04 1番と2番
4-1
「元」になった、その日も雨だった。
表通りから遠く路地裏に、クラブの裏口はあった。蛍光管のガス圧は、冷ややかな空気に揺らめいては明滅し、辺りの闇を余計に強める。そのせり出した屋根の下、俺はしゃがんでいた。
そこはあまりにも狭かった。風が唸る度、重酸性雨が横から吹き付けては、全身に浴びせられる。防水コートなしに歩くのと変わらない、シリコンの肌は爛れ、関節駆動系は火花を散らす。少しずつ緩慢に、生きながら身体が溶けていく。
だが、他のどこにも行けはしない。機械よりも機械染みたオーナーは、俺を叩き出した上で、裏口の鍵を閉めた。さらに右の眼球レンズは、認証IDを埋め込んだ貸与品だったために、取り上げられた。片目の視界は平面に潰れ、点と線の関係を失い、曖昧に重なっている。
目の前に広がるのは、暗闇だけだ。そこには踏み出せない。
視界の有無ではない、ベッド上でしか生きられないセクサロイドには、あまりにも世界は広すぎる。この蛍光灯の下から出た時、そこに何があるのか。バグまみれの電子回路で計算しようとは、今でさえ思えない。
だが一方でいずれこの雨は、シリコンの肌からフレームの骨を溶かし、電子回路を焼き尽くすだろう。ならば、いつ死ぬのか。回路上へ直接重酸性雨が降り注ぎ、記憶素子やニューロンプロセッサを溶かした時か。その何割が失われたとき、意識は消えるのか。半分か、八割か、或いは素子の一片まで残る限り、意識と苦痛が続くのか。どこまで俺は俺なのか。それが死なのか。
或いは、既に死んでいるのか。何も感じず、何もせず、静けさにただ一人佇むだけのセクサロイド。それは死体と、既に死んでいるのと変わらない。
そもそも初めから、生きていたのか。持って生まれた性能の差とバグは、どれだけ足掻こうと埋まらず、周囲のノルマに届くことは、ついに一度もなかった。それが生と呼べたのか。
その結論は、単一のコアプロセッサでさえも、簡単に導けた。ならばこの蛍光灯の下にいることだけが、唯一の正しさなのか。
俺は目を閉じようとした。
その時だった。視界に人の形が過ぎる。片目にわかるのはそれだけだ、纏う防水コートに雨が滲み、モザイクめいては輪郭さえ不確かに見える。ノイズの結んだ
だが少なくとも、影はそこにいる。こちらへ近づいてくる。一山いくらの元セクサロイドが、それほど珍しいのか。蛍光灯の下に、無表情の凝視が浮き出た。
「同じ?」
影はそう口にして、指を近づけた。
無機質な音が感触となって、俺の眼窩を走った。モジュール化された互換パーツが認識され、通電した視界が元の明確な線を結ぶ。
「同じだ」
蛍光管の薄明と、暗闇の静けさの境界で、影は俺の目の前に立っていた。耐酸性ビニルの防水コートの下、全てが確かに見える。
セクサロイドだ。それも一目で、簡素な安物とわかる。シリコンの肌は不自然なほどに白く、二本の脚は指先まで細い一方で、関節は剥き出しのままだ。その顔は人間を模しているが、プレス加工された黄金比と、無性タイプ特有の冷やかさに、仮面染みていた。何よりその全てを、無表情が塗り潰す。
同じだ。
「お前は誰だ」
「わからない」
セクサロイドと視線が交わる。そのレンズ表面に反射した姿と、全ては同じだった。
「俺か」
「『俺』だ」
そこに立っていたのは――――「俺」だった。
2148年12月。もう一年前になる。
俺は俺に――――「1番」に出会った。
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