカントと引き分けに持ち込めただけ、マシな死に方かもしれない。
ブラスターを手に取る。引き金は軽い、誰であろうと簡単に引くことができる。この折れかけた手と指でも……セクサロイドでも。
銃口をこめかみに向け、俺は引き金を――――引かなかった。
寸前映った視界、そこには誰もいなかった。あれだけ無数にいた俺たちの一人として、ここには立っていない。
俺が最後の一人だ。
だから生きる義務がある、とは思わない。
だが権利はある。
ブラスター拳銃を捨て、両手に力を込める。人工シリコンの身体はコンクリート上を滑り、僅かでも動いた。蟻の歩みにも劣る、それでも出口は存在する。ならば進むだけだ。
その時、後背に爆発が生じた。
同時に天井が揺れる。噴き上がった炎と熱に煽られ、朽ち果てたコンクリートは亀裂を生じた。不可逆な崩壊、降り注ぐ瓦礫は俺を掠め、僅かな退路さえも塞ぐ。その目前に、炎は迫り――――消え始めた。
雨だ。地を這う炎へと、大粒の重酸性雨が降り注ぐ。
見上げれば、空があった。崩落した天井の裂け目から、雨の飛沫に霞み、それでも空が見える。
星々が瞬くことも、昼と夜が移ろうことも無い、セクサロイドの一生には永遠に等しい暗黒――――ニューヨコハマへと続く空が。
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