4-2

 コンクリート四方の密室には、窓も鉄格子も無かった。全てが止まって聞こえる。暗闇を注いだ底、雨音さえ届かず、身じろぎの一つも飲まれては消えた。

 目に映るのも同じだった。卓上スタンドの白熱灯、その光は一方的で、移ろわない。照らされる側と照らす側、俺の前には男がいた。


「お前がやった」


 前時代的な体格を丸めて動かしもせず、声だけを響かせる。男は腕を組んで繰り返した。


「お前がやった。そうだろう」


 頷くことも、言葉を返すこともできない。唇は金具に固定され、口内端子にケーブルが刺さっていた。

 最も、男は何も求めない。


「企業への不法侵入及び窃盗。倉庫のカメラにお前が映っている。首元の製造番号も確かめさせてもらった」


 もう一人、女がこちらに近づいて、金具とケーブルを抜いた。端子部に触れた指越しに、静電気が痛みを走らせる。


「データ取得完了。2149年12月4日、再生します」

「今からお前の記憶データを見る。セクサロイドには――――」

「『元』だ」

「偽りようが無い。素人の偽造記憶特有の歪みは、解析ですぐにわかる」


 男が机に置いたのは、ポータブルサーバーの端末だ。記憶通り見たままの光景が、映像としてそこに読み込まれている。


「企業政府の情報特務部と同じことを、お前ができると言うのなら別だが。これはアリバイだ、決定的な証拠――――」


 そこで、男は絶句した。

 端末に映ったのは、カワサキ・ブロックの荒涼だった。排水河川の氾濫する岸辺、野生化した合成葦の茂る中、それを踏み、掻き分ける音だけが続く。ガラクタを拾うのに屈めば、視界の端のホームレスが、こちらを虚無的に見ていた。


「何故別のアリバイがある」

「知らないな」

「企業の倉庫にいたはずだ。この時間、間違いなくお前が。待て……」


 男は立ち上がり、壁の固定電話を取った。だがそのまま何の音も発さず、やがて受話器を戻す。女と顔を見合わせると、小声で何かを話した。


「手配書に似ている。シンタカシマのやつだ」

「そうでしょうか」

「だが繋がらん。あの爺、肝心な時に……仕方ない、もういい」


 男は首を横に振り、椅子にもたれかかった。

 女が俺を立たせ、留置所から廊下へと歩かせる。レンズを馴らす猶予も無く叩き出された外は、半日前と同じ雨だった。

 警察署内へ戻ろうとする女へ、俺は口を開いた。


「返せ」

「はい?」

「防水コートだ。押収された」

「管轄外ですね。ま、何とかなりますって」


 扉が閉められた。後に立つのは俺と、守衛の視線だけだ。その警棒の黒さと熱から逃れるには、重酸性雨の下へ出るしかない。


 裏路地に入り、違法増築群の競り出す下を歩く。雨は遮られる、だが気休めだ。回路的に入り組んだ道は行くほどに細く狭まり、風は強く鋭角を増す。吹き付ける雨、爛れたシリコン、切りつける音までもが、何もかも風に流される。

 防水コートが必要だった。そのためには金がいる、金を稼ぐにはバッテリー電力、そして時間がいる。全てが俺には無い。


 どうしてこうなったのか。


 ふとした疑問だった。運命論を問うつもりはない、問うだけのメモリも無い。ただ純然にわからなかった。

 何故俺はカワサキにいたのか。河川敷でガラクタ拾いをしたことは覚えている。それからこの都心部まで戻ったところを、警察に連行された。だが、カワサキに行くまでが何も思い出せない。何故ガラクタを、敢えて遠く離れた場所で漁ったのか。辿った思考は切り立って見えず、電力を浪費するだけだ。


 考えることをやめようとした、その時だった。


 視界に影が過ぎる。街灯の無い闇の中、僅かに雨水が瞬く隙間に、防水コートの輪郭が浮く。

 影は近づいてくる。一山いくらの元セクサロイドが、それほど珍しいのか。機械の手が俺の手を取り、二枚目の防水コートと、携帯バッテリーとを黙って握らせる。労働者に対しての押し売り《ネガティブオプション》、聞かない話ではない。受け取った次の瞬間には、銃口と法外な価格とが待っているかもしれない。

 だがいずれにせよ、金の無い俺に選択肢も無い。バッテリーを手に取り、口内端子へ繋いだ。


 その瞬間、視界が歪む。


 バッテリー給電に偽装した、悪性プログラムだ。全てのプロセッサから俺の意志が引き剥がされ、身体は崩れ落ちる。動的静的を問わず、メモリがビット単位に書き換わっていく。俺が俺でなくなっていく。


 強制的に、俺は――――全て思い出した。


 一度死ぬのと変わらないこの感覚、何度経験しようと慣れない、だがこれが俺にできる仕事だ。

 偽造記憶には特有の歪みが出る。ならば記憶を消した俺が別行動を取り、現実に存在するアリバイを作ればいい。


 その間に「俺」が標的を盗む。そして最後に、「俺」が俺の記憶を戻す。


「起きたか」


 影の手を取り立ち上がれば、防水コートの中に顔が見えた。忘れるはずもない、俺の顔だ。俺と全く同じ顔をした、もう一人の「俺」。

 「俺」は路地を歩き始めた。俺は防水コートを着て、その後をついていく。


「どうだった。1番」


 「俺」――――1番は、振り返って答えた。


「成功だ。2番」

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