2話
泥のようにという言葉が
夕刻になって皆が起きると、愛海の父——
招かれて中に入る。外観どおりの広々とした空間に大きな石の
壁際にはベッドのほか、半分ぐらい空きのある本棚が置かれている。他とはちがう
「どうぞ、座ってくれ」
と先に着席しつつ乃吾が促し、その隣に愛海が、対面側に聖二たち三人が座った。
笑みを崩さない住人たちが出入りして、愛海たち親子の前に血らしき液体のなみなみと注がれた
「
乃吾が杯を
どこか
出てくるものも、普段食べている肉と変わり映えがしないし――そう思ったことだけは、じきに裏切られた。初めに出された肉の皿が空くと、おかわりとともに別の品が現れた。鳥の死骸を濡らしてそのまま皿に載せたみたいな、なんだかおそろしく強烈な見た目のもので、発酵したような匂いが漂ってくる。
何かこう、反応を試されているのかと思わず対面を見ると、
「ああ、君たちはあまりその食べ方をしないのだな。羽根を
「見た目はあれですけど、美味しいらしいですよ」
そりゃ、きみは食べないから別にいいんだろうが。心の中でそう呟きながら恐る恐る
思わぬ食いつき方をする聖二に、ほかの二人——特に陽彦が、異常者を見るかのような眼差しを向けた。嗅覚の鋭い彼には特に、この珍味は厳しかったのだろう。
「あとで作り方を教わろうかな」
「そいつを定番メニューに入れたら、おれがお前をひき肉にしてやる」
「聖二はまず、スープの塩加減から覚えて」
ふざけ合う三人に愛海がくすっと笑い、乃吾がそれを見てほう、と感心を漏らした。
「
「はい。
そう言って微笑む娘の姿に、乃吾は慈しむように目を細めた。
※※※
皆の腹が満ちて、食事の手が止まりだした頃。
「それじゃあ――そろそろ、お話ししましょうか」
愛海が切り出した。緩んでいた空気が、急に引き締められる。
「彼らはいったい、何をどこまで知っているんだね?」
「聖二くん、どうなんです? わたしに言ったのが全てですか?」
乃吾からの問いかけを受けて、愛海がそう水を向ける。
「きみが
前提を確認するため、聖二は改めて口にした。乃吾がこくりと頷く。
「ふむ。では、知りたいことは?」
「どうしてそんなことをするのか。あそこは大勢の一般市民が暮らしていて、狩人たちが拠点にしています。その人命の尊さはもちろんのこと、今となってはよその国、よその島、よその大陸の都市が、どれだけ残っているかも分からない。あそこにいる約五万人こそが、現存する最後の人類なのかもしれない——ただ、この集落には思いのほか人がいるみたいですけれど」
「む……ここについては?」
「愛海からはまだ何も。それも知りたいことです。うちの陽彦は鼻が利くので、この村の人たちはみんな狩人だと言ってますが。それにしてはあなたも含めて、みんな
「よろしい」
乃吾がかぶりを振った。
「理解しやすい順序というものがある。少し長くなるが、この村の
※※※
「まず、ちょっとしたクイズを出そう。君たちの
その問いかけは
「実際にそれを行った国が、かつて滅んだからです。狩人たち一人ひとりの負担が分散されることよりも、大勢が狂いだす
正解だ、と乃吾が頷く。
「しかし実際に起こったことはともかく、その理屈には少し妙なところがある。狂うとか、
それもかつて大いに議論され、とっくに結論の出た問いだった。
「僕らの社会と、獣たちの群れとでは、複雑性がちがいすぎます。何よりあの生き物たちには、王が発する絶対遵守の『
聖二が答えるのを聞いて、乃吾は満足げに微笑んだ。
「即答するあたり、よく勉強しているようだ。君たちはみんな歴史を学ぶのかな?」
「いや、全然。
陽彦が口を挟み、乃吾がそれに苦笑する。
「まあ、善処しよう。ところで今答えてもらった二つのことを踏まえて、あることを思いついた研究者がいる。なんだか分かるかね」
いたずらっぽく指を立てる仕草――聖二は首を横に振った。
「『
「それは……」
言葉に詰まった。言われてみれば、確かにそうだと思う。けれど聖二はべつに
「実際にそうなっていないということは、原理が分かってないとか、技術的にそれは不可能とか、できてもまた別の問題があったということなんじゃないですか?」
どうとでも取れる言葉で濁したが、乃吾はその返答で満足したようだった。
「まあ、そんなところだね。ちなみに、技術的には可能だった」
そしてにやりと笑い、聖二のことを指さして。
「
異質な『聲』で、そう命令した。
※※※
まだ下げられずに残っていた、目の前の皿を聖二は掴む。
大きく上に振りかぶり、そのまま足元へとぶん投げた。がしゃあん! と高く乾いた音がして皿が粉々に砕け散り、残っていた肉の脂がついでに床を汚した。
陽彦があんぐりと口をあけた。深雪はいつもの無表情のまま、聖二と乃吾とを交互に見た。愛海はただ、曖昧な笑みを浮かべている。
「そんな、まさか」
呆気にとられたまま、聖二は呟いた。なぜこんなことをしたのか。命令をされたことは分かるが、従おうという意識すらなかった。聖二は皿を叩きつけようと自分の頭で考えて、そう行動に移していた。
「ふむ。これぐらいなら、
乃吾はひとりで納得しながら、豊かな
「この村はかつて
何人かの住人が壁際に並んだまま、不変の笑みを食卓の乃吾へ――彼らの王へと向けつづけている。
「だが、見ての通りだ。彼らは決して争うことなく、とても穏やかに過ごしているよ。王として目覚めた私が、そのように『聲』をかけているからね。私は君たち
「……マジかよ、おい」
陽彦は肩を震わせていた。
「あんたがいれば、おれたちもう、狂っちまうってビビらなくっていいのか……?」
「勿論だとも。これまでさぞや辛かっただろう、苦しかっただろう。君が今まで耐えてきたことが、ちゃんと報われる」
穏やかに王は答えた。まるで陽彦を、血の繋がった息子とでも見ているかのように。その表情には
『都市を終わらせる』というのは、もしかしてそういう話なんじゃないのか? 彼の『聲』によって今の体制を変革し、人々がみな地上に出て生きはじめるということを、遠回しに言っただけで。なにか
聖二が薄っすらと抱きかけた、その希望を――
「もう怖がらなくていい。人間なんかやめて、
その自覚すらなく、王はあっさりと踏み潰した。
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