6話

「陽彦の嗅覚ほどじゃないけど、僕もある程度は感情が読める。瞳孔の収縮や、目線の動き、顔の筋肉の動きなんかを見てね」


 蛇型の冬獣ニフルスがそっと、鎌首をもたげるように――聖二は隠し持っていた長銃の先を、愛海へと向けた。硝子ガラスのマスクと接続されてはいないが、毒液は既に充填されている。


「なんでそれを、と思ったようだね。何を言っているんだ、ではなく」

 愛海は何も言わない。答えあぐねるというより、聖二の出方を窺っているというふうに。


「円蓋都市を守ろうとする集まりに、僕が参加していることは前にも話したね。少し前から我々は、狩人たちの雰囲気がおかしくなっていることに気づいた。けれど妙なのは、その風潮にまるでがないことだった」


 聖二は話を進めることにした。愛海を問い詰めるべきと断じた、理由と経緯について。


「体制を打破して大きな変化をもたらそう、そのために結託しようと人が動くとき、そこには何かしらの思想や、御旗みはたが必要になる。何百年も前の、宗教や権力、富などを巡って起きたとされる革命でもそうだったし、厳冬の時代だって、それは変わりないとされている」


 永くに渡って円蓋都市を守ってきた『都市の影』たちの集積的な知見に、聖二は一定の信頼を置いている。直感でも、そう的外れな話ではないと思えた。


「けれど、見つからなかったんだ。それらしい切欠きっかけも理由もなく、中心人物もいないのに、ただただ狩人たちが一斉に、一般市民たちに対して過剰なまでの怒り――とまで言っていいものを抱くようになっていた。僕らの間でも意見が割れたよ。じつは単なる思い過ごしで、みんな最初からこれぐらい激しく恨みつらみを抱えていたんじゃないかとか。僕らの中に都市の転覆てんぷくを企む裏切り者がいて、うまく隠れながら思想を広めてるんじゃないかとかね」


 喋りつつ緊張で乾いてきた唇を、毒液交じりのツバで潤す。


「あの鳥との戦いを経て、思った。冬獣ニフルス由来の能力なら、自分が出元だと悟らせることなく、人の心に干渉できるんじゃないかと。当てはまるものは居ないかと考えてみて、浮かんだのは、きみだった」


 愛海の誘引物質フェロモンは、冬獣を惹き寄せるというばかりではない。いつかの時に暴漢の怒りを一瞬で鎮めたように、それなりの応用が利くことは分かっている。


 そこでようやく、愛海が口を開いた。

「ええと……聖二くんは五百人もいる狩人の、全員の能力チカラを把握してるんですか?」


「いいや。というか、そんなことは誰にもできない。同じ種の細胞を移植されたとして、発現する能力は本人の体質や気性にも大きく影響を受ける。誰がどんな力を持っているのか把握しきることは不可能だ」


「じゃあそれって、そういうことがわたしにできるってことではあっても、わたしにしかできないってことにはなりませんよね?」


 もっともな反論だが――そのわりに、愛海の口調は軽かった。

 聖二がそんなおぼろげな着想だけで、自分に銃まで向けるわけがないことを分かっている。論理に穴が見えたから、一応突っ込んでおこうとでもいう雰囲気だった。


「もしもその通りなら、それでいいんだ。疑ったことを謝るし――その上で、僕が言ったことの逆をしてほしい。つまり、きみの誘引物質フェロモンで狩人たちの憎悪を抑えてほしい。それでこの件はひとまず好転する。もっと早く、これを思いついて頼めば良かったのにね」


 きっとそうはいかないだろうという言外の含みが、首を振る聖二のしぐさからこぼれていた。


「疑いを持った僕は、きみ自身について探ることにした。本当にきみが憎悪をばら撒いているとしたら、なんらかの思想や、それによって得られる利益があるはずだと思ったからだ。ありえそうなのは、親からの影響だと考えた」


 愛海の肩がびくりと震えた。聖二が何を調べ、何を知ったのか勘づいたのだろう。


円蓋ドームのシステムというのは案外杜撰ずさんでね。陽彦なんかは都市の中枢で、巨大な人工頭脳が唸りを上げてるようなイメージを持っていたみたいだけど。実態は何十年も更新されていない演算機コンピュータで、職員が手打ちで色んな記録データを管理している。けれど、その中でも優先順位はある。居住区画の住人は遺伝子の多様性を保つためにいるのだから、近親者同士で子どもを作るようなことがあってはならない。だから婚姻と出生の記録は厳重に管理され、容易に改竄かいざんできないようになっている」


 決定的な疑いを、突きつけなければならない。愛海の赤い瞳も、いよいよ見開かれていた。


支倉はせくらせいは三十八年前、支倉はせくらあさひ氏が亡くなって以降途切れている。支倉はせくら愛海あみという名前の子は、この円蓋都市に産まれていない」


 誰も面倒を見ようとしない焚火がいつの間にか弱まって、夜の闇がいっそう濃く二人を包んでいた。遠くでびゅうびゅうと、冷たい風が吹く音がした。


「今まさに、人心が乱れているこの都市で。存在しないはずの人間が、心に干渉しうる力を持っている。さすがにこれは、なにも問い詰めないというわけにはいかないよ」


 問いかけの形を変え、改めて聖二は尋ねた。


「きみは何者なんだ、愛海」

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