第四章

1話

 地形の凹凸おうとつを乗り越えながら雪上車が往く――助手席でぐったりする陽彦が、大きな揺れにあおられるたびうめきをあげた。


「ほんとに……こんなとこの奥に、人住んでんのか? 馬鹿なんじゃねえの……」

「だからここが選ばれたんでしょうね。誰の目にもつかない場所として」


 ハンドルを握る愛海は平然とした顔をしている。彼女が目的地として指し示したのは、円蓋都市の東——周囲を山に囲まれた、かつての炭鉱街のあたりだった。


「本当に道が分かるの?」

「山の膨らみの形とかでだいたい分かります。このあたりは私の庭みたいなものですから」


 右後部座席の深雪が尋ね、愛海がそう得意げに答える。

 座ってただ運ばれるままの三人は、慣れない傾斜にみな不安な思いを抱えていた。


 普段走るような平野部にはおおよその現在地が分かるような英字アルファベットと数字の標識が点在しており、それを頼りに街跡まで辿りついたり、円蓋ドームへと帰ったりできるのだが、ここらにはそういった目印が配置されていない。

 狩人たちの行動範囲はその実、北海道という島の広さに比べてあまりにも限られていた。円蓋都市を含んだ南北に延びる平野に沿って行き来し、山越えを試みることなど滅多にない。


「山の真っ只中で遭難してガス欠、とかだけはやめてくれよ」


 左の後部座席についた聖二が、窓の外を眺めながら言った。遠くの方の雪面に、枯れた木々が先端を覗かせているのを超視力で見つける。ああいう細かな天然の地形を逐一覚えていけば、たしかに迷わず行き来することもできるのかもしれない。


「……迷いませんよ、馬鹿にしないでください」

 それまでと違って、どこかぞんざいに愛海が返した。


「まだ怒っているのか、銃を向けたこと」

「それはもう良いですよ。そんなことより……二人とも聞いてください。聖二くんったらなんか告白っぽい雰囲気作って、わたしをもてあそんだんですよ」


 もっとしょうもない話じゃないかと、聖二は溜息をつく。


「あれはきみを油断させて、表情から情報を得ようと……」

「最低。やって良いことと悪いことがある。女の敵」

「ひどいやつだぜ宗像むなかた聖二せいじ……おれたち思春期の頭の中なんて寝ても覚めても恋ばかりなのに、それを利用するなんてよ……」

「絶対そんなこと1ミリたりとも思ってないだろ」


 いつの間にかみなで聖二を弄りたおす雰囲気で、むくれたふりをする愛海もよく見ると口の端が笑っていた。


 なんとも不思議な感覚だった――どうやら愛海は、明確な害意を持って都市を脅かす敵のはずなのに。自分たちはもういつも通りの四人に戻りつつある。

 陽彦が何も言わないということは、誘引物質フェロモンの支配下に置かれているわけでもないのだろう。


 馬鹿馬鹿しい話だが、ほんの少しだけ思った――愛海の抱える事情とやらが、とてもとてもものであってくれれば。自分たち四人はこれからも道を違えることなく、こうやって一緒にいられるかもしれない。

 けれど都市を終わらせるとまで言って正当化されるような事情は、残念ながら聖二には見当もつかなかった。こんな都合の良い願望を抱いていられるのも、きっと今だけなのだろう。



※※※



 山合やまあいの向こうに緑の夕陽が沈み、青白い月が照らす夜の山を駆けて、また新たな日の出を迎えた頃。


「そろそろ着きますよ」

 と、愛海が声をかけた。


 窓の外の遠景えんけいが、次第に構造物らしき輪郭シルエットをはっきりとさせてくる。なんだか思っていた以上に、しっかりした集落があるっぽいぞ、という感想を聖二は抱いた。


 小高い丘の上に愛海が雪上車を停めて、四人が降り立つ。白や暗褐色の、丸みを帯びた家らしきものが二十五か、三十か――それぐらいの規模であちこちに建っているのが一望できた。普段目にするような廃墟群のそれと違って、根元から雪に埋もれていない。


「あの建物は、木か、土か……いや、雪でできているのか?」

 外観からその材質が今一つうかがい知れず、聖二は尋ねる。


「パイクリートですね。古い木の繊維をほぐして混ぜた、頑丈で溶けにくい氷ですよ」

 愛海が上機嫌に答えた。自分の故郷だという集落の光景を紹介できるのが、誇らしいという表情だった。


「人がいる」

 と深雪がこぼす。大人も子どもも含んだ人影が、建物の数と相応なぐらいには行き交っていた。円蓋ドームの居住区画が脳裏をぎる――規模と比べて寂れきったあの街とは違う、生の気配がここには漂っている。


「さ、行きましょう」

 そういって愛海が先頭をいき、みなその後に続く。


 丘を下って集落へ踏み入ると、住人たちとすれ違った。その辺りから、なんだか不気味だ、と聖二は感じていた。

 年齢層はおよそ二極化されていて、三十代半ばから後半ぐらいに見える大人か、十代前半からそれ以下ぐらいの子どもかのどちらかだった。二十歳はたち前後の世代、あるいは中年以上のものは見当たらない。冬獣ニフルスの毛皮を加工したと思しき服を着こみ、みな一様に微笑みを浮かべて、一言も声を発さないままこちらに軽い会釈だけをしてくる。愛海に連れられているとはいえ余所者である三人を、まるで気に掛ける様子もない。

 聖二や深雪は釣られて会釈し返したが、陽彦は怪訝な表情を隠そうともしなかった。


 やがて、集落の中央——ほかより一際ひときわ大きく目立つ建物の前にある、開けた通りに辿りついた。


 なんだか目を惹く、体格のよい男性がそこに居て、道往くものたちのことを眺めていた。歳はほかと同じく三十代後半ほどのようだが、髪は金色に煌めき、同じく金色のヒゲをゆたかにたくわえている。彫りが深く精悍な顔立ちに、ぱっちりとした赤い色の瞳。

 三人ともおもわず、男と愛海とを見比べていた。


「お父さま、ただいま帰りました」

「……おお、愛海」


 驚き以上に、やっぱりな、という思い――むしろ赤の他人と言われた方がびっくりするほど、目の前の二人は似通っている。


「どうしたんだ、急に帰ってきて? その子たちは?」

「わたしのお友達です。この場所を見せてあげたくって」

 愛海の父はふむ、と頷いて、どこか子どもっぽく好奇心を秘めた視線を聖二たちへと向けてくる。そんなところも、確かに愛海の肉親っぽいなと思わされた。


「娘が世話になっているようだね。私は支倉はせくら乃吾のあ、ここの長をしている者だ。是非もてなしたいところだが……もうそろそろ、なってきた」


 聖二たちと同じく、夜のあいだ起きて朝に眠る生活規則リズム——この人も狩人なのだろうと推測する。

 愛海の父——乃吾のあは、少し離れた所にある建物をゆびさした。


「あそこのを使うといい。よければ後でうちに来て、夕食を一緒に食べよう」



※※※



 建物の入り口には扉がなく、代わりというように掛けられた大きく分厚い毛皮が、その内外を仕切っていた。

 愛海がそれをくぐり抜けるようにして先に入り、少しして「どうぞ」と壁越しのくぐもった声がして、三人も続いた。


 冬獣の細胞を身に宿す聖二たちにとって、という前置きはつくが――特殊な氷でできているというわりに、内気温は多少ひんやりとしている程度だった。石を切り出して作られた机や、毛皮を重ねて敷き詰めたベッドのようなものが、吊り下げられた照明ランタンによってほのかに照らされている。壁や天井が熱で溶けないのだろうかと少し思ったが、きっと要らぬ心配なのだろう。四人が入っても窮屈さを感じないぐらいには広々としていて、休息区画の個室コンパートメントなどよりよほど住空間として快適かもしれない。


「——……はぁ。一体なんなんだ、ここは」

 四人だけの内輪うちわな空間ができたことに少し安堵を覚えて、ようやく聖二は溜め込んでいたそれを口に出した。


「まるで立派な村そのものだけど、どうしてこんなところに人が住んでいられる? 円蓋ドームの地下よりは遥かに寒いし、冬獣ニフルスだって襲ってくるだろうに」

「それなんだけどよ。あいつら、だぜ。匂いで分かる」


 陽彦がそう告げる。そんな馬鹿な、と聖二は目を剥いた。


「狩人の限界年齢はおよそ三十歳までで、それ以降は狂ってしまう割合が大きく上がるとされている。さっき会った人たち、明らかにそのとしを超えてたじゃないか。四十代まで狂わなかった例も知ってはいるけど、そういうのはごく例外だ。あの人数はありえないよ」


「んなこと言ったって。あいつらどう見たって普通じゃねえだろ。なんだあの気色悪きしょくわりい笑顔」


 それはまあ、確かに――というかもう、いいからさっさとネタを明かしてくれという気分だった。そもそもの元凶たる愛海や、既に詳しい事情を聞いているという深雪の方を見るが。


「せっかくですから、食事の席でお父さまも交えてお話ししましょう」

「愛海がそう言うなら、それがいいと思う」


 などと、このにおよんでらしてくる。


「なあ、そもそもこんなほいほい付いてきて良かったのかな。円蓋ドームを終わらせるとかなんとか、ヤバいこと言ってるやつの本拠地に」


 本当に今さらなことを陽彦がぼやく。聖二は深く溜め息をついた。誘引物質フェロモンで誘導されている気配がないからと、逆に油断していたふしは否めない。


「……まあ、僕が戻らなかったら、愛海を疑うように言伝ことづてを残してはきてる。それに、なんだかんだ言って信じたいじゃないか。ちゃんと分かり合えるような事情があるんだって」


 ほとんど負け惜しみのような聖二のその言葉に。


「わたしも期待したいですね、聖二くんたちが、分かってくれるって」


 曖昧あいまいな笑みをしながら、愛海はそう返すのだった。

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