第一章 ゆりかごの村

壊された常識

第一話 お手洗い狂騒曲

※ 今回の話に含まれるネットゲーム用語が分からない人は以下の用語解説を参照してください。

https://kakuyomu.jp/users/tekitokun/news/16817330657061239345



         §      §      §



ゴオォォォォッ!


 体長20mを超す暗黒龍の吐き出した巨大な炎が、僕達のパーティに迫る。しかし、その炎がこちらに到達する前に、小さな老騎士が杖を振り上げて既に結界を貼っていた。光るドーム状の壁に阻まれた炎は、すぐに霧散して消えていく。

 この老騎士はべべ王。僕等のクランマスターであり、このパーティのタンク(防御担当)でもある。


ドドウッ!


 ガタイの良い魔法使いが結界の中からドラゴンに向かって両手をかざすと、大きな爆発が暗黒龍を包む。

 こいつは大上=段【ダイジョウ=ダン】。このパーティのメインアタッカー(攻撃担当)にしてクランのサブマスター、大きなつばの黄色い帽子がトレードマークだ。


ブォン!


 不気味な音と共に戦闘ステージ中央にブラックホールが現れ、黒い雷が天からまき散らされる。この闇魔法こそが暗黒龍最大の攻撃だ。

 ブラックホールの重力は結界でも防ぐことができず、また降り注ぐ雷を避け損なえば大ダメージと共にブラックホールの力がドンドン増してしまう。当然、ブラックホールに吸い込まれてしまえば一撃死だ。

 が、僕等のパーティは何百回とこのクエストをクリアしているのだ。全員が雷の攻撃パターンを把握している以上、今更誰もこんなものに引っかかったりはしない。


ザシュッ!


 暗黒竜の鱗が裂かれ、鮮血のエフェクトが舞う。

 雷をかい潜り、先に暗黒龍に辿り着いたのは東風【トンプウ】だった。3メートルというアバター最大身長の巨体と大きく突き出た腹からは鈍重な印象を受けるが、東風のジョブは忍者だ。体系とは無関係にその動きは全ジョブで最も早い。

 東風は数メートルもジャンプして、巨大な暗黒竜の体にしがみつき、両手に持った巨大な短刀で暗黒龍の羽を、背を、首を斬りつける。その手際は慣れたもので、振りほどこうともがく龍の爪を器用に飛んで避けている。


ドゴッ! ガンッ! ガガンッ!


 続いて暗黒竜の足元に辿り着いたイザネが、メイスを連続で振るう。背が小さく、赤いパンツとさらし姿の女性がメイスを振るう様は、まぁよからぬ妄想を生みそうなものだが、その体を覆う筋肉はむしろ彼女の野性味を主張して止まない。

 怒り狂った龍は尻尾でイザネを狙うが、それを踏み台にして飛び上がったイザネは、暗黒竜の顎をメイスで一撃する。


(楽勝だな、このゲーム最後のボスなのに……)


 今日は僕が夢中でプレイしていたネットゲーム「ドラゴン・ザ・ドゥーム」のサービス終了日。この暗黒竜退治のイベントクエストが、一緒にプレイした仲間達との最後の冒険なのだ。

 それなのにモニターの向こうで倒れる暗黒竜の姿を見ても、いつもと違いクエストクリアの達成感などまるでなかった。


 そして、それから30分も経たぬ内の事だった、モニター中央に「ただ今の時間をもちましてドラゴン・ザ・ドゥームのサービスを終了しました」というメッセージが現れたのは。最後の龍退治の後に味わった空しさの意味に辿り着く間さえも、僕には与えられなかった。

 自在にその中を駆けまわる事ができた剣と魔法の世界は、もうピクリとも動かす事はできない。ほんの数分前、最後の暗黒龍討伐クエストにみんなで行った事すら遥か遠い過去のものだ。


 よくあるラノベの展開だとここで異世界召喚が起こり、僕がゲームの中に入っていったりという事が起こるのであろうが、現実にそんな奇妙な事が起こる筈もなく残されたのは喪失感のみであった。


(今夜一緒にサービス終了の瞬間を迎えた仲間達も、きっと同じ気持ちだろうな)


 手に持ったゲームのコントローラを置いて、僕はそんな事をボーっと考えていた。

 時間はまだ余っているが、今夜はもう別のゲームをやる気にもなれない。僕は今日、慣れ親しんできた楽しい冒険に溢れた世界を失った。ただそれだけが現実だ。

 しかし、ふと考えてしまう。


 我々は異世界に行けずとも、このゲームの中に僕等が作ったアバター達……僕達と共に冒険してきたアバター達の内の幾人かは、もしかしたら異世界に行ってまだ冒険の続きをしているのではないか……、と。


(あのアバター達なら、どんな異世界に行こうとも無敵だろうな。

 例えそこにどんな怪物がいようが、例えどんなに恐ろしい魔王がいようが、相手にもならないだろう。あれだけ手塩に掛けて僕達が育て上げたのだから……)


 当然ありえぬ事だと分かっている。

 彼等は1と0の組み合わせで出来たハードディスク内の磁気信号に過ぎない。そんな希薄な存在が異世界に召喚されるなど、僕等以上にありえぬ事だ。

 そう、ありえぬ事なのだが、それでも僕は彼らがまだ冒険を続けている事を望んでいる。


 無情にもブラックアウトしていく目の前のモニターは、そんな夢想をする僕を容赦なく現実へと連れ戻していった……


 ~消えゆきし世界とそこに住まう数多のアバター達に捧ぐ~



         §      §      §



「まだ食うのかよ東風?」


 腰に手を当てて小柄な黒髪の少女が、骨付き肉にかぶりつく太った大男を見上げて言った。少女は半袖のシャツとズボン姿で、頭には赤いハチマキ、首から肩にかけて羽飾りを付けている。そして背筋をピンと張ったその姿勢は、彼女の大きな胸を必要以上に自己主張させている。


「すいません。まだまだ足りないみたいなんですイザ姐(ねえ)」


 東風と呼ばれたタラコ唇の大男は少し困った顔で、一時食事の手を止める。男は3メートル近い身長を持ちまるで巨人のようであり、黒髪をきちんと整えていたがゲジゲジ眉毛の特徴的な顔立ちのせいでそれも台無しといったふうだった。


「しかたないですよ。身体の大きな人は、その分多くの栄養が必要ですから」


 青髪の少年が机の前に歩いて来て、水筒を大男の前に差し出した。東風が食べ物を喉に詰まらせないようにとの配慮であろう。


「どうもありがとうございますカイルさん」


 カイルと呼ばれたその少年は年の頃は二十歳前、首には水色のマフラーを巻いていた。彼も先ほどの言葉とは裏腹に東風の食欲に呆れているのだろう。カイルの目は東風の大きな腹を凝視していた。


(コップがあれば水筒よりそっちの方がいいのだけれど、ここにはないのだろうか?)


 カイルは長テーブルが並べられた広いホールを見渡す。

 吹き抜けの天井には大きなシャンデリアが吊るされ、奥に暖炉があり、部屋の左手にはドアが見える。が、彼が探していた食器棚はなぜかなかった。

 長テーブルには彼等三人の他にも色黒でスキンヘッドのソーサラー風の男と、赤いローブと金鎧を着こんだ爺さんが空になった皿の前で食後の余韻に浸りながら歓談している。色黒の男は異様に体格が良く、一方爺さんの白髪には強烈なカールがかかっていてまるで貴族のようであり、その頭には王冠にも似た金のアミュレットを乗せていた。


(あれ? もしかして)


 カイルはスキンヘッドの男の下半身がもぞもぞ動いているのを発見する。その仕草は彼のマッチョな体格に似合わず、滑稽にさえ見える。


「段さん、我慢してないで用を足してきたらどうですか?」


「用を足す? 一体何の事だカイル?」


 段と呼ばれた男は自身の体の異変に、まるで気付いていないかのように答えた。


(いかん! 大上=段【ダイジョウ=ダン】が緊急事態だ!)


 カイルの表情は途端に強張る。


(俺がうかつだった。この四人はこの世界に召喚されるまでまともに食事をした事もなかったんだ。という事は当然”排泄”をした経験だってなかった筈じゃないか! 食事もせずに大便・小便だけするなんて事はありえないんだから!)


「ええっと、下半身に違和感があると思うんですが、とりあえず力を入れて耐えといてください段さん」


 カイルは大上=段にそう言い含め対策を立てる時間を稼ごうとしたが、その隣に座る小さな爺さんもなんだか落ち着かない様子を見せ始めている。


(べべ王の爺さんもかよ……まずいな)


 カイルは隣にいたイザネの肩を急いで叩く。振り返るのと同時に、彼女が頭に巻いた赤いハチマキがカイルの手をかすめる。


「イザネさん、この建物にトイレはある?」


「トイレ? 確か床に穴が空いてる部屋の事だったっけ? あるにはあるけど、なんに使うんだよカイル?」


(トイレがあるのかよ?! ダメ元で聞いてみたのに!)


 カイルの住んでいたゴータルートの街でも家にトイレがあるのは稀だ。それにも関わらず排泄を必要としない異世界から飛んで来たこの屋敷にトイレが存在するのは、カイルにとって意外な事である。しかし今は理由を考えている余裕はない。トイレがあるなら利用させてもらうまでだ。

 最もその前に、もう一つの大きな難関を越えねばならないが……。


(問題は、こいつ等にどうやってトイレの使用方法を教えるかだ。まさか実演してみせる訳にもいかないし……いや、べべ王のジジイ・大上=段・東風さんにはギリギリ我慢できるかもしれんが、イザネ相手には……無理だ。無理無理無理っ! 女の子の前では絶対に嫌だっ!)


 カイルは急いで庭に出ると、ショートソードの鞘で”トイレで踏ん張る人”の図を地面に描いた。もともと絵心がある訳でもないし、慌てて描いたせいで随分と不格好な絵になってしまったが、丁寧に描きなおしている時間などない。


「みんな大至急集まって下さい! 今からトイレの使用方法を教えます! これはとても重要な事です! 急いでください!」


 3人に少し遅れて大上=段が内股で走ってくるのを見て、カイルは額から汗が流れ落ちる嫌な感覚を覚える。


(大上=段のタイムリミットが迫っている……急がなければ!)


「みんなこの絵を見て下さい!」


 集合した四人の前で、カイルは地面に書いた絵をさした。


「ギャハハハッ! カイル、それおまえが描いたのかよ?」


「それにしても下手な絵じゃのう。 ぷ~クックックックックッ」


 下半身が汚い意味で爆発寸前の大上=段と、その一歩手前と目されるべべ王がカイルの絵を見た途端に笑い転げる。


「真面目に聞けテメー等ッ! お漏らししても知らんぞぉぉーーっ!!」


※ 挿絵

https://kakuyomu.jp/users/tekitokun/news/16817330657061168489


 カイルはなぜか半泣きになって叫んでいた。



         *      *      *



 五人は今、縦列編隊にて屋敷のトイレ(個室)を目指し進行している。カイルが手早く”トイレの正しい使用法”を解説した甲斐あって、タイムリミットまでまだ若干の余裕があるものと推測される。

 トイレの使用順は各々の緊急性を考慮し、大上=段・べべ王・東風・イザネの順に定めた。また、トイレ使用者は皆これが初めての体験であるため、万が一の事故防止の観点から唯一のトイレ使用経験者であるカイルが個室前に待機し、状況に応じ適切なアドバイスを排便者に送る事とした。

 作戦開始っ!!



---------MISSION:1 大上=段 BEFOR---------


「うひょぉーーっ! 初めて裸になる事ができたぜ! ルルタニアではなぜか下着だけは絶対に脱ぐ事ができなかったのによーっ!」


「なんでトイレで全裸になってんだよ! 脱ぐのは下だけでいいんだよ! 下だけで!」


---------MISSION:1 大上=段 AFTER---------


「ウンコするってのも悪くないもんだな。なんだかスッキリしたぜ。」


「汚い手で俺を触ろうとするんじゃねーよ! 早く手を洗ってこい!」



---------MISSION:2 べべ王 BEFORE---------


「ほぉ~、これがチンチンというものか。プルプルしてて面白いのぉ~」


「チンチン弄って遊んでんじゃねーよジジイ! 後がつかえてるんだから真面目にやれっ!」


---------MISSION:2 べべ王 AFTER---------


「カイルが急かすから、ちょびっと手にかかってしまったじゃないか。まったくもう」


「俺の服で拭こうとするんじゃねーよ! とっとと手を洗ってこい!」



---------MISSION:3 東風 BEFORE---------


「あの、お腹が邪魔で下が全く見えないのですが……、私どうしたらいいんでしょうかカイルさん?」


「フィ……フィーリングでなんとかしましょう。がんばって下さい東風さん」


---------MISSION:3 東風 AFTER---------


「ああああぁぁぁ……悪夢だ。まさか我が体内からあんな汚物が出てこようとは……」


「早く慣れましょう東風さん。手を洗うのを忘れないでくださいね」



---------MISSION:4 イザネ BEFORE---------


「おい! 俺にはチンチンとかいうのが付いてないけど、どうなってんだ?!」


「女には付いてなくて当たり前だろうが! 知らなかったのかよ!

 あと”チンチン”言うな! はしたないからっ!」


---------MISSION:4 イザネ AFTER---------


「…………ノーコメントでいい?///」


「コメントなんて求めてないから! 聞きたいとも思ってないから!!

 あと、手を洗うの忘れないでね」



---------MISSION:5 カイル BEFORE---------


「なんで人がウンコしてるとこ覗こうとしてんだよハゲとジジイ!  ガキかテメー等ッ!」


「おい、バレちまったじゃねーかジジイ」


「クスクスクスクス」


----------MISSION:5 カイル AFTER---------


「なんで食後のトイレ行くだけで、こんだけ疲れなきゃならないんだよ。まったく」



 カイルは手を洗うために庭に向かって歩いていた。日が落ちかけているせいで、外から吹いてくる風がやけに涼しい。


(……それにしても不便な建物だな)


 この”クランSSSR(トリプルエスアール)拠点”と呼ばれる奇妙な建物で、手を洗う場所は庭の池か井戸しかない。だが、そこはトイレからあまりにも離れている。なにしろトイレは、食事をした中央ホール左手のドアから伸びた廊下の最奥にあるのだ。トイレの脇に手洗い用の桶を置こうにも、それを設置するのに十分なスペースすらなかった。

 まるでトイレを作ってはみたが実際に利用される事を想定していないような、そんな造りだ。


(もう空はかなり暗いな)


 窓から外を見上げたカイルは、次にトイレへと続く長い廊下を見渡す。


(完全に日が落ちる前にこの屋敷の燭台やランプに火を灯すべきだけど、全てを灯すには広すぎて手間だ……。

 でも、せめてトイレ周辺の燭台には明かりを灯しておかないと、後々不便そうだな)


 カイルが庭に出ると、門の前に大上=段が立っていた。彼のトレードマークのつばの広い黄色い帽子を被り、四つの小さな輪のついた杖も持っているところをみると、どうやらこれからどこかに出かけるつもりらしい。


「今からどこに行く気だよ、ジョーダン?」


 カイルはあえてあだ名で大上=段を呼び、先輩冒険者に対する礼節を欠くような口を利いた。いい歳こいてる割に、大上=段とべべ王は妙に子供っぽいのだ。そして、この二人を相手に失礼のないよう気を遣っても、逆に付き合いにくいだけなのだとカイルはさっきから思い知らされていた。


「どこって冒険に行くに決まってんじゃねーか。とりあえずはクラン拠点周辺の探索でもしとくつもりだ」


「夜通し冒険する気か? いつ寝るんだよ?」


「寝る? 睡眠耐性は積んであるんだ、そうやすやすと寝かされる事なんてありえねーよ。

 ところで”段さん”ってのはもうやめたのか?」


(意味不明な事を言っているのは、睡眠の大切さを知らないからか? でもイチイチ説明するより実際に身をもって思い知ってもらう方が良さそうだな)


 トイレを覗いたお仕置きにも丁度良かろうと、カイルは内心ほくそ笑んでいた。


「人がウンコしてるとこを覗くようなくだらん奴に”さん”付けしてられるかよ」


 カイルは手を洗いながら、睡眠の件はすっとぼけて大上=段に言い放つ。


「ジョーダンは、いつも悪戯が過ぎるからのぉ。クスクスクス」


 カイルとの話声を聞きつけたのだろうか、後から庭に出てきたべべ王が大上=段を指さして笑う。


「あんただって共犯だからなジジイ」


「……ごめんなさい」


 そう言うや否や、すぐにべべ王は深々と頭を垂れた。


「いや……まぁ、反省してるならいいけどよ。」


 不意に謝られたカイルは、振り上げた拳を降ろす先を失って言葉を濁してしまう。


「騙されるなよカイル。そのジジイは謝っても反省は絶対しないんだ」


(は?)


 カイルは綺麗な角度で頭を下げていたべべ王の方にもう一度視線を戻し、疑惑の意志を込めて目を細めた。


「失敬な! そんな事は決してないぞ。ちょっと忘れっぽいところはあるが少なくとも謝った瞬間くらいは反省しとるわい。

 ところでカイル君、さっき見た君のチンチンはちっこくて可愛かったのぉ~。ぷ~クックックッ」


(……まったく、なんなんだよこのジジイは! この状況を楽しんでやがる! 怒ってみせたらかえって喜ぶんじゃないか?

 どうやら悪ノリしている時のべべ王には付き合わない方がいいみたいだ。たぶん真面目に相手したら超面倒だぞ)


 反省の色がない白ヒゲのジジイにカイルは小さく舌打ちをした。


「その、”ウンコ”とか”チンチン”とか言うの止めませんか? 下品ですし、聞いててちょっと恥ずかしいですよ」


 いつの間にか大男の東風も、頭にマスクを被った姿で庭に集まってきた。東風の服は濃い緑色と黒で、その巨体を薄暗くなった周囲に溶け込ませようとしているようだった。


「いいじゃねーか東風。”ウンコ”も”チンチン”もドラゴン・ザ・ドゥームではNGワードに指定されてて口に出す事すらできなかったんだぜ。この世界じゃNGワードではないみたいだし、思い切り言わせろよ」


「ウンコチンチン・ウンコチンチン♪ ウンコウンコチンチン~♪」


 段に賛同の意を示すためか調子こいたべべ王が歌い出し、カイルと東風は眉を一斉にしかめた。


「ここでだってNGだよ”ウンコ”も”チンチン”も。普通にマナー違反だからな」


『ごめんなさい』


 カイルにたしなめられた段とべべ王が同時に頭を下げたが、やはり反省はしていないのだろう。その証拠にべべ王が、すぐにその白髪頭を何事もなかったのかのように持ち上げてしまう。べべ王の頭の上に乗っている王冠を模した奇妙なアミュレットが、沈む直前の僅かな日の光を反射している。


「ところで東ちゃん、イザネはどうしたんじゃ?」


「イザ姐は留守番しているそうですよ」


「あいつ、たまに付き合い悪いよな。で、カイルはどうするんだ? 一緒に冒険に行くか?」


 大上=段が誘うが、カイルは心底気乗りしないといった顔で首を横に振る。


(日が暮れてから冒険だなんてごめんだ。こっちは朝からゴブリン退治や大猿騒ぎで疲れてるし、そもそもここの森に出没したモンスターは全て倒してしまったろうが。

 この辺りのモンスターは一掃されているのに、いったいどこで何を相手に冒険しようというんだ? 依頼者だっていないのに)


「俺もイザネと一緒に留守番をしてるよ。それと、眠くなったらすぐに帰って来いよ」


「我々は睡眠耐性の装備をしていますから、その心配はないと思いますよカイルさん?」


 カイルは遥か頭上の東風の顔を見上げた。


「……そのうちわかりますよ」


「どうやら余程強力な睡眠魔法を使うモンスターが潜んでいるようですね。腕が鳴ります!」


 東風はカイルの言葉を勘違いしたまま、べべ王と大上=段と共に何をしに行くつもりなのかサッパリわからない冒険に出発していった。


(すっかり暗くなってしまったな)


 一人庭に残されたカイルは、自分の手提げランプに火を灯した。


(三人が帰って来る前にクラン拠点内の明かりを灯しておくとしよう)


 カイルは庭を後にして屋敷へと戻る。


(それにしても、あの人達が住んでいた世界とはどういうところなのだろうか? 食事をする必要も排泄の必要も眠る必要もなく、冒険に没頭するだけの世界。そんな非常識な幻のような世界が存在しているのだろうか?

 いや、もしかすると我々が住んでいるこの世界も、他の世界から見たら非常識な幻のような世界なのかもしれない。どの世界の住人も、自分達の見る幻こそが正常だと思い込んで日々の生活を送っているだけなのかもしれないな)


 カイルは先ほど食事をしたホールに戻ると、廊下に続く左手のドア周辺に明かりを灯した。


(とりあえず庭からトイレまでの通路の明かりだけでも確保しとけばいいよな)


 カイルは庭側から順にランプの火を燭台に移していったが、その数の多さを改めて確認し辟易としてきた。そもそも五人で住むにはこの屋敷は広すぎるのだ。廊下がこんなにも長い。


「なんだ、せっかくパーティ枠をカイルに譲ってやったのに、べべ王達と一緒に行かなかったのかよ」


 気が付くと手提げランプを持ったイザネが後ろに立っていた。一見するとイザネは小柄な短髪の少女だが、短いシャツの袖から覗く腕や、ズボンの裾から覗く足に蓄えられた筋肉がランプの作り出す陰影によって今は浮き彫りになっている。


「パーティ枠ってなんですイザネさん?」


「パーティの人数制限の事だよ。ほら、パーティを組めるのは四人までなのに俺達は五人いるんだから、誰か一人が留守番してなきゃならないだろ」


「パーティの人数制限ってどういう事? だいたいこの拠点に戻って来る時だって、俺達は五人でパーティを組んでたろ」


 イザネは”あっ”と小さく叫んだ。


「そういえばそうだな。なんで気づかなかったんだろ」


「イザネさん達の住んでた世界とこことでは随分勝手が違うみたいだし、気づかなくても仕方ないんじゃない?」


 カイルは次の燭台に火を点けながら言った。


「ところで、おまえさっきから何やってんだ?」


「明かりを点けてるんだよ。建物の中が暗いままじゃ危ないじゃないか」


 見りゃわかるだろうに、と思いながらもカイルはイザネに教えてやる。


「そうか……やっぱそうだよな」


 そう呟きながら、イザネは周囲を見渡して複雑な表情を浮かべた。


「ルルタニアにいた時は、このクラン拠点の明かりは夜になると自動的に火が点いていたんだよ。この拠点の中だけはルルタニアのままだと思ってたけど、やっぱり随分変わっちまってるんだな」


 魔力を付与した高価な家具ならば、暗くなると自動的に明かりが灯る照明器具も確かに存在する。しかし、ここにある燭台やランプはどう見ても普通の物ばかりだった。


「なぁ、あれにはどうやって火を点けるんだ?」


 イザネは開いたドア越しに、広間に下げられたシャンデリアの方向を指さした。


「あれってシャンデリアの事かい? あれは長い棒の先に火を点けて、上まで伸ばして火を移すんだ。」


「へー、詳しそうだな」


「詳しいって程じゃないよ。

 親父が飾り職人でね、俺も貴族の屋敷に親父の手伝いで入った事があるんだ。その時に覚えたんだよ。随分前の事だけどね」


「そっか、お前には家族がいるんだな」


「イザネさんにはいないの?」


 カイルはそれを口にしてしまってからハッと気づく。もしかしたらイザネは元の世界に家族を残したままこの世界に来たかもしれないのに、その事が全く頭になく口を滑らせていたのだ。


「俺達には家族はいない。代わりにマスター達がいてくれた。姿はわからないが、俺達を作って一緒に冒険してくれるマスター達がね。

 正直わからない事だらけのこの世界に来て、まだ不安だったりもするんだけどさ……」


 イザネは少し寂しそうに眦(まなじり)を下げた。


「……一番不安なのは、もう二度とマスター達と冒険できないって事かな」


「なぁ、そのマスターっていうのは何者なんだ?」


 その問いに対し、イザネはなぜか難しい顔で頭を傾ける。


「俺達のところによくログインしてきて、俺達にいろいろ指示を出してくれて、それで一緒に冒険をするんだ。けどなぜか姿は見えないんだ。まるで俺達の内側にいるみたいで…………。

 もっとうまく説明できればいいんだけど、俺もマスターの事は限られた事しかわからないんだよ」


「もしかして、神様みたいなもの?」


「俺達にとってはそうだったのかもな……」


 イザネはなぜか愛おしそうに、頭に巻いた赤いハチマキを左手で弄んでいる。


「……さてと」


 イザネは気持ちを切り替えるよう明るい声を出した。


「俺も明かりを点けるの手伝うぜ。お前一人じゃ大変だろ」


「ありがとう。

 じゃあ、イザネさんはトイレの側からここに向かって明かりを点けてきて。俺はここからトイレに向かって明かりを点けていくから」


「あいよ、了解!」


 イザネはトイレの方向に向かって暗い廊下を駆けていった。


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