4-5

 広く吹き抜けに空があった。深い海碧青コバルトブルー一色、そこに雲は無く、天頂に陽光が輝く。ニューヨコハマの、ビル群に裂かれ雨水に滲む空とは、決定的に違った。ここが遠くオールドトーキョーにせよ、ニューヨコハマの一部には違いない。にも関わらず、企業ここには空がある。


 フロアの殆どはガラス張りだった。一面に暖色の光が満ち、影と言う影を追いやる、その外で有機質の植物が、青々と茂っていた。「太陽」「草」「花」、どれをとっても1番が持っていた本の中だけの存在が、ガラス一枚越し、今俺の目の前にある。

 だが、行き交う誰も足を止めない。四方を囲う草花にも、下層を流れる噴水の形にも、それが当たり前であるように目を留めない。ただ広いオフィス・フロアを、風の代わりに人が流れる。


 その間を、ふと縫って閃いたものがあった。曲線の軌跡を宙に描き、重力など案ずることなくこちらへ近づいてくる。1番が言っていた、これは「鳥」だ。ドローンの回転翼とも異なる小さな羽、金属音とも違うか細い鳴き声、いずれもを小刻みに震わせ、鳥はどのようにか空中に留まっている。

 手を伸ばすと、鳥はさらに近づいてきた。距離を測るように周ると、軽く俺の指を噛む――――ことはない。

 姿が揺らめき、空気が電離する、空間投影されたホログラムだ。


 だとすればこの太陽の光も、草花と空の青さも、全てホログラムに過ぎないのか。それだけのために、どれだけの金と電力を動かしているのか。それが一体何の役に立つのか。

 処理能力を超過したプロセッサが、不意によろめいた。その時、肩と肩がぶつかり、俺は頭から倒れる。

 廊下に転び、周囲の視線が集まった。俺は変装しているに過ぎない、目立つのはまずかった。すぐに立ち上がる。

 企業見学に来たのではない、1番のためにここにいる。人の波に紛れ、警備室へ歩き出そうとした。


 その手が掴まれる。


「あれ」


 振り返った場所にいたのは、スーツオフィサーだった。華奢な体躯、男か女かも一目にはわからない、気怠げな笑み。便宜上女と判断されたそれは、音も無く軽やかに口を開いた。


「久しぶり。しばらく見てなかったから、辞めちゃったかと思ったよ」

「ああ……」

「ま、この会社広いもんね。また会えてうれしいよ」


 曖昧に相槌を打つ。

 何かがおかしい。


「どうしたの。僕のこと忘れちゃった?」

「いや……」


 俺は女を知らない。だが女は俺を知っている。

 俺でない俺を。


「でもよく戻ってこれたね。人事にお願いした?」


 女は一方的に続ける。低く、しかし途切れなく続く言葉は、相槌さえ打てば勝手に進んだ。


「だって君、お気に入りじゃない。工場雑用から生産監督なんてさ。あ、やっぱりセクサロイドだから……」

「『元』だ」

「や、冗談だよ」


 生産監督。人を使う側だ。

 1番に違いない。


「で、どう処理したの。あの事故」

「事故?」

「ほら、何年か前のさ、工場が爆発したやつ」


 いや。1番なのか。


「薬品の管理ミスで、おまけに鎮火も失敗してさ。君ってば、責任取らされる前に逃げてなかった?」


 1番の筈がない。


 元セクサロイドと言う肩書以外、俺には何も無かった。金も、住む場所も、力も、一年前に全て奪われた。その全てを1番が与えてくれた。1番が俺を拾い、手足として使ってくれた。


 使う側であっても、使い捨てる側である筈がない。


「そんな顔しないでよ。別に責めてるわけじゃない」


 女は薄く笑みを湛えたまま、流暢に続けた。


「作業員なんてさ、いくらでも替えが効くだろ。上だってそのつもりで雇ってる。損害で頭は痛かったろうけど、それ以外は痛くも痒くもない」

「そうなのか」

「寧ろ何の役にも立たない代替可能な他人を、抱え込んでやる理由があるかな。使い捨てる以外に」


 見つからない。


 足手まといにしかならない下位互換に等しい同型機を、敢えて保護し訓練してきた理由。それは一つしか見つからなかった。

 それは俺の電子頭脳が、初期不良を抱えたままだからなのか。1番なら見つけられるのか。


 或いは、不要なのか。


「ま、誰でも自分は大切だろ。それでいいじゃないか」


 そこで女は手を放し、離れていく。

 話は終わっていない。だがどう聞けばいいのか、追いかけた指は空を切った。


「僕もクビになりたくないし、仕事に戻るよ。じゃ」


 往来の彼方へ、すぐに女は見えなくなった。

 人の流れが留まることはない。俺もまた、歩けと駆られる。

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