7話

 口元を覆うマスクの下で、聖二が舌打ちする。こえを聴くなり素早く飛び出した手下の猿たちが盾となり、毒針を受けて倒れた。

 この猿の王はやはり並外れて賢く、銃や射線といったものを理解している。できることならば、はじめの遭遇時に仕留めてしまいたかった。


 深雪が肉塊を動かして遮蔽バリケードとして展開し、みなその陰に伏せた。猿の王が巨大な銃口を二挺とも向け、お返しとばかりに連射された銃弾が壁を大きく削り飛ばす。


「■■■■■■■——————!!」

 数匹の猿が遮蔽を飛び越えて狩人たちに迫った。愛海がそれを誘引物質フェロモンで引き寄せ、まとめて串刺しにする。


 戦場は人対獣のそれには到底見えない、射撃戦の様相を呈していた。一撃当たれば致死となりうる飛び道具を互いが有し、その被弾を恐れて防壁越しでの攻防が発生している。


「□□□□□□□□□□□□□□□————」

 猿の王が聲を上げる。それを聞いた手下たちが、既に撃たれて痙攣する別の猿を拾いあげて前に構えた。毒針を防ぐのには、その程度の遮蔽で十分だと気づいたのだろう。


 わずかな隙間を縫うように聖二は撃ち続けるが、射抜けば射抜くほど盾に使える死体予備軍が増え、攻撃が通りにくくなっていく。

 その一方で猿の王は袈裟懸けさがけのポーチから悠々と弾丸をつまみだして、巨大拳銃へと装填した。肉の盾の隙間から弾丸が吐き出され、狩人たちを守る遮蔽が着実に消し飛ばされていく。


 形勢を覆すべく、一陣の風となって陽彦が駆けた。

 回転する丸鋸を両手に唸らせ、飛び掛かってくる猿の鈎爪を最低限の動きで躱し、ときに返しの刃で殺めながら、王を守る肉盾部隊へと近づいていく。


 それを狙った二挺拳銃の銃弾が、癒えたばかりの右腕の不器用さによって少し逸れて、陽彦ではなく手下の頭を爆ぜ飛ばした。

 猿の王はそんな誤射などまるでお構いなしに連射し続け、更にもう何匹かが、流れ弾によって胸や腹を吹き飛ばされて絶命する。


 くそったれが――口にする余裕もなく、陽彦は内心で毒づいた。

 冬獣ニフルスと戦うときは、同じように苛立ってばかりいる。ただ、猿の王こいつとの戦いではそれが顕著だった。

 おまえに何の権利があって、手下どもの命を軽く扱う。

 そこまで軽んじられて、どうして手下どもおまえらは王にひれ伏すんだ。


 猿たちにとってみれば、ひどく的外れな怒りであっただろう。個体としての生存すら勘定に入れず、ただ闘争や繁殖のみに特化した手下たちと、少しだけ高い視座から彼らに命令を下す独裁の王。その生態がたまたま厳冬の世界では優位として働き、今日まで群れを保ってきたにすぎない。


 陽彦のその感情は実際のところ、自分自身の痛みの投影だった。本当は戦いたくない、死にたくない。そんな叫びなどかろんじて、円蓋都市システムは八歳だった彼を選び、命が尽きるまで戦えと命じた。


 人類はとっくに、獣たちと同じところにまで堕ちている。お前らなんて、大っ嫌いだ。


 かわいそうなやつ――身体に混じった獣の細胞が、言葉なくそう囁いた。

 おれがその痛みを消してやる。戦いは楽しい。蹂躙は心地良い。その真実で、お前の怯えた魂を上塗りしてやる。


 狼人おおかみびとの肉体に力がみなぎり、毛並みがより一層黒く濃くなる。陽彦がさらに加速して、丸鋸の刃が王を守る肉盾の一つにまで届いた。


「□□□□□□□—————!!」

 猿の王が新たに号令し、残る手下たちすべてが陽彦を向く。いま最も脅威なのはこの素早く獰猛どうもうなふさふさであり、それと同時に、陣形から浮いて容易く獲れる駒であるとも判断したのだ。

 おびただしい数の猿が、たった一人をめがけて殺到する。たとえ丸鋸で切り裂いたとしてもその質量までを退けることはできず、埋もれて動きを止めるだろう。王はただ、そこを撃つだけでよい。


「■■■■■————!?」

「■■■■■■■ッ」

「■■■■■■■————」


 果たしてそれらの鈎爪や、あるいはまとわりついて封じようとする挙動が、陽彦へと届くことはなかった。それまで遮蔽にしていた肉塊を深雪がぶん回し、大勢の猿たちをまとめてしたたかに打ち付けていた。

 それを逃れた猿たちも、聖二が毒針で射抜き、愛海が飛び出して抱き殺す。いつの間にか三人ともがさえぎる壁なく銃口の前へと身を晒し、素早く動ける陽彦以上の被弾危険性リスクを背負いながら、その攻撃姿勢を援護フォローしていた。


 状況の変化に猿の王が付いていけず、惑う銃口があちらこちらに乱雑な射撃を放つ。その隙に、嵐のごとく暴れる二つの丸鋸が肉盾部隊をバラバラに斬り裂いた。


 見たか! ――心の中で陽彦は叫んだ。

 おれたちは互いを軽んじて、捨て石にしたりなんてしない。援護し合い、全員で生き残って、お前らの群れの在り方を否定してやる。


 陽彦と猿の王との距離、残りおよそ十歩——聖二はまだ撃ち尽くした毒針を装填中であり、陽彦がそのまま間合いを詰めるほうが早く、けれどそれよりも更に、二挺拳銃がまだ早い。

 猿の王はここ一番の集中で、慎重かつ速やかに陽彦へと狙いをつけた。


 カチリ、と引き金を引く音。

 ――拳銃を持つ両腕が、丸鋸の刃に肘から斬り落とされた。


「□□□□———ッ!?」

 猿の王は見た――はがね色の円盤が高速回転しながら、両者の間にあった距離を一瞬で翔けるのを。

 丸鋸剣の、第三の攻撃形態。ふたつに分離した状態から更に握り手グリップ付近の引き金トリガーを絞ることで、刃を射出することができる。直後に大きな隙を晒すわりに獣の胴を断つほどの威力もないが、それでも奇襲程度には事足りる。


 刃を失って空回りするだけになった機関部をその場にぽいと投げ捨てて、陽彦は詰め寄った。猿の王は背に隠していた残り一挺の拳銃を器用な足で掴んで、悪あがきになんとか撃とうとしたが、陽彦がその顔面を殴り抜くのが先だった。

 仰向けに倒れた猿の王の身体に陽彦は馬乗りマウントし、そのまま左右の拳を続けて打ち下ろし始めた。

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