3-4

「肉体を持つレプリカントとは違う。お前たち機械のアンドロイドは、自発的な成長をしない。決して想定以上に暴走することも無い」

「はい、ありません」

「だが同時に、想定以上の性能に至ることもあり得ない。それでは不十分だった、故に私はお前たちを作った」

「殺し屋として、あらゆる不確定環境で戦闘データを集めるためですね」

「個体が一度でも失敗した時点で廃棄し、次の個体を改良することで、疑似的に成長を再現する。私は繰り返した、理論殺害数三百人、一度の失敗も無くこれを達成する個体こそ、『完全』だと信じて」


 研究室の壁には、アンドロイドたちが並ぶ。その全員が、微細なボディの違いはあれど、私と同じ顔をしていた。人間の価値観で表現すれば、私の兄たちだった。


 だが、決定的に違う。私は生きているが、兄たちは動かない。全員の頭部のどこかに、醜い風穴があった。


 ブラスターの三発目。任務に失敗し、自決した証だ。


「はい。私たちは世代を重ね、改良されてきました。ですから……」

「だが、遅すぎた。一から電子工学を学び直し、不出来なアンドロイドに試行回数を重ね……時間をかけ過ぎた。全て間違いだった」


 何も言うことはできない。言う資格が無い。まだ目標の半分にも満たない、歴代の最高到達数でもない。研がれた爪が、手のひらに音を立てる。だが私自身を裂くことさえ、この爪にはできない。


 すると博士は、ふと鼻で笑った。だがそこには、何の力も感じられなかった。


「いや、違うか。私自身気づいていたのか。私の限界に」

「博士の……」

「蟻に死を予見し、受け入れることができるか? 遺伝子を超えた行動ができるか? 不完全なものに、完全なものが生み出せるか? できはしない。レプリカントが暴走したのは、私が不完全だったからだ」


 博士は一方的に続ける。


「アンドロイドを死なせては作り直す。こんな回りくどい方法は、逃避に過ぎない。改善に何の理論的アプローチも取らず、アトランダムな標的へと戦わせ、生き残れば成功、死ねば失敗とみなす。0と1、コインの表と裏のように。ナンセンスな、ただの運試しだ。私にできないことを偶然にさせようとした」

「それは――――」

「だがそうだ、世界は偶然に成り立っている。この私の知性は、どこから来た? 生得的な遺伝子と、相続的な財力に依るものだ。それらを私は、何も失わずに手に入れたに過ぎない。ならば同じことだ、手に入るもの、手に入らないもの、それらは生まれ落ちた遺伝子と環境とで決定される。即ち……本質的には……偶然に。決して人と理性の及ばない領域に」


 酸素マスクの中で、博士は反吐交じりにせき込んだ。それでも止まりはしない。


「結論を言う。初めからお前には期待などしていなかった。『完全』など、もういい。どことなりとも勝手に行け」


 だが少なくとも――――その時その瞬間その眼は、私を見ていた。


「誰が雨を、他人を支配できる? できはしない……」

「します」


 口を開くと、博士の閉じかけていた眼が僅かに開いた。


「重酸性雨が降るならば、耐えうるボディを持ちましょう。他者が立ちはだかるのならば、殺しましょう。私はそのように作られました、『完全』になるために」

「お前とその兄に死を強いて、身体を奪おうとする私のためにか」

「はい」

「私が間違っているとは思わないのか」

「思いません」


 博士を見て続ける。


「私は殺し屋です、だからこそわかります。死は理不尽で、惨めで、嘆かわしく、不名誉なものだと。どんな標的も最後には、恐怖と苦痛に絶望し、死んでいきました。私は醜い死を憎みます、そしてそれに抗う力を与えてくださったことに、博士、私は感謝しています」

「感謝だと」

「死とは敗北です。しかし矛盾のない理論の上で、何にも負けない『完全』な存在は、この世に一人しかありえない。私がそのたった一人『完全』になれるのなら……身体だけでも不滅なら……近似値、代替品に過ぎないとしても……私は幸福です。あなたのために戦い、この身体を捧げます」


 私はレプリカントではない。だが鋭く研がれたフレームを持ち、どんな場所にも這い登ることができる。ブラスターはどんな装甲も貫く。ステルス迷彩も使える。誰にも負けはしない。


 それこそ全生物が願ってやまず、しかし決して届かない、私だけに許された幸福だ。無敵、不滅、「完全」、そのための身体を与えてくれた博士に、喜んで全てを捧げる。

 だが、博士は笑ってはくれなかった。

 天井を見ている。じっと静かに、身じろぎもせず、無表情だった。


「そうか……私は……」


 カプセルの駆動音に掻き消されるほどに、その声はひどく小さかった。喉ではなく息だけで、博士は唇に発音した。


「『完全』とは、なんだろうな」


 突然、博士は強く咳き込んだ。身体を横たえていられず、外れかける酸素マスクを無理に抑える。カプセルからは警報が鳴っていた。

 程なくマスクから薬剤吸入が始まり、博士は全身を弛緩させた。その眼も、深く深く閉じられていく。

 声だけが続いた。


「まもなく、私は昏睡状態に入るだろう。だが万一お前が壊れても、自動装置が修復するか、新しい個体を生み出す。私が持つかは別だが」

「博士、私は間に合わせます」


 反射的に言って、続く言葉に迷う。言うべきではないかもしれない、だが言いたかった。


「ですがそれまで、代替のボディを使っては如何でしょうか。お体が持たなくなる前に、意識を保存しては」

「いや、いい。もういい、疲れた」


 うわごとのように博士は繰り返した。


「あとは任せる。意識を移すタイミングは、理論上は三百人だが、したいときにすればいい」

「したいときに、ですか」

「もう十分だと思うのなら、二百人で止めろ。足りないと思うのなら、千人でも殺せ。或いはしたくなくなったのなら、しなければいい」


 それを判断するのは、博士の役割だ。私はその道具に過ぎない。しかし異論を挟む余地もなく、博士は続けた。


「全て好きにしろ。だが……三発目は、撃つな……できれば」


 言葉が止まると同時に、蛍光色の電解液がカプセルに満ちていった。博士はその中に沈み、何も語らなくなる。

 研究室に響くのは、心音グラフの微弱なパルスだけになった。


 そうして博士が眠り始めてからも、殺し続けた。


 今日で二百九十九人目。

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