第4話「不真面目少年と、保健室の先客」

 保健室に着くと、そこには先客がいた。

 修了式を終えた午後五時前に、こんな場所にいる人物なんぞ一人しか思い浮かばない。

 枢木拓真、彼だ。


「なんでここにいるんだ?枢木。君はトイレ掃除に精を出している時間帯のはずだろ?」

「それをいうならお前は体育館をモップで走り回っている時間だろうが。何でいるんだ?」


 僕は……と続けようとして、咲斗は保健室にいるはずの先生がいないことに気がつく。

 はて?

 職員会議でもあるのだろうか。


 (一体どこの誰なんだ?保健室の先生が駆り出されるレベルの悪事を働いた輩は……。)


 常日頃から不良行為を働いている男の台詞だった。

 というか、もし職員会議があるのであれば、今日のところは彼らの行動が原因としか考えられないくらいだというのに、彼の思考はなんと傲慢なのだろう。


「保健室の三嶋みしま先生はどうしたのさ?」

「ちょっと席を外しているだけらしい。で、お前は何か怪我でもしたのか?」

「うん、少しね。手の甲を何かで切ったみたいなんだ。そう言う枢木は?」

「トイレのホースで遊んでいたら、転けて腕を打った」

「馬鹿か」


 思わずツッコミを入れてしまったが、どうやら咲斗達のことを緊急会議しているわけではなかったようだ。

 そりゃ、まぁ山田先生に随分と絞られたし、罰も与えられた。これ以上追加があればいくら不真面目少年だと言っても悲しくなってくるというものだ。

 だが、今のこの現状を先生達に見られれば、またもやサボっているのかと思われかねない。

 ここは直ぐにでも手当てをして、二人とも退散するのが適当だ。


「ほら、消毒液はここにあるし、そこの棚に絆創膏がある。俺はもう湿布を貼ったから、トイレ掃除に戻るとするわ」

「あぁ、その方がいい」


 どうやら、拓真も咲斗の考えに賛同らしい。

 自分の怪我の手当てが終わると、会話を続けることなく、保健室を後にする。

 さてと。


 (僕もさっさと手当てをして戻らないと。一ノ瀬さんを待たせているし……確か…消毒液は机のそばに……お、あった)


 目当ての消毒液は、三嶋先生の机の上。

 早速使おうと手を伸ばす。

 が、咲斗の手は何も掴むことはなかった。

 

 そう、彼よりも早く消毒液を手にした少女がいたのだ。

 天パ頭の少年は、予想もしていなかった展開に、彼女の方を振り向く。

 そこには、黒髪のポニーテールを揺らしながら、鋭い視線で咲斗を睨みつける少女が一人。

 彼女の名前は棟坂茜とうさかあかね

 咲斗の同級生でクラスメイト。

 彼女が出てきた場所がベッドだったので、おそらく拓真よりも前からこの保健室にいたみたいだ。

 というか、今は五時前。

 修了式は十一時頃には終了していた可能性が高いので、約六時間もこの場所で寝ていたことになる。


「あれぇ、棟坂さん。まだ学校に残っていたの?」

「失礼ね、貧血で寝ていたのよ。それよりも、貴方こそこの学校にまだいたの?もう退学にでもなったのかと…」

「休んだくらいで退学になるなら、世の中は退学者だらけになってしまうよ…」

「ふふ…冗談よ……」

「君が言うと冗談か判断しずらないよ…。で、その消毒液、何かの使うのかい?僕は今すぐにでも使いたいんだけど?」

「なら、私が手当てしてあげる。さぁ、怪我を見せなさい」

「絶対痛くするじゃん。嫌だよ、自分でやる」

「我儘ね。もうノート見せてあげないわよ」

「仰せのままに、姫」

「よろしい」


 彼女の一言で完全服従の態度をとってしまう咲斗。

 情けないように見えるが、これは仕方がないことなのだ。

 月のほとんどを欠席と遅刻で費やしている咲斗にとって、提出物は成績を3に保つためにどうしても完璧にしなくてはならない。

 そんなときに頼るのが彼女、棟坂茜だ。

 席は隣だし学級委員を務めているし、咲斗にとってはノートを写させてもらえる最高の人材である。

 彼女には恩が多すぎるため、先ほどのような脅迫?じみたことを言われると、咲斗は頭が上がらないのだ。

 え?

 一ノ瀬さんに見せてもらえばいいじゃんって思ったって?

 いや、彼女は別のクラスだから無理なんだよ。先生が違うし。


「頼むから痛くしないで……イテッ!!」

「これは仕方ないわよ、貴方の怪我が悪い」

「そんなにトバッとかけるからだよ」

「うるさいわね、これくらいが丁度いいのよ」

「もう暴論だ…」

「何?」

「………」


 文句ある?と言いたそうな鋭い視線を向けられた咲斗は、反撃の言葉を飲み込む。

 そんな咲斗を尻目に、茜はポケットからオロナインを出すと傷口に塗り込み、絆創膏を貼ってくれる。

 先程の消毒液とは作業スピードが段違いだ。

 となれば、あの量の消毒液は咲斗を苦しめるためのイタズラだったとしか思えない。


 (くそ、なんて悪魔的な行動だ。これが枢木だったら土に埋めていたレベルだぞ)


 ぐぬぬぬぬ。と今でも吠えそうな咲斗を、茜は呆れ顔で見送ると、質問をしてくる。


「で、どうして天城くんはこんな時間までいるの?今日は終了式で午前中で学校は終わりのはずでしょ?」

「あぁ、その終了式の存在に気が付かなかったんだ。学校に来たのは午後からだよ」

「………(呆れ顔)。馬鹿ね、それで怒られていたの?」

「うん。サボりすぎての補習も逃亡しようとして失敗して、罰で体育館の掃除をしているんだ。で、どこかで擦ったのか、手の甲が切れちゃって……」

「逃亡……はぁ、救いようがないわね」

「あ、それで思い出したけど、唾液ってなんか怪我にいいんだよ、知ってた?」

「まぁ、良い場合と悪い場合があるけれど、その程度の擦り傷なら応急処置としてはありね。で、誰に教えてもらったの?」

「ほへぇ?」

「貴方にそんな知識があるわけないでしょ?それはノートを貸している私が一番よく知っているわ」



 むむむむ。

 咲斗の予想なら、「天城くん、なんて物知りなの!凄いわ」と言われるはずだったのだが、どうやら咲斗がそんな知識を持ち合わせている訳がないということがバレているらしい。 

 まぁ、いつも担任に当てられても「分かりません」と答えたり、ノートを借りたくせに「これどうなってるの?」と茜に質問するやつが、変な知識だけ持っているとは考えにくい。

 これは普段からの行いの悪さが露骨に出てしまった場面というわけだ。


「で、誰に教えてもらったのかしら?」

「一ノ瀬さんだよ、しかもついさっき」

「あら、一ノ瀬さん。こんな馬鹿に構ってあげて優しいわ」

「僕泣くけど、泣いちゃうよ!」

「泣けばいいじゃない。私なんか貴方がいないせいで、隣の席同士でのペア学習が全部山田先生とペアになったのよ」

「わーお、それは同情するし、僕に泣く権利は早かったみたいだ」

「理解できたしら?で、それよりも天城くん。ここ数ヶ月で、急に一ノ瀬さんと仲良くなったわよね?彼女の様子も何か変だし。付き合ってるのかしら?」

「付き合ってる?僕と彼女が?」

「えぇ……だって……つっ!?」


 そういう風に見えるわよ。と続けようとした茜だが、途端に顔を強張らせ、死んだ魚のように虚で光を失った目になった天パの少年に、思わず口を閉ざしてしまう。これは、普段の馬鹿っぽくて温厚な彼からは予想できないような表情だ。背中がゾクゾクする感覚が、茜を襲う。

 その声は低く恐ろしい。まるで別人みたいだ。


「僕と彼女が付き合うなんてことはないよ、あり得ない……彼女はただ、僕が約束を反故にしないのかが気がかりなだけさ」

「約束?」


 約束。

 その言葉は天城咲斗と一ノ瀬眞白を繋ぐ言葉。

 途端に、地獄の夏休みの記憶が蘇る。

 そう、あの時…。



『君がそこまで言うのでしたら…賭けをしませんか、天城くん。どちらの方に転ぶのか……ふふっ…約束ですよ』

 

 脳裏にこびりついて離れない彼女の声に、反射的に身震いをしてしまう咲斗。

 すぐに呼吸を整えると、その記憶を脳の片隅へと追いやり、茜との会話を続行する。


「うん、約束。でもごめんね、詳しく言えないんだ。一ノ瀬さんに抹消されちゃうから」

「え、えぇ。私も少し軽率な質問だったと思うわ、ごめんなさい」

「うん、全然構わないよ」


 謝った後の彼は、いつものようにヘラヘラしたような顔をしていた。

 茜もまた、ここ数秒で途端に出てきた汗を拭う。

 

 (彼に、一ノ瀬眞白の話題はあまり良くはないわね。特に二人の関係性については……。注意しないと)


 そんな彼女を横目に、彼は手の甲にある絆創膏を見る。


「あ、僕まだ掃除が残っていたんだ。もう行くよ。手当て、ありがとう」

「えぇ、また今度ね」

「うん」


 (一ノ瀬眞白…彼女は……彼に一体何を…)


 背を向けて保健室を去る咲斗の背中を、茜は睨め付けるようには眺めながら、そんなことを思っていた。

 

 

 

 




 


 


 

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