6-5

数十秒の内部ショートの後、俺は再起動した。


 ボディは大きく損壊している。内部センサーの大半がエラーメッセージを吐き、プログラムそのものが再構成を求められ、手足の動きすらままならない。確かなのはそれらだけだ、狂った平衡ジャイロでは自分が立っているのか、倒れているかさえわからない。


 今ここに思考する俺が、果たして正常なのか。或いは既に破損した記憶素子の、走馬燈フラッシュバック染みた断片なのか。生きているのか、死んでいるのか。無だけが広がる視界に、確信は持てなかった。


 だがやがて、遠く熱を感じる。感じることに生きていると気づく。

 目を開ければ、火の海があった。


 一面の黒煙と炎が、都庁ビル頂上フロアを満たす。燃え上がり揺らめく度、暗闇を引き裂くように熱が吹き付け、全てを否応なく照らした。


 参照記憶と整合性が取れる。そうだ、爆発があった。


 何もかもが吹き飛び、灰になろうとしていた。コンソール台は炎の中に溶け、ソファは四散し燃えがらと化している。それらが爆風を遮り、俺を生かしたらしい。

 天井を見上げれば、無数のカプセルは全て砕け散り、或いは溶け落ちていた。ゾラになるはずだったものは投げ出され、沸騰した培養液を浴び動かない。炎の中で、一人、また一人と、静かに炭化していく。


 ただ一人、ゾラだけが立っていた。


 全身に火が燃え移り、生きながらに身体を焼かれている。レプリカントの強靭な外皮さえ爛れ、筋肉と骨が剥き出しになり、心臓は脈打つまま露出していた。声はさえも、熱の渦に震えている。

 それでもその場所に貼り付くのは、少女のような唇と、少年のような笑みだった。


「確かに、ここに生きてるネットワーク設備は一つだけだ。それと予備の身体全てを破壊すれば、僕でも逃げ場は無くなる」


 ゾラが後背を見上げる。


 そこには何もなかった。無数のハンガーレールも、繋がれていた無数の視線も――――俺たちも。


「バッテリーに意図的な過充電を起こして、自爆する、か」


 焼け落ちたのでも、灰になったのでもない。俺たちは自ら爆散し、文字通りの欠片さえ残らない。


「そういう個体はこれまでにもいたよ。でもロット単位全てが、同時にそれを行った? この破壊規模はそうに違いない、でもどうやって……ウィルスプログラム? や、君にできるはずが……」

「俺じゃない」


 似たようなことを試みはした。だが有線コネクタを繋いだ時、接続はすぐゾラに断たれた。結局は何の命令もプログラムも、送信はできていない。

 辛うじて一瞬に送れたのは、ごく僅かな容量の薄っぺらいデータ――――俺の記憶だけだった。


「あいつらだ」

「彼らが?」

「あいつらが、自分の意志でやった」


 何故かは知らない。考えようとも思わない。


 だが少なくとも、俺はまだ生きている。


「素晴らしいよ!」


 何もかもが燃え尽きようとする音の中に、哄笑が響き渡る。


 ゾラが動いた。だがやはり見えない、目で追うことすらできないまま、次の瞬間には衝撃が襲う。

 球遊びのように足蹴にされ、身体が浮いた。それが落ちるより早く、首をゾラが掴み、柱へと叩きつける。


「色んな君がいた」


 何度でも叩きつける。その度に意識が飛び、再起動を繰り返す。


 隙が必要だった。


 もう少しだ。


「殺し屋と戦った君もいたし、徒党を組んだ君もいた。戦闘用アンドロイドに自己改造して、僕を七度も殺した君もいたよ」


 意識が生じる度、視界に映るのはゾラだけだ。唇は溶けて歪み、歯と肉を赤々と露にしている。

 笑っていた。


「だが僕をここまで追い詰めたのは、君が初めてだ!」


 一際に強く叩きつけられる。そこで動きは止まるが、昆虫標本染みて一層に締め上げられた。


 まだだ。


「やはり君には、僕の知らない何かがある!」


 既に全身のフレームが、あらゆる方向に歪んでいる。手足は辛うじて繋がっているだけだ、電子脊椎も圧迫され、爪の先すら動かせはしない。


「だがこれだけの抵抗と幸運、全ての君たちの死さえも、今全て無駄になる。そんな理不尽な死を前に、君は何を見出す!」


 ゾラの顔が目の前に近づいてくる。


 剥き出しの心臓が胸に重なる。


「何を想う、聞かせてくれ! さ、この僕に――――」


 俺は引き金を引いた。


 炎の中、決定的な音が鳴り響く。


 その一瞬後、ゾラは崩れ落ちた。力を失った手から解放され、床に投げ出される。俺は柱を支えに、折れかけたフレームを立たせた。


 胸部外装蓋を開く。その廉価モデルセクサロイド特有の空疎な内装、電子脊椎の直に覗く場所から、仕込んでいたブラスター拳銃を取り出す。未だ硝煙の燻ぶるそれは、鈍く照り重い。だが引き金は羽のように軽く、脊椎と肋骨の僅かなてこだけで、引くことができた。


 俺の手に引けない筈がない。指を這わせ、下へと構える。

 ゾラは仰向けに倒れていた。夥しくも溢れる血液の海に、心臓は沈んで見えない。その律動は乱れ、痙攣ばかりが繰り返される。


 立ち上がることはない。


「僕は……死ぬのか?」


 そこに笑みは無かった。


「なんだろう。なんだか……寒い」


 震えている。


「そうか、これが……」


 その額に、俺は引き金を引いた。

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