4話

 地平線の彼方かなたに暮れゆく太陽が、雪上車の駆け往く広大な丘と、その先にある建造物群を緑に染めていた。


 厳冬フィンブルヴェトが訪れる前の世界では、沈む夕日はもっと燃えるように赤く、夜の月は薄黄がかった色をしていたという。宇宙空間を漂う細かな塵が波長の一部を弾くことで、空から注ぐ光の色を変えているのだ。


 かつての市街地に差し掛かったあたりで雪上車が停まり、四人が降り立った。街の大部分が雪に埋もれ、ビルや共同住宅、大型の店舗や公共施設ハコモノなど背丈のある建物だけが原型をとどめて雪面から突き出しているが、それらも風化や結露などの影響でずいぶんと脆くなっている。

 なんらかの複雑な政治的事情によって、公的には『エリアAのセクター2』みたいに無機質な名前が付けられているが、陽彦はこの地の当時の名が江別エベツであることを知っていた。

 かつて猟団パーティを組んでいた先輩から教わった名であり、先輩はそのまた先輩から聞いたという。大元である遥か昔の先輩は、旧世代のお宝を求めて雪の層を掘り返し、古い道路標識ドーロヒョーシキを見つけてその名を知ったらしい。


 ほどなくして夜のとばりが下り、月が廃墟を青白く照らしはじめた。日光をいとって雪の下や屋根のある建物にこもっていた冬獣たちが、ちょうど起き始める頃合いだ。


「いい時間に着いたね」

 聖二せいじ硝子ガラスのマスクを装着し、針撃ち長銃に毒液を補充した。


「またすぐに無茶すんなよ、深雪?」

 陽彦はるひこが丸鋸剣を暖気し、ブルルルッ、と内燃機関エンジンが吠える。


「それは、あなたたちの戦いぶり次第」

 深雪みゆきが髪を手櫛で梳くと、意思を持つ生物のようにうねった。


「じゃあ、さっそく始めちゃいますね」

 愛海あみ水筒ボトル入りの冬獣の血を、ストローでちゅうちゅうすする。


 それから外套コートボタンをいくつか外して胸元をはだけさせ、そでまくりあげた。三人ともが愛海から視線を逸らし、陽彦に至っては鼻をまんだ。

 愛海の全身がぶるぶると震え、ほほあからんでいく。舞うように腕を振るたび汗のしずくが飛び、薄っすらとした芳香があたりへとばら撒かれた。


 冬獣ニフルスを惑わし、おびき寄せる誘引物質フェロモン——同じような能力ちからを持つ者を、陽彦は愛海のほかに一人も知らない。

 とはいえ冬獣の細胞とは多様多彩なものであり、他と被らない珍しい能力ユニークスキル持ちであることは

 それをいうなら深雪の神経操作ジャックだって同じぐらい見慣れないし、聖二のように強力な毒の持ち主も訓練時代に何人か見かけた程度だ。


 こと猟団パーティ内において、狼の嗅覚と聴覚、純粋な膂力という、ありふれた能力コモンスキルの持ち主は陽彦ぐらいだった。しかしそれは決して、他の三人に劣るということを意味していない。


「もう建物の影に来てる。それから、そこら中にも穴掘って下で繋げてやがる。おれから見て十時の方角にちょっと、一時から二時にかけてたくさん、背面にもまあまあ」

 超聴力による索敵を共有する。ちょっとは2~4、まあまあは5~8、たくさんはそれ以上。


「近い方から頼む。遠いやつは僕が撃つ」

了解リョーカイ。後ろをる」


「■■■■■■————ッ!!」

 距離十歩ほどの雪面から見計らったかのように飛び出した影を、陽彦は振り向きざまに両断した。全身を灰色の毛に覆われ、指先ではなく手の甲から長く鋭利な三本の鈎爪——正確には、変形して皮膚を突き破る骨が生えた、子どもの背丈ぐらいの生物だった。


「なあ、猿ってこんなんだったかッ?」

「爪みたいなのは、なかったと思いますけどッ」

 一匹目を皮切りに雪面の穴から次々と飛び掛かってくる猿たちを、陽彦が斬り伏せ愛海が穿つ。先の熊と狼の合いの子のような獣と比べて毛皮に鎧のような厚みはないようだが、身軽で攻撃が当てにくい。

 横薙ぎの丸鋸剣を紙一重でかがみ避けた猿が鈎爪を突き出して、陽彦の右目のすぐ下を頬骨に届くぐらいまで裂いた。


 痛みに舌打ちしながら、陽彦は丸鋸剣の峰側、尖端せんたん寄りについた輪状の突起に手をかけ、そばにあるボタン拇指おやゆびで押し込んだ。

 カチリと音がして、巨剣の機関部が中央からにわかにわかたれる。つらなる二つの刃を持っていた丸鋸剣が、左右対称の手持ハンディ丸鋸バズソーとして生まれ変わり、両手にそれぞれ握られる。

 多少のリーチと破壊力を失う代わりに、取り回しやすく手数が増える二刀流の形態だった。


「速くてペラいやつには、こっちだろッ」

 先ほど陽彦に一撃を入れた猿を左手の丸鋸が捉え、顔の真ん中から胸までをピザカッターのようにすべく。他方から飛び掛かってきたもう一体の手首を、右の手の丸鋸が素早く切り落とした。


 背面側では聖二が、建物の影から身を乗り出した猿に毒針を撃ち込んで次々と無力化していく。

 猿たちは容易に近づけず、しかし一方的にやられっ放しにはなるまいと、劣化して砕けた建物の瓦礫やそこらののきに生える氷柱ツララを器用な手で掴み、聖二に向かって投げつけた。

 瓦礫が肉を打ち、氷柱が突き刺さる――聖二ではなく、べつの猿たちの死骸に。深雪の髪が絡め取って肉の盾にしたそれらが、飛来物を受け止めていた。


「ナイス援護フォロー。そのままきみが防御、僕が攻撃の分担でいこう」

「了解」


「まだまだ行きます!」

 全身棘だらけになった愛海が猿を抱きしめ、カラカラになるまで絞りつくす。吸い取った血液をすぐさまエネルギーにえてさらなる芳香を撒き散らし、遠くの獲物をおびき寄せ、近くの敵の理性を奪う。

 殺戮の宴は、始まったばかりだった。


 ※※※


 東の地平から太陽が昇る。夜通し暴れて築きあげた累々の屍を回収してみなで捌き、組み立て式のかまに次々とくべていった。

 香ばしく焼きあがった、たぶんももの切り落としであろう肉塊を陽彦は鷲掴みにして、思いっきりかぶり付いた。移植された細胞は食性にも影響を与えており、強靭きょうじんあごで食いちぎった肉をたったのふた噛みほどで飲み込んでしまう。


 陽彦ほどの豪快さは見せないものの、聖二や深雪も細めの体躯たいくに似合わない食いっぷりで肉を平らげていく、戦いや下処理のあいだ存分に血をすすり、一足早く満腹となった愛海が、ひとりで焼き奉行に回っていた。こうした食い溜めによって蓄えられた養分が、いざという時の傷の再生や、寒波に耐えうる熱生成のみなもとになる。


「まあまあ殺ったと思うけどよ、ボスっぽいのはいなかったよな?」

「ああ。統制も取れていなかったと思う」

 脂身のある腹肉にがっつきながら陽彦が尋ね、聖二が答えた。


 冬獣の王はみなが必ずしも先のような巨体を有しているわけではないが、大概たいがいは一目見てなんとなく分かる特徴だとか、雰囲気オーラとかいったものをかもしている。


「王を殺るまではここに滞在カンヅメか?」

「そうだね。雑魚をどれだけ削っても、それだけじゃ終わらない」

 共食いをするほどに凶暴な冬獣たちが群れという社会を保っていられるのは、絶対服従の『こえ』によって統率されているからだと考えられている。しかし逆に王さえ殺せば、群れはそのうち自然と滅んでいく。


「キツくて泣きごと言いそうかい? 顔に一発貰っていたもんな」

「楽勝だよ。お前こそ、次も誰かが守ってくれるとは限らねえぞ」

「ええ~っ、なんかまた急に喧嘩始まっちゃいました……?」

「大丈夫、ああいうイチャイチャだから」

 戸惑う愛海に、深雪が無表情で注釈を入れた。


 食事を終えたあとは荷箱コンテナに余りの食糧を積み、それぞれの座席で昼過ぎまで眠った。

 かつての市街地を雪上車で少しずつ回り、日が暮れると狩りをして、朝に食いだめてまた眠るということを繰り返した。すぐに荷箱が猿の血や肉でいっぱいになり、溢れた分はまたそこらの雪に埋めて隠した。


 そんなことを繰り返すうち、到着から四日が経った。その日の空には雲一つなく、午後の太陽が極寒の世界をかそうと無駄な抵抗を試みていた。

 運転していた聖二が、うん? と声をあげる。下階部分が雪に埋もれてなお大きな建造物——昔はこういう『学校』と呼ばれる場所に子どもたちを一斉に集め、『授業』とかいう知的訓練を仕込んでいたらしい――その傍らに、よその猟団のものと思しき一台の雪上車が停まっていた。


「巣穴の攻略中ですかね、たぶん」

 愛海が呟く。こちらに獲物をおびき寄せるというやり方は彼女の誘引物質フェロモンによって成り立つ例外的なものであり、冬獣ニフルスたちがねぐらにしていそうな建物や穴に狩人たちから攻め込むのが、狩りの基本的な手法だった。


「ちょっと挨拶していこうぜ。煙草ヤニが減ってるから物々交換とりひきしてえ」

「このニコチン中毒者。そもそも交換できるようなもの持っていないくせに」

「なめんなよ。旧世代の伝説の漫画の第一巻がある」

「ボロボロで、しかもあんまりおもしろくないやつ。そういうの、たしか不当取引シャークトレードって言う」

 深雪が陽彦の私欲をたしなめるのを、愛海がくすっと笑う。


「……そうだな、話しかけてみよう」

 気楽な提案を汲んだはずの聖二は、どういうわけか真顔だった。陽彦の嗅覚は、そこに緊張の分泌においを嗅ぎ取った。

 すぐ脇へと駐車して、四人が降り立った。果たしてその雪上車の中は無人のようで、陽彦はちぇっ、と舌打ちした。


「建物に入って、狩りを手伝いますか?」

 愛海がそう尋ねたのを、

「誤射が嫌とか、横取りがどうとかで、加勢を極端に嫌がる狩人たちもいる。面倒は避けるべき」

 深雪があっさりとねのける。


 ほかの三人が引き上げの空気を出すなか、聖二の視線は下に向けられていた。

「やっぱり、わだちが消えてる」

「あ?」


 その言葉で陽彦たちも同じところを見て、何を懸念しているのかようやく理解する。聖二の緊張感が、みなに一斉に伝播した。

 よほど固く凍り付いた氷上アイスバーンでもないかぎり、重さ数トンの雪上車が通れば無限軌道キャタピラあとが残るはずだ。

 実際、陽彦たちが乗ってきた方の足元にはしっかりとそれがある。

 けれども先に停まっていた方には同じものが見当たらず、薄っすらとした雪にその無限軌道キャタピラを少しうずめている。


 雪というのは温められて上空に昇った水蒸気から生じるものであり、たまにある暖かい日かその直後ぐらいにしか降らない。奇妙なことに、厳冬前の世界では寒い日に降るというイメージが常識であったらしいが。

 少なくとも陽彦たちがこの街跡に来てから、空はずっと晴れ渡っていた。この雪上車はそれより以前から、ここを動いていないということになる。


 口にせずとも全員が、単純で救いのない予測を思い浮かべていた。

 乗員たちは目の前の校舎に巣食う冬獣ニフルスの群れに挑み、返り討ちにあったのだろう。


 本来の乗り主たちが全滅した場合に、他の猟団パーティの者が雪上車を動かすという状況は想定されており、前回の稼動から一定の日数が経つと、別のキーでも解錠できる仕様が組まれている。果たして聖二が自分たちの鍵を差し込んで回すと、ピー、と解錠アンロック音が響き、ドアの把手ハンドルを引くとなんの抵抗もなく開いた。


「さすがに、もう生きちゃいねえよな」

「残念だけど、そうだろうね」

 言葉を交わしつつ、陽彦と聖二は自分たちの雪上車の収納箱トランクボックスに各々の武器を取りに戻った。愛海が新たな血液の水筒ボトルを開けて、一気に飲み干す。

 戦闘準備を整えた三人に、深雪が校舎の一角を指し示した。


「窓が割れてる。あそこから中に入れそう」

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