2話

 泥のようにという言葉が相応ふさわしいほど、四人そろって熟睡した。ここに来るまでに長時間の運転をしていた愛海はもちろん。ほかの三人も、肉体はともかく気持ちが疲れ切っていた。


 夕刻になって皆が起きると、愛海の父——支倉はせくら乃吾のあの居宅だという、あの一際大きな建物へと向かった。乃吾のあは通りのあたりでまた他の住人たちのことを眺めつつ四人を待っており、こちらを見つけると鷹揚おうように手を振って歓迎するしぐさを見せた。


 招かれて中に入る。外観どおりの広々とした空間に大きな石の食卓テーブルが鎮座しており、毛皮を張りつけた椅子が周りに五人分並んでいた。

 壁際にはベッドのほか、半分ぐらい空きのある本棚が置かれている。他とはちがうスチール製で、なんとなく円蓋ドームの由来品であるように聖二には思えた。


「どうぞ、座ってくれ」

 と先に着席しつつ乃吾が促し、その隣に愛海が、対面側に聖二たち三人が座った。

 笑みを崩さない住人たちが出入りして、愛海たち親子の前に血らしき液体のなみなみと注がれたマグを、三人には焼いた肉を載せた皿をきょうした。


円蓋ドームから遥々はるばる、よく来たね。さあ、おあがりなさい」


 乃吾が杯をあおり、皆もそれに続いて食べ始める。ふる漫画コミックなんかに出てくる、ご馳走を並べた会食みたいなものを意識しているようだったが、陽彦が大口あけて肉にかぶり付いたりしてもさほど気にしていない。

 どこか児戯的じぎてきというか、真似ごとっぽいという感じがして、この人自身もあまり作法とかに詳しくないんじゃないかと聖二は思った。


 出てくるものも、普段食べている肉と変わり映えがしないし――そう思ったことだけは、じきに裏切られた。初めに出された肉の皿が空くと、おかわりとともに別の品が現れた。鳥の死骸を濡らしてそのまま皿に載せたみたいな、なんだかおそろしく強烈な見た目のもので、発酵したような匂いが漂ってくる。


 何かこう、反応を試されているのかと思わず対面を見ると、父娘おやこたちは今気づいたというような顔をしていた。


「ああ、君たちはあまりその食べ方をしないのだな。羽根をむしってそのまま食べるといい」

「見た目はあれですけど、美味しいらしいですよ」


 そりゃ、きみは食べないから別にいいんだろうが。心の中でそう呟きながら恐る恐るかじってみると――案外あんがい悪くない。というか味覚がほとんど働いていない聖二にとって、むしろこの臭気の強さやちょっとドロリとした食感が、久しぶりにものをちゃんと味わっているという実感をくれる。


 思わぬ食いつき方をする聖二に、ほかの二人——特に陽彦が、異常者を見るかのような眼差しを向けた。嗅覚の鋭い彼には特に、この珍味は厳しかったのだろう。


「あとで作り方を教わろうかな」

「そいつを定番メニューに入れたら、おれがお前をひき肉にしてやる」

「聖二はまず、スープの塩加減から覚えて」


 ふざけ合う三人に愛海がくすっと笑い、乃吾がそれを見てほう、と感心を漏らした。


随分ずいぶん彼らに気を許しているようだな、愛海」

「はい。聖二せいじくんも、深雪みゆきちゃんも、陽彦はるひこくんも、大切なお友達で仲間です。できればこれからも、ずっと」


 そう言って微笑む娘の姿に、乃吾は慈しむように目を細めた。



※※※



 皆の腹が満ちて、食事の手が止まりだした頃。

「それじゃあ――そろそろ、お話ししましょうか」

 愛海が切り出した。緩んでいた空気が、急に引き締められる。


「彼らはいったい、何をどこまで知っているんだね?」

「聖二くん、どうなんです? わたしに言ったのが全てですか?」


 乃吾からの問いかけを受けて、愛海がそう水を向ける。


「きみが誘引物質フェロモンを使って、狩人たちの憎悪を煽った。支倉という姓の人はずっと前に子どもを残さず亡くなっていて、きみは円蓋ドームの生まれじゃない。きみはどうやら『あの都市を終わらせる』つもりでいるらしい。それで全てだよ」


 前提を確認するため、聖二は改めて口にした。乃吾がこくりと頷く。


「ふむ。では、知りたいことは?」


「どうしてそんなことをするのか。あそこは大勢の一般市民が暮らしていて、狩人たちが拠点にしています。その人命の尊さはもちろんのこと、今となってはよその国、よその島、よその大陸の都市が、どれだけ残っているかも分からない。あそこにいる約五万人こそが、現存する最後の人類なのかもしれない——ただ、この集落には思いのほか人がいるみたいですけれど」


「む……ここについては?」


「愛海からはまだ何も。それも知りたいことです。うちの陽彦は鼻が利くので、この村の人たちはみんな狩人だと言ってますが。それにしてはあなたも含めて、みんなとしが行き過ぎている。全然喋らないのも、正直ちょっと怖いですし」


「よろしい」

 乃吾がかぶりを振った。


「理解しやすい順序というものがある。少し長くなるが、この村のおこりのことから話すのが良さそうだ」



※※※



「まず、ちょっとしたクイズを出そう。君たちの円蓋ドームには、大勢のただの人間と、それよりも遥かに少ない数の、冬獣ニフルスの細胞を移植した狩人がいる。だが、どうしてそんないびつな体制を取る? 厳冬フィンブルヴェトが始まってからの世界は、人間が生きるには過酷すぎる。地下にこもる者たちのために、狩人たちが必要以上の苦労を強いられているのだろう。だったらむしろ、人口の多くを狩人に置き換えてしまえばいいんじゃないのかね?」


 その問いかけはしくも、陽彦に最近語ったのとほとんど重なる話だった。


「実際にそれを行った国が、かつて滅んだからです。狩人たち一人ひとりの負担が分散されることよりも、大勢が狂いだす危険リスクを背負う、欠点の方が大きかった」


 正解だ、と乃吾が頷く。


「しかし実際に起こったことはともかく、その理屈には少し妙なところがある。狂うとか、冬獣ニフルスのように凶暴化するとか言うが、当の冬獣ニフルスたちはみな本能のままに生きていても、群れという社会を保っているじゃないか」


 それもかつて大いに議論され、とっくに結論の出た問いだった。


「僕らの社会と、獣たちの群れとでは、複雑性がちがいすぎます。何よりあの生き物たちには、王が発する絶対遵守の『こえ』がある」


 聖二が答えるのを聞いて、乃吾は満足げに微笑んだ。


「即答するあたり、よく勉強しているようだ。君たちはみんな歴史を学ぶのかな?」


「いや、全然。聖二こいつがちょっと変なだけだよ。頼むからあんたら、おれにも分かるように話してくれよな」


 陽彦が口を挟み、乃吾がそれに苦笑する。


「まあ、善処しよう。ところで今答えてもらった二つのことを踏まえて、あることを思いついた研究者がいる。なんだか分かるかね」


 いたずらっぽく指を立てる仕草――聖二は首を横に振った。


「『こえ』だよ。冬獣ニフルスが個々の凶暴性を、より知性的な『王』の命令によって抑え込んで、群れを維持しているように。発狂して冬獣同然に振る舞うようになった者たちにも、それを制御できる『狩人の王』がいたとしたらどうだ? それなら皆が細胞を移植して、この厳冬の世界でも青空の下で自由に生きられる。心をり減らして戦った末に、親しい友人を手にかけるような悲劇だって、回避できるんじゃないかね?」


「それは……」

 言葉に詰まった。言われてみれば、確かにそうだと思う。けれど聖二はべつに冬獣ニフルスの研究者でもなんでもない。ここまでの問いだって、調べて知ったことをそのまま返しただけだ。


「実際にそうなっていないということは、原理が分かってないとか、技術的にそれは不可能とか、できてもまた別の問題があったということなんじゃないですか?」


 どうとでも取れる言葉で濁したが、乃吾はその返答で満足したようだった。


「まあ、そんなところだね。ちなみに、技術的には可能だった」


 そしてにやりと笑い、聖二のことを指さして。


□□□□□□□□□皿を叩きつけなさい

 異質な『聲』で、そう命令した。



※※※



 まだ下げられずに残っていた、目の前の皿を聖二は掴む。

 大きく上に振りかぶり、そのまま足元へとぶん投げた。がしゃあん! と高く乾いた音がして皿が粉々に砕け散り、残っていた肉の脂がついでに床を汚した。


 陽彦があんぐりと口をあけた。深雪はいつもの無表情のまま、聖二と乃吾とを交互に見た。愛海はただ、曖昧な笑みを浮かべている。


「そんな、まさか」


 呆気にとられたまま、聖二は呟いた。なぜこんなことをしたのか。命令をされたことは分かるが、従おうという意識すらなかった。聖二は皿を叩きつけようと、そう行動に移していた。


「ふむ。これぐらいなら、容易たやすく入るようだな」


 乃吾はひとりで納得しながら、豊かなひげを撫でる。


「この村はかつて秘密裏ひみつりに、非正規の実験が行われた場所なのだ。私や同世代の住人たちはその被検体でね。彼らはとっくに、君たちが言うところの『狂った』ものなのだよ。移植された冬獣ニフルスの細胞が脳まで侵食しつくし、凶暴に振る舞うはずの。我々はそれを『成る』と呼んでいるがね」


 何人かの住人が壁際に並んだまま、不変の笑みを食卓の乃吾へ――彼らの王へと向けつづけている。


「だが、見ての通りだ。彼らは決して争うことなく、とても穏やかに過ごしているよ。王として目覚めた私が、そのように『聲』をかけているからね。私は君たち円蓋ドームの狩人たちにも、同じようにしてあげたいと思っている」


「……マジかよ、おい」


 陽彦は肩を震わせていた。すがるような声で言った。


「あんたがいれば、おれたちもう、狂っちまうってビビらなくっていいのか……?」


「勿論だとも。これまでさぞや辛かっただろう、苦しかっただろう。君が今まで耐えてきたことが、ちゃんと報われる」


 穏やかに王は答えた。まるで陽彦を、血の繋がった息子とでも見ているかのように。その表情にはいささかの悪意も含まれてはおらず――聖二はそこに、一縷いちるの望みをかけられる気がした。


『都市を終わらせる』というのは、もしかしてそういう話なんじゃないのか? 彼の『聲』によって今の体制を変革し、人々がみな地上に出て生きはじめるということを、遠回しに言っただけで。なにかよこしまな考えを持つ者が、あんな温かな目をできるはずがない。


 聖二が薄っすらと抱きかけた、その希望を――


「もう怖がらなくていい。人間なんかやめて、冬獣ニフルスりたまえ。、一つになろう。聖二せいじ深雪みゆき陽彦はるひこ

 その自覚すらなく、王はあっさりと踏み潰した。

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