4話

 聖二の先導にそのまま付いていく。すれ違う者たちはみなやつれた顔つきで、先ほどの男がたまたま際立って不健康ではないのだと実感させられた。

 歩きながら、陽彦は考える。かつては自分も住んでいたというのに、どうしておれは居住区画ここに対してズレた印象を抱いていたのか。


 住居、柱、住居、柱――しばらく歩き続けるうち、変わり映えのしなかった景色にようやく変化が現れた。六角形のオブジェのようなものが、地下都市の天井を貫くようにそびえている。この物体にも見覚えがあった。円蓋ドーム内部の地表へと通じる昇降機エレベーターだ。


 周りの壁や床、柱などが石材やコンクリートらしき素材で作られているなかで、硝子ガラス製のそれはどこか雰囲気が浮いており、実用や安全よりも洒落しゃれっ気を重視して作られたという雰囲気だった。大きな地震でもくれば、粉々に砕けてしまいそうに見える。

 設計デザインされたのはおそらく何十年も前なのだろうし、当時の人間には多少なりとも遊び心が残っていたということでもある。野暮なことは言うまいと陽彦は思った。


 近くの突起ボタンを押すとすぐに扉が開き、二人で乗り込んだ。オブジェを内側から眺められるのではないかと少し期待したが、昇降匣しょうこうばこには窓がついているわけでもなく、無機質な壁に四方を囲まれているだけだった。もしかすると幼少の頃も、同じようにがっかりしていたかもしれない。


 上へと持ちあげられているはずなのに、むしろ下に押し付けられるような奇妙な感覚のあと、電子的な音が到着を告げた。

 開いた扉から差し込むまぶしさに、思わず目をつむる。硝子円蓋ガラスドーム越しの陽光が、ちょうど昇降機エレベーターの出入り口あたりに注いでいた。


 そこに、はるがあった。


 陽だまりの匂いがした。緑のふかふかが敷き詰められた地面を男の子が駆けまわって、屈託なく笑い声を響かせていた。母の腕に抱かれた女の子が、脱力しきって眠っていた。兄弟らしき子たちがじゃれ合いながら格子状こうしじょうの遊具にしがみ付いている。それを廻してやる両親たちも、下で見た者たちよりよほど血色よく見えた。


 思い出す――自分も幼い頃、あの廻る遊具や、向こうに見えるシーソーや、ブランコで遊んだ。あの頃は世界のすべてが暖かく、安全で、心地のよいものだった。


 母さんといっしょに砂場でお団子を作って、食べるふりをしておいしいねと笑った。ほんとうに甘くておなかが満ちるような気がした。


 遊び疲れた自分を父さんがぶって、揺らさないようにそっと運んでくれた。無口なひとだったけれど、広くてあたたかい背中だった。


「健康のため日光を浴びるのが必要と分かっていても、大半のものは億劫おっくうになってここに足を運ばなくなる。けれど、子どもを産み育てる者は別だ」


 目の前のそれらを、聖二が補足して語る。


「多くの親たちは子どもらを、世界の残酷さから遠ざけてやろうとする。きっと彼ら自身が、両親にそうしてもらったように。あるいは本当に、この瞬間だけは彼らも救われているのかもしれない」


 それは陽彦が抱いた疑問に対する、核心を突く答えだった。


 安全圏でぬくぬくと暮らしている連中。陽彦の中のその印象イメージかたちづくっていたのは、両親から受けた愛そのものだった。


 細胞を移植されてからの七年間。迫りくる死と発狂の恐怖ストレスが陽彦を傷つけ、膿ませ、もらった愛情すらも怒りへと歪めてしまっていた。


 自分がつらい想いをしている間も、あいつらは楽園のような世界で暮らしているのだと、憎むことでしか心を守れなかった。


 陽彦が狩人として選ばれ、連れて行かれた時、両親はどんな気持ちだったか――いや、知らないわけではない。離別わかれきわに自分をぎゅっと抱きしめた力強さとその手の温もりを、今でも思い出せる。

 ただずっと、忘れていただけだ。


「なあ、家族に会えねえかな」

 八歳のまま眠っていた、泣き虫な心がそうこぼした。


 見当違いに抱き続けた恨みを謝りたかった。父と母もまた受けたのであろう、心の痛みを癒したかった。自分はまだ生きている、元気にしていると、ただ伝えたかった。


「特定の誰かに会うとかいったことは、きみの私益になる。悪いけど、僕らの規則ルールでそれは禁じられている」


 聖二にそう告げられ、陽彦はただ、光景に背を向けてうつむいた。子どもたちに今の顔を見られないように。


 この中からもいずれ誰かか狩人として選ばれ、自分と同じような想いを抱くことがあるのかもしれない。そう思うと、どうしようもなく胸が締め付けられた。



※※※



 かつん、かつん、と薄暗い通路に靴音が響く。居住区画から個室コンパートメントへの帰路をゆく、二人の表情は硬かった。


「いつの間にか、忘れてしまう者も多いけれど。あの場所は決して楽園じゃない。もちろん、命がけで戦うよりはマシという考えもあるだろう。それでも、彼らには彼らなりの苦しみがあるんだ。生きていることの意味すら見出せない、乾いた人生が」


 再確認するように聖二が切り出す。それを突き付けたのは、ひどく残酷なことだと分かっていた。陽彦の中の当たり前は今日、大いに打ち砕かれたことだろう。それでも、今の彼ならばきっと受け入れられるという信頼があった。


「滅びてしまえ、死んでしまえなんて、軽々しく言われていい人なんてきっといない。彼らを守るという正義のもとに、僕らは結託している」


「いいかげん、その正義の秘密結社の名前ぐらい、教えてくれてもいいんじゃねえか」

 少し気力を取り戻してきたのか、陽彦が尋ねる。


「『都市の影』という。結社なんて大それたものじゃないよ。だいたい三十人ぐらいの同盟さ」


 おおむね予想通りの規模感だったのだろう。聖二の答えに陽彦はふうん、と頷いた。

 当事者である聖二からしてみると、その理念や目的を果たすにはいささか頼りのない人数だった。集団が大きくなるほど秘密を守ることが困難となるため、勧誘は慎重に行われているのだ。


「少し前から狩人たちの間では、居住区民に対する憎悪が蔓延はびこっている。先日ついに直接的な暴力が振われて、重傷者が出てしまった。あとほんの少し空気が傾けば、崩壊はあっという間に訪れるかもしれない」


 その喫緊きっきんの問題について、聖二が話題に挙げる。


「それなんだけどよ。なんか、妙っつーか……なんであいつら、あんなにイライラしてんだろうな?」


 陽彦の方からも、引っかかっていることを尋ねた。少なくともあれは、ずっと前から当たり前の態度ではない。


「煽動する者がいるとにらんでいる。僕はそいつを捕えたい」


 蛇めいた瞳が陽彦を見据える。話さなければならないことの、ここからが本題だった。


「一緒にこの円蓋都市を守ってくれ、陽彦」

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