5話

「あー、くっそ怖かった」

「嘘だろう、おい。なんて命知らずなんだと思ったよ」


 毛皮を重ねたベッドに倒れこみながら陽彦がこぼすのを、聖二がそうつついた。

 この村から出られない以上、ほかに行ける場所もなく。与えられた家にそのまま戻ってきている。


「わたしの事情、分かってもらえましたか?」

 当然のような顔で一緒にいる愛海が、みなに尋ねた。


「なんつーか……ホラー漫画の殺人鬼と話してるみたいだったぜ」

「ああ、うん。そんな感じだね」

「そこまで言うほどですかね。わたしたち、一つの群れに――家族になるんですよ。思いやりのない獣たちとは違う、お父さまみたいな優しい王のもとで」


 今さらながら聖二は、これまで愛海のごく一面しか知らなかったことを痛感した。彼女の感性はあのひどく支配的な王を、優しいと捉えるらしい。


「私は正直、いろんな先入観を抜きにすれば、無しではないと思った。でも、聖二や陽彦はそれじゃ納得しないんでしょ」


 まあそんなことを言うかもな、と皆が想像した、だいたいそのままを深雪が口にする。


「怖くないですよ。わたしも、みんなに優しくしますから」

「おれが狂っちまったら、そのときふつうにやってくれ。皆殺しはやめろっつってんだろ」

「それ。ちょっと意外でした。陽彦くんはむしろ、居住区の人たちなんて嫌いなんだと思ってましたけど」

「いやまあ、そうだよ、そうだった……けどなあ」


 ゴロゴロと転がりながら頭を抱える陽彦を見て――聖二は申し訳なさと同時に、あの居住区画ばしょを見せておいてよかったとも思った。

 信じていないわけではなかったが、今の彼には都市を守るはっきりとした動機がある。


 他に今できることもない。あの王——支倉はせくら乃吾のあは言いたいだけ言って話を打ち切ってしまったが、こちらには知りたいことがまだ残っている。

 父に任せっきりであまり喋ろうともしなかった、愛海自身のことだとか。


「彼はまるで、自然な感情であるかのように言ってたけど。きみにもあの円蓋ドームの人間を殺したいって衝動があるのか?」

「わたしはどちらかというと、無関心ですね。冬獣ニフルスの細胞を一切持たない、人間という生き物について。五万人死んでも別にどうでもいいって思えるのは、同じ生き物だと思えていないってことなんじゃないですか?」


 他人ひとごとのような返答に、陽彦が顔を上げた。


「まあまあひでえことは言ってるけど、『殺したい』とか『滅ぼしたい』とは全然違うじゃん。じゃあほっとけよ、人間なんか」


「そうですね。わたしもあの人のあれは、もっと個人的なものなんじゃないかって思います」


 そう言って愛海は、うれいるように少しうつむく。


「やっぱり刷り込みを受けたせいでどこか歪んでいる、可哀想な人なんですよ。なにかを思いつくと、それをこの世の真実だと強く思い込んじゃうというか。それでも、わたしはあの人の味方でいたい。じゃないとあの人はもう、独りぼっちですから」


 へえ、と聖二は少し意外な目を向けた。思っていたよりは、愛海は父のことを俯瞰して見ている。


「もっと盲目的なのかと思ってたよ。きみはあの人に育てられたんだろ?」

「まあ、これはお母さんの影響でしょうか」

「お母さん?」


 聞き返すが、愛海はそこは深く語らないというふうに流した。どうでもいいけど、父はお父さまで母はお母さんなんだな、と思った。


「なあ、あいつをぶっ殺せば全部おわりだろ。どうだ?」

 めんどくせえなとばかりに、陽彦がその究極的解決策を提示する。


「どう、って言われても――お父さまを殺すのを手伝えって言うんですか? わたしに」

「それか今ここで、計画の要である君を殺すとかね」


 聖二が下手な脅し方をするので、愛海は小さく溜め息をついた。


「最近ほんとうに意地悪ですね。やらないって分かってても傷つきますよ」

「まあ一応、あの都市を守る一員だからね。平穏を脅かす敵には、厳しくいかないと」

「その場合もきっと、お父さまは円蓋ドームを滅ぼします。わたし抜きでもそれぐらいはできるし、やりますよ。あの人の跡を継ぐものはいなくなって、『人の姿をした冬獣ニフルス』の群れは彼の代で消滅し、人類の流れをむものはこの地から途絶えます」


 跡形もなく滅ぶのと、どうにも邪悪がちな種族に取り込まれて続くというのは、人道じんどうとしてどちらが正しいのか――考えかけ、やめた。どうせ自分たちはそれをしないだろう。


「ややこしくすんな。愛海じゃなくて、あいつをどうるかだよ」

「可能性があるとすれば、遠距離からの狙撃ぐらいだろうね」

「とやかく言う権利はないんでしょうから、みんなの邪魔はしませんけど。あの人は殺せませんよ。よそから人を連れてきたって同じです。わたしたち親子には、聖二くんの毒も効きませんし」

「……は? どうしてそんなの分かるんだ」


 ほうけたような声が聖二の口からこぼれた。愛海はさも当然とばかりに続ける。


「わたし、いろんな生き物の血を吸うじゃないですか。毒に対するとても強い抵抗力がないと、あんな真似はできないと思いませんか?」


「いや、だって。きみのあの吸血って——あれは要するに、食事の一形態だろ? 食物として取り込むのと、傷口から毒を撃ち込まれるのとでは、別問題だって思うじゃないか。僕の毒で仕留めた肉だって、加熱処理して口から食べる分にはただの人間ですら平気なわけだし」


 自らの沽券に関わる問題に、聖二はべらべらと捲し立てた。


「というか、待てよ……だとしたら、なんだ? 銃を向けて脅したときも、実は全然怖がってなかったってことか」

「それでも、あれは心が傷つきましたよ」

「被害者ぶるのはどうなのかな。なにも間違った疑いじゃなかったわけだし」


 ぶつくさと言う聖二を、陽彦が小馬鹿こばかにする。


「お前って、毒針飛ばす以外にはなんもねえの?」

「ちゃんとあるよ、失礼な。ただ、近接でしか使えない。そうなってくるとやっぱり、あの『こえ』があるのが厳しすぎるな。戦いにすらなるかどうか」


 □□□□殺し合えにはさすがに踏みとどまれたが、□□□動くななどと一言言われるだけで、すべてが終わるだろう。


「耳になんか、詰めもんでもしてよ……いや、でかいこえ出されたら聴こえるかな、おれなんか特に。なら、あらかじめ鼓膜こまくを破っておくとか……?」

「鼓膜なんて僕らはすぐ再生しちゃうよ。狩人でない普通の人間ですら、時間をかければ自然に治る器官だからね」


 これはもう、さすがに詰んでいるんじゃないかと思えてきた。

 世界の現実を知った、あの時と同じだ。自分たちはとっくに手遅れで、できることなどもう何もない。


「ねえ、『こえ』なんだけど。戦うぐらいなら、たぶん私がどうにかできると思う」

 しばらく沈黙していた深雪が、唐突に口を開いた。


「はぁ? いや、お前がいちばん効いてたじゃねーか」

「それは違う」


 陽彦の指摘に、深雪はむっとして返す。

 なにが違うというのか。聖二も当然、陽彦と同じように訝しんだ。けれど愛海だけは、ああやっぱり、という顔で深雪を見ていた。


「さっき私は、あなたたち二人が殺し合わないように、引き剥がそうとしただけ。私にあの『聲』は効かないと思う。たぶん脳の構造が、みんなと違うから」


 思い返してみる――ほんの一瞬だけ、殺し合おうと向き合った聖二と陽彦。両者の腕を強く締めつけた深雪。

 彼女にはそもそも効いていなかったので、二人がすぐ我に返ったことにも気づかず、めどきが分からなかった?

 起こったことの、辻褄つじつまは合っている。


「分かってるとは思うけど、今は冗談や気休めを言うときじゃない。確かなんだな?」


 聖二の問いに、深雪はこくりと頷いて言った。


「『聲』の影響から、みんなを戻すこともできると思う。、そうだったでしょ?」


 ――もはやどうにもならないという事ばかりに、ここまで散々打ちのめされてきて。

 ようやく本当に賭けられそうな、一条ひとすじの光が垣間見えた。

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