第3話「不真面目少年と、才女のお掃除」

今日は十二月二十二日。

 楽しい楽しい冬休みを迎える前日の午後四時過ぎ。


 だというのに、天城咲斗はまだ学校に留まり続けていた。

 いや、正確には居残りをさせられているという表現が正しかった。


 咲斗と拓真は、これまでの補習の逃亡の罰として、それぞれ掃除を頼まれていた。

 とは言っても、時間で切り上げてよい形式だけの罰になっていたので、山田先生には感謝しかない。


 これを機に、当分は逃亡を控えようと思った二人だった。


 咲斗は、山田先生の言いつけ通り、掃除をするために体育館にやって来た。

 選択肢としては体育館か東館のトイレ全部(4つ)か。

 見事じゃんけんで勝った咲斗は、濡れるのが嫌という理由から体育館を選んだのだった。

 

「うわぁ、広いなぁ」


 ドアを開けて入るや否や、そんな感想が口から溢れる。

 普段は体育で使うくらいで、あまりその広さを実感することは少ないが、掃除をするとなればとても広く感じられる。


「遅刻と逃亡を続けたツケが回ってきたわけだ。まぁ、仕方がない。山田先生にも迷惑をかけたし、真面目にやって早く帰るとしよう」


 軽く伸びをすると、掃除用具がある倉庫へと歩いていく。

 が、ここでとある疑問が彼を襲う。


 (体育館の掃除ってどうやるんだろう?)


 体育館を使うタイプの部活動に所属していない咲斗にとって、体育館の掃除は初めての経験である。

 そのため、何をどう使えば掃除ができるのか全く分からないのだ。


 とにかく形だけでも誠意を見せておこうと思った彼は、体育館の鍵に備わっている複数の鍵のうちの一つを使って倉庫を開ける。

 そこには、見たことのない用具が沢山あり、その事実が彼の掃除魂に火をつけた。


 男子中学生たるもの、なんかカッコいい掃除用具があれば使ってみたくもなるのだ。


「なにこれ?うーむ。モップ?かなぁ。まぁ、なんかカッコいいからこれにしよう。よーし、やるかぁ…げふっ!!」


 そんなやる気満々の彼の背中に、何者かが飛び込んでくる。

 広がる柔らかい感触。

 そんなことをするのはただ一人しかいない。

 彼女だ。


「一ノ瀬さん。なんで毎回抱きついてくるの?」

「?そこに天城くんがいるからですが?」

「わーお、こんなに会話が繋がらないの、枢木以来二人目だよ」

「えへへ、嬉しいです」

「褒めてはいないんだけど……。というか、こんな時間までなんで一ノ瀬さんがいるの?そもそも、昼にはみんな帰ってるはずなんだけど…」

「まぁ、みなさんはそうなんですけど…私はボランティアがありましたから。ついさっきまで」

「さすが、優等生はやることが違う。で、どうしてここに?」

「山田先生が体育館だって言ってましたから。手伝いに来ました」

「それはとても魅力的な提案だね。助かるよ」


 咲斗は、もう一本モップを掴むと、抱きついている眞白に手渡す。

 彼女もまた、そのモップを受け取ると、抱きついていた手を離して倉庫から出ていった。

 それに続くように、天パ頭の少年も倉庫を後にする。


「じゃあ、私は左側をやります……ってあ!」

「ん?どうしたの?一ノ瀬さん」

「左手!血が出てますよ、大変です!」


 眞白に指摘された咲斗は、自分自身の左手を眺める。

 なるほど。

 言われた通り、咲斗の左手の甲から血が滲み出ている。

 今もなお血が出ているということは、倉庫の中で切った可能性が高い。

 掃除用具のカッコさに見惚れていた咲斗は、全く気づく余地もなく手を怪我していたみたいだ。


「大丈夫だよ、少し手を擦っただけ……へ!?」


 軽く血が出ていただけなので、眞白が気にしないように大丈夫だということを伝えようとした咲斗だが、既に眞白が近くにいてびっくりする。

 どうやら、怪我に気を取られている間に随分と近づかれていたみたいだ。

 と、同時に彼女は咲斗の側にしゃがみ込むと、その傷を口で覆う。


「ほへぇ?」


 伝わってくる舌の感触と傷の痛み。

 彼女の行動への驚きと、何故か込み上げてくる恥ずかしさのあまり、咲斗は変な声をあげてしまう。

 頭が真っ白になり、心が無になっていく。

 そして最後に思ったのが……。

 

 (え、何これ。なんか変な気分になってきたんだけど……)


 時間はおそらく三十秒ほど。

 だというのに、天パ頭の少年の時間は、何分にも感じられた。

 まるで、嫌いな教科の残り十分みたいな感覚だった。

 彼女は、放心している咲斗を見ながら、血が止まったと判断すると、立ち上がって彼に語りかける。

 

「血、止まりましたね。良かった」

「ヨカッタ……ウン…ヨカッタ」

「天城くん?あれ?天城くーん?大丈夫ですか?」

「ウン…ボク……ダイジョ…ブ……」


 片言しか言わなくなった天パ頭の少年。

 原因はまぁ、読者のみなさんの予想通り。

 そう、同級生の女子に手の甲を舐められるというシチュエーションに、思春期男子の脳はついていくことができなかったのだ。

 が、ここにいるのは馬鹿と知能低下才女。

 片方は何かいけないことをした認識によって脳が一時的にシャットダウンし、片方はただ応急処置をしただけなのに変になってしまった彼の様子を不審がっている状態だ。

 その為、お互いになぜ変な会話になっているのか原因が分からないまま会話が進んでいる。


「あれ?目の前で手を振っても反応がないです。まるで屍みたいですね。どうしてこうなってしまったんでしょうか?」

「………」

「どうしましょう。あ、いいこと思いつきました」

「………」

「山田先生?どうしてここに?」

「…!?一ノ瀬さん、僕のレーダーには反応がないけど、本当に山田先生がいるの?」


 急に臨戦態勢に入る咲斗。

 足を屈め、今にも走り出しそうな気配だ。

 その様子を、驚き三割、呆れ二割、考察五割で眞白は眺めていた。

 

 (やっぱり。天城くんは山田先生に怒られすぎて、名前を聞くだけで反応するようになってます。というか、あの足音センサー、あれだけ放心状態になっていても作動しているものなのですね)


「私の思い過ごしでした」

「だろうね。僕は耳だけはいい方だと自負しているんだ」

「そうでしょうね」

「それよりも……だ。僕は何かいけないことをしてした気がしたんだが……」

「あぁ、止血のことですか?まぁ、唾液には抗菌作用がある酵素とかが含まれているので……あ…」

「ん?」


 とこ細やかに、何故舐めたのかの説明をしようとする眞白。

 が、ここで彼女は、咲斗の思考が停止していた原因を理解することになる。

 この才女、父親がかなりのファンキータイプな為、「軽い怪我なんぞ舐めときゃ治る!」ということを幼い頃から教え込まれていた。

 その為、今の行動にも何の躊躇もなく及んだのだが……。

 冷静になった今、彼の発言と自分の行動を照らし合わせると、どれだけ自分が恥ずかしくてはしたない行動をしてしまったのかを理解してしまい、途端に言葉が出なくなってしまった。

 まぁ、彼の方は微塵も理解が進んでいないみたいだが……。


「あれ?一ノ瀬さん?顔赤いけど、大丈夫?」

「…………は……い」

「でも、いいこと聞いたよ。唾液ってそんな作用があったんだね。とっても便利だ」

「…………つっ!?」


 ペロッと一舐め。


 この天パ頭の少年、良いことを聞いたと言わんばかりに手の甲を舐める。

 男子中学生たるもの、『〇〇した方が良い』とか言われれば、すぐに試したくなるのが常識だ。


「でも、一応保健室には行ったほうがいいよね?唾液で応急処置をしたとはいえ、水で洗って消毒しないと」

「…あ…いえ…その…はい。消毒は……大切…ですけど……手がぁ……その…間…接……」


 さっきまでの行動力はどこへ行ったのやら。

 学年一位の頭脳を持つはずの彼女は、言葉をうまく繋げることができない。

 その頬もみるみるうちに赤みを増し、そのことに気がついた才女は、自分の頬をガッシリと包み込む。

 

「手が?うーん…よく分からないけど、さっさと保健室に行ってくるよ。掃除も時間まではしっかりやりたいし。あ、山田先生が来たらサボりじゃないこと伝えておいてくれる?」

「……………(こくり)」

「ありがとう、助かるよ」


 咲斗はモップを倉庫前に立てかけると、走って体育館から出て行く。

 その様子を呆然と眺めていた才女は、途端にその場に崩れ落ちると、大きく深呼吸をする。


「……天城…くん…の…バカ…」


 間接キスへの恥ずかしさと、それに気づかなかった咲斗への腹立たしさを感じながら、そんな言葉が口から溢れた。

 どうやら、本日二度目のキャパオーバーらしい。





 


 

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