2話

 どこまでも広がるような真昼の青空に反抗するかのように、吐き出した煙で大気をけがす。

 地下へと続く出入り口のすぐ近く――陽彦はひとり、緩慢な自殺に励んでいた。とはいえ今日は湿っぽい感傷は抜きで、単に食後の一服をたしなんでいるだけだ。


 休息区画に設けられた食堂で提供される食事はあくまで繋ぎ程度であり、狩人たちが満腹となるにはやや物足りないが、飢えて死ぬというほどでもない。

 その不足たりなさを、ふんわりとした多幸物質ニコチンで穴埋めする――刹那せつなのひととき生まれた『完全』に、心を浸した。


 周囲にも余所よその狩人たちがちらほらと、何人かで固まって互いをいぶしあっていた。地下での喫煙はご法度となっており、みなわざわざ一服するためだけに、休憩区画からちょっとした距離を外まで歩いてくるのだ。


 自分だけ一人であることに、寂しさはない――意地を張っているのではなく、これは本当に。彼らにとっての煙草は嗜好というだけでなく、意思疎通コミュニケーションのための道具ツールでもある。ああやって四六時中ベタベタ馴れ合うというのも、陽彦の好みではない。


「おい、お前」

「……あン?」


 そんなことを考えていると、突然声をかけられた。

 振り向いた先——口ひげを生やした体格のある青年と、猫背の少年が、やや距離をとって陽彦の様子を窺っている。


 こいつら何だっけ、どっかで見たおぼえが――さほど間を置かずに想起された不快な記憶に、おもわず眉をひそめた。胸ぐらを掴んできたいつぞやの酔っ払いと、その仲間ツレだ。

 とりあえず一息——煙を肺に入れて、フーッ、と吐き出した。面倒臭いことになる予感しかしない。


「なんかこいつ……すげえ不機嫌じゃねえか?」

「当たり前じゃないっすかトオルくん。アンタ前回、胸ぐら掴んでるんすよ」

「酔ってたんだよ俺は! お前が止めてくれよ、康弘ヤスヒロ!」

煙草ヤニ吸ってる最中に話しかけんじゃねえよ、クソどもが」


 目の前でなにやらウダウダと騒ぎ出した二人組に、指で挟んだ煙草の先端を向けて睨みを利かせた。甘っちょろい聖二とは違い、こういう奴らには初めに舐められた時点で終わりだと陽彦には分かっている。


「二対一でいいんだな?」

「こいつ狂犬かよ! なあ、ほんとにこんなのがあの子の仲間だったかなぁ!?」

「アンタが言えたことじゃないっすね。すんません、今日は喧嘩売りに来たんじゃないんすよ」


 張り合ってくるかと思ったが、口ひげは前のような威勢がなく本当にたじろいでいるように見えたし、猫背にもニヤついた雰囲気がない。

 なにより敵意を向けてきているなら、そういう匂いがするだろう。目の前の二人からそれは嗅ぎ取れなかった。


「……要件は?」

 と、一応聞き取りの姿勢を示してみせ、煙草を咥え直す。


「お前らのところの、あの金髪の子……彼女とお近づきになりてえんだ!」

 口ひげから返ってきた予想外の言葉に、煙をぶはっと吐き出してせた。

 金髪の子——おそらく愛海のことだろう。あの一度のやりとりで、まさか惚れてしまったのか。


「ゲホッ……、いや、無理だろ。第一印象がアレじゃあ」

「オレもそう言ったんすけどねえ」

 猫背が遠い目をして、他人ごとのように呟く。


「なんだよ! あんなにニコッと笑ってくれたんだぞ!」

「愛海は誰にでもあんな感じだよ」

「そんなふうに遠ざけてよお……さてはアレか、お前らって猟団パーティ内で付き合ってんのか!?」

「こいつ、死んでくんねーかな」


 色恋ごとに興じる狩人というのも、そこまで珍しくはない。ただ現状、陽彦たちの間でそういった気配はなかった。

 もしも愛海が内外の誰かとそういう関係性に至ったとして、とやかく言うようなつもりはない。が――


「要するに取り次いでくれって話だろ? だよ。おれがお前のこと嫌いだし」

 にべもなくそう断る陽彦に対し。

「なあ頼むよ! 前のことは悪かったって謝ったろ?」

 口ひげは恥じらいもなく、なおも縋り付いてくる。

「透くん、こうなるとしつこいんすよ。本人にばっさり斬ってもらったほうが成仏できますって」

「斬られる前提で話を進めんじゃねえ!」


 だるいことになったなと思いつつ、陽彦も少しだけ真面目に考えてみる。

 目の前のアホがこんなことになっているのは、愛海が使っていた誘引物質フェロモンの影響かもしれなかった。身近にいる陽彦、聖二、深雪はともかくとして、突然浴びせられたものにとっては運命的な恋とまがうほどの刺激だったとしてもおかしくはない。

 そうだとしたら、その感情を納めるための責任の一端ぐらいは愛海にもあるだろうか。


 それにもし、口ひげが陽彦の仲介を諦めて、直接愛海に声を掛けたらどうなるだろう。ちゃんとあしらえるのか、正直いって分からない。

 陽彦から見た愛海は、ふわふわしているように見えてもけっこうしたたかなやつ――そう思っていたのだが、それなりに脆い一面もあると最近知ったばかりだ。


 いっそのこと、引き合わせてしまうのもありかもしれない。ただし、陽彦が見ている前で。そうすれば愛海が断りたいとき、自分が助けに入ってやれるのではないか。


 しばらくの思案ののち。

「しゃあねえな。本人が良いって言ったらだぜ」

 そう言って溜め息をつく陽彦に、口ひげはいっそ見ていて微笑ましいぐらいの喜びを表出した。


「ほ、本当か!? ありがとな、お前めちゃくちゃいい奴じゃねえか!」

「ただし、断られたら粘着するんじゃねえぞ。そうなったらおれがお前をぶっ殺すからな」

「ははは、任せとけって! どんとこいだ! バンバン殺していいぜ! ぶっ殺されるの大好き!」

「なんなんだよこいつ、ママのお腹に知能を忘れてきたのか?」

「テンション上がりすぎてめちゃくちゃなこと言ってますよ」

 あまりのはしゃぎぶりに、猫背までそう水を差す。


「冗談だよ、はっは! そうだ、これやるよ! お前、煙草好きなんだろ?」

 と、口ひげが未開封の煙草の箱を、じ込むように無理やり手渡してきた。

 ちょうど今は手持ちがあるのでそこまで求めていないのだが、まあ貰えるもんなら素直に貰っておくかと、陽彦はそれを外套コートのポケットに収めた。



※※※



 数分後。

「そいつらは何?」

 二人の客を引き連れ、地下の休息区画へと戻った陽彦が通路で鉢合わせたのは、探していた愛海ではなくもう一人の女子——深雪の方だった。


「こいつが愛海とお近づきになりてえんだと」

 と陽彦が口ひげを指さすと、深雪は怪訝そうな表情で——いつも無表情でムッとしているように見えるのだが、猟団の仲間たちには多少の機微がなんとなく読み取れるし、陽彦には匂いでより鮮明に分かる――検分するように客人たちをじっと見つめた。


「会わせる必要はないと思う」

「そりゃ、おれも思わなくはねえけどさ。本人抜きで決めることでもないだろ」


 あいだにあった諸々もろもろの考えは省略し、とりあえずそれらしいことを言ってみせるが、深雪はまるで納得していないようだった。暗雲立ち込める気配を察したのか、口ひげも表情を曇らせる。


「あー、お前ら、やっぱまた今度にしてくんねえかな」

 なんだかもう面倒くさくなって、陽彦がそう告げると。


「はあ!? なんだよおい、じゃあ煙草返せや!」

 口ひげは鼻息荒く喚き出した。手が出ないだけこないだよりはマシだが、酒が入ってなくても沸点の低いやつだなと陽彦は呆れた。


「いいよ別に、元々そこまで欲しくもねえ」

 先ほど握らされた煙草ソレを、特に未練もなくそのまま返すと。

「待って、それは何? 煙草に釣られて愛海を紹介しようとしたの?」

 見ていた深雪が、口ひげや猫背にすら分かる強い口調でそれを咎めた。


「はあ? そりゃ誤解だ。押し付けられただけだぜ」

「もしそうだとして、まず普段の行いが良くない。煙草なんて吸って悪ぶってるから、そういう悪い友達ができる」

「もしそうだとして? 勘違いさせたおれが全部悪いってか? 私はいつでも冷静ですみたいな顔しやがって、めちゃくちゃなこと言ってんのはどっちだよ」


 言い合いがどんどん加熱ヒートアップしていく――しだいに内容もこの場のことから離れ、やれ普段から話を聞かないとか、言葉づかいが悪いとか、仕事ぶりが雑とかいったことにまで発展していく。


「う、うへええ〜……」

「男女混成の猟団って、もっとこう……緩い感じじゃないんすかね……?」

 もはや発端である口ひげと猫背たちの方が、巻き込まれたような気分で成すすべなく立ち尽くしていた。


「昔のあなたは、もっと素直でやさしい子だった」

 深雪がそう口走り。

「お前こそ、初めて会ったときはもうちょっと可愛げってもんがあったぜ」

 陽彦がそう言い返したのは、単に売り言葉に買い言葉というやつだった。


 傍から見ていた二人にも、ほかと比べて別段それだけがきつい物言いには感じられなかっただろう。しかし。

「——————……」

 その一言に、深雪は黙り込んだ。


 かと思えば突然くるりときびすを返し、陽彦たちに背を向けて足早にその場を去っていく。

 呆気にとられる三人だけが、その場に取り残されていた。


「……え? いや、何? なんでいきなり話が終わったんだ? 飽きた?」

「不毛な喧嘩を続けるのが馬鹿らしくなった……んすかね?」


 憶測を広げる後ろの二人に、んなことあるかと陽彦は内心で苛つく。去りゆく深雪の背からは、緊張と傷心の匂いがした。どうやら彼女にとっての心の急所を、そうとは知らず踏み抜いてしまったらしい。

 反省をする一方で――知ったことか。自分が言われたくないなら、似たようなことを相手に言うなとも思う。


「てめえのせいで散々だ、ヒゲ」

 そう言って陽彦も来た方向を振り返り、口ひげと猫背を置き去りにして区画外へと歩き出した。

 もういっぺん煙草ヤニを吸いなおし、澱んだ気分をリフレッシュしないとやっていられなかった。



※※※



 個室コンパートメントの扉を強くめ、施錠する。ベッドに突っ伏して顔をうずめる。自分でも驚くほどに、単なる言葉で深く動揺しきっていた。


 陽彦のその言葉を引き出したのは、自分の煽り文句だった。直さなければいけないと分かっている悪癖——強い言葉を使って、それでも相手から見捨てられない自分を確認せずにいられない。


 初めて会った時とは変わりきった自分——誰よりも私自身が、それを理解していた。可愛げがなくなった、などというよくあることでなく、存在の根幹にかかわる話として。


 コンコンコン、と優しいノック音。


「深雪ちゃん、ここにいますか?」

 気遣きづかいを含んだ愛海の声。


 顔を上げる――地下空間では時間の経過が分かりにくい。いつの間にか何時間も、そうしていたことに気づく。

 解錠し、扉を開いた。心配そうな顔で立っていた愛海――一転、ぱあっと明るい笑みを咲かせる。


「陽彦くんから聞きました。喧嘩して、深雪ちゃんのことを傷つけちゃったみたいだって。それで自分の名前は出さずに、それとなく構ってやってくれないかって」

「全部言っちゃってる」

「えへへ」


 愛嬌のある愛海の微笑みに、同じように返せないのがもどかしい。

 言い合いのあとにも相手を気遣える、陽彦のような心根の温かさが欲しかった。

 至らなさや冷たさを自覚して、それでも表情すらほとんど変わっていないのであろう、自分自身が嫌になる。


「深雪ちゃん、きっと何か、言いたくても言えないことがあるんじゃないかって。これも陽彦くんが」

 愛海が距離を詰めて私の手を取り、どこか安楽な心地に包まれる——陽彦のように嗅ぎ取れはしないけれど、おそらく誘引物質フェロモンこうかもしているのだろう。


「他の人に聞かれたくないことなら、どうかわたしにだけでも教えてくれませんか?」

「それも、全部言ってしまわない?」

「深雪ちゃんが望むなら、誰にも」


 頷く愛海を扉の内側に招き入れた。手狭な個室コンパートメントのベッドに、二人で並んで座る。


 自分がしたことはとても残酷で、果たして愛海が本当に受け入れてくれるのかは分からない。

 それでも優しいこの子なら――いなくなってしまった彼女のために、祈ってくれるかもしれないと思った。


「私には、神経線維を伸ばして他の生物の身体を乗っ取り、自分の一部のように動かす能力ちからがある」

「うん、知ってます」

 その前提を確認し、私は秘密を明かし始める。


砂川いさかわ深雪みゆきという人間ではなく、その脳に定着した、冬獣ニフルスに由来する神経細胞。

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