3話

「少し先走ったかな。まずはこの村のおこりについて、だったね」

 こほん、とひとつ咳払いをして、王はにっこりと微笑む。


 人間たちを皆殺しに――直前の言葉に持っていかれそうになった思考を、聖二はなんとか引き戻した。

 彼が何を考えているのか。どうしてそんなことをしなければならないのか。その答えは、話の先にきっとあるはずだ。


「こんな話がある。冬獣ニフルスの王はみな、一目見てそれと分かる外見や雰囲気を有しているが、これは順序が逆なのではないかと。特徴ある個体が周りのものから一目置かれ、自分は王なのだと強く確信することで、脳の異常発達を起こすという。こそが王を作る、という仮説だ」


 聖二にも覚えがあった。冬獣ニフルスの生態について学んだとき目にしたものだ。ただしそれは、あくまで裏付けのない仮説どまり——しかもどちらかといえば、与太話よたばなしたぐいとして扱われていたはずだ。


「『狩人の王』を作り出すというアイデアを思いついた、冬獣ニフルスの研究者である支倉はせくらあさひ先生は、その仮説に可能性を見出した。それを再現するための計画を煮詰め、協力者を集めて、やがて実行が可能だと判断した彼は、四十年ほど前——自身の死を偽装して地下都市を抜け、実験のための村を秘密裏ひみつりに築いたのだ」


 正確には、三十八年前だったはず――愛海のことを調べた際に見つけた名前だった。同じ姓を持つだけあって、やはり関係があったらしい。


「彼自身や協力者のうちの何人かは、冬獣の細胞を一切持たないただの人間だった。地下から出て生きるのには、暖を取る必要がある。山の中にあって見つからないだけでなく、近くの炭鉱跡を掘れば石炭が手に入るこの地は、都合が良かったのだろう」


「どうして死んだふりをして円蓋ドームを出てまで、見つからないようにしたんです?」


「君がさっき言った通り。技術的には可能でも、別の問題があった。一つは、円蓋都市は長年、曲がりなりにも安定はしていたということだ。彼が目指したのは、みなが地下から出て狩人として暮らしつつ、狂ったものたちが同士討ちをしない社会だ。だが過去の様々な施策が予想外の落とし穴にはまったように、必ずしも上手くいくとは限らない。今ある秩序を乱してまで新しいことに賭けるべきではないと拒むものは多い。あの都市は破滅を恐れるあまり、変化を忘れて硬直している」


 聖二にとっても、やや耳の痛い話だった。『都市の影』の活動は、現状の維持を基盤ベースにしている。


「もう一つの問題は、実験の内容が、倫理的にとても許されるものではなかったことだ。旭先生自身が、かつてそう話していた。私に言わせればおかしな話だがね。幼い子どもたちを駆り出してまで生き残ろうとしている者たちの倫理など、他者を咎められるほど立派なものでもないだろうに」


 口ぶりや表情から、都市のことを強く嫌悪していることが伝わってくる。ただ、どこか表層的というか――知らない他人の悪口を、伝聞で語っているみたいな印象を受けた。


「実験の内容はこうだ。二十人ほどの赤子に、生まれてすぐ冬獣の細胞を移植する。そのうちの一人——なるべく集団の中で目立ちそうな、変わった見た目をした子をあらかじめ選んでおいて、特別な育て方をする。脳の特定の部位を薬品で刺激して発達させつつ、君は王として生まれてきたのだと幼少期から刷り込み続ける。子どもたちが育ってきたら、常にその子を皆の中心に置き、優遇をえてひけらかし、あらゆる活動でリーダーシップを取らせる」


「……ちなみに、その子どもたちは一体どこから?」


「記録上は死産したことにして、円蓋ドームから連れ出したらしい。親たちの同意は得たと言っていた。私たち自身はその時まだ赤子だから、同意もなにもあるまいが。少なくとも私は、首を縦に振った記憶はないよ」


 倫理に大差がないようなことを言っていたが――かなり大幅に、守られるべき一線が踏み越えられているように思えて、聖二はわずかに顔をしかめる。王はそれを汲み取りつつも、不快とは思わないようだった。


「先生の名誉のために言っておくが、彼自身もそれを大いに問題があると語っていた。本人の言葉を借りるなら、彼も協力者たちも――『そうまでしてでも、世界をいまよりくしたかった』そうだ」


 その人物を強く慕っていることを、隠そうともしない口ぶりだった。彼らはその支倉はせくらあさひ先生によって大いに運命を歪められており、恨む権利すらありそうだが。やはりどこか、物の見方みかたが歪んでいるように思えてしまう。


「さて、そのように育てられた私は自身を『狩人の王』だと信じ切っていたが、肝心の『こえ』にはなかなか目覚めなかった。どうしてだと思う?」

 少しだけ考えて、聖二は答えた。

「それは……仮説がそもそも間違っていた、とか?」


 王はほんの少し、眉をひそめる。

「先生が見出したものが、間違いであるはずなどない。私はこう考えた。『聲』は王のものであるという以前に、冬獣ニフルス特有のものなのだと。だから私は人間をやめて、冬獣ニフルスになればいいんじゃないかと思った。そのために何をすべきかと悩んだ末に――人間なら普通はやらなそうなことを、やってみようと思った。私は、親のように慕うあさひ先生たちを殺すことにした」


 聖二は息を飲んだ。王の――支倉はせくら乃吾のあの血を透かしたような瞳が、いっそう濃く赤く光る。


「彼らをなぶると、私自身の心も同じように痛んだ。けれどそれを続けるうちに、時折ふと、よろこびが痛みを上回る瞬間があった。自分の中の何かが少しずつ満たされていくとき、ようやく私は、それまでの自分がただ与えられたものしか持たない、空虚な器であったことに気づいた」


 温かく鷹揚な気配は、いつの間にか目の前の男から綺麗さっぱり消え失せていた。もしかすると、最初からなかったのかもしれない。ありもしないものを、勝手に見出そうとしていただけで。


「先生の心臓を抉り出し、そこに残る血を一滴残らず飲み干したとき、私は本当の生が始まったことを確信した。私の唇は自然と、自分自身に向けたうぶごえを紡いでいた。『□□□□□□人間を滅ぼせ』と。そうするのが、私にとって当たり前だと思った」



※※※



「……それで、だから。あんたは円蓋ドームのやつらを皆殺しにしようってのか?」

 陽彦が問うた。その声に、先ほどのような切実さはもう無い。


「それもある。だがそれだけでなく、君たちのためでもあるのだ。私は君たちのことも救うべき同族だと思っている。自分が本当は何者なのかを自覚するためには、私と同じことをする必要がある。狩人たちに、円蓋ドームを滅ぼさせる」


 なかなか共感しがたい過程を乗り越えて、いよいよその核心に辿り着いたようだった。

 なんらかのすばらしく神秘的な体験をした彼は、かれと思ってそれを狩人たちにも味わわせたいらしい。

 問題はそれが人ではなく、怪物的な善意ということだった。


「あんた、狂ってるぜ。おれたちは冬獣ニフルスじゃない。狩人で、人間だ。あんたみたく親を殺したところで、本当ホントーの自分とかいうやつに目覚めたりしないし、なりたくもない」


 陽彦の冷ややかな拒絶に、王は首を横に振る。


「果たして、そうだろうか。今の君たちだって、自分を純粋な人間とまでは思っていないだろう? 細胞を移植された狩人。人間と冬獣ニフルスの混ぜ物。言いようはいくらでもあるが――陽彦はるひこ□□□□□□□□立ち上がりなさい


 毛皮の張られた椅子から、陽彦がすっくと立った。


「部分的にでも冬獣ニフルスでなければ、そうやって『こえ』に従うことなどない」

「ちょうど今、ケツが痛くて立とうと思ってたとこだよ」


 つよがりをふふ、と短く王が笑い、構わずに続ける。


「『冬獣ニフルスの混ざった人間』と、『人の姿をした冬獣ニフルス』の間に明確な区別はなく、曖昧な境界でしかない。あるいは同じものを、別の名で呼んでいるにすぎない。それを分けるものがあるとすれば――君たちが人の延長たる狩人であるのは、自分自身をそう位置づけているからだ。が我々をつくる。獣であることを本心で受け入れた瞬間から、君たちは私の群れに加わることができる。あの都市を終わらせるのは、そのための導線だ」


 聖二が口を開く――目の前の危険な男を不愉快にさせ、怒らせるかもしれない。それでも言わなければならないことがあった。


「あなたは狩人たちのためにそれをすると言うが、僕はそれを望まない。あなたがやろうとしていることは五万人の市民の虐殺であり、それは正義に反する行いだ。あの都市には僕とこころざしを同じくする者たちが他にもいるし、彼らはいくら感情を煽られようとも、その意思を曲げたりはしない」


 その表明に、王はどこか憐れむような溜め息をつく。


「私の決めた幸せが、君たちの幸せだ。王は配下を愛しても、対等とまでは見ないものだよ。それに、その意思は本当に唯一正しく本物か? 君たちがその身を砕いて人類を守り続けることだけが、正義の行いと言えるのか? 人類はあとどれぐらい、この厳冬フィンブルヴェトの世界でたもつことができる? その間生まれる多くの命に、苦しみを伴った生涯を送らせることが、絶対の正しさだとでも?」


 まともに耳を傾けてはならない――もっともらしいことを言っているようだが、これは破滅主義者が並べるただの建前であり、本心からの言葉ではない。聖二はそう思った、というより、つとめてそう思うことにした。


「このように考えるといい。円蓋ドームの人間は確かに滅ぶ。だが、その由来ルーツを受け継ぐ我々が、この地に生き続けるのだ。猿から人へと進化していく過程で、幾らかの淘汰が起こったことを、君は悲劇と思うか? それと同じことだ。我々の子孫が、この地上に巨大な群れをいくつも築き――その数はいずれ、いまの円蓋の人口をも超えていく」


 いっそ受け入れてしまえば、ややこしいことが全部すっきりする。耳元でそう、悪魔が囁いた気がした。いちど『聲』によって操られたことが、思考にも影響を与えているのかもしれない。


「それに、そう。私たち自身の繁栄と存続のためにも、狩人たちを取り込む必要がある。遺伝子の多様性だよ。ここにいるものたちの交配だけでは、せっかく生まれた『王』の系譜を活かすこともなく、我々はいずれ滅ぶだろう。君たちの種が定めた正義とやらに付き合って消えるつもりはない」


 言い切って、長く喋っていた王がようやく黙った。そのあいだに、少し思考を整理する。

 ありふれた道徳を説いても、この狂った王はおそらく考えを変えない。

 彼は狩人たち自身が居住区画を攻撃することで、自己を冬獣として認識するようになると考えているらしい。

 その内容に穴はないか? 実現困難だったり、予測できる不利益があったりしないか? そちらを探って突いた方が、この男がとどまる公算はまだ高い気がする。


 意を決して、聖二は尋ねる。


「どうして今すぐにやってしまわないんです? さっき僕や陽彦を動かしたように、狩人たちに『聲』で命令して」


 新たな問いに、王は好ましげに微笑んだ。

 ふだん喋らない住人たちに囲まれて、会話そのものに飢えているのかもしれない。

 少しだけ考え込んで、語り出す。


「なるほど確かに、『こえ』で何もかもを手っ取り早く解決するというのが一番良いかもしれない。現に君たちは、愛海がみんなにちょっかいをかけていることに気づいたようだ。いとしいむすめをこれ以上危険に晒し続けるのは、不本意ではある」


 にやりと王が笑う――特大の悪戯イタズラでも思いついたかのように。


「手始めに、今やるか。君たち、□□□□殺し合え

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