4話

 そうだ、殺そう。こちらを振り向く陽彦と目が合い――聖二は一瞬で我に返った。いや、なんで。そんなことするわけがない。

 陽彦も全く同じように動きを止めていた。そんな二人の首めがけて、深雪が勢いよく黒髪を伸ばす。防御すべく二人が振り上げた腕にそのまま髪が絡みつき、ぎりぎりと締めつける。


「……深雪?」

「お前――マジで効いてんのか?」

 拘束が緩んだ。いつもの無表情で、深雪が口を開く。


「ちょっとした冗談」

 嘘をつくな、と思う。さすがにそんな冗談をやる空気じゃなかっただろうと。


「『こえ』も万能ではない。椅子から立つのは自然なことだし、皿をぶちまけても君たちは困らない。しかしここまで極端な命令なら、『成って』いない君たちの脳はまだそれを拒むことができる。一人ちょっと効きすぎた子がいるようだから、私も以後気をつけよう」


 王がそう解説する。今までそんな兆候は見えなかったが――深雪はけっこう深刻に、細胞の侵食が進んでいるのかもしれない。


「なんの前準備もなく、私が出ていって滅ぼせと命じても、だれも従わないだろう。仮にできたとして、ただ操られてそれをした狩人たちに、冬獣ニフルスとしての自己認識が芽生えるとは私も考えていない。だから愛海に、自分への好意と、人間たちに対する憎悪を撒かせている」


 憎悪はともかく、好意ってなんのことだ――聖二はそう思ったが、陽彦はなにか思い当たる節があったらしく、ちょっと苦々しそうに愛海を睨んだ。


「人を滅ぼして当然という考えが十分に広まりきれば、決行のときだ。私たちは彼らの前に姿を現し、我々はもとより人の姿した冬獣であり、これは狂走スタンピードなのだというを提供して、『聲』による号令をかける」


 既知きちの現象に結び付けていることで、結構それらしく聞こえるかもしれないと思った。その時みな既に誘引物質フェロモンのせいで、冷静さを失っているわけだし。それでも付き従わない者がいる、というのはさっきもう言った。王とて、狩人たちを誰一人取りこぼすまいとまでは思っていないだろう。


 計画の中にそれらしい穴を見つけて、つつくことができない。そんな聖二に代わるように、陽彦が口を開いた。


円蓋ドームのやつらに、全部話しちまえよ。あんなところ滅ぼさなくたって、狂っちまったやつから『聲』をかけて、あんたの言う人型の冬獣として取り込む。どうしても、人間が全滅しないと気が済まないっつうんなら……今ならまだ手術を受けられるガキども全員に細胞を移植させて、ゆくゆくはあんたが取り込んだっていい。そんでもう、細胞を移植するには間に合わない歳のやつらは――寿命で死ぬまでは肉狩ってきて、面倒を見てやる。ほんとはこれでも気に入らねえんだけど……おれは我慢してやる。どうだよ」


 虐殺のみを止めようとする、妥協の案だった。確かに王の話は、一部の論点をすり替えていた。彼の群れに狩人たちを迎え入れるのに、一般市民への攻撃は必須ではない。狩人たちは長く生きてさえいれば、みないずれは発狂――彼らが言うところの『成る』のだから、その時に取り込めば済む話だ。それに希望通り、ちゃんと将来的には種を滅ぼしてすらいる。


 どうして自分はそれを考えもしなかったのかとかえりみて――思い出した。王の話に耳を貸しすぎるべきでないと、あえて意識を逸らしていたのだ。

 あのとき聖二には、自分の正義が揺らがないという自信がなかった。一方で陽彦は思考を止めず、より人の殺されない道がないかと探していた。ただ――


「すべての子どもたちに移植手術を受けさせる、というのはとても良い考えだな。一考の余地がある。だが、その他の部分は要らない。なぜ私が人間たちのために、そこまで意向を曲げてやらねばならない?」


 そうくるだろうとは薄々思っていた。おそらく、口にした陽彦自身も。それに、都市の側もこの提案をすんなりと呑みはしないだろう。

 陽彦はなおも問い続ける。


「中のやつらがどんなふうに暮らしてるのか、見たことあるか?」


「いいや。あの円蓋ドームのことは、遠目に一度眺めたことがあるだけだ。だがまあ、私が生み出された経緯を考えるならば――さぞ窮屈で、居心地悪く過ごしているのだろうと、想像ぐらいはつく」


「殺しちまうほど、嫌いに思ってんのか?」


「どうだろうな。嫌いというか、ただそうするのが自然であるように思えるし、弱くて脆い彼らに敬意を払えない。同じ生き物だと思えないのだ」


「先生ってのを、親だと思ってたんだろ」


 王の表情が固まった。にわかに突きつけられた矛盾に、面食らったかのように。


「あんた、怒ってるだけなんじゃねえのか。先生ってのを受け入れなかった連中に」


 王は少し、考え込むようにしてから答える。


「なるほど、怒りか。今まで考えもしなかったが、確かに私の曖昧な部分をうまく説明づけてはいる。だが、もしもその通りだとしたらなおさらにだ。私があの地下都市を滅ぼそうとすることが、君たちにも理解の及ぶ話になってくるんじゃないのかね?」


「あんたがその先生を殺したくせに」


「……その代わり、私は『聲』に目覚めた。私は彼の正しさを証明した」


 底知れなかった王の態度が、少しずつほころびはじめていた。けれど、本人もそれを自覚しているのだろう。


「たくさん話したので、そろそろ疲れてしまったよ。面白い子たちを連れてきたな、愛海」


 そう言って、会話を打ち切ろうとする意志を明らかに示す。


「私は君たちを受けいれる。心変わりしてくれることを願っている。もし、どうしても相いれないというのなら――残念ながら、手荒な真似をするかもしれん。さあ、□□□□□戻りたまえ。それと、そうだな。□□□□□□□□この村から出るな


 そうしようと思った。で出口へと歩みながら、陽彦は最後まで王を睨み続けていた。

 毛皮の仕切りをめくって外に出る。寒々しい夜のもと、不気味な笑みをたたえた住人たちが待ち構えるかのように並んでいたが、その目はみな客人たちではなく、背後にある建物を――王のいる場所を、見つめているようだった。

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