6話


 雪上にかすむ硝煙の匂いを嗅ぎ辿りながら、陽彦はおのれの中で沸々ふつふつと煮えたぎるものを見つめていた。


 戦いの末に発狂し、脅威と見做みなされて討たれる。それは冬獣ニフルスに食い殺されることと並んで、ありふれた末路にすぎない。


 かつて、気高い先輩ひとがいた。ボロボロになるまで戦い続けたあと、悪ふざけの塊みたいな愛用の丸鋸剣ぶきを後輩へと託し、狂ってほかの誰かを食い殺すより前に、独りでさっさと雪原へ消えた。それが陽彦の知るかぎり、いちばん上等な終わり方だった。


 狩人たちが平穏に、その命を全うした試しはない。

 救いはどこにあるのか、その答えはとっくに知っている。初めから外れくじを引かないことだけだ。


 地下都市の中枢に備わったシステムによって無作為ランダムに選ばれた子どもや、再生能力を得ることでしか治らないような難病・重傷を抱えた子どもが、冬獣ニフルスの因子を移植する手術の対象となる。

 細胞が定着するのは身体的な成長期にあたる十代半ばまでに限られ、大人になってからではうまく馴染まないのだ。


 人類がその種を未来につなぐために、やむを得ず駆り出される少年猟兵——それが陽彦たち、厳冬の世の狩人だった。


 クソくらえだ。そうまでしなけりゃたない種族なんて、いさぎよく滅んでしまえばいいのに。

 できることなら、自分の手でそうしてしまいたいぐらいだった。


 凍てついた世界まるごとこの怒りで焼き尽くして、他人を踏んづけて生きているやつらを全員殺してやりたい。

 けれど実際には、現実を変える力のないこんな感情ですら、四六時中ずっといだき続けることもできやしなかった。


 空腹を満たし、煙草ニコチンを吸って、眠りにつくうち激情すらも薄まってしまう。そういう自分の弱さにも腹が立つ。

 受け継いだ丸鋸剣を、強く握りしめた。今の陽彦でもぶっ壊せるものは、あのむかつく手長猿テナガザルが率いる群れぐらいしかなかった。



※※※



 緑の夕焼けに照らされた、背の高いコンクリート製のビル群——かつての集合住宅アパートメント跡地。

 その一室で猿の王は怒りに震えつつ、同時に狂ったように笑っていた。


 どうしていかっているか。腕を落とすほどの大怪我を負い、忌々しい陽の下に晒されながら逃げ走るという屈辱を味わわされたからだ。

 なにを笑っているのか。知っているからだ。自分がこの世界を統べるべき王であり、これもまた新たな力を得るためにもたらされた試練にすぎないことを。


 かつての彼はそうではなかった。彼らのしゅは、大きさサイズの近しい冬獣ニフルスたちのなかにおいて脆弱な部類だ。物を掴んで投げるという能力に多少の優位はあるものの、雪原を素早く駆ける脚も、分厚い毛皮や鱗も、強力な毒もない。

 王として生まれたにも関わらず、ほかの力ある獣たちから隠れるように暮らし、食い残しの肉を盗み漁ることすらあった。


 転機が訪れたのは、ごく最近のこと——たまにやってくる、妙に強くてつるつるした連中。その一団を自らの領域テリトリーでうまく嵌めてやったとき、手に入れたものこそが世界を変えた。


 それがいま彼の持つ、だ。ピカピカの小石を入れて指で引くと、向けた先にあるものに死をぶつける。握った右腕ごと先ほど一つ落としたが、まだ三つ残っている。四匹のつるつるどもが一つずつ持っていたのを奪い取ったのだ。


 手下にも貸し与えて試しに使わせてみたが、そいつは棒の仕組みを理解することができず、逆向きに持って自分の頭を吹っ飛ばした。彼はそれで、この棒が選ばれし存在である自分にしか扱えない品であることを悟った。

 それらを使って、元の持ち主であるつるつるどもをもてあそぶのは最高の時間だった。手足を吹っ飛ばしながら、どれぐらいの威力があるか、どれだけ離れて使っても当てられるかなどを試した。そのうち気がおかしくなったつるつる同士が共食いを始めたときは、魂を凌辱りょうじょくし果たす実感に身が震えた。


 あらゆる獣の頂点に立つ瞬間を夢想し、けれど一つだけ残ったある懸念が、全能の妄想に浸ることを阻害していた。棒に込めて使う小石が、有限であったことだ。

 いれものいっぱいに詰め込まれていた小石はそれなりの数があるように見えたが、雪原を闊歩かっぽする獣たちもまた膨大であり、すべてを制するにはまるで足りないことを彼の知能は理解していた。


 そこにやってきたのがあの、新手あらてのつるつるどもだ。いわゆる運命という観念に近しいものを彼は感じていた。触れただけで手下どもを裂いた、あのうなる丸いもの。ほんの一刺しで死を予感させた、自分が持つものよりも細長いあの死の棒。あるいはまだ見ぬ、ほか二匹もなにか隠し持っているのであろう品を奪って、我が物とすればいい。ついでにふるい右腕の恨みを、やつらで遊んで晴らしてやる。


 生え変わった新たな腕を、猿の王は軽く動かしながら眺めた。見た目こそほぼ完全に形成しなおされ、真新しい白銀の若毛に覆われてむしろ若返ったようであるが、まだ多少ぎこちない。完全に馴染んで違和感なく動かせるようになるまで、もうしばらくかかるだろう。


 あまり悠長にしてはいられない。ここへ来る道すがら、手下どもにやつらを襲って足止めさせるよう声をかけたが、どれほどつことだろうか。遠くに逃げられてしまえば削られ損だ。そうなるぐらいなら、完全に癒えていなくともこちらから仕掛けるべきだった。


 やがて夕日が完全に沈み、日光をみ嫌う冬獣ニフルスたちにとっての活動時間がやってきた。猿の王は窓に空いていた穴から部屋を出て、屋上へと這い登る。頭上の深い闇には、青白い半月が浮かんでいた。


「□□□□□□□□□□□□□□——————!!」

 逃げてきた方角に向けて、大声量のこえを上げる。つるつるどもの位置を知らせろ、という意味の命令だった。

「■■ッ——」

 果たしてその返答はごく近く――今いるビルの根元で上がり、短く掻き消えた。


 猿の王は意識の死角となっていたその場所を見た。三匹のつるつるたちが下から自分を睨み、すぐそばに今しがた声を返したらしき手下の猿が、首を失って転げている。

 驚きと困惑が彼を打ちつけた。追ってきていたのか。しかも、こんなに近くまで。あと少し気づくのが遅ければ、まんまと奇襲を受けていたのではないか。


 いや、何かおかしい。三匹? やつらは四匹ではなかったか。手下どもが一つ仕留めたのか?

 浮かんだ疑問に答えるように、轟音と震動がビルに響いた。人間が言うところの地震を、彼も『世界が揺れる現象』として知っているが、それよりももっと直接的な衝撃だった。


 同規模の二撃目が間を置かずに加えられ、長い年月に晒されて脆くなったビルの一部が吹き飛ばされて、均衡バランスが大きく傾く。

 そして三度目の衝撃によって、とうとうビルは完全に中枢を砕かれた。猿の王が立っていた空間そのものが、重力に引き寄せられ下方向に崩壊していく。


 瓦礫がれきに埋もれ死ぬことを恐れ、その場を飛び出しながら彼は見た。三匹のつるつるどもとは反対側の根元に立った異形の影——メスのつるつるが一匹と、今しがたコンクリートビルを打ち砕いた、長い髪に繋がる大質量の肉塊を。

 必死で雪面へと転げ飛んで、すぐさま起き上がる。幸いにもほぼ無傷でいられたが、そのような逃げを打たされたこと自体が大いなる屈辱だった。


「□□□□□□□□□□□□□——————!!」

 上げられる最大限の声量で、手下たちをんだ。群れなど後からいくらでも殖やせる。まずはこのつるつるどもに、王を舐めた報いを与えてやらねば。

 徐々に集う手下たち――しかし、おかしい。せいぜい四十ほどしかいない。遠くのものに聴こえていないことを差し引いたとしても、二百程度はすぐに集まるはずが。明らかに少なすぎる。


「このへんのはあらかた殺ったと思ったんだけどな。まだこんなに残ってたのかよ」

 狼のかおをした少年が、威嚇するように両手の武器を唸らせた。

「傷つけた人たちの痛みを、報わせてあげますから」

 金糸の髪の少女が胸元を開き、甘い芳香を漂わせる。

「今ので潰れて死ねばよかったのに」

 意思持つ片翼のように巨大な肉塊をうねらせ、黒髪の少女が呟いた。

「建物の中にも手下が居ただろうからね。排除できただけしとしよう」

 蛇めいた瞳を持つ少年が、長い死の棒のきっさきを猿の王へと向ける。


「□□□□□□!!」

 ぱん、ぱん、と空気を弾く音が響き、死の毒針が放たれた。

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