第4話
「美桜、さん?確か学校に向かったはずじゃ」
今、目の前には美桜さんがいる。だが、昼に会った美桜さんとはどこか違う。
見た目こそ彼女そのものだが、俺を見る目は怯えているし、顔には疲れが溜まっているようにも見える。
もっと彼女に近づこうと、1歩踏みだす。
が。
「来ないで!」
「!?」
彼女はバッとその場にしゃがみこんだ。彼女は俺に怯えるように小さく体を震わせていた。
俺の知ってる美桜さんとは、何かが違う。
「ご、ごめん。でも、ちょっと話が──」
「私があなたと話すことなんて何も無い!今すぐ出て行って!私は……帰りたくない!!」
グルオオオオオオ!!!
「!?」
美桜さんの金切り声を合図に、化け物の咆哮が家中に響き渡る。ゴゴゴ、とまるで地震かのように家全体が揺れている。
俺はバランスを崩しその場に倒れ込んだ。
そして天井が激しく軋んだかと思うと、突然目の前で崩壊する。あの化け物が俺を目掛けて天井突き破ってきたのだ。
「っ……!!」
ルオオオオオオ!
化け物が俺を呑みこまんと鋭い牙を突き立てた。
まずい、食われる。俺は咄嗟の判断で後ろへと転がった。続けて、ドンという強い衝撃波。俺はあっけなく吹き飛ばされ、部屋の壁に叩きつけられる。
初めて味わう感触に、思わず呻き声が漏れた。頭がちかちかする。背中に激痛が走る。
ぼんやりとした意識の中、彼女の声だけがはっきりと耳に届く。
「嫌だ、嫌だ、帰りたくない。私はこの世界がいいんだ……!」
化け物の目がギロリと俺を捉える。そして怒号を上げ俺に飛び掛かった。
痛みを感じることもなく、俺は化け物へと吞まれる。
『帰りたい』
意識が朦朧としている中、その一言が脳内に響き渡る。
誰だ、誰の声だ。分からない。思考が回らない。
でも、なんだ。
俺は大事なことに、気づいていないような──
★
「ん」
パチリと目が覚める。目の前には青空が広がっていて、セミがけたたましく鳴いている。帰ってきたのか。
俺は頭に付いた土を払い落しながら半身を起こす。念のためスマホを確認してみたが、特に傷はなかった。時間は俺がここに来た「13:32」のままだ。
『帰りたくない!』
彼女はそう言った。でも本当にあれは美桜さんなのか?
「まあ、本人に聞いてみるのが先だよな」
あれこれ考えるよりその方が早い──
俺は立ち上がり、高校へと向かうことにする。
『帰りたい』
高校へ向かう最中。美桜さんの言葉よりその一言の方がより強く、俺の心に引っ掛かっていた。
★
学校に着き、下駄箱で靴を履き替えて教室に行く。階段を上がっていくと、教室の方からはなにやら声が聞こえる。作業をしているようだ。内容は聞き取れないが、何か喋っているのは分かる。
教室の前に着いて、引き戸に手をかける。どこか疎外感を感じながらも俺はガラガラと戸を開けた。
パン!
頬を
「ちょっと、急になにすんの」
教室の窓側で美桜さんと女子生徒が立っていた。女子生徒は右頬を抑え、美桜さんを睨めつけている。美桜さんはこちらに背を向けていたため表情は見えなかったが、背中から怒りのオーラが滲み出ている。クラスの中が凍り付いていた。
「何じゃねえよ。人の悪口言って楽しいのか?」
「はあ?あんたのことじゃないし。関係ないでしょ」
「にしても限度があるだろ。『きもい』とか『存在がうざい』とか。聞いててこっちがイライラする」
彼女はそう吐き捨てる。会話の内容からすると、どうやらあの女子生徒が彼女の心を逆撫でするような発言をしたらしい。
「別に人のことどう思おうが勝手だけどさ、そういうのは口に出すもんじゃねえよ」
彼女の怒気をはらんだ声に女子生徒は若干怯んだように見えた。
「……ちっ」
やがて何も言い返さない女子生徒にしびれを切らし、美桜さんは傍にあったバッグを掴み教室を出ていこうとこちらを振り向く。
彼女は入口に立っている俺に気付いて若干気まずそうな顔をしたが、入口までそのまま歩いてくる。
「えっと」
「……今日は1人にして」
彼女は俺の前まで来てそう呟くと、そのまま歩き去ってしまった。
彼女が去った教室には重い空気が残っていた。しかしやがて、クラスのムードメーカー的な存在が何とか場を和ませようと皆に声をかける。そのおかげで張り詰めていたクラスの空気は弛緩し、皆それぞれの作業に戻り始める。
俺はその空気が居心地悪く、30分ほど作業をしてから静かに教室を後にした。
☆
「ばっかみたい」
後日。あたしは太陽の熱を吸い込んでグリルみたいになったアスファルトの上をトボトボと歩いていた。左側には住宅街。右側には用水路を挟んで田んぼがあり、そこに植えられた稲の葉が風に揺らされて、少し強めに波打っていた。
手を出すつもりなんてなかった。この世界の本来のあたしはあんなじゃないのに。臆病で、ひ
「教室で何があったんだよ」
隣ではあたしの事情を知っている彼が、心配そうな顔でこちらを見ている。本当の自分を彼に見せ始めてから、すぐボロが出るなんて思ってもなかった。別に彼のせいではないが、少しイラっとした。
「悪口言ってるやつがいた。だからキレた」
「まさか、それでビンタ?」
「悪い?」
「うーん、キレるのは良い。でもビンタは良くない」
「……」
正論だ。だから、またイラっとする。あたしは顔を
「どこ行くの?」
「神社」
あたしはそう答えて歩みを進める。
彼は良いのだろうか。悪口を言われて、なんとも思わないのだろうか。きっと彼もこのことに気付いている。気付いたうえで、あえて気付いていないふりをしているのだ。あたしには分からない。理解できない。だから、腹が立つ。
セミの鳴き声にむかつく。夏の暑さにむかつく。クラスのやつにむかつく。
冷静さを保てない自分にむかつく。
自分ではない、他人としてふるまわないといけないことに、むかつく。
あたしは心の中で溜息をつく。
たとえ同じ自分だとしても、この世界の自分にはなれない。
どこまでいっても、結局、あたしはあたしで他人は他人なのだ。
あたしはまっすぐと道の先を見つめる。家の庭に植えられたひまわりの花が太陽を追うように上を向いている。
早く帰りたい。
帰って、それで、家族に会いたい。
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