05 レプリカント
5-1
コンクリート四方の密室には、窓も鉄格子も無かった。全てが止まって聞こえる。暗闇を注いだ底、雨音さえ届かず、身じろぎの一つも飲まれては消えた。
目に映るのも同じだった。卓上スタンドの白熱灯、その光は一方的で移ろわない。照らされる側と照らす側、俺の前には男がいた。
「お前がやった」
前時代的な体格を丸めて動かしもせず、声だけを響かせる。男は腕を組んで繰り返した。
「お前がやった。そうだろう」
頷くことも、言葉を返すこともできない。唇は金具に固定され、口内端子にケーブルが刺さっている。
最も、男は何も求めない。
「数週間前、ある死体が見つかった。どこにでもいる、安物のセクサロイド……だがそれにこだわった男が、一人だけいた。男は……殺された」
男は一方的に続ける。
「
「…………」
「お前と一致する。あらゆる形状と機能において」
そこで男は横を向き、もう一人の若い男を睨んだ。
「早くしろ、新人」
「すみません」
若い男がこちらに近づいて、金具とケーブルを抜いた。
「データ取得できました。2149年12月16日、今日以前の記録を再生します」
「今からお前の記憶データを見る。セクサロイドには――――」
「『元』だ」
「偽りようがない、前もそう言ったな」
「前?」
男が机に置いたのは、ポータブルサーバーの端末だ。記憶通り見たままの光景が、映像としてそこに読み込まれている。
「前の
「何のことだ」
罪状の捏造。聞かない話ではない、だが契約労働者を相手にする理由も無い。
「白を切るつもりか。飽くまで――――」
そこで、男は絶句した。
端末に映ったのは、ニューヨコハマの路上だった。使い捨ての契約労働者としての仕事だ、要点以外は覚えていない。その必要も無い程度の仕事だ。
日付は12月5日。そのあり触れた映像に、男は言葉を漏らす。
「何故別のアリバイがある」
「知らないな」
「俺とこの留置所にいたはずだ。この時間、間違いなくお前が」
こんな男と会った覚えはない。刑事に関わる理由も無い。
そこで若い男が、デバイスに細く目を落とした。
「それって、この調書ですか」
「ああ、そうだ」
「もしかして、別人じゃないですか?」
男は眉を潜める。
「何を言ってる。確かにこの顔だ」
「ええ、顔は同じです。でも調書と違うんです、足が」
若い男が指したのは、俺の左足だった。板バネ式だ、湾曲した一枚板の弾力で立つ。折れた右足は通常の足に戻したが、残ったこの足を替える金までは無く、そのままだった。
「確かにこんな足じゃなかったが……いいや、まだだ」
男は机を叩いた。体格が前へ競り出し、視界を物理的に覆う。
「お前が唯一の手がかりだ。令状を取って、重要参考人として一月でも一年でも留置してやる」
「本気か」
「お前にとっても、悪い話ではないだろう」
血走った視線が、こちらを硬く見下ろした。
「雨風を凌げる安全な場所で、臭くもない電流を口にできる。誰からも見捨てられた元セクサロイドが、全市民からの税金で暮らせるんだ。これ以上の場所があるのか」
振られた手、男の身振りの全てが影を作り、卓上スタンドの光を遮った。
「それとも、帰る場所があるのか。お前に」
「いや……」
「なら大人しく、ここに……」
壁の固定電話が鳴った。若い男がそれを取る。
白熱灯の影の裏にも、表情の冷めていく色が見えた。
「身元引受人だそうです」
「こいつは『元』だぞ」
元セクサロイドの契約労働者だ。クラブをクビになってから、組織に属した覚えは無い。名前を名乗ったほどの顔見知りもいない、つまり俺が俺であると証明できる人間は、事実上存在しない――――俺の知る限りは。
「それが、レタイル社の特別顧問だとか」
「企業の?」
「それから企業政府交通省宇宙開発局の名誉局長、ならびに筆頭株主で、あとは……」
肩書が延々と続く。
そんな奴は知らない。
「誰だろうと、出さんものは出さん」
「保釈金を山ほど積まれて、兎に角出せって上から」
「嘘だ」
歯ぎしりが繰り返し響いたが、やがてそれさえ摩耗し、聞こえなくなった。男は首を横に振り、椅子へもたれかかる。
若い男が俺を立たせ、留置所から廊下へと歩かせる。レンズを馴らす猶予も無く叩きだされた外は、半日前と同じ雨だった。
そこに立っている人の形だけが、違った。
「身元引受人の方ですね」
「うん」
細く軽い、しかし低い声。男とも女ともつかないその口調は、唇に薄く笑みを浮かべていた。
若い男が去り、二人になる。
自称身元引受人は、企業の所属にも見えなかった。ボロ切れ一枚を巻き付け、身体から顔までを隠した、浮浪者同然の姿だ。防水コートすら着ていない、小柄な輪郭の全身に、重酸性雨が深々と染みている。何より、足は棒切れのように白く二本伸び、跳ね返る雨を受けていた。
鬱蒼と隠れた口元が、流暢に動いた。
「何か無いの? 『ありがとう』とか、『お名前は?』とかさ」
「必要ない」
「僕のことなんてどうでもいいって?」
「名前は記号だ」
このニューヨコハマで、名前に意味などない。あらゆる公的証明は金次第だ、偽造することも、逆に抹消することもできる。初めから存在しない人間は、殺しても罪にはならない。
確かなのは、行動だけだ。
「ま、そうかもね。たった今それを証明したばかりだ、ちょっとした偽造
「らしいな」
「でも僕はそう思わない。名前が記号に過ぎず意味を為さないなら、行動がそれに取って変わるだろ。人は人を行動で評価する、それは確かに確かさ」
ボロ切れは一方的に続ける。
「けれど行動が人を規定するなら、人って言うのは行動そのものなのかな。で、それ自体が記号となるだけの行動を、人は誰しも取れるのかな。この雨に打たれて死ぬことは、誰にでもできる。でもそれを防ぐのに、防水コートを着ることは? 誰にでもできることじゃない」
「そんなことは知っている」
「君は防水コートを持っていない。だから自分が着ることも、他人に与えることもできない。でも僕は……ほら、着なよ」
防水コートがこちらへ投げられる。
「これで僕は、その他大勢と区別された。『君に防水コートを与えた』存在として」
「それがどうした」
「ならさ、『君を釈放させた』存在なら? 同じことをする、できる存在が、どれだけいるかな? このニューヨコハマに。もし僕ができなかったら、君にとって一生その他大勢、知らない誰かのままだったろ」
ボロ切れは背を向け、雨の中へ身を翻した。
「行動とは
「何が言いたい」
「君はどうかな」
振り返った目と目が合う。ボロ切れを纏った奥底、灰がかった光彩は鈍く、だがそれでもなおそこにあると分かった。
防水コートを羽織ると、それを見たボロ切れは再び翻り、前へと歩く。
「ま、こんなことは聞き飽きてるし喋り飽きてるんだ。とりあえず名乗らせてもらうよ」
俺はその後を追った。
「僕は
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