3話

 広くて薄暗いコンクリート張りの地下空間——四人が荷箱コンテナから積み下ろした肉の塊が、下層へと繋がる搬送装置コンベア上を流れていく。

 それらは自動工場で食べやすい形に加工されて、居住区画の一般住民たちに供給される。日照不足によって農業などもままならなくなった現代において、冬獣ニフルスの肉や脂は人口をまかなうための重要なタンパク源・熱量カロリー源だ。


 また、狩りが行われるのはただ食糧とするためだけではない。獣たちの群れの規模があまりに大きくなると、手近な人間の居住地に押し寄せてくる『狂走スタンピード』という奇異行動を起こすことが知られている。

 世界中の幾つもの都市が、この狂走を凌ぎきれずに壊滅してきた。そうなる前に狩人たちが、野にいるうちから芽を潰すのだ。


 荷箱コンテナの九割ほどが空いたところで荷下ろしが済み、聖二が奥の駐車位置へと雪上車を移して、狩りから続く一連の作業がようやく終わった。

 下ろさず残した肉や血のタンクも一見それなりの量だが、冬獣の細胞を身に宿す陽彦たちは代謝も常人のそれとはかけ離れており、数日足らずで消費することになるだろう。


「三人ともお疲れ。解散前に配給所に寄ろうか」

 聖二がみなをねぎらって提案し、

「いいじゃん。煙草まだあっかな」

「あれがいいです。削った氷にかけて食べるシロップ」

 陽彦と愛海が大いに賛同する。

「陽彦はそろそろ禁煙すべき」

 深雪も水を差しつつ、反対はしなかった。


 各猟団パーティには、納めた肉の量に応じてささやかな電子点数ポイントが付与される。それと引き換えることのできる嗜好品しこうひんたぐいは、狩人たちにとっての数少ない潤いだった。


 人気があるのは酒や煙草、合成砂糖でつくられる菓子などだ。かつての時代にあったという未成年の飲酒・喫煙を取り締まる国家法は、この地下都市においては適用されない。あまり若年のうちから嗜むべきでないという規範意識は薄っすらと残っているが、ちょっとわるぶりたい陽彦のような者にとっては、むしろ消費をあおられているようなものだった。


 搬入・駐車区画の壁から伸びたコンクリート張りの細長い通路を連れ立って通り、押戸おしどを開けて休息区画へと入った。

 ほんのりと橙色とうしょくを帯びた電気照明はどこか温かさを感じさせ、床や壁も無機質な打ちっぱなしのコンクリートではなく、石材タイル模様の張り物を施されている。

 実際そこは視覚的にいろどられているだけでなく、寒さに強い狩人たちにとっては十分に安楽といえる、零度れいど前後の内気温が保たれている。


 同様に一仕事終えたらしき他の猟団パーティの者たちもちらほらと行き交う中、ちょうど四人のお目当てのあたり——陳列棚に品々を並べた小型店舗キオスク形式の配給所から、怒鳴るような声が響いた。


「ざっけんなよ、オイ! てめぇら誰のおかげでメシにありつけてると思ってんだ」

「い、いや……私にそれを言われても……」

「ああ!? なんだてめえ、文句あるってことだな。俺とるか? おい」


 わめいているのは、大柄で口ひげを生やした赤ら顔の青年だった。何かしらの冬獣の因子によって容貌すがたを変えているのかと陽彦は一瞬勘ぐるが、何のことはなく酒に酔っているだけだとすぐに分かった。後ろでは、連れ合いとおぼしき猫背の少年がにやにやと笑みを浮かべている。


 その圧を受けてたじろいでいるのは、やたらと大げさな防寒服に身を包んだ、中年ぐらいの男だった。冬獣の細胞を身に宿していない、普段は居住区画で暮らす一般住民の係員だ。


 三者すべてに対して、陽彦はおもわず呆れた。

 手に入る酒なんて大した量でもないのに、よくもまああそこまでべろべろになれるもんだ。そこまで酔いやすい奴が、そもそも飲むんじゃねえ。

 後ろで眺める猫背野郎は、どうせゴネたところで何も出てこないのを分かった上で、酒に酔った身内の奇行と中年男が怯える姿を見て面白がっているのだ。


 言われっ放しの中年男も、陽彦に言わせてみればずいぶんと情けない。十二、三の頃の自分でも、もう少しぐらい肝が据わっていた。

 居住区画での生活というのは、よっぽどぬるい環境なのだろう。陽彦も八歳まではそこで過ごしていたはずなのだが、あまり覚えていない。今の自分を形成しているのは、その後の七年間の方であるという自負がある。


「おい君、見苦しいことはやめろ」

 と、頭にクソが付くほどの真面目さで聖二がそこにった。やめておけばいいのに、と陽彦は思う。

 狩人と一般住民の両方が出入りするこの休息区画では、ときおり同様のトラブルが起こる。けれど実際には、手が出るなんてことはそうそうない。


「なんだてめえ、急に入ってきて。このおっさんが悪いんだぜ」

 口ひげ野郎がそう言ってうなる。

「もぉ~、トオルくん酔っ払いすぎっすよお」

 猫背野郎も口ではいさめているようだが、むしろもっとやれとはやすような態度だ。

「一方からの話だけでは判断できない。何があったか、聞かせてください」

 と、さすがに聖二は怯まず、中年男に水を向けた。


電子点数ポイントはまだあるから、もっと酒と煙草を出せと彼が……し、しかし配給数はあらかじめ決まってますから、私の一存ではどうにも……」


「筋の通った話だと思います。とくに煙草は地下の植物工場でも育てていなくて、過去の時代の備蓄を少しずつ切り崩して配っているとか。分かるか? 君がしているのは、他の狩人の分の横取りだ」

 聖二がそう、理屈っぽくまくし立てる。


「なんかむかつく野郎ヤロウだな。ぶん殴っていいか?」

「まぁまぁ透くん、2対4じゃあマズいっすよ。けどお兄さん、こっちの言い分ももうちょっと聞くべきじゃないっすか?」

 と、猫背の少年が切り返した。


「というと?」

「実際オレたち、街のために命がけで戦ってるわけじゃないすか。それなのに見返りが雀の涙みたいな酒や煙草やお菓子って、そもそもショボすぎると思いません?」

「しかし、不満をぶつけたって配給が増えるわけじゃないだろう」

「いやいや、『中』の連中が工夫すりゃいいんすよ。工場を広げて作る量を増やすとか」

「簡単に言うけど、そんなに単純な話じゃない」

「出た、『単純な話じゃない』。はぐらかしたい人の常套句ジョートークってやつっすよね、それ」


 猫背の少年の言い分に――どう話せばうまく伝わるのだろうかと、聖二はなんだか考え込んでしまった。

 自分から関わりにいっておいて、口喧嘩が下手すぎるだろうと陽彦はまた呆れる。怒鳴られていた男を助けに入るのが目的なのだから、こんなのは適当に煽って注意を引きつけてやればそれでいいのに。


「やり方がダッセぇんだよ、お前ら」

 と、陽彦は口を挟んだ。助け舟のつもりだったが、聖二まで目を丸くしてこちらを見てくる。


「ああ?」

「ただの弱いものいじめじゃねえか。普段冬獣ニフルスにいじめられてて憂さ晴らしか?」

「てめえっ、殺すぞ」


 口ひげ野郎が陽彦の胸ぐらを掴む。背後で深雪が殺気立ち、おそらく髪を逆立たせているのが見ずとも分かった。

 空いたほうの拳を口ひげ野郎が振り上げ、陽彦も殴られることを覚悟して歯を食いしばったその時、ふわりと甘い芳香——誘引物質フェロモンほのかに広がった。


「やめましょうよ、ね?」

 愛海が微笑み、口ひげ野郎の肩に手を置いていた。

 甘い芳香、というのはあくまでも陽彦がタネを知った上で、優れた嗅覚によってようやく感じ取ることのできる知覚だ。他のものにとってはせいぜいちょっといい匂いがするという程度か、それすら感じ取れずにただなんとなく毒気を抜かれた気分だろう。


「みんな、同じ狩人の仲間じゃないですか」

「お、おう……悪かった……」

 口ひげ野郎はつぶやくように謝った。胸ぐらを掴んだ手が緩み、陽彦がそれを振り払って、ようやく深雪も殺気を抑える。

 猫背の少年は困惑を隠しきれない様子であったが、ぽかんとした口ひげ野郎の顔を見て肩を支えると、ばつが悪そうにそそくさとその場を去っていった。


「愛海、良い判断。それに比べて、男二人ときたら」

 自分だって今にも殺し合いを始めそうだったことを棚に上げて、深雪が糾弾する。

「えへへ……まあまあ、責めないであげてください」

 と、得意げになって愛海がなだめた。


「あ、ありがとう、君たち。助けてくれて」

 中年男から向けられた感謝の言葉にはあまり興味なさそうに、陽彦は自分の要件を尋ねる。

「いいよべつに。ところでおっさん、煙草まだある?」

「ああ、いや……今の人が持っていった分で、今日のは最後でしたよ」

 その返事を聞いて、陽彦は軽く舌打ちした。


「やっぱあいつぶちのめして、持ってるモンせしめりゃあ良かったかな」

「おい、陽彦」

「冗談だって。いちいち本気マジに受け取んなよ。そんなんだからあんな雑魚にも負けそうになるんだぞ」

「僕は口喧嘩がしたいわけじゃなく、建設的な議論を――」

「だから、そういうところなんだって。あいつら真面目に話がしたいんじゃなく、すっきりしてえんだよ」

「もう、なんで今度はそっち二人で喧嘩してるんですか」


 愛海の仲裁に言い合いを止める。あまり長々と居座っても他の猟団の邪魔になると、陽彦は煙草の代わりに仕方なく合成樹脂のガムを取った。聖二は密封された粥のようなものを、深雪は砂糖を固めた棒つき飴を、愛海は赤い色のシロップを選び、引き換えを済ませてその場を離れる。


 疲れたような目をして、聖二がはあ、と溜め息をついた。

「近ごろ、どこの猟団も雰囲気がよくないよ。なんだかイライラしていて、居住区民への当たりが強い感じがする」

 分かるようで、分からない話だった。陽彦の知る限り、狩人たちは元々みな薄っすらと居住区を嫌っているのが当たり前で、それはいまに始まったことではない。


「ぶっちゃけあいつらの言ってること、一理ぐらいはあるだろ」

「きみまでそんなことを言うのか」

 自分で言えば、どうしても烏滸おこがましく響くことだが。陽彦たちの命がけの狩りが街の扶持ぶちを保たせていることはまぎれもない事実だ。それに対し、与えられている待遇が十分だとはたしかに思えない。聖二の言うとおり配れる物資に限りがあるとしても、他にも不満はたくさんある。


「あっちに住んでる連中、おれたちとは顔すら合わせないんだぜ。王様オーサマか、貴族キゾクかなんかのつもりかよ」

 休息区画と居住区画は分厚い壁によって完全に仕切られており、配給係や整備員といったごく一部の人間を除いて、直接会う機会すらない。


「たった今みたいに、トラブルが起きるのが目に見えてるじゃないか」

「逆だろ。安全圏でぬくぬく暮らしてるくせに、おれらを信用する気はないって態度がムカつくから、ああやって不満をぶつけられるんだ」

「きみもああいう恫喝みたいなこと、したことがあるのか?」

「んなダサい真似するかよ、って言いたいとこだけどな。気づかないうちに、絶対やったことが無いとは言い切れねえや」


 正直にそう話した。それで陽彦はてっきり、聖二にくどくど説教されるかと思ったが。

「きみは自分で思ってるよりも、ずっと理性的なやつだ」

 などと、よく分からないことを口にしてきた。


「なんだよいきなり、気持ちわりいな」

「みんなが君みたいじゃないって話さ」

 聖二がなんだか一人で納得して頷くのを、陽彦は怪訝な目で眺める。


 話しながら歩くうち、区画の奥にある大きな引き扉の前へとたどり着いた。生活空間と呼ばれる場所への、いくつかある出入り口のうちの一つだ。

 中にはシャワー室や、軽食が提供される食堂、手狭であるものの防音の壁で区切られて私的性プライベートの確保された個室コンパートメントなどが備わっている。

 ここで一旦解散して、各自かくじで体を休めるなり、よその猟団パーティと物々交換をするなりと自由に過ごし、決めた時間に集まってまた狩りに出かける。


「次の予定は、もう決まってるんですか?」

 愛海がそう尋ねると、

「明日の午後、北東の廃墟に行くよ。猿の冬獣ニフルスが周辺に出るぐらい湧いてるらしい」

 聖二がそう答えた。彼はこういった情報にも耳聡みみざとく、猟団パーティの行き先を決める役も任されている。仕事中毒ワーカーホリックが過ぎて、おそらく自由時間も聞き込みに充てているのだろう。


「猿か。嫌いなんだよなあれ。毛皮をいだ見た目が、人間食ってるみたいでさあ」

「ならまた叩いて肉団子にして、形を分からなくしてやろう」

「あれはもう要らねえ」

 陽彦がばっさり切り捨てて、

「そんな即答することあるか?」

 聖二は大げさに、落ち込むふりをした。


「わたしは聖二くんの作るごはん好きですよ。元気出してください」

「フォローありがとう。愛海は血ばっかり飲んでて、僕のごはんを食べてくれたことあんまりないけどね」

「こないだのあの、麺みたいなやつは好き」

「深雪が言ってるのは、温めるだけで食べられる配給のレトルトパスタのことだね。けっこう貴重レアなやつ」

「温め名人。誇っていい」

「誇れるわけないだろ、そんなどうでもいい褒め」


 相変わらず気の抜けたやつらだな、と陽彦は思った。日々生き死にの苦痛ストレスに晒されているためか、同じ年ごろの狩人といえばもっとれていたり荒っぽかったりする者が多く、先ほどの口ひげや猫背のようなやつらの方がむしろ平均的だ。

 陽彦自身も荒くれそちら寄りの自覚があるが、かといって別に目の前のゆるい連中のことが嫌いなわけではない。


 成り行きでつどった面子だが、このまま長い付き合いになればいいとも思っている――猟団の人員が入れ替わるのは、大抵誰かが死んだときなのだし。

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