3話

 奇妙な違和感があった。几帳面に線を引いて等間隔に造られたような住居群や支柱、幾何学きかがく模様の石畳いしだたみは、記憶と寸分も違わないはずなのだが。

 こんなにも天井が低くて窮屈な場所だったろうかと思い――街ではなく、自分の目線が変わっているのだと気づいた。この七年で陽彦の背丈は、大人とほぼ遜色ないぐらいまで伸びている。


 辺りはひっそりと静まり返っていて、人の気配といえば行き交う影がちらほらと見える程度だった。幼いころは疑問に思わなかったその光景も、今見るとどこか不自然に思える。


「なあ。なんか人少なくねえか?」

 居住区画の人口は、たしか五万人——狩人たちの百倍だ。ここがどれぐらい広い空間なのか今一つ掴みきれないが、そんな膨大な人数が収まっているとすればもっと人間で溢れているはずではないのか。


「彼らはあまり外に出ないんだよ。僕らでいうところの個室コンパートメントみたいな家が世帯ごとに割り振られていて、だいたいそこにこもっている」


「ああ、なんか……そんなんだったっけ。何して過ごしてんだ?」


「さあね。本でも読んで時間を潰しているか、あるいは本当に、なにもせずじっとして寝ているんじゃないかな」


 なんだそりゃあ、という陽彦の率直な感情が、顔に出ていたのだろう。

「歩いている人をよく見てごらん」

 と聖二が促した。


 近くを通りがかった男に目をやる。どこか弱々しい足取り。太っても痩せてもいないが、筋肉の量は乏しそうに見えた。青白い肌で、目には覇気がなく、強いストレスの匂いがした。


「なんか、病気でも流行ってんのか?」

「いいや、もう何十年も流行り病は起こっていないはずだ」

「じゃあ、あいつはなんであんななんだ」

「居住区画に住む、ごく一般的な住人の姿だよ」


 そんな、まさか――何か言葉を返そうとしても出てこず、ツバをごくんと飲み込んだ。

 居住区画ここはもっとこう、お気楽でぬるい場所ではなかったのか?


「やっぱりね。なにかきみの感覚は、実態とズレていると思っていたんだ」

 聖二がやれやれ、と首を振りながら言う。


「もっと悠々自適な生活を送っていると思っていたんだろう? だが実際には――医者でもなんでもない僕らから見ても、彼らは明らかに不健康だと分かる、苦しみの多い生活をしている」

「わっけ分かんねえ。冬獣と戦って死ぬとか、狂っちまうとか、そういうのとは無縁で暮らしてんだろ? 何がそんなに苦しいんだよ」


 狼狽うろたえる陽彦に、ちょっと声量を落とせ、と聖二は身振りで示した。


「まず日光を浴びないことによるビタミンDの生成不足だね。筋肉や骨が弱っていくんだ。冬獣の細胞を移植して代謝のシステムが変化している僕らと違って、肉ばかりの食生活では栄養が偏るというのもある。けれど一番の要因は、身体よりも心の問題だろうな」


「はあ? 心?」


「彼らには、するべきことがないんだ」


 よく分からない話になってきた。聖二はこれで、説明できているつもりなのだろうか?


「生活サイクルを回すために必要なものは、すべて揃ってはいるんだよ。材料は僕ら狩人が調達するし、それらは地下の自動工場で食糧やその他の雑品に加工される。都市が求めるごく一部の技能者――医師や研究者、雪上車の整備技師、その他諸々もろもろの係員なんかには役割が与えられるけれど、そんなのは五万人の住人たちの内、ほんの一部だ。それ以外の大多数は、遺伝子の多様性を確保するために養われているに過ぎない」


「あ〜……え〜っと? それ、どこがつらいんだ? 何もしなくていいなんて最高なんじゃねえのか」

「何をしたって無意味、といった方が正しいだろうね。彼らの力や頑張りや選択が、何かを好転させることもなければ、維持に繋がることもない。そういう状態が慢性的に続くと、人の心というのは病むんだよ。冬獣狩りは命がけだけど、努力や試行錯誤に対してある程度の成果が返ってくるだろう? 自分で思っている以上に、僕らはその行程を楽しんでいるらしい」


 どうにか否定しなければならない気がして、聖二の言葉の中からあらを探す。


「漫画で読んで知ってるぜ。あの、なんか……野球とかサッカーとかバスケとかの、球あそびをすりゃいいじゃねえか。あとは……そう、それこそ漫画を描くとか。いくらでも時間があるってことは、いくらでも面白いもんが作れるだろ」


「そういう試みがされていた時代もあったらしいけど、とっくに廃れてしまった。理由はいろいろと考えられるけど……そもそも彼ら自身が、楽しい生活を送ろうという発想を手放してしまっているんだろう。外で命がけで戦っている狩人たちに、申し訳が立たないとね」


 そんなバカな――円蓋都市は幼い陽彦を死地に追いやった冷徹な機構システムであり、居住区民たちはその加担者のはずだ。

 そうでないと――自分は一体、今まで何に対して怒ってきた?


「じゃあおれたちは、そんな苦しい生活をずっと長引かせて、たもたせるために戦ってんのか? 別にいいじゃねえか。せっかくなら楽しく生きろよ」

「今までもそう思いながら戦ってきたのかい?」


 指摘されて、ぐう、と唸った。逆だ。安全圏で暮らしているやつらのことが嫌いで、恨めしくて、お前らなんか苦しめばいいと思っていた。

 ここには陽彦が願っていたような世界がある。なのにそれを見てすっきりするどころか、ますます心がもやがかっていくようだった。


「なんでおれたちには、これが隠されてる?」

 一旦受け入れるほかなかった。その上で、新たに生まれた疑問をぶつける。

 狩人たちみなが、この現状を知るべきじゃないのか。


「隠されてるもなにも、きみらだって昔は住んでいたんだけど……初めからこうだったわけじゃないよ。昔、まだ他の都市との交信が途絶えていなかった頃——冬獣の細胞を移植する手法が編み出されてから、いろんな国のいろんな地域で、ただの人間と半獣の狩人との在り方が探られた。ある都市では見切り発車ぎみに、手術が適用できる児童こどもたちの大半に細胞を移植した。寒さへの耐性、再生能力、屈強な肉体を備えた狩人たちこそ、人類のあらたな進化の形だと考えたようだ」


「それはなんか……うまくいかないんじゃねえのか?」


「ああ、そこは滅んだ。いろんな都市に戦争をふっかけた挙句、最後にはものすごい早さでみなが狂って内輪揉めしてね。それで全員が手術を受けるのではなく、大多数の一般市民と、ごく一部の狩人という基本形ができた。別のある都市では狩人を軍人として扱いつつ、ほかの市民と分け隔てるような真似はしなかった。そこの狩人たちは次第に強い特権意識を抱き、日常的に市民を虐げはじめた。治安が大きく悪化し、じきに社会そのものが立ちいかなくなってしまった」


 息を飲んだ――狩人たちによって都市が滅ぼされる。少し前なら、冗談か願望のたぐいだろうと一笑に付せたかもしれないが。


「ほかにも様々な失敗例を参考にして、ちょっとずつ今の形になったんだ。狩人と一般市民の生活圏を極力切り分けて、必要なものだけを提供するようにね。その頃はまだ社会にも、街の形態をいじる程度の余力があったらしい。実際の所、ここと狩人たちの区画とを遮る壁が今この瞬間に消えてなくなったとして、きちんと踏みとどまれるものはどれぐらいいる? むしろ人々が弱っているのを好機とみて、転覆を試みるやつが現れるんじゃないか?」


 そこまでのバカはいない、なんて楽観的な台詞はもう吐けなかった。配給の係員に危害を加えるような奴と、それに賛同する大勢の奴らがいることを、陽彦はもう知ってしまっている。


「都市と狩人たちとの繋がりが弱いことによる、不都合も色々あった。電子点数ポイント稼ぎしか狩りの動機づけがないから、優先して潰すべき冬獣の群れが放置されがちになるとか。そういう問題を解消するために、円蓋都市に対して協力的な狩人たちにひそかに声をかけて、秘密の勢力が作られたんだ」


「前にちょっと言ってた、お前が入ってる正義の味方軍団か。おれらに喋って良かったのかよ」


「あまりかたくなに隠しても逆にぼろが出るから、存在を仄めかす程度ならね。さっききみが指摘した通り、不公平であることは認めよう。都市との連携・交渉のためとはいえ、個室コンパートメントから居住区画ここへと繋がる幾つかの隠し通路を僕らだけが知っている。だが私欲を満たすような真似はしていないと誓うし、少なくともこのやり方で、この円蓋都市は二〇八九年現在まで滅ぶことなく保たれてきた」


 浴びせられた情報の、全てを咀嚼はしきれず――けれど聖二の、不公正を見過ごすような態度については、なんとなく納得した。より大きなものを守るためという理屈で、彼の中の正しさは十分に保たれているのだろう。


「もう少し、他の場所も見に行こうか。この都市の象徴——円蓋ドームの中とかね」



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