第三話 限界集落

         §      §      §



 オンラインRPGという世界において、恋愛沙汰のトラブルは多い。

 女性プレイヤーを追いかけまわす者。そういう連中をからかうためにネカマ(ネットおかま)して、女性プレイヤーのふりをする者。リアル恋人をゲーム内に誘ってクランを崩壊させた、女性クランマスター。クラン内恋愛に突入した途端、二人以外の周囲全てを敵に回してクランを追放された仲間達。

 これらは全て、実際に僕が見てきた事だ。トラブルを起こした連中には、善良で友人になった人すら含まれているのだから、残念でならない。

 たかが仮想の冒険ですらこれほどトラブルが起きるのだ、現実の冒険の恋愛トラブルは、どれほどの揉め事になるのだろうか?



 ~消えゆきし世界とそこに住まう数多のアバター達に捧ぐ~



         §      §      §



 ギルドでチコに絡まれているところを助けてもらった事には、感謝している。

 冒険者として尊敬できる先輩だとも思う。

 しかし、しかしだ……年がら年中バカップルのイチャイチャをパーティメンバーに見せつけるっていうのはどうなんだ?


「はい、デニムあ~~ん」


 デニムの口にサンドイッチを運ぶルルを、馬車の御者台から俺は横目で覗き見る。


(弁当くらい普通に食べてくれ……)


 しかし、これに不満を漏らせばパーティから放り出されるであろう事は、チコの話からも予想できる。

 幸いバカップルぶりにさえ目をつむれば理想的な先輩だし、なるべく二人についていこう。俺の我慢が限界を迎えるまでは……。


 顔を照らす激しい日差しはもう夏が近い事を俺に教え、街道に吹く風が俺の頬を気持ちよさげに撫でていく。荷台を引く馬の臭いが僅かに漂ってくるのが気になるものの、高い石壁に囲まれて淀んだ空気が漂う街中とは比べるべくもない。

 本来ならこの陽気を存分に楽しみたいところだが、馬車の荷台から聞こえる二人の声が、俺の心をイチイチささくれ立たせていた。


 俺達は今、住んでいたゴータルートの街を出て、リラルルの村に向かっている。

 巨大な城壁で敵軍やモンスターの襲撃に備えている街と違い、普通の村にはせいぜい簡単な木の壁や柵があるだけで、常に外敵に怯えて暮らさなければならない。進軍中の部隊が兵糧目当てで、村に略奪しにやってくる事すらあるのだ。

 村の住人の多くは安全な街での生活に憧れるが、街に住むには領主に大金を納めて市民とならねばならない。街に住めない村人達は身を守るため自衛し、モンスターの出現など手に余る厄介事が起きた場合は、外から冒険者を雇うのが常だ。

 街の重税に悩まされている身からすれば、村の生活に憧れる事も多い。だが、こういう事情を知ると、市民権のありがたみを不本意ながら実感せざるを得ない。


 街を出てすぐに俺達は馬車で作戦会議を行ったが、これはすぐに終わった。

 村に着くまでゴブリン達の詳細はわからないのだから、せいぜいできる事といえばパーティメンバーの実力の把握とその共有くらいだったのだ。


 リーダーのデニムはファイター。

 相手が手負いだったとはいえ、トロルを倒した事もあるというのだから、かなりの腕前だ。普通のゴブリン相手なら十匹くらい相手にしても負けないと豪語していた。


 ルルはシーフ兼レンジャー。

 探索を専門としているが、ショートソードの腕前もそこそこあるのだとか。新人冒険者のファイター程度には負けない自信があると言っていたから、ゴブリン相手なら前衛を任せられるだろう。


 そして俺はマジックアーチャー。

 使える魔法は仲間を治療するヒールアロー、仲間の防御力とスタミナを上昇させるガードアロー、仲間の攻撃力と素早さを上昇させるアタックアロー、毒や魔法による混乱などを治療するキュアアロー、そして攻撃魔法のファイアアロー・アイスアロー・サンダーアロー。

 一通り戦いで使える魔法を習得しているつもりだが、今の俺の魔力量では日に何度も魔法が使えるわけでもなく、その威力も実戦でどのくらい通用するかわからない。

 一応レンジャーとファイターの研修も冒険者ギルドで受けたのだが、レンジャーはともかくファイターとしての才能は殆ど俺にないようだ。


「すごいねカイルは、さっき教えたばかりなのに、もう馬車の操り方がこんなにうまくなってる」


 いつの間にか傍に寄って来ていたルルに顔を覗き込まれていた。荷台に張られたホロの影から出たルルの髪が、日に照らされて金色に輝いている。この人、デニムにはベッタベタだけど、俺に対してもイチイチ距離が近い。


「え、ええ馬車ははじめてですけど、馬には乗った事はありましたがら」


 ちょっとドギマギしながら俺は答えた。

 おや? こちらを見ていたデニムが近づいてくる。まさか嫉妬している訳じゃないですよねデニデニ?


「ルルのお古なんだけどさ。これ持っときなよ」


 デニムは平然とした顔で俺にショートソードを差し出した。

 ルルの行動には理解があるのだろう。ルルがちょっとやそっと挑発的な態度をしても、デニムに嫉妬される心配はなさそうだ。


「え? でも俺、剣は苦手ですよ」


「それはさっき聞いたよ。

 でも魔導弓だけじゃ、いざって時に頼りないだろ。敵に近づかれても頼れる武器を、身に着けておくべきさ」


 デニムの言われ、俺はハッと気づく。

 俺はマジックアーチャーが接近されたら無力だと自覚していたにも関わらず、味方に庇ってもらう事しか頭になかった。探索技能を身に付けるためレンジャーの研修を熱心に受けたのも、気配に敏感になれば敵に近づかれる心配を減らせると思ったからだ。

 しかし、だからと言って最初から魔導弓しか身に着けていないのでは”接近されたら何もできません”とわざわざ敵に宣言しているようなものじゃないか。


「なによ~、カイルったらあたしのお古じゃ気に食わないのぉ~?」


 わざとらしく頬をふくらませるルルに俺は笑顔で返し、デニムからショートソードを受け取る。


「すいません、この剣しばらく借りますね」


「いいわよ、それくらい。カイルにあげるわ」


 俺は剣に詳しいわけではないが、少なくともこのショートソードが安物でない事くらいはわかる。鞘の作りだけ見てもしっかりとしていて、そこいらのいい加減に作られた剣ではない。

 嫌になったらすぐにパーティを抜けるつもりでいたが、二人にはこの半日足らずの間に世話になりっぱなしだ。例え俺の我慢が限界を迎えてパーティを抜ける事になったとしても、後ろ足で砂をかけるような真似だけはすまい。


「あ、ありがとうございます」


 俺の返事に笑顔で答えるルルの横をデニムがすり抜けて歩を進め、俺の隣にドカッと腰を下ろす。


「そろそろ御者を代るよ。

 カイルは弁当もまだ食ってないだろ。ルルのサンドイッチは美味いんだぜ」


 そう言ってデニムは俺から手綱を奪った。



         *      *      *



「リラルルの村が見えてきたぜカイル」


 御者台からデニムが俺に声をかける。

 さっき食べたルルのサンドイッチは、あまり美味しく感じられなかった。

 当たり前だ、御者台でイチャつくバカップルを見ながら食う飯が美味い訳がない。我ながらよく耐えたと思う。

 いったい何時間あの光景を眺めていたのだろうか……。二人に嫉妬めいた感情を抱いてる自覚はあるし、俺の度量が狭いだけなのかもしれないが。


 二人が座る御者台に近づきホロの中から前方を伺うと、遠くに木の柵が見える。あの頼りない柵で村を守っているのだろう。


「そういえばカイルって恋人はいるの?」


 御車台に座ったルルが、唐突に俺の顔を見上げて尋ねる。


「いませんよ、まだ」


 生活も将来も安定しない新人冒険者に、女が寄ってくる訳がない。それに未熟な冒険者は、下手をすればいつ命を落としてもおかしくないのだ。今の俺は恋人どころではないのだ。


「あら、顔も悪くないし青い髪も綺麗だし、もてそうなのに」


「髪はもう少し短い方がいいと思うけどな。

 俺はそろそろ準備するから、馬を任せたよ」


 デニムはそう言うとルルに手綱を渡し、ホロの奥で鎧を身に付ける。

 俺は後衛だから普段着と変わらない軽装だし、ルルさんも軽い皮鎧だが、デニムの鎧は金属プレートが随所に施された本格的な物のため、それなりに重量があるだけでなく着るのにもひと手間かかってしまう。


「大変そうですね。重くないんですか?」


「これは金属板を要所にのみ集中して、重量を抑えるよう工夫がしてあるんだよ。

 着るのも他の鎧に比べれば楽なもんだし、冒険者が使うには丁度いいんだぜ」


 デニムが古ぼけた鎧の金具をパチンとはめながら答える。


(確かにナイトが着るようなプレートアーマーは、一人で着るのも不可能だって聞くよなぁ……)


「もっとも、もうそろそろ痛んできたから新しいのに買い替える予定だけどね。注文しといた鎧が無事できあがっているといいんだけど……」


 馬車が止まると同時にデニムは荷台から飛び降りていた。俺も慌てて矢避けの魔法のかかった空色のマフラーを首に巻き直し、馬車を降りる。


「ねぇ、この村ちょっとヤバいんじゃないの?」


 馬車を降りると、御者台のルルと村の門番の二人がなにか話していた。

 門番は二人とも俺と同い年くらい。一人は派手な髪形をした男で、もう一人は長髪の女性だった。どうやら彼等はデニム達とは顔見知りのようだ。


「前の村長と一緒に住人の大半が逃げちまったからな。あっという間だったよ。

 今は俺の親父が名ばかりの村長をしているよ」


「何があったんだ?

 まさかゴブリンに怯えて住人が逃げ出した訳じゃないだろう」


 デニムが話に割って入る。

 村の方を見ると、手入れもされず、ドアも開けっ放しの空き家がやけに目立ち、廃村直前とさえ思える惨状だ。いったい住人の何割がこの村を見捨てたのだろう。


「大猿が村の近くの森に住みついたのよ」


 そう言いながら門番の女性がちらりと俺の方を見た。赤に染まり始めた日差しが、彼女の紫がかった髪をやや遠慮がちに照らしている。


「ああ、失敬。

 こいつは新しくパーティに入った……」


「カイルです」


 デニムに促され、門番達に名乗る。


「あたしはクリスで、こっちはダニーよ。

 カイルさん、ゴブリン退治の依頼を受けてくれてありがとう」


 ダニーはともかくクリスは門番が似合っているようにはとても見えない。

 二人ともデニムと似たタイプの鎧を着てロングソードで武装しているのだが、クリスは俺のような新人冒険者でも、素人である事が容易にわかる。体格に比べて剣が大き過ぎるため、まともに振れるかどうかさえ怪しく見えるのだ。


「ねぇゴブリンより、その大猿退治を依頼した方がいいんじゃないの?」


「大猿は縄張りに入りさえしなければ襲ってこないから、それさえ知っていれば危険じゃ ないんだ。

 ただ、ときおり夜になると吠えるもんだから、臆病な奴等はみんな怯えちまってこのザマさ」


「だから当面の問題はゴブリンの方なのよ。

 村の住人が少ない事がバレたら、今夜にでも襲ってきても不思議じゃないわ」


 ルルの質問にダニーとクリスが交互に答える。


「すまないな、以前のパーティが解散していなければ、ゴブリンのついでに大猿を退治する事もできたんだが……」


 すっかり寂れてしまった村の方を見て、デニムの眉間にしわが寄る。


「気にするなよ。

 どのみち今の村には、大猿退治までギルドに依頼する金はないさ」


 ダニーの返事を聞かずとも、それは容易に想像できた。


 俺達は馬車を宿屋に止めて、ダニーとクリスの案内で村長の家に向かう。

 村に入った時はまだ明るかった日差しが、今は西の空に沈みかけている。

 到着した村長の家は村の道具屋だった。


「ゴブリン退治の冒険者が到着したぜ。

 俺は親父を呼んでくるから店の中で待たしておいてくれ」


 ダニーは戸を開けて道具屋の中に向かってそう叫ぶと、店の裏の畑に向かって走っていき、その背中は生い茂る作物の中へと消えていった。


「やぁ、お久しぶり」


 デニムがダニーの開けたドアの中を覗いて笑顔を漏らすと、店番をしていたおばさんとその子供がこっちを見て声をあげる。


「おや、デニムじゃないか。あんたがゴブリン退治を引き受けてくれたのかい?」


「どこ行ってたんだよデニム~」


 小走りに店の男の子が近づいてきて、デニムの脛を軽く蹴る。


「ゼペックが探してたぜ」


「あ、いけない。父さんにデニムが来たことを知らせないと」


 クリスが慌てて踵を返す。


「デニムさん、約束はちゃんと守ってもらわないと困りますよ。

 こっちにも都合があるんですから」


 そう言いながらクリスはそのまま走り去り、入れ替わるようにダニーが村長らしきおじさんを連れて畑から戻ってくる。


「どうしたんだあいつ?」


 ダニーが走り去るクリスを見て首をかしげている。


「ゼペックさんを呼びに行ったんだよ。

 おおかた支払う金に困ってこの村に寄り付かなかったんだろうけどさ、そういうのはあんまり関心しないよデニム」


 おばさんに叱られ、デニムが肩をすくめる。


「ゴブリン退治の金を貰ったら、ちゃんと支払うよ。

 ゼペックさんには謝らないとなぁ……。そういえば、ゴードンはどうしてる?」


「奴はとっくに逃げたよ。もともと臆病な男だったからな。

 ところでダニー、村の門は今どうなってる? ちゃんと閉めといたか?」


 ダニーの表情が強張り、それを見てため息を漏らす村長。


「行ってこい」


 村長がそう言うと、ダニーは放たれた矢のように村の門へ走り出した。


「お久しぶりですブライさん」


 ルルが村長に挨拶をする。


「お久しぶり。

 ルル嬢ちゃんは、暫く見ないうちにまた美人になったんじゃないか?」


「やだもーっ、ブライさんたら。お上手なんだからぁ」


 頬に両手を当てて喜ぶルルだったが、その時、村の西の森から獣の咆哮が上がる。


グルオオオオオオォォォッッッ!


 俺とルルは驚いて、声の聞こえた方を同時に振り返った。

 さっきまで生意気盛りだった男の子は、おばさんのスカートにしがみついている。


「やかましいねぇ。わざわざ吠えなくても、そこがあんたの縄張りだって事くらい知ってるよ」


 おばさんが毒づく。

 これが村の廃れる原因となった大猿の声なのであろう。


「ご苦労なされているようですね」


 デニムがブライ村長を気遣うが、村長は涼しい顔でそれに応じる。


「この村ができる前、最初にこの地に住み着いた者はわずか六人だったと聞く。我々はまだ十人以上ここに残っているのだ、なんて事はないさ。

 お前の方こそ、前のパーティを解散してからいい噂を聞かないじゃないか。みんな心配していたんだぞ。

 ルル嬢も元気なようだし、新しい仲間も見つかったみたいだし、ホッとしたよ」


 髭を生やした村長の眉がへの字に曲がった。


「マジックアーチャーのカイルといいます」


 村長の目がこちらに向いたのに気づき、俺は自己紹介をする。


「ついてましたよ、彼がいてくれなかったらルルと二人だけで依頼を受けていましたから」


 デニムが俺の肩にポンッと手を置く。

 ブライ村長は軽く俺に頭を下げると、再びデニムの方へ向き直った。


「では、早速だが依頼の件について相談しよう……」


 ブライ村長は道具屋のカウンターの上に裏の畑で取れたであろう野菜を置くと、俺達に店の奥に来るよう促した。



* * *



 そこは、真ん中に机が置かれているだけの殺風景で広い部屋だった。

 ブライ村長は机を囲うように俺達を座らせると、村周辺に出没するゴブリンについて語り始める。

 村長の説明によれば、足跡と村人の目撃情報から推測できるゴブリンの数は十数匹。まだ村から少し離れた位置にはいるものの、足跡は北の方から徐々に村へ近づいてきているらしい。


「十数匹か、少し多いな……」


 デニムの表情が曇り、つられるようにブライ村長の顔も険しくなる。


「難しいのか?」


 机に半身を乗り出したブライ村長の広い額を、薄暗い部屋に置かれたランプの灯りが照らしている。


「普通の群れならいいのだが、これだけの群れだと変異種が混ざっている可能性があるんだ。変異種らしき個体が混ざっている様子は本当にないのか?」


 デニムの問いに、村長は少し考えてから答える。


「ないな。

 断言ができる訳ではないが、痕跡からも、目撃者の話からも変異種がいるとは思えない」


「ふぅ……む」


 デニムも少し考えてから、こちらに話しかける。


「ルル、カイル、俺は明日の早朝にゴブリンの群れを退治しに行こうと思う。

 変異種がいた場合は、状況次第だが退却して対策をたてるという事でどうだろうか?」


「あたしは、それでいいわよ。

 カイルはどう?」


「俺もデニムさんの判断を信じます」


 ギルドの訓練所で習っただけではあるがゴブリンについての知識はそれなりにあるし、ゴブリンに襲われた村を見た事もあった。その知識に照らしてみても、デニムの考えが間違ってるとは思えない。むしろ歴戦の冒険者の勘に頼るのが正解だろう。

 デニムはゆっくり頷くと、ブライ村長の方を向く。


「では明日の朝、ゴブリン退治に出発します。

 けど、いつゴブリンに襲われてもおかしくない状況とも聞いておりますので、今夜は武装を解かずに休みます。なにかあったら迷わず、すぐに起こしてください」


「頼んだぞ」


 机の向こうから村長が手を差し出し、デニムがそれを握る。


「今夜はバンカーの宿に泊まってくれ」


 村長が俺達を先導するように部屋の戸を開けると、壁によりかかる気難しそうな男の顔が真っ先に視界に入り、同時にその横でダニーとクリスの口喧嘩する声が耳に飛び込んでくる。


「なんで、村の門を開けっ放しにするんだよクリス!」


「あんただって、忘れてたんじゃない!」


 二人の話をよそにこちらを睨む男を見て、デニムが青ざめた。うなだれる頭の上のブロッコリーが重力に引かれて、みるみるうちにしおれていく。


「久しぶりだなデニム。

 ”仕事が立て込んでるから2か月待て”と言った覚えはあるが、まさか4か月経っても音沙汰なしとは恐れいったよ。どこをほっつき歩いてたんだ?」


「お久しぶりですゼペックさん。

 実は……」


 ゼペックと呼ばれた男は、デニムの言葉を遮るように大きな声を上げる。


「言い訳したければ後で聞いてやる!

 だがな、どんなにみっともなくても、俺の前に顔を出す事くらいはできた筈だ。違うか?」


 益々うなだれるデニムにゼペックが歩を進め、胸を軽く小突く。


※ 挿絵

https://kakuyomu.jp/users/tekitokun/news/16817330657505601244


「次は許さんからな。

 お前が注文した剣はとっくに完成しているが、鎧は今から仕上げてやる。

 実際に鎧を着てお前の身体の寸法とズレがないか測るから、すぐに鍛冶場に来い。いいな?」


 ゼペックはデニムの返事も待たず、ダニーと話しているクリスの方にふり向いた。


「今から大急ぎでデニムの鎧を仕上げる。お前も手伝え」


「えぇ~! 今からぁ?」


 だが、ゼペックはクリスの文句など耳に入らない様子だ。


「デニムは明日の朝にゴブリン退治をする予定なんだが、それまでに間に合いそうかゼぺック?」


 ブライ村長が尋ねるが、ゼペックは首をふる。


「無茶をいうな、徹夜したって無理だ。

 どのみち新しい鎧は、大型モンスターを相手にするためのものだ。ゴブリン退治の役には立たねぇよ。

 で、剣もゴブリンを退治するには少々大ぶりだが、どうするデニム? 少なくとも切れ味は、今使ってるものより数段上だが」


「いえ、代金が払えるのはゴブリン退治の金が入った後なので、終わってから受け取ります」


「なら鎧も明日の昼までに仕上げておいてやる」


「ちょっと! それ徹夜と殆ど変わらないじゃない!」


 必死の形相でクリスが悲鳴を上げたのとは対照的に、デニムの返事で気を良くしたのかゼペックの顔は緩んでいる。


「という訳だから、ちょっとこの男を借りるぜルルちゃん。

 そこの新顔の兄ちゃんも、いっぱしの鎧が欲しくなったら俺の店に来るといい。俺の腕前はデニムが保証してくれるぜ」


 デニムは苦笑いで俺とゼペックに答えていた。



* * *



 村長の道具屋を出るとすっかり日は落ち、はるか遠くの山を仄かに赤く染める僅かな明かりしかそこにはなかった。

 ランプを片手に村長は俺とルルを宿へ案内し、デニムはゼペックに引っ立てられるように彼の鍛冶場へと向かう。

 バンカーの宿は予想した通り、さっき馬車を止めた宿屋だった。ランプに照らされた看板には”寝転ぶウサリン停”と文字が彫られている。


 宿の戸を村長が開けると、一人の女の子がルルに向かって走って来た。


「ルルだー♪」


「あ、メルルだー♪」


 ルルはそう言うと女の子を両手で持ち上げて、くるくる回ってから床に降ろす。

 二人共お揃いの金髪のツインテールのため、一見するとまるで歳の離れた姉妹のようだ。


「久しぶりだねルルちゃん。

 デニムはどうしたんだい?」


 宿のおかみさんらしき女性が、カウンターから話かける。


「ゼペックさんに捕まっちゃった」


 ルルが肩をすくめてみせる。


「あらあら、約束をすっぽかしてたからねぇ。

 ええっと、そっちの彼は見かけない顔だけど……」


「カイルです。

 今度デニムさんのパーティに入った者です」


 俺は軽く頭を下げる。


「ララよ。

 夫のバンカーはまだ村の公衆浴場の掃除に行ってるけど、あんた達の泊まる部屋はあたしが用意しといたから安心してね。四人部屋で間に合うわよね?」


 ララさんはブライ村長に視線を送り、確認を求める。


「ああ、助かるよ。バンカーにもよろしく言っておいてくれ」


 ブライ村長は、俺の背後から魔導弓にいたずらしようと手を伸ばしていたメルルを捕まえて、ララさんの元に運んで手渡した。


「明日はよろしく頼む」


 村長は最後にそう言うと、ルルと俺にそれぞれ握手をして去っていった。



         *      *      *



 俺は宿の部屋でベットに横になっていた。

 ”寝転ぶウサリン停”の寝具は決して高級とは言えないが、よく手入れがされていてフカフカの手触りの毛布や枕が心地よい。


「で、最近デニムとはどうなの?」


「ふふ、それがね……


 部屋の外からはメルルを寝かしつけたララさんとルルの話声が、かすかに聞こえてくる。デニムもまだゼペックの鍛冶場から戻っていない。

 今、この部屋には俺一人だけだ。


「眠れないな……」


 俺は柔らかい枕に思いっきり顔を埋めた。


 適度に疲れているし、ララさんの作ってくれた夕食で腹も膨れている。普段ならあっさり寝れても良さそうなものだが、明日が俺の冒険者としての初仕事だ。

 ベテランと一緒のゴブリン退治。変異種さえいなければ危険は少なく、冒険と呼べるかどうかも怪しいものだが、不安と期待が混ざった高揚感が抑えられない。デニムから”明日は早いのだから先に寝ていろ”と言われていたが、とても寝れそうにない。

 そういえばデニムもルルも、なぜ俺をこんなに信用してくれるのだろうか?

 魔法が使える者が少ないにしても、新人の冒険者をろくに値踏みもせずにパーティに加え実力を疑うそぶりもない。身構えていたこっちが拍子抜けしている。


(……駄目だ、あれこれ考えてたら益々寝れそうにない)


 俺は最も退屈で眠くなりそうな事を考える事にした。


(まず、門番してたのがダニーとクリスで、村長がブライさんでダニーの父親。

 鍛冶屋のゼペックさんがクリスの父親で、宿屋のおかみさんがララさんで、その娘がメルル……。村長の奥さんと男の子の名前は、まだ聞いてなかったっけ?)


 俺は昔から人の名前を覚えるのが苦手だった。無理に覚えようとすると、そのうち面倒になって眠くなる。


「おいルル、先に寝てろって言っといたろ……」


 ドアの外でデニムの声が聞こえるのとほぼ同時に俺は意識を手放していた………………。




         ◇      ◇      ◇




「………………勇者の召喚は成功したのかラーグ」


 スーツで身を固めた初老の男の声が、石壁に囲まれた広いホールに響く。このホールには窓すらないが、四方の壁に大量に備え付けられたマジックトーチ(魔法の明かり)に煌々と照らされ、真昼の様な明るさだ。けれど、その場に漂うジメッとした空気は、そこが日の届かぬ地下の空間である事を強く主張している。


「はい、成功いたしました。……ただ問題が一つ」


 ホールの中心にある魔法陣に向かい祈りを捧げていた召喚士ラーグは後ろを振り返り、スーツの男に笑顔を向けた。


 「んん?」


 マジックトーチに照らされた男の表情が不愉快そうに歪み、ラーグと共にに祈りを捧げていた弟子達はにわかにざわめきだす。

 男の訝しげな瞳は一直線に空の魔法陣を捕らえている。召喚の儀式が成功したのなら、勇者達がその魔法陣の中心に立っていなければおかしいのだ。

 ラーグはそんなスーツの男の顔色を伺いつつ、尚も言葉を続ける。


「……召喚する座標が大幅にズレてしまいました。

 ですが、お喜びください!

 この度、私が召喚した者は、今までの召喚者よりも強大な力を持ち……」


 が、早口でまくし立てるラーグの言葉を男は遮る。


「無能なバカならまだ救いがあるが、有能なバカは手に負えぬな!

 ラーグよ貴様がした事がわかっているのか?」


 その声にラーグは怯えて竦み、彼の弟子達は硬直する。


「どこに召喚したかもわからんのでは、敵勢力が先に接触するやもしれぬではないか!

 そうでなくとも召喚者がこの世界に慣れぬうちに我々の思想を叩きこまねば、手先として使うには不便でならんのは貴様も知っておろう!」


「お言葉ですがボイルド様、おおよその召喚場所は多少時間はかかりますが調べる事が可能でございます」


 ラーグは弁明するが、ボイルドの怒りは収まらない。


「当たり前だっ!

 すぐにでも行方不明になった貴様の召喚者の捜索隊を編成するとしよう。

 ズレた召喚地点に関しては貴様がいなくとも、貴様の弟子に調べさせれば事足りるな」


 ボイルドは後ろに控えていた護衛の兵士達に声をかける。


「ラーグを処刑しろ。

 今までの功績を配慮し、苦痛を長引かせるのはなしとしよう。

 即刻殺せ!」


 ボイルドの後ろから武装した男達が金属音を響かせながら魔法陣へと向かい、それと共にラーグの悲鳴がホールに響き渡った。


「グラムよ、捜索に当たる召喚勇者共を直ちに補充してくれ。

 今は召喚者の空きがないのだ。できるな?!」


 ボイルドは兵士達と共に控えていた老召喚士に、続けて声をかける。


「はっ。

 では人数はどういたしましょう? 場合によっては見つけ次第始末せねばなりません。ラーグめの召喚者が手練れというのが真であれば、人数を多めに召喚する必要がございますが……」


 ボイルドは魔法陣に取り残され、途方に暮れるラーグの弟子達の方に視線を向けた。

 処刑場に引っ立てられていくラーグ本人には、最早一瞥もない。


「何人だ? ラーグは何人召喚したのだ?」


「四人でございます。

 それから、彼等と一緒に、彼等が居た建物までも召喚してしまいましたので……」


 弟子の一人の返答にボイルドは舌打ちで応じる。


「それが召喚場所が狂った原因か……、ヘボ召喚士めが!」


「ならば捜索には六名用意いたしましょう」


 グラムが白い顎髭を撫でながらゆっくりと口を開く


「ああ、そうだな。

 ラーグの召喚者捜索に六名・ラーグの召喚勇者にさせる予定だった仕事のために新たに四名召喚をしてくれ。

 まったく、不足した召喚者を補充させる筈がとんだ手間だ」


 不愉快そうなボイルドの声が、冷たい石畳の敷き詰められたホールに響き渡った。

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