第33話 漫研「ふぎぃぃいいやぁぁあああっ!!!!」

「着いたよー、猫ちゃん」

「にっ…!?」


数分後。ルミに抱えられたシュレディンガーは、洒落た外装の家を前に目をひん剥く。

なにも家の外装に驚いたわけではない。

死ぬほど見覚えのある家だった、というのが理由である。

シュレディンガーが逃げ出すよりも早く、ルミがインターホンを押す。

暫くすると、とっ、とっ、と規則正しいリズムで鳴る足音が近づいてくるのがわかった。


「はぁーい…って、ルミっち?

なんでシュレちゃんと一緒にいんの?」


出てきたのは、ギャル系漫画家…、漫画研究部であった。

何を隠そう、この家は漫研の自宅。

すなわち、ルミと漫研は親戚である。

世間は狭い。地域社会ともなると特に。

シュレディンガーが遠い目をしていると、ルミが首を傾げた。


「あれ?この猫ちゃん、知ってるの?」

「そりゃ、飼い主と友だちだし。

ま、あーし、シュレちゃんには嫌われてんだけどね。インクの匂いが嫌みたいで」

「ふしーっ…」

「……あー…」


こいつは演劇部ほどではないが、すごく臭いから嫌いな部類だ。

マンガなるものを描いて生活をしているらしいが、臭細胞が軒並み死滅しそうな悪臭が染み付くような環境で、よくやれるものだ。

なんにせよ、この家はごめん被りたい。

が。そうなれば、今も暴走しているであろう主人に引き渡され、変な改造を施される可能性が高い。

こちらの方がまだ我慢できると判断したシュレディンガーは、諦めたように体から力を抜いた。


「ま、十中八九、飼い主が趣味に没頭してる間に散歩してたってとこでしょ。

こうなったら暫くは仲間内のどっかに泊まろうとあーしらん家に入り込むから、うちで預かるよ」

「預かってくれるって。

よかったねー、シュレちゃん」

「あと、生放送バックれたバカもねー」

「……はいっ。世話んなります」


笑顔から一転、なんとも言えない表情を浮かべ、がっくりと項垂れるルミ。

奇しくも、似たような体勢の2人を、漫研は呆れながらも招き入れた。


♦︎♦︎♦︎♦︎


「ふぎぃぃいいやぁぁあああっ!!!!」

「…………」

「……多分、お前が嫌われてるの、コレもあると思う」


数分後。がんっ、がんっ、と柱に頭を打ちつけ、荒ぶる漫研に、ルミが複雑な表情を浮かべる。

理由は単純。締め切りが近いのである。

先ほど見せた余裕はどこへやら、あらゆる知性を投げ捨て、獣のように暴れ回る漫研に、シュレディンガーの冷ややかな視線が飛んだ。


「暴れてる暇あるなら描けよ」

「詰まってる!あったはずのアイデアが脊椎に詰まってるの!!」

「だからって頭叩いても出てこねーだろ」

「正論やめて!!余計に焦るから!!」

「もう十分焦り散らしてる」


宇宙人ですら理解を投げ出しそうな光景だ。

漫画家という立場を羨ましく思ったこともあるが、こうも世知辛い現実を見ていると、その気が萎んでいく。

セミの再起動も、コレほど喧しくはない。

シュレディンガーの視線が絶対零度に達するのを感じ取ったルミは、「お、お邪魔しましたー」と、漫研の仕事場から去ろうとする。

が。漫研はそんなルミの手首を掴み、血走った目で迫った。


「お願い、ルミっち!行かないで!!

ホントに出なくなっちゃうぅうっ!!」

「…なんかヤらしい響きだな」

「ンなこと言ってる場合じゃないんだよ!!

このままアイデア出ないと編集さんに殺されるぅうううっ!!」

「殺すまでは行かんだろ」

「行くもん!こないだ締め切り破った時、筋○バスターやられたもん!!」

「そうなるってわかってんならとっとと描け」

「ンなこと言ってもアイデア詰まってるから描けないんだよぉおおおっ!!」

「ああ、もう泣きつくな!シュレちゃんが嫌そうな顔してるだろ!」


慟哭する漫研をなんとか振り払い、ぴしゃり、と叱りつけるルミ。

叱られたことでルミから離れた漫研は、「出ない、出ないよぉ…」と呻きながら、原稿用紙と向き合った。


「ごめんな、シュレちゃん。コイツ、追い詰められると死ぬほど喧しくてさ…」

「にゃっ」


知ってる。ってか、しょっちゅう見てる。

帰宅部なるオスも、この暴走に巻き込まれて迷惑してる。

シュレディンガーはひと鳴きでそう返すと、ルミの手から降り、彼女のポーチへと寄る。

たしっ、たしっ、と命じるようにそれを叩くと、ルミは苦笑を浮かべ、「はいはい」とポーチを開いた。

そこから取り出したるは、「猫用コカイン」と揶揄される、液状の猫用おやつ。

ルミがその封を切って差し出すと、シュレディンガーは飛びつくようにそれを舐め始めた。


「おいし?」

「なぁん」

「…今、返事してくれたの、かな?

ふふっ。シュレちゃんは賢いなぁ。まるで、こっちのいうこと全部わかってるみたい」


みたいじゃない。わかってるのだ。

こちとら可愛さと賢さを兼ね備えた至高にして究極の完全生物なんだぞ。

キリッ、と凛々しい視線でそう訴えるも、悲しきかな。

ルミには全く通じていなかった。

と。アイデアが浮かばず、机に顎を置いた漫研が、ルミに呟く。


「ルミっち、帰ってきた時と比べて、ちょっと表情柔らかくなったね」

「…いいから手ェ動かせ。アタシは絵なんて描けないから手伝えねーけど」

「大丈夫大丈夫。画伯のルミっちに助けを求めるほどは切羽詰まってないから」


漫研は言うと、「それに」と付け足した。


「ルミっちはたくさん我慢して、たくさん頑張ってるんだからさ。

今くらいは猫ちゃん可愛がって、ゆっくりしとくといいよ」

「……アタシのこと気遣ってる場合か?」

「余裕のないあーしが気ィ遣うレベルで病んでたルミっちが悪いってことで」


見事な責任転嫁を果たした漫研は、アイデアが浮かんだのか、ペンを手に取る。

それほどまでにひどい顔をしていたのだろうか。

そんな疑問が湧くも、ルミはそれ以上問いかけることはせず、視線をシュレディンガーに戻した。


♦︎♦︎♦︎♦︎


「アイツ、漫研の親戚なん?」

『うむ。シュレディンガーの首輪に埋め込んだ盗聴器から聞くに、間違いない』


公園から少し離れたゲーセンにて。

ゲーム機から漏れ出る爆音の中、生物部からの電話を受けた帰宅部が眉を顰める。

言われてみれば、似てないこともない。目つきの悪さや胸部装甲の慎ましさなど、近しいものを感じる。

…そんなことを言えば、確実に両者から殴られるだろうが。

帰宅部は事態のややこしさを前に、辟易のため息を漏らした。


「はー…。何でこうもややこしくなるかね」

『お前の血筋じゃないか?』

「周囲の関係の面倒さまで特撮に寄せなくてもいいだろ…」

『妾たち、そこは関与しとらんのじゃが』

「知ってる」


むしろ、関与してて欲しかった。

元凶1人を殴って解決する事態であれば楽だったのに、などと蛮族のような思考回路を展開していると。

エアホッケーに興じていた科学部が、情けない悲鳴をあげた。


「ふぎゅっ!?」

「これで科学部のストレート負け。罰ゲームとしてナナイモバー300グラムの完食」

「やめろ!そのカロリーの塊を手に迫るな!

なんでそんなもんがクレーンゲームの景品になってるんだ!?」

「ここのゲーセン、茶道部の傘下」

「あ、あんの女狐ェッ!!むぐっ!?」

『…科学部がなんか騒がしいのう』

「あー…。カロリーで殴られてる」

『…………?』


なんで運動音痴なのにエアホッケーを選んだんだ。

凄まじいカロリーを有した劇物を食わされる科学部を尻目に、帰宅部は電話に意識を戻した。


「とりま、そのまま続けてくれ。

シュレちゃん、お前がもう落ち着いてるってカケラも思ってねーだろうし、あと3日くらいは漫研の家に泊まるだろ」

『うむ。了解じゃ』


それだけ言うと、帰宅部は通話を切り、エアホッケーの台へと向かった。


彼らは知らない。

この判断が後に、漫研、ルミ、シュレディンガーの運命を大きく変えることを。

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