新生活



翌日の正午。



明日まで休日という事もあり、湊と燕は下北沢まで足を運んでいた。



東雲は一回自宅に戻りたいと、昨日の夕方に目を覚ました後帰って行った。




芹は湊の部屋の中で大人しく待っている様に言いつけておいた。




かなり不安ではあるが、芹の生命力は人外の領域といっていい。


帰ってきて、ぽっかり死んでましたなんて事はないはずだ。




「うわぁ、おしゃれな人がいっぱい......」



湊は辺りを見渡す。



地元では見れない様なおしゃれな人が行き交っている。





ここにきた目的は、芹の服を買いにきたのだ。



芹の着ているボロボロで血塗れの服しか持っていない様だったので、衣服を買いに行こうという話の流れになったのだ。



何故、下北沢に来たのかと言うと燕が古着好きだから、私が選ぶなら古着屋がいいとのことだった。



下北沢は色々な側面がある街で、その一つが古着だ。



確かに辺りを見渡せば、古着屋が驚くほど立ち並んでいる。


辺りを見渡す限り、それらしいお店がどこまでも並んでいる。



「ついでだしミナトちゃんの服も何着か買って行こうか?」


「あー、えっとそうだね。そうさせて貰おうかな」




適当に燕に選んで貰えば、失敗はないだろう。



「じゃあ、決まりだね! いこっか」




湊は燕に連れられて、様々な店を巡っていく。



服の事はよく分からないが、燕は楽しそうに選んでいた。



「ミナトちゃんにはあれ似合いそう、セリちゃんにはこれがいいかな」などと呟きながら、あれこれ吟味していた。




半日のうちに、二人は両手いっぱいの紙袋を持つことになった。




「こんくらいでいいかなー、いやー楽しかったね!」



と嬉しげな表情を浮かべている燕。


そういう本人は、湊と芹の服を選ぶのに一生懸命になって、殆ど自分のものは買っていないのだが。




「うっ......疲れた」




この半日で物凄い距離を歩いた気がする。



どこに行っても人混みで歩くだけでストレスになる。




「ツバメ、良かったの? こんなにたくさん買って貰っちゃて、やっぱり私もお金だしてほうが良くない?」



今回の買い物は、燕が全額出して貰った。



物によっては、かなり高額な品も複数買ったのでかなりの金額になってしまった。



「いいんだよ。どうせお給料結構貰ってるし、就職祝いだと思ってくれればそれでいいよ!」



燕はそう笑みを浮かべる。


そう言われると、湊も言い返す事はなかった。



「にしても、凄いに荷物の量だねぇ。これで電車乗るの面倒だし、シノノメに向かいに来て貰おう、そうしよう」



懐からスマホを取り出して、電話をかけようとする燕だったが、「あっ」と何かを思い出したかの様にスマホを再びしまう。



「一つ忘れてたところがあった」



ニヤリという少しやらしい微笑を浮かべる燕。



「ねぇ、セリちゃんって小柄で細くて可愛いと思わない?」


「まぁ、はぁ......」



確かにつばめの言う通りなのかもしれない。



しかし、死にかけでそれもかなりの事情の影響で痩せ細っている芹にそんなこと言うのはどうなのだろうか。



「それにミナトちゃんも、顔立ち整ってるよね、スタイルも結構いいし」


「あぁ、そう......なの、かな」



「近くにね、コスプレ用品専門店があるんだ. ーー二人には"それ"着て貰おうかな」



「普通に嫌なんだけど......ごめん、無理」



ミナトは即答で断る。


だが、燕は湊の手を掴んで引っ張っていく。



「報酬は払うから、払うからさ!」


「そういう問題じゃないと思う!!」


「シノノメは年増だから、やらせても面白くないんだよー、だからね、協力お願い!」


「自分でコスプレすればいいじゃん!?」


「ばかっ、自分のコスプレ撮影して何が楽しいのさ」



湊は半強制的に連れられて、その店があるだろう方向に引っ張られていく。



「別にその画像ばら撒くとかそういうのじゃないし、ただでお金手に入ると思って手伝ってね」


「何に使うの、それ」


「そりゃもう、コレクションでしょ!」


「っ......変態なのかな」




この人ってこんな人だったんだーー内心燕に多少呆れていると、妙な人集りが目に入った。



その隙間から、干からびたミイラの様な死体が転がっているのが見える。



「ねぇ、あれ!」



先を急ごうとする燕を無理やり静止させて、その方向に指をさす。




「あれ、干からびた死体!? 首元に噛み跡?」



その死体を見た燕の足が止まった。


そして、すぐに首元にある鋭利な噛み跡の存在に気付いた様だ。



「吸血鬼かな。たまにいるんだよね......わざと食べ残した死体をバレる様に置く馬鹿が」



そう話していると、騒ぎを聞きつけた警官が現れ、野次馬達をどかしていく。



「最近なりたての吸血鬼だろうね。こんな分かりやすい犯行をする様な奴が生き残れるとは思えないし」



その燕の表情はさっきの楽しげな雰囲気は消えていた。



「休みも日まで仕事のこと考えたくなかったなー」



燕は深いため息を吐いた。



「いこっか、こんな事よりコスプレーー」




燕がそう言い放とうとしたき。



二人の目にたまたま目に入ってしまった。




野次馬の一人の男だ。顔色の悪いフードを深く被った男だ。


その一瞬浮かべた邪悪な笑み、そこから溢れ見えた人間にはない鋭利な犬歯が。



その男が、中学生くらいの少女に手をかざした。



「きやっ」



すると、足元から異様に影が伸び一瞬で女の子を包み込んでしまった。



まともな声を出す間もなく、影に姿を飲み込まれる。



影は蠢いて、男の足元に吸収されていく。



おかしいのは、周りにいる人間はその光景が見えていないのか、スルーして周囲に散っていく。



男はすぐ近くの建物と建物の隙間に入り、裏路地へと消えていく。



「っ......!?」



それを見た湊は思わず、男が消えていった方向に走り出した。



「ちょ、ミナトちゃん!?」



それを追う様に、燕も走り出した。




細い裏路地へと、二人は駆けていく。


途中、壁側に荷物を放り投げて、全力で走る。



「ねぇ、私たちあくまで対霊専門で吸血鬼はまずいよ!?」


「分かってる。でも、あんなの放っておけないよ」



狭い隘路を突き進んでいくと、先程の男がいた。


男の眼前には、恐怖の表情を浮かべた女の子がいた。



「い、嫌、辞めっ......」



少女は尻餅をついて、後ずさる。



男が襲い掛かろうと、口を大きく開けたその時だった。




「待って!」



湊が声を荒げる。




「その子を離して」



男ーーもとい吸血鬼は、視線を湊に向ける。



「人間の匂い、同族じゃなさそうだな。武器も持ってない」



吸血鬼は、湊とその後ろにいる燕をまじまじと見つめる。



「飯が自分から来てくれるなんてついてる......」



ケタケタと笑う男。


フードの隙間から見える肌色は異様な程に白い。


どことなく漂うのは人外の香りだ。




「気を付けて、昼間に活動できる吸血鬼は強力な個体も場合もあるから......逆に日光耐性を持つ代わりに能力が低い個体の場合が殆どだけど」



燕がそう警告してくる。


湊の半霊化が実体のある化け物にどれだけ有効かは分からない。


しかし、もう下がる事もできない。




その時だ。


吸血鬼の注意が湊達に向いていることを悟った少女はその場から逃げようとする。



「飯が逃げんじゃねえ」



だが、吸血鬼はそれを察知していた。


少女に飛びかかって、足首に喰らいつく。



「痛っ、や、やめ、痛い痛い!!」



足から溢れる尋常じゃない量の血液。


必死に抵抗するが、相当力が強いのか微動だにもしない。


少女の悲鳴が、裏路地に響き渡る。




それと同時に、湊が動いた。


肉体を半霊化させると、足元に落ちていた鉄パイプを拾う。



そのまま、吸血鬼の頭にフルスイングをかました。



港の振るった鉄パイプは頭部を直撃する。



「ぐふっぬ!?」



情けない声を上げた吸血鬼は、そのまま宙を待って壁に激突する。



湊の持っていた鉄パイプは90度の直角に折れ曲がっていた。



吸血鬼の頭は粉砕され、血が噴水の様に溢れ出している。


普通の人間なら脳に甚大なダメージを受けて、もう再起不能になっているだろう。



しかし、吸血鬼は何事もなかったか様にむくりと起き上がる。



「き、貴様ぁぁ!!」



吸血鬼は鋭利な牙を湊に向ける。



湊に吸血鬼は飛びかかる。



だが、吸血鬼は湊の身体をするりと通り抜けてしまう。


まるで実体がない存在かの様に。



「なっ」



湊の身体をすり抜けた吸血鬼の後頭部に折れ曲がった鉄パイプを突き刺す。



「うぐっ!?」



そのまま、吸血鬼を蹴り飛ばした。



骨が砕ける粉砕音と共に、再び壁に激突する吸血鬼。



だが、よろけながらも起き上がった。




「な、なんだ......人間の匂いのはずなのに、なんなんだお前は!!」



吸血鬼の恐怖混じりの絶叫が響き渡る。



「人間だよ。普通の」


「そんなわけあるか! あってたまるか!! 吸血鬼の俺が人間に力負けしている!? あ、ありえないっ」



吸血鬼はその場から逃走をはかる。



その動きは俊敏かつ、高速だ。



吸血鬼は身体能力が異常に高い、半霊化してるとはいえ、湊が走っても追いつけそうにはない。




撃退できたならそれでいい。


それよりも、襲われていた少女だ。



「大丈夫? 動ける?」



湊は、少女に問いかける。



「あ、足の感覚が......ない」



どうやら、動ける状況じゃなさそうだ。



「とりあえず止血しよう。血を抑えないと」



そう言ったのは、燕だ。



今日買った服の一枚を取り出し、出血部位をキツく締め上げる。



「アキレス腱には届いてないと思う。きっと大丈夫良くなるよ」


「あ、ありがとう......ございます」



少女は安堵からか涙を溢していた。


先程までの恐怖で引き攣った表情も随分と良くなってきた。





湊は走り去る吸血鬼を見つめていた。




吸血鬼が曲がり角に差し掛かった時ーー。




銃声が響き渡った。



脳漿を撒き散らして、倒れ伏せる吸血鬼。




だが、吸血鬼は今度は起き上がらなかった。


それどころかぴくりとも動かず、身体が灰になって消えていく。




そして、曲がり角から姿を現したのは良く知る人物。


東雲だった。



彼女はこちらに気付くと駆け寄ってくる。



「ごめん。吸血鬼が出たって連絡あったから急ぎできたけど間に合わなかったみたい」



拳銃を片手に持った東雲は、辺りを見渡す。



「まさか、二人がいるとは思わなかったよ。ありがとう、めっちゃ助かったよ」



東雲はそういうと、少女に話しかける。



「もうすぐ医療班が来るから安心して」


「は、はい......」



東雲はそういうと、手に持っていた拳銃を懐にしまう。



しかし、この拳銃の攻撃で吸血鬼は灰になって消えたようだが。



「シノノメさん、その拳銃って......」


「あぁ、これ銀の銃弾なんだ、弱い吸血鬼なら確殺できるよ」



銀の銃弾ーーやはり吸血鬼というのは銀や日光に弱いのだろうか。





その時だ。


湊は激しく咳き込む。


抑えた手を見てみると、血液が付着していた。


胃のあたりがキリキリと痛む。


と言っても、そこまで痛くはない。30分もすれば痛みも不快感も消えるはずだ。


やはり半霊化した状態から戻ると、その反動で肉体がダメージを受ける。



「大丈夫? ほらハンカチ」



ミナトの異変に気づいた東雲がすかさずハンカチを渡す。



「ありがと、シノノメさん」



湊は血をハンカチで拭う。



「ねぇ、ミナトちゃん大丈夫なの? 本当にそれ」



心配そうに声をかけてくれたのは燕だ。



「うん、寝れば良くなるから大丈夫だよ。健康診断受けても健康体そのものだったしね」




能力を使うたびに吐血したり体調を一時的に崩したりするので、何度か精密検査を受けたことがあるのだが、肉体的には健康そのものだった。



対策庁隷下の研究施設で、超常的な観点からの検査も受けたが、これと言った悪影響は見られなかった。



「でも、見てるこっちとしては不安になる」



確かに東雲の言う通りなのだが、本人としては健康に影響はなさそうなので気にしてなんかない。



ともかく、今日は色々と非常に疲れたーー部屋に帰ったらゆっくり休もう。


湊はそう思った。

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