第2話

 翌日。俺は寝不足の目を擦って眠気を振り払いながら学校に登校し、席に着く。前の席には、昨夜その眠気の原因を作った人物──美桜彩音が座っていた。

 しかし、学校が終わる(といってもテスト返しのみなので昼までしかない)まで俺と彼女は会話をしない。

 放課後なり、俺は数人の友人に別れを告げてから教室を出る。俺の前の席には既に誰も座っていなかった。


 ★


「遅い」


 美桜さんは俺が正門に着くなり不満を吐いた。

(帰りのHRサボって抜け出してた人に言われたくない……)と心の中で反論するが、この人は何だろう。反論してはいけない気がする。

 そんなことを考えている間に、彼女は俺を置いてさっさと歩き始める。


「外で話すわけにもいかないでしょ。家、今誰もいないから。あたしの家来て」

「……え?」

「なに、文句あるわけ」

「いや、いろいろとまずい気が」

「はあ?どこが」


 彼女は立ち止まって、不機嫌そうな目で俺を見る。


「いや、家に誰もいないんでしょ?」

「だからそう言ってんじゃん」

「殺したりしないよね」

「殺さねえよ。馬鹿かお前」


 彼女はハッ、と鼻で笑い、再び歩き始めた。

 俺は男女が誰もいない家で二人きりという点でまずいと言ったのだが、彼女はそういったことは眼中にないのだろう。もしくは俺はそういったことをしない貧弱な奴と思われているのか。そう思うと何だか複雑である。


 ★


 バスを乗り継いで1時間くらいの静かな住宅街に美桜さんの家はあった。家の二階にある彼女の部屋に通された俺は居心地の悪さにドギマギしつつも、彼女が持ってきてくれた麦茶を飲みながら気持ちを落ち着かせる。

 麦茶を一口飲んで喉を潤し、ふう、と息をつく。

 美桜さんはミニテーブルの向こう側で、俺と向かい合う形で座り胡座あぐらをかいている。

 ガラスのコップに入った溶けかけの氷がカランと音を立てた。


「で、早速本題に入るんだけど」

「うん」

「結論から言うと、あたしこの世界の人間じゃないのよね」

「……はあ」

「わかりやすく言うと、パラレルワードみたいなところから来た、みたいな」

「…………」

「……驚かないの?」

「あ、いや、驚きすぎて開いた口が塞がらない」

「喋れてるんだから塞がらないことは無いだろ」

「比喩だよ。比喩」

「……ああ、そう」


 彼女はめんどくさそうにそう言うと、再び麦茶を飲んだ。

 どうやらこの人にはあまり冗談というものが通用しないらしい。


「なんというか、思ってた反応とは違くてこっちがびっくりしてるんだけど」

「……普段そういう妄想に浸ってるから、意外と慣れてるのかも」

「ああ、そういう。なに、遅い時期に到来した厨二病的なやつ?」


 厨二病、という言葉が俺の心を深く抉る。俺は苦笑せざるをえなかった。


「でも、そんなら話が早い」

「それはどういう?」

「そういう奴のほうが混乱せずに話聞いてくれるから」

「馬鹿にしてる?」


 彼女は「若干」と言い、からかっているのかよくわからない表情をした。

 もしかして、不器用なだけなのかもしれない。そう思っていると、彼女は机の引き出しから1枚の紙を取り出し、机にポイと置いた。


「これ見て」


 世界Aとか世界Bとか棒人間(わたし)と書かれている。それに、真ん中に数直線みたいなのが縦方向に書かれている。


「何これ」

「んー、年表みたいなやつ」


そう言って彼女は、紙に書かれた数直線の上に置いた指をススス、と動かしてある黒い点を指し示した。


「あたしがこの世界に来たのは大体1年前。突然前触れもなくこの世界に飛ばされたんだ」

「うん」

「原因はまだわかんない。でもこの世界のことを調べるうちにわかったことがいくつかあって」


 彼女の指は『世界A』と書かれた左枠のほうへと移動する。


「まず、この世界ではあたしのいる世界と酷似してる点が多いってこと。学校も同じ名前だったし、そこに通ってる人達も一緒。まあでも似てるだけで違うところもあったかな。例えば、担任の頭の禿げ方とか」

「まじで」

「まじ。向こうの世界だとカッパって呼ばれてる」


 悲しいことに、禿げてることには変わりないようだ。別世界の先生もストレスが溜まってるのだろうか。


「あと、地理的な面だと少し違うところがあるかな。学校、この世界だと町のそばにあるって感じだけど、あたしの世界だと郊外の田んぼだらけの場所にある」

「……想像つかないな」

「そりゃそうだろ。パラレルワールドのことなんか実際にそこに住んでたあたしくらいしかわからないよ」


 というか、そもそも存在自体が本来は疑わしいくらいであるのだが。都市伝説でそういう話があるとはいえ、真面目にそんな世界があるなんて考えるのは少数派だろうし。


「で、もう1つ。向こうの世界だと生きてる人が、その……死んでたってことかな」


 彼女は悲しそうな表情をして、窓のほうに視線を向ける。彼女の視線を同じようにして追うと、小さな仏壇が目に入ってきた。


「あたしの、家族」

「……」


 彼女の言葉に、ハッと息を呑む。仏壇の上には、桜の木の下で幸せそうな表情をする男性と女性が写っている1枚の写真がひっそりと置かれていた。


「そんな顔しなくていいよ。そりゃ、この世界に来てこの事を知った時には心臓止まるかと思ったけど。もう慣れたから」


 美桜さんは溜息をして、麦茶をあおる。

 俺は何気なく「大丈夫?」と言おうとしたが、そんなことを言うのも差し出がましいかと思い言葉を呑みこむ。代わりに「なにか、元の世界に手立てはあるの?」と問うた。

すると彼女はサッと表情を切り替え、「あ、そうそう。本題それ」と言ってまた新しい紙を引っ張り出してきた。

 見てみると、何やら部屋の間取り図(プロのそれとはまた違うものだが)が書かれていた。


「昨日、変な所に飛ばされただろ?」

「ああ、あのホテルみたいな」

「そうそう。んで、あたしがこの世界に来た時に通った所があそこなんだよね」

「……どういうこと?」

「そのままの意味。ある日突然あそこに飛ばされて、出口探しながら歩いてたら変な化け物に襲われて、そして逃げた先がこの世界だったってこと」


 美桜さんはそう言って肩をすくめる。


「じゃあ美桜さんが昨日あそこにいたのは、元の世界に戻るために?」

「そ。あそこの神社の鳥居がなんか入口に繋がってるっぽいから、そこから向こうの世界への出口を探してるんだよ。これはその地図的な」


 改めて紙に書かれた謎空間の地図を見てみる。

 結構いろんな部屋が入り組んでいて、普通のホテルとは言い難い構造だった。部屋の中にまた別の部屋の入口があったりするし、窓が一切無い。


「地図書きながら調べてくうちに、こっちの世界の入口と出口はわかったんだけどさ。肝心の向こうの世界への出口がないんだよな。……それで、ここからが重要なんだけど」

「うん」

「あたしが元の世界に戻るために、出口を探すのを一緒に手伝ってほしい」


 美桜さんはそう言って、俺に頭を下げた。

 俺は突然の彼女の行動にぽかんとしていたが


「いやいや、急にそんなこと」


 と首を横に振る。いや、まぁ、話の流れ的にそんなことを頼まれる気がしたけれど。


「……お願い。あんたにとっては何も得が無いかもしれない。でも今、この状況を知ってるのはあんただけなんだ」


 家に来る前の彼女とはまるで違う真剣なオーラに、俺は思わず言葉を詰まらせる。

 コチッ、コチッ、と数十秒、長いようで短いような空白の時間を、先に壊したのは俺だった。


「……わかった、わかったから顔を上げて」


 俺は自分の根気の無さに呆れながら、頭を下げていた美桜さんにそう言った。彼女はゆっくりと顔を上げると、若干潤んだ眼差しで俺を見る。


「本当にいいのか?」

「まぁ、うん」

「その、あれだけ言っておいて何だけど、色々大変な目にあうかもしれないんだぞ」

「……化け物でも異世界でもドンと来い」


 彼女に協力することになれば俺はまたあの場所に飛ばされ、化け物に襲われることになるだろう。もしかしたら、死ぬかもしれない。でももう、こんな真面目な顔をされたら断れるものも断れない。

 俺が若干ヤケになって言うと、彼女はしばらくキョトンとしていたが、やがて笑みをこぼした。


「ほんとに……ありがとう。これからよろしく」

「……おう」


 俺は彼女が差し出した華奢な右手を掴み、握手を交わす。

 こうして、俺と彼女だけの壮大な計画が幕を開けたのだった。
















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