6話

 夜通し話し合って確認した――聖二が隠し持つ攻撃は、実戦で通じうるのか。深雪がどの程度、『聲』に対してあらがえそうなのか。


「もう。どうなっても知らないですよ」

 などとぶつくさ言って、愛海は自ら家を出ていった。あくまで父王ふおうがわに付きつつ、三人の邪魔はしないと言っていたことへの、整合性を取るためだろう。詳しい話を聞いておきながらそれを黙っていれば、本人のなかで王への裏切りに当たるらしい。


 かと思ったら――しばらくして、また出入り口の毛皮をくぐって戻ってきた。手に抱えた何かを石づくりの机にそっと置く。大きめの器の中に、肉を茹でたものが盛られていた。


「村のみんなが狩ってきてくれたんです。どうぞ」


 気づけば夕餉ゆうげをともにしてから、またしばらく時が過ぎていた。

 狩人たちの身体はめがくとはいえ、こまめに食事を摂った方が空腹感がなく能率パフォーマンスも良い。


「いいのかよ? 敵に肉を送るとかってやつだぜ」

「塩」

「お父さまからですよ。あの人はみんなを敵だなんて思ってません。大切な客人であり、未来の仲間たちに、ひもじい思いなどさせられないって」


 じゃあ遠慮なく、と陽彦がさっそく掴み取ってかぶり付く。

 ここに来てから、食も住もすっかり世話になっていた。敵対する人類にはともかく、身内として取り込もうとしている者に対しては、確かに優しい王と言えなくもない。


 複雑な心境だが――腹が減っていては何も果たせまいと、陽彦にならって手を伸ばそうとした時。何やら愛海が不機嫌そうにしていることに聖二は気がついた。


「どうかしたのかい?」

「い~え……お父さまから伝言です。わたし抜きでお話しがしたいって。それ食べ終わったらまた行ってきてください」


 どこからも仲間外れにされてむくれたというふうに、愛海はそっぽを向く。

 なんだよそれ、僕だってそんなのべつに行きたくないよと、聖二は内心で呆れてしまった。



※※※



 王の居宅に、再び足を踏み入れる――ぶちまけられた皿の破片は片付き、汚れた床は氷を削って綺麗にされたようだった。


「やあ、よくまた来てくれた。何度もすまないね」

「全くだぜ。自分から話ぶっちぎったくせによ」


 ゆとりを取り戻したように見える王を、食事と屋根の恩など全く感じていないとばかりに陽彦が煽った。先ほどよりも少し照明カンテラを明るく点けて、王は卓上でなにやら書き物をしている。

 今こそ隙を突いて殺める好機チャンスでないかと聖二は一瞬だけ思ったが、自分はともかく陽彦も武器を持っていないし、具体的な段取りもまだ決まっていなかった。


「私たちのことを、もう少し知ってほしくてね。そうすれば君たちも、心変わりするかもしれないと思った」

「それは分かりませんが……今書いている、それは?」

「神話をつくっている。君たちの目から見て、どう思うだろうか」


 そう言って、書き溜まった紙の束を手渡してくる。それは植物の繊維ではなく冬獣ニフルスの革を薄く延ばしたもののようで、なめらかな手触りがした。


 目の前に広げ、陽彦、深雪と並んで読む。やや癖はあるが決して下手ではない挿絵に、短い文章が添えられた絵本のような構成で、内容は冬獣ニフルスという種の起源についてらしかった。


 はじめ――世界がとても暗かった頃、祖先たちは地上の支配者だった。あるときから太陽がその輝きを増して、目や肌がかれるほどとなり、彼らは光の届かぬ地の底に潜った。やがてまた世界が薄暗き冬に包まれたとき、再び彼らは姿を現した。


「これ、本当のことなの? 確かに冬獣も私たちも、眩しいのが苦手だけど」

「地下生物起源説は実際に唱えられてるし、それなりに支持されているよ。もう一つ有力と言われているのは、太陽光を弾いている塵芥ちりあくたと一緒に、宇宙から来たって説かな」


 聖二の説明に、王はうむ、と頷く。


「人類と違って、冬獣ニフルスには歴史がない。我々は自分たちが、本当はどこからきたのかすら知らない。だが、って立つ物語は必要だ。こちらの説を採用したのは――遠い未来にいずれ、厳冬ファンブルヴェトが終わった後のためだ」


 厳冬が終わる――人類にとってはあまりにも現実味がなく、都合の良い夢物語でしかない。

 目の前の王はそれを、ごく当然のこととして語っていた。


「我々は日光にとても弱い。長時間曝露ばくろし続ければ、厳冬の今でさえ肌を病んでしまうし、それは我らの再生能力ですらうまく治癒できない。人類とは真逆に、太陽がその輝きを取り戻した時こそ、我々にとっての試練が始まるだろう」


「じゃあダメじゃん、あんたの『みんな冬獣ニフルスになろう計画』も」


「だから備えるのだ。人と同じ手足を持つ我々には、環境そのものを自らにとって都合よく作り替える力がある。大昔に掘られた地下にこもりきりの連中はもはやそのことを忘れているのだろうが、旭先生たちはこの村を築いてみせた。我々はそこから学び、磨いて、自らのものとして継承する。太陽へのおそれを子孫らが覚えていられるように、この神話を遺す」


 それは、一方的な文化の掠奪りゃくだつなのでは――喉まで出かかったが、聖二はこらえた。人類が冬獣の細胞を使って狩人を作ったこととさして変わりがないし、見方によってはむしろ、人類こそ先に冬獣から盗んでいる。


 王がこほん、と咳払いをし、話題を変えた。


「愛海はあちらで、楽しくやっていたかね? ここの子どもたちははじめから冬獣として自己を認識し、早々に『成って』しまう。ただひとり王の子として育ったあの子には、ろくに口を利く友もいない。他人とうまく付き合えているか心配だった」


 とてもそうとは見えなかった。むしろ愛海こそ、軽口を叩いてはすぐに過熱エスカレートしがちな猟団パーティの空気を和ませていたように思える。


「それについては、全く杞憂きゆうですよ。だからこそ、今の状況には残念な気持ちなんですが」

「そういやあいつ、円蓋ドームの生まれじゃねえのにどうやって紛れ込んでたんだよ」

 今更ではあるが、確かに気にはなることを陽彦が尋ねた。


「旭先生が出た通路から逆に侵入させ、必要なデータをいくつか書き換えさせた。研究が上手くいっても都市が私を受け入れなかった場合に備えて、先生は予め工作する手筈てはずを整えていた」


 三十八年前に用意された防衛セキュリティ上の侵入口バックドアが、そのままになっていたらしい――本当にあの都市のシステムは杜撰だなと、聖二は呆れ返った。これを想定しておけというのも、さすがに酷な話ではあるが。


「まあ、別に今だって、あいつ個人のことは嫌いじゃねえよ」

 陽彦がそう結び、深雪や聖二も頷く。王はそれに、安堵したような息をついた。


「そういうあなたには、誰かいないの? 愛海以外で、話し相手になってくれるような人」

 深雪がそう尋ねると、王は首を横に振った。


「かつては、妻がいた。被検体の一人で、愛海を生んだ女だ。変わり者で、旭先生に師事して学問を修めていた。彼女にはどういうわけか、私の『こえ』が


 いつも無表情の深雪はともかく――聖二と陽彦は、驚き方が不自然にならないようつとめた。

『聲』に逆らうことのできる存在。どうやらそれはこの世に一人だけの特異性ではないらしい。深雪が同様にそうであることを、悟られてはならない。


「彼女は愛海を産み、としを重ねても、他の者のように『成る』ことなく自我を保ち続けた。先生を殺した私のことを強く咎めつつも、寄り添ってくれた。意のままにならず、話しかけてくれる彼女が、私は好きだった」


 続く言葉には、只々ただただ純粋に驚いた。

 妊娠、出産に伴う脳の変化は、細胞の侵食を急激に進めることが分かっている。だから色恋沙汰はともかく、狩人同士で子どもを作るものはいない。

 聖二はてっきり『聲』で発狂の危険リスクを踏み倒したからこそ、愛海が生まれたのかと思っていた。


「だが、彼女は私の、都市を滅ぼして狩人たちをみな取り込もうという考えに否定的だった。向こうに事情を伝えて愛海をただ返し、狩人としての人生を始めさせ、我々は静かに滅びるべきだと。私にとって、おそらくそれが……なにか変わろうとするのなら、最後の機会だったのだろう。私を止めようと向かってくる彼女を、この手でじかに殺した。『聲』が効かない以上、そうするしかなかった」


 またか、と思う――王の言葉には偽りのない悲しみが満ちていたが、聖二はそこに共感はできなかった。

 この男は、自らが愛したものを壊すことに痛みを覚えても、きっと躊躇ためらいはしていない。そこに自分たちとの、決定的な溝がある。

 彼が人に対してそうであるように。自分も彼を、同じ生き物であると思えそうにない。


「妻を失った私の孤独を埋めてくれたのは、とうに物を言わなくなった村の住人たちではなく、愛海だった。だが私は、あの子がくれたのと同じだけのものを、返してやることができない。『聲』を持つものが複数現れれば、旧き王がその座を譲って消えるか、群れを分けて遠く離れて暮らす。冬獣がそのように振る舞うのには何かしらの合理性があるのだろうから、私もそれにならうつもりだ。いずれ愛海が成熟して『聲』に目覚めたあとは、一緒にいてやれない」


 王の赤い瞳が、まっすぐに三人を見据えた――何かを期待しているように。


「愛海は……個としては私よりも弱いが、の心を導く誘引物質フェロモンをもった。あの子はきっと、良い王になる。それだけが、私にとっての希望だ」



※※※



 昇りくる朝日が、集落をまぶしく照らす。

 愛海は家の外に立ち、聖二たち三人のことを待っていた。


「おかえりなさい。どんな話してきたんですか?」

「ああ。彼が書いている、冬獣の起源の物語とかを見せられたよ」


 大部分をぼかして答える。わざわざ愛海を省いたということは――王は自分からの思いを、娘に聞かせたくはないのだろう。決して相容あいいれない存在だが、そこは尊重すべきような気がした。


 陽彦が大きく溜め息をつく。それから了承も取らず、ポケットから煙草の箱を取り出して一本咥え、おもむろに火を点けた。

 スパーっ、と音がするぐらいに、濁った煙を気持ちよく吐き出した。その一本で、目の前の面倒くさい事柄あれこれをすべて吹き飛ばそうとしているように見えて――不覚にも聖二は、自分もちょっと吸いたいと思ってしまった。


「お前らってほんと、振り回してくれるよな」

 その刺々とげとげしさは愛海だけでなく、聖二の方にも向けられている。反論の言葉もなかった。

 円蓋ドームの一般市民たちの現実を、聖二から突きつけられたその直後に、今度は愛海に連れてこられて。

 彼の中の価値観はこの短い間に、大いに揺さぶられたことだろう。


「何がダルいってさあ、みんな苦しんでるんだよな。おれたち狩人も、居住区画のやつらも。五万人ぶっ殺そうなんて考えてる、あのおっさんですら。もっと分かりやすい、気持ちよく殺せる悪党であってくれりゃあいいのに」


 にすら同情するのか、と驚きつつ――きっとこれこそが陽彦の本質なのだ、と聖二は思った。対岸の誰かが抱えた痛みに気づいてしまえば、寄り添わずにはいられない。だからこそ彼は狼の細胞を持つ者の中でも、感情を読み取るという嗅覚に殊更ことさら長けるようになったのだろう。


「じゃあ、どうする? 戦うのをやめておくか?」

「いいや、やる」


 短く毅然とした声で、陽彦がそう答える。聖二が安心するのとは対照的に、愛海は表情を暗くした。


「『聲』がどうにかできたって、お父さまは強いですよ。分かり合えないとなったら、あの人はきっと容赦しません」

「勝てないと思う?」

 深雪が問うと、愛海はこくりと頷いた。


「らしいけど。もし私が反対したら、あなたたちは止まる? 私が協力しないと、戦うことすらできないわけだし」

「頼むよ深雪。大勢の命が懸かってるんだ」

「私は円蓋ドームがどうなっても、あんまり気にしないし。それよりもあなたたちを死なせたくない」


『聲』への対抗策を自ら示したものの、深雪は決して乗り気なわけではなかった。人か冬獣かという軸においては、彼女がいちばん中立的といえるかもしれない。自分が言っても多分動くまいと思い、聖二は陽彦の方を見た。


「なんつーのかな……ここがおれの、踏ん張らなきゃなんねえとこって気がすんだよな」


 陽彦はそう言いさして――煙草を咥え直してひと吸いし、ぽんぽんと器用にわっか状の煙を吐き出した。そしてそこに、ふーっと大げさな息を吹いて掻き消した。


「ここを譲ってあいつの仲間になったら、多分、全部がだめになっちまう。それはもう、死んでるみたいなもんだし、死ぬより惨めかもしんねえ」

「……そう。じゃあ仕方ない。勝って生き残るしかないみたい」


 陽彦がにやりと口角を上げた。こたえた深雪はいつもどおり無表情で、しかし意見が却下されたにも関わらず、どこか嬉しそうに見える。

 今ようやく、方針はまとまった。聖二と陽彦と深雪は、あの王に戦いを挑む。


「みんな、わたしと一緒に生きてはくれないんですね」

「むしろお前が、おれらに寄せりゃあいいんだよ。お父さまに泣きついてみたらいいじゃん、友だちにハブられたくないからやめて、っつって」

「無理ですよ。たとえわたしが死んだって、あの人はきっと止まりません。ほんとうに愛し合っていた、お母さんにだって無理だったんだから」


 そう語って憂いを帯びる赤い瞳は、先ほど王から向けられたものとよく似ている。


「秘密を打ち明けて相談してくれたのは、あなたのお母さんと私が同じだったから? その――ごめんなさい。一緒の道をけなくて」


 深雪の問いにも謝罪にも愛海は応えず、曖昧な微笑みをただ返すばかりだった。


「今はひとまず休もう」

 聖二がそう言って、家の中へと入る。深雪と、携帯灰皿に吸い殻を収めた陽彦がそれに続く。

 愛海はもう、それを追わなかった。


 友であり、仲間であり、家族のようだった――四人の猟団パーティが今このとき、三人と一人にわかたれていた。

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