第三章
1話
休息区画がざわついている。陽彦がそれを感じ取ったのは、鳥たちが棲みつく地区から戻ってきて二日後のことだった。
聖二が数日の休息を提案して、皆がそれに賛成した。なにか考えごとをはじめた様子の深雪を
煙草だけで時間を潰していては、すぐに備蓄が尽きてしまう。こういうまとまった暇が出来てしまったときには、旧世代の
陽彦にはいまいち理解できない感覚だが――彼ら彼女らは自分たちが好きなものを他人に広めるということにとても熱心であり、本を汚したり、
それなりに規模の大きな連中なので全員が狩りに出払っているということも少なく、歩いていれば一人ぐらいは見知った顔に出逢えるだろう。
そういうわけで暖色灯が照らす
地下の空間に、うっすらと緊張の匂いが満ちている。皆がなにかひそひそと噂話を繰り返し、それが
果たして騒ぎの中心は――
床に滲んだ暗褐色の痕。嗅覚がそれを血液だと告げる。
精算台に張りつけられた紙が、無機質な印刷文字でその光景を説明していた。
”〇月△日、当局の係員が勤務中に外傷を負う事態が発生しました。
今後の対応について協議を行う間、暫定的に配給を休止させていただきます。
大変ご迷惑をおかけいたしますが、どうぞご了承ください。
再開については後日、改めて掲示させていただくこととなります”
「……はァ?」
読み終えたとき、思わず声が出た。
記された日付は昨日——狩人たちの鬱憤晴らしで、ついに怪我人が出たようだ。さすがにこれはマズいと居住区画に係員が引っ込み、配給が一時停止となった、らしい。
んな、アホな。
残り半分といったところか――相当切り詰めたとしても、じきに不本意な禁煙を迫られることになるだろう。
正直なところ、そこまでやるバカがいるとは思わなかった。何だかんだと不満を
『近ごろ、どこの猟団も雰囲気がよくないよ』
いつかの聖二の、そんな言葉を思い出す。
『居住区民への当たりが強い感じがする』
その時の陽彦は、そんなの当たり前だろうと深く考えはしなかった。
むしろ自分は嗅覚で人の感情が読み取れるからと、どこか分かったようなつもりでいたのかもしれない。
より耳を澄ますと――ぼそぼそとした噂の声が、ひとつに留まらず聞こえてくる。
「——ざまみろ、あいつら」
「——俺がやりたかったぜ」
その内容に、陽彦はまた愕然とした。
自分だって、円蓋都市の不条理に強く
それに、あの床の染み方――相当の量の血が流れたのだろう。再生能力のある狩人たちと違って、一般人は簡単に死に至ると聞いている。
いくらなんでも、限度ってものを超えてるんじゃないのか。
けれど周囲からは、 怒りとか呆れとか嘆きとかよりも、むしろ好意的な感情こそが明白に感じ取れた。
奇特な個人だけが発しているのではない。これこそが俺たちの総意だとでもいうような、共感を伴って。
何かいま、狩人たちの間によくないことが起こっている。陽彦はその日、薄っすらとそれを認識した。
※※※
その翌日――借りてきた漫画本を
ちょうど展開が佳境を迎えたタイミングでの横槍に若干の苛立ちを覚えつつ、仕方ねえかと扉を開く。
果たして来客は聖二で、
「やあ。今ヒマか?」
「全くヒマじゃねえな。ボランティア活動のお誘いなら断るぜ」
「そんなんじゃないよ。いつなら手が空きそうだ?」
残りの巻数が4、かける、一冊読むのにだいたい20分。少し余裕をもたせて――
「2時間ってとこだな」
「じゃあ2時間後。迎えに来るから、ちょっと付き合ってくれ」
そう言って聖二は、まるで断る隙を与えないとでもいうように、さっさとその場を去って行ってしまった。
狩人たちの間の嫌な雰囲気といい、なんだか
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