03 頭蓋割り人形

3-1

 夏と冬、ニューヨコハマには微々たる違いだ。重酸性雨が太陽を覆うならば、冷たいか、より冷たいか、それだけが季節の意味となる。厳しさとまた別の厳しさに過ぎない、氷、雪、霜、冬に留まっていたあらゆるものが、夏には溶け、それら全てが雨となり、降り注ぐ水嵩を増す。

 高層ビル群の断崖絶壁を、風が鳴り響く。鉄筋が構造レベルに軋み、悲鳴染みて唸った。だがそびえ立ったビルそのものは、アスファルト上から動くことはない。


 そのようなビルの一つ、最上階に部屋はあった。社長室だ、暖かな空気と光の中に、天然木材の分厚いデスクが置かれる。複層ガラス張りの一面が、雨交じりの外気を遮断して、室温を保っていた。


 だがその表層には、音も無く結露が生じては、窓枠へ流れていく。溢れかえり、絨毯にまで染みていく様は、雨が降り注ぐのと変わらない。


 そんなガラスを背に、男が身を縮めている。縦には小さく、横にはでっぷりと油が滲むのを、スーツの切り取りに収めている。

 隣には、物々しい体格のアンドロイドがいた。男が立とうとすると、アンドロイドがその肩を抑える。


「社長、そこにいてください」

「やめないか」


 男は声を荒げるが、アンドロイドは意に介さない。


「あなたは命を狙われている。それがわかっていますか」

「わかっている」


 男は不貞腐れ、椅子に身を沈めた。指先を押し付けるように卓上のデバイスを叩く。

 そこにアンドロイドの写真が映った。隣の護衛ではない、全く別のアンドロイドだ。


「知っているだろう」

「知っています。アンドロイドの殺し屋」


 写真のアンドロイドには、人間を模倣する一切が無い。シリコンの肌や筋肉を持たず、冷鉄色スティールブルーのフレームが骸骨のように剥き出しになっている。人に似た形さえしているが、その構造は人体からかけ離れ、複数のフレームが複雑な曲線に交わり、一つの腕や足を構成する。無機的にして有機的、或いは硬く、それでいてしなやかなシルエット。


「依頼遂行率、百パーセント」


 男の声は舌を動かす度に震え、覚束なくなっていく。しかし耐えかねるように、舌はさらに動く。


「一丁のブラスター拳銃に、たった三発の弾しか込めない」

「一発は護衛に、一発は標的に、常に眉間を一撃に仕留める『頭蓋割り』」

「だが最後の一発は、決して撃たない」

「失敗した最期に、自殺するための弾丸……でしたか」


 男は蒼白に天井を見上げた。既に力は無く、死体と見分けはつかない。それを見たアンドロイドは、肩を竦め立ち上がった。


「わかりました。酒なら、自分が取ります」


 棚の酒瓶を取りに、アンドロイドは男から離れた。


 その瞬間、外壁に張り付いていた私は、ガラス張りを叩き割った。気圧差から吹き込む風に乗じて部屋の奥へ飛び込み、一瞬に引き金を引く。眉間に一発、ブラスターが決定的な音を響かせ、アンドロイドは崩れ落ちた。

 激しい運動に描画飽和が起き、体表のステルス迷彩が解除される。それに伴う電離した酸素の燃焼と共に、私は姿を表した。

 同時に男は、椅子から崩れ落ちる。


「頭蓋割り!」


 男は口から不明瞭な呻きと泡を漏らし、視線は定まらない。床を這い逃れようとするが、その先すら見ていない。扉と反対、割れたガラス窓の方へ転がり、気づけば外へと身を投げた。


「それは困る」


 私は即座に追いついた。空中の男の首を片手で掴み上げ、白目を剥くその眉間に、ブラスターの銃口を当てがう。


「完璧に、完全に」


 ブラスターの引き金は軽い。反動も同じだ。決してぶれることはなく、正しい一点を貫いた。

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