第5話

「んで、話ってなんだよ」


 俺と美桜さんは神社に続いていく石段に座り、木陰で涼みながら缶ジュースを飲んでいた。俺が急ぐ彼女を「ちょっと話しておきたいことがあるんだけど」と引き留めたのだ。そして俺は、先程異空間ではない別の場所に飛ばされたこと。そこで起こった事を説明した。

彼女は無言でそれを聞いていたが、食べられたらこの世界に戻ってきたことを説明すると「ちょ、あんた食べられたの!?」と驚きの声を上げる。


「ま、まあ……幸いケガとかもないみたいだし、あの化け物に食われてもこっちの世界に戻るだけっていうか」


 そう言うと、美桜さんは深い溜息をついた。


「まあでも、あいつに食われても問題ない……いや問題はあるけど、食われても死なないってわかっただけでも大きな収穫か。てか、そこであたしを見たっていうのはまじ?」


 俺が頷くと、彼女は複雑そうな表情で缶ジュースを1口飲んだ。


「多分それって」

「ああ。十中八九、もともとこの世界にいたあたしだな」


 やっぱり、と心の中で思う。あそこにいた彼女は今ここで俺と話している彼女とは性格が明らかに違った。


「『帰りたくない』……か」


 彼女はそう呟いて、嘲るかのような薄ら笑みをこぼす。


「もしかして、心当たりがあるのか?」

「ある。というかこれ以外に思いつかねーよ」


 彼女の声のトーンが1つ下がる。

 冷たい風が、ヒュウ、と俺たちの間を吹き抜けた。


「向こうの世界には、

「……!」


 点と点が繋がっていくような感覚がした。

 この世界Aの美桜さんの両親は死んでいて、世界Bの美桜さんの両親は生きている。

 自分の大切な人がいる世界と、いない世界。

 そう考えてみれば、確かに『帰りたくない』とが言ったのも頷ける。そう言いたくなる気持ちも痛いほど分かる。


「ここからはあたしの考えだけど、あの化け物は、もう1人のあたしの気持ちなんじゃないかなって思うんだ」

「……というと?」

「要は、帰りたくないっていう強い思いが具現化してあの化け物になったんじゃないかってことだよ。多分あたしがあの空間に干渉する度に、もう1人ののあたしもあの空間に同時に飛ばされている。だから、彼女の強い思いが化け物になって元の世界のあたしを拒み続けてるっていう」


 でもさ、と言って彼女は石段にもたれかかった。


「正直言ってくそ迷惑。こっちはこの世界にうんざりしてるっての」

「……」


 何とも言えない感じがして、俺は言葉を返すことができなかった。

 どちらの気持ちもわかる。元の世界に帰りたい。その気持ちは普通だし、当たり前だ。けれどが帰りたくないという気持ちが出てくるのもまた普通なのではないか。

 美桜さんは俺が何も返答しないのを見て、「だから」と言葉を続けてゆっくりと立ち上がった。


「あたしは、元の世界に……帰りたい」


 美桜さんは俺の目をまっすぐ見て、はっきりとそう言った。手伝え、とは言われていない。でも、なんだか無性に、そうしなければならないような気がした。


 彼女は、強い。

 自分の意志が、帰りたいという強い思いが彼女を強く突き動かしている。

 悔しいけれど、その意志に納得してしまう自分がいる。当然だと思う自分がいる。

 そして同時に、心苦しくもなる。


「……君は。君は、この世界の君に、なんて言うつもりなの?」

「?どういう意味だよ」


 気が付いたときには、その疑問を口にしていた

 これを聞けば、この心苦しさが取り除ける。

 不思議と、そんなことを思っていた。


「向こうの世界の美桜さんが、この世界の君を拒むのは目に見えてる。だって、そうだろ?本来ここでは死んでいる自分の大好きな両親が、偶然来てしまった別の世界では生きていた。しかも自分は今、。もちろん、美桜さんの考えは当然だと思うし当たり前だ。けれど、もう1人の美桜さんもその世界に残りたいとは絶対に思ってるはずだ。そこを、どうやって説得するの?」


 俺はそこまで一息に言うと、ふうと息をついた。

 彼女は俺の言葉を聞いて、「ああー……」と言って考え込む素振りをする。

 そしてしばらくの沈黙の後、彼女は「これはさっき考えたことなんだけど」と言って頭を搔いた。


「やっぱりさ、人って誰でも死にたくなるほどつらくなる時ってあると思う。今回だと『大切な人が死ぬ』、とかかな。苦しいし、悲しいし、現実から目を逸らしたくなる。んで、もしあたしがもう1人のあたし立場に立ったら間違いなくその世界に留まりたくなる自信があるよ」


 彼女はそう言って苦笑い浮かべる。けれど、「でも」と続けた。


「やっぱり、自分自身が向き合わなくちゃいけないことってあると思うんだ。どんなにつらくても、受け入れないといけない現実は波のように押し寄せてくる。けどその現実から逃げてたらさ、なんて言うのかな。。そういうの、あたしは嫌だ」


 自分が自分であることを拒む、と俺は心の中で反芻した。


「自分の人生は自分だけのもの。振ってかかる困難も全部、あたしの人生の一部なんだ。だから、理由は何であれ、それを遠ざけるようなことはしたくない。自分が自分でいるはずの人生を少しでも切り捨てるような真似はしたくないし……もう1人のあたしにもそんなことしてほしいとは思わない。だって、同じ美桜綾音でも、1


 彼女はそう言い切ると、改めて俺の目を見つめる。


「……」


 ああ、そうだ。そうだよな。

 彼女の言葉の1つ1つが、心のもやりを静かに取っていく。

 なにかが、ストンと落ちた気がした。


「……ダサいな、俺」と小さく呟やく。俺はすっかり結露した缶ジュースをグイっと飲み干して、立ち上がった。


「わかった、ありがとう」


 そう言うと、彼女は一瞬目を丸くした。そして、ぷっと軽く噴き出す。


「お礼言われる意味が分かんないんだけど?」

「喝入れてくれてありがとうって意味」

「なにそれ、意味わかんない」


 俺はそんな言葉を交わしてから、神社の鳥居を見上げる。

 雲ひとつない青空から降り注ぐ太陽の光が、木々の隙間から差し込んでいる。

 バサバサ、と2羽の鳥が高く飛んで行った。

 今まで日和ってた心は、消えた。

 大丈夫。迷いはもう、消えている。

 

 ★


 オオオオオオオ!


「じゃあ、よろしく」

「ああ」


 俺は頷くと、彼女に背を向けて走り出した。

 俺が囮で、彼女がその間にを探し出す。

 あの化け物が来たということは、少なくともあの家の空間はここのホテルのような空間と同じ空間にあるということだ。

 このたくさんあるドアのどこかで、きっとどこかがあの空間と繋がっているはず。

 と、真隣の壁が大きく軋んだ。

 来る。

 俺は咄嗟に前に大きく1歩を踏み出した。


 ドガアアアアン!!


 俺が前に転がり出た1拍後、あの化け物が壁を突き破って襲い掛かってきた。


「くっ!」


 俺は曲がり角を曲がり、全速力で走った。

 せっかく決意したのに、あっさり食べられるのはごめんだ。俺は頭の中で彼女の書いた地図を思い出しながら、全力で走った。

後ろからの恐ろしい圧にヒヤヒヤしながらも、しばらくして俺は何とか目的の場所に辿り着く。

 行きついた先には、逃げ場はなかった。行き止まりだ。

 俺は肩で息をしながら壁を背に向け、化け物と相対あいたいする。

 獲物には逃げ場がない──

 そう悟ったのか、化け物は走るのをやめて、目を光らせながらゆっくりと俺に近づいてくる。

俺は肩で息をする。

彼女のおかげで、前を向けた。日和っていた今までの自分を捨てることができた。

 俺は化け物を睨めつけながら静かに息を吸い込んだ。

 

「なあ、化け物。いや、化け物じゃないか……」


 化け物の鋭い眼光を、真正面から見つめ返す。


1、って言う方が正しいか?」


 その言葉に、化け物はピクリと反応した。その反応から、予想が確信に変わる。これを確認しておかなければ、まずこの言葉は届かないので、少し安心する。

しかし俺はすぐに気持ちを切り替え、フゥ、と息を吐く。


「そうだとしたら、まず言わせて欲しい」


改めて、化け物の瞳を見つめる。

化け物が、黙れと言うやうに低く唸った。けど、それで、はいそうですかと言って引き下がれない。俺は、これをお前に言わないといけないのだから。


「今まで、逃げたりしてごめん」


俺は、そう言って頭を下げた。

それは、自分の今までの愚行に対する謝罪だった。

化け物は何も答えない。それでも、俺は続けた。


「俺は、この世界に来て、ずっとお前のことを考えないで自分の目先の事だけ考えて過ごしてきた。だから、自分とじっくり向き合うことなんてしなかった。……だから、ごめん」


化け物は唸り、目を細めた。

ああ、この化け物は俺がこれから言おうとしてることもお見通しなのかもしれないな。なんとなく、そんな気がした。


「それで、さ。お前には悪いかもしれないけどさ……我儘わがまま、1つだけ聞いて欲しい。図々しいのはわかってるけど、でもそれが終わったらもう一度ちゃんとここに来るから」


ぎゅっと拳を握りしめる。

これだけは、せめて。


「俺は──に──……」


 ☆


「絶対、ここだ」


 ドアをしらみつぶしに開けまわっていたあたしは、とあるドアの前で立ち止まった。

 このドアだけ、ほかの板チョコみたいな色をしたドアとは明らかに模様が違う。灰色の金属でできた、洋風の扉。それに、このドアはあたしもよく知っている。なんて言ったって、あたしが昔住んでいた家の扉と全く同じなんだから。

 ドアノブに手をかけ、ゆっくりと手前に引く。

 てっきり閉まっていると思ったが、違うようだ。

 重いドアを開けて、私は中に体を滑り込ませる。ガチャリ、とドアが音を立てて閉まった。


「っ……!」


 やっぱり、昔あたしが住んでいた家だ。電気はすべて落ちていて薄暗かったが、見間違えるわけがない。

 玄関の下駄箱の上に置いてあるミニサイズの観葉植物。

 少し香りが強めの消臭剤の匂い。

 洋風の家に似合わない、和風デザインが施された電灯。

 幼いころに油性ペンで汚した壁紙。

 懐かしさに思わず目が潤んだが、首を振り、気持ちを切り替え、2階へ続く階段へと目を向ける。

 彼によれば、2階へ上がったすぐの部屋にもう1人のあたしがいたという。私は靴を脱いで廊下に足を踏み入れる。そして、ギシ、ギシ、と廊下を進み階段を上がった。

 階段を上って2階へ上がると、彼の言った通り部屋があった。


(やっぱり、あたしの部屋だ)


 もう1人のあたしが、この扉の向こう側の部屋にいる。もしかするといないかもしれないけれど。

 でも、大丈夫。

 


 あたしは確かな確信を持って、部屋の扉を開いた。

 懐かしい部屋の匂いがあたしの鼻をくすぐった。


「ひっ……!」


 あたしが部屋の中に入ると同時にそんな声が聞こえた。

 ベッドの向こう側に、誰かいる。あたしは息を吸い込んだ。


「美桜綾音!」


 胸の動悸を押さえつけながら、あたしはあたしの名前を呼ぶ。

 ベッドのそばで体操座りでうずくまっていた人影は、びくりと肩を震わせた。


「……」


 そして恐る恐るといった様子でこちらを振り向く。

 ああ、やっぱりいた。

 紛れもない、1






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