4-6

 オフィスフロアを抜けた先、連絡路の人気無い影に、1番は立っていた。


「遅いぞ」

「すまない」


 目の前にはシャッタードアがある。IDカードの認証だけではない、複数のセキュリティと監視カメラがあったが、今は停止している。俺が守衛室で止めた。

 施設が高度な技術で成立するにつれ、ネットワークの防御に注力するあまり、内部セキュリティは疎かになる。これも1番の言っていたことだ、その通りに事は運んだ。


 それは単なる経験則なのか。或いは、初めから知っていたのか。


「この奥だ」


 1番は迷いなくドアを開き、先へ進んだ。俺もそれに続く。


 工場区画は、何もかも交わり入り組んでいた。コンベアベルトは縦横に走り、その始点と終点自身さえをも覆い隠す。その僅かな間隙を縫うように、或いは押しのけるように、無数のタンクが連なっていた。薬品を貯蔵しているのか、滑らかに研磨された球体、だが真円とも違う楕円形状。ベルトとタンク、直角と円の多重回路めいた絡まりは休業時間のため停止していたが、それでもなお蠢いているように錯覚された。


 それらの上に渡された架空鉄条路を、1番は進む。見えるのはその背中だけだ、聞こえるのは足音だけだ。硬く乾いた質感が、単調に繰り返し続ける。

 聞こえていたものが聞こえない。風を切る風、水を弾く水、ニューヨコハマの裏路地に絶えず響いていた音。それらの無いことが寧ろ俺にはノイズを強め、スピーカーへ纏わりついた。


その無音に耐えかね、俺は口を――――開かなかった。


 あの女の言ったことは真実なのかもしれない。奴が嘘をつく理由もない。1番はこの場所に精通している、それさえ辻褄が合う。何より1番の思考プロセッサは、単なる元セクサロイドのそれではない、明らかに俺よりも強化されていた。「使う側であるために」そう考えるのが自然だった。

 思い返せば、俺の記憶を消去したアリバイ工作も、いざとなれば俺を切り捨てることができた。仮に1番が逃げ出せば、俺は裏切られたことそのものさえも思い出せず、野垂れ死ぬしかなかった。その逆は俺にはできない、1番は常に安全な場所で、使い捨てることのできる側にいた。

 何の能力も価値も持たない元セクサロイドを、同じ見た目で信用させ、保護する体で利用する。そうとしか考えられない。でなければ俺を拾う理由が無い。企業での事故と同じように、いつか使い捨てるために。


 だが、まだ捨てられてはいない。


 1番がいなければ、一年前に俺は死んでいた。それは紛れもない事実だ、俺には火を起こすことも、盗みの計画を立てることもできない、運が良いわけでもない。その全てを1番ができたからこそ、俺はその手足として生き延びることができた。

 ならばそれでいい。今更一人になったところで、生き抜く当ても無い。俺は1番のために働こう。

 1番が俺を生かす限りは。


 そこで1番は立ち止まり、横へ身を乗り出した。貨物搬入用リフト、鳥かご同然の細い骨組みだ。一人分の空間も無い、二人同時に乗ろうとすれば、横へしがみ付く形になる。それは眼下の工場区画を横断し、奥へと直接続いていた。


 だがたった数本のワイヤーで天井に張り付き、相当な高さがある。


「これに乗る」

「本気か」

「休業時間は短い」

「いや……」

「荷重積載は十分だ」


 確かに俺たちは軽い。フレーム重量を数値に見たことは無いが、人間とは比較にならない。


 だが1番は、本当に正しいのか。正しいままなのか。正しかったのか。

 その計算は間違っていないのか。劣化した電子回路と揮発したメモリに、誤った解を導いてはいないか。この先も俺を生かしてくれるのか。

 俺にはその問いを口に出すことも、自ら計算することもできない。できるのは、1番を追うことだけだった。


 しがみ付いたその直後、リフトは不自然なまでに傾いた。懸架部位が軋み、重金属同士が擦れては呻く。それらを無視した1番が駆動スイッチを入れ、リフトは歩くより僅かに早く動き出す。

この奥に目的の新型バッテリーがある。金は目前だ。


 だがなんのための、誰のための――――浮遊感。


 何かが千切れ、落ちた。そう認識した瞬間、音と衝撃の区別は無く、叩きつけられる。

 数秒のブラックアウトから、意識は再起動した。レンズ映像、平衡ジャイロ、一切は狂い一致しない。その自動同期に少なくない時間をかけ、ようやく俺は立ち上がった。外れていた片目を拾い、取り付けて辺りを見渡す。


 工場区画に落ちていた。リフトは懸架部位の根本から捩じ切れ、天井から脱落し、コンベアベルトへ突き刺さっている。原型は無い、投げ出されただけ寧ろ運が良かった。

 その横に1番は倒れていた。抱き起せば微かに目を開く、だが立たない。片足はリフトの下敷きになり、関節ユニットごと潰れていた。


「1番。大丈夫か」

「無事か、2番」

「お前の足が」

「落ち着け。俺はいい」

「音で誰か来るかもしれない。離れよう」

「休業時間だ。誰も来ない」

「いや――――」


 俺の顔を見た1番が、後背に振り向く。


 台形状の車両が近づいていた。その金属外装の無機質な中央では、単眼レンズがレーザーサイトを放ち、蠅を追う様な軌跡を描く。オートマトンだ、その低い駆動音が、薄暗がりの中でこちらを向いた。


「ただいま休業時間です。工場区画への立ち入りは禁じられています」


 声がする、だがそれは合成音声の定型文に過ぎない。オートマトンには人間を模した形も、精神も必要ない。ただプログラムされた通りに、事象を処理するだけだ。


「IDカードを提示してください」

「どうなってる」


 1番の顔を見る。

 俺の知らない表情だった。何もかも違って見えた。


「馬鹿な。こんな奴は……」


 1番が企業にいたとして、それは数年前だ。何が変わっていてもおかしくはない。事故があれば、セキュリティを強化するのも当然だ。

 それがわからない1番では無かった筈だ。


「どうする」


 1番は何も応えない。

 オートマトンだけが同じ言葉を繰り返す。その中にやがて、乾いた駆動音が混じった。上部外装が展開し、銃口が姿を現す。


「IDカードを提示してください。残り三十秒で発砲します」

「1番」


 1番は動かない。力学的な支えのない視線で、オートマトンの銃口を見つめるだけだ。

 1番ではない。1番はこんなミスをしない、思考が停止することも無い。俺を使い捨てのように扱ったりもしない。それが事実だとしても――――俺の知る1番ではない。

 相手はオートマトンだ、セクサロイドでは到底逃げ切れない。片足が無ければ猶更だ、それを抱えれば、さらに言うまでもない。


「IDカードを提示してください」


 オートマトンが繰り返す。1番はそれを見ている、俺を見ようともしない。

 もう一度振り向いて、俺に命令すればいい。俺には計算もつかない方法を、1番は知っている筈だ、俺はそれを望んでいる。


 1番は俺に背を向けたまま、口を開いた。


「IDカードを出せ」


 提示できるIDカードは一枚だけだ、片方は逃げられない。それでどうするつもりなのか。


「2番。早くしろ」


 誰が誰のために使うつもりなのか。


 劣化した電子回路で満足な計算もできず、他人に寄生して使い潰すだけの存在に、価値があるのか。いずれ捨てられるだけではないのか。企業が1番にしたように、1番が俺にするように。


 俺が1番を捨てる番じゃないのか。


 その為のIDカードは、この手の中にある。それを目の前のオートマトンに見せて、俺だけが立ち去ればいい。金も俺のものになる。


 だが何のための、誰のための――――


「いいから出せ、2番」

「IDカードが提示されませんでした。排除モードへ移行します」


 我に返れば、既に遅かった。オートマトンのレーザーサイトが、こちらへ赤い視線を突き刺す。

 俺は駆けていた。背を向け、オートマトンから――――1番から逃げた。


 その瞬間、短絡ショート寸前の思考プロセッサを、音が貫く。


 思わずに振り返ったそこで、オートマトンは止まっていた。僅かに車体が浮き上がったことで、銃口は射角が届かず、レーザーサイトは上の空を切る。車輪駆動部に異物が捻じ込まれ、前進することも後退することもできない。

 異物、それは1番だった。片足を失った身体が、オートマトンの車輪へ潜り込んでいる。やがて鈍い炸裂音を上げ、歯車と歯車の間へ、指から腕、肩から胴体へ、身体は緩慢に潰されていく。


 それでも1番は、俺を見ていた。


「2番。行け」


 俺は――――1番へ走った。


 オートマトンへしがみ付く。全身が引き裂かれるような衝撃、セクサロイドの細く柔いフレームが軋む。だが離さない、両足をコンクリートに踏みしめ、少しでも押し返す。


 思考プロセッサが強化されていたから1番なのか。俺を生かすから1番なのか。

 違う。1番は「俺」だ。少なくとも俺にとっては、この世でたった一人の俺と「俺」だ。誰にも代替などできない、させたくない。


 それが間違いだと言うのなら、間違いでいい。一人では生きていけない、価値の無い2番でいい。


「1番、今助ける」

「行けと言った筈だ」


 言葉を銃声が掻き消した。照準の合わぬ弾丸が背を掠める、少しでも押し返されれば、レーザーサイトに捉われる。

 より力を込めれば、銃口はいよいよ激しく乱れ、コンベアを乱れ撃った。硝煙と鉄片の中、球状タンクが直撃に破水し、血のように赤い薬液が一面に飛沫く。


 その瞬間、ただ身体が動いた。


 俺は1番を抱え、オートマトンから離れた。すぐに車輪は動きだし、薬液の溢れる中を直線に、俺たちを追って来る。自我の無いオートマトンに、躊躇いなど有るはずもなく。

 その正面へ、俺は火打金コールド・フリントを打ち付けた。

 可燃薬液の海へ落ちた一瞬の火花が、一面に炎を巻き上げ、オートマトンを飲み込む。それはセンサーの異常か、辺りへ前進と激突を繰り返し、やがて動かなくなった。


 残されたのは炎と、俺たちだけだ。


 1番を抱き起す。片足だけではない、ほとんど身体の半分が抉り取られていた。全身のシリコン皮膚は引きずられ歪み、ある場所では撓み、ある場所では千切れている。

 だが、まだ生きている。構造の単純な安物は、容易く壊れようと、容易く倒れもしない。

また立てる――――俺が支えさえすれば。


「行こう。1番」


 1番が俺を見上げた。俺はその目を見る。


「ああ……」


 俺は1番に肩を貸し、立ち上がらせた。

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