第34話 帰宅部「……あやべっ」

「じ、充電、忘れてたぁ…!?」


翌朝。わなわなと震え、いくら電源ボタンを長押ししようと、うんともすんとも言わない携帯を前に、静かに絶望をあらわにするルミ。

彼女が寝ていた布団のそばでは、定価数万円という値段の高級猫用ベッドに収まるシュレディンガーが、小さく寝息を立てていた。

ルミは寝ているシュレディンガーに気を使い、できる限り静かに動き、充電ケーブルをコンセントに挿そうとする。

と。そのタイミングで、すぱぁん、と音を立て、扉が開いた。


「おっはよぉおおっ!!ふぉおおおっ!!」


脱稿と徹夜による高揚感が重なり、ハイになった漫研である。

なんとも気色の悪い動きと奇声で喜びを表現する漫研に、起こされたシュレディンガーが飛び上がった。


「ふしゃーーーっ!!」

「あばばばばばばっ!?」

「……嫌われてる理由、これもあるだろ」


凄まじい速度の往復猫ビンタを喰らう漫研に、ルミは呆れた声を漏らした。


♦︎♦︎♦︎♦︎


「じゃ、今日は編集さんと打ち合わせあるから、適当に食べといてー」

「んー」


携帯の電源がつくのを待ちつつ、ルミは家を出ていく漫研に生返事を返す。

売れっ子漫画家というのも忙しいのだな、などと思っていると。

家の固定電話から着信音が響いた。


「……どうしよ」


一応は世話になっている親戚の家だが、勝手に電話に出てもいいのだろうか。

恐る恐る液晶を見ると、「文芸部」とだけ書かれている。

「部活名で登録するか、普通?」などと思いつつ、ルミは受話器を手に取った。


「もしもし?」

『あらっ?漫研にかけたつもりだったんすけど…、どちら様で?』


響いた声は、少しばかり軽そうな印象を受ける男のものだった。

ルミは訝しげに眉を顰めると、出来るだけ丁寧に問いかける。


「漫研…というと、この家の娘ですか?」

『はい。そうっすけど』

「えっと…、私、親戚で。

彼女だったらいまさっき、『仕事がある』とかで、私に留守を任せて出て行きましたよ」

『あー、そうなんすか。ボドゲ部と合同で開く考察大会に参加する約束してたんすけど』


漫画か何かの考察だろうか。

そんなことを思いながらも、ルミは「本人に伝えておきます」と言い、電話を切る。

と、同時に。再起動した携帯から着信音が鳴り響いた。


「お、動いた。…サファイアあたりが鬼電してんだろーなー…」


少しばかり憂鬱な気分を抱きつつ、ルミは画面に映る文字をよく確認せず、通話アイコンをスライドさせる。

と、その耳を、漫研の焦った声が震わせた。


『ちょっ、離せクソ野郎ッ!!

あーしには仕事があるっての!!』

「っ、舞っ!?」


思わず名前を叫んでしまった。

携帯を離し、スピーカーをオンにする。

映る名前は、舞…つまりは漫研の名前。

聞こえた声からして、緊急事態であることは明白。

ルミは焦りながらも、気を落ち着かせ、漫研の周囲の音に耳を傾ける。

が。風切音が響くだけで、うまく聞き取れない。

軽く舌打ちすると、漫研に叫んだ。


「舞っ!今何が起きて…」

『おっとぉ。それ以上騒がれるとお姉さん、迷惑しちゃうわ』

『なにがお姉さんだ厚化粧クソババア!!』

『…少しは立場をわきまえなさい』

『ぐっ、ごふっ…!?』

「舞っ!?舞っ!?」


どむっ、と音が響くとともに、漫研の声が途切れる。

どう考えても事案だ。

ルミが胸に手を当て、変身しようと意識を集中させかけたその時。

携帯から、悍ましいまでに冷え切った声が響いた。


『やめときなさい。このお嬢ちゃんが死ぬわよ、ビューティ・ルビー』

「っ……」


見破られている。

そう認識した途端、赤く染まりかけた髪が、元の色へと戻っていく。

まるで、水をかけられたかのように心が冷え、震えている。

ルミは電話の向こうにいる相手に、恐る恐る問いかけた。


「何が目的だ…?」

『何がって…、しらばっくれちゃって。

昨日一緒に居た金髪の女。そいつを連れて、大宮町外れの廃工場に来なさい』


それだけ言うと、女は用はないと言わんばかりに電話を切る。

それ以上、鳴ることない携帯を前に、ルミは訝しげに眉を顰めた。


「金髪の…って、まさか…」


脳裏に浮かぶのは、憎き仇と共にいた少女。

誘拐犯とどのような関係なのかはわからないが、彼女を狙っているのは確実。

だがしかし。ルミが彼女の住所どころか、生活圏を知っているはずもなく。

苛立ちを覚えた彼女は、わしゃわしゃと髪をかきむしり、その場にしゃがんだ。


「……どうすりゃいいんだよ…」

「なぁん」


途方に暮れたルミに、たしっ、と、シュレディンガーが肉球を押し当てる。

ルミがそちらを向くと、いつもとは違い、シュレディンガーが真剣な表情を浮かべているのがわかった。

シュレディンガーは軽く後ろを振り向くと、付いてこい、と言わんばかりに、玄関の方を顎で指す。


「シュレちゃん…?

もしかして、わかるのか…?」

「にゃっ」

「……頼む」


私を誰だと思ってる。可愛さと賢さと強さを兼ね備えたパーフェクト猫ちゃんだぞ。

そんな自信をひと鳴きに込め、外へと向かうシュレディンガー。

それを追うべく、ルミは少ししか充電できていない携帯を手に駆け出した。


♦︎♦︎♦︎♦︎


「なっ、なっ、なっ…!?

なんだ、この破廉恥な服は!?」


その頃、帰宅部の自宅にて。

帰宅部に渡されたハンガーにかかった衣装を前に、わなわなと震えるリヴェリア。

思わず見惚れるほどに可憐なデザインではあるものの、この露出を見るに、下着としか思えない。

帰宅部はそれに対し、なんでもないように答えた。


「水着だよ。来週、仲間内で海行くし、手芸部がお前らの分の水着作ってくれた。

ざっくばらんに言えば、泳ぐための服な。

だから濡れても重くならんような素材で出来てるし、肌を露出してるんだよ」

「む、むぅ…。そうなのか…?」

「……リヴィのは大人っぽいのに、私のは子供っぽい。不服」


可愛らしさを全面に押し出し、色香のかけらもない水着を手にしたフィシィが頬を膨らませ、抗議する。

帰宅部は文句を垂れるフィシィの体を、つま先からアホ毛のてっぺんまで確認し、口を開いた。


「フィーちゃんはちんちくりんな上に童顔だからしゃーねーだろ。

リヴェリアみたいな大人っぽいのは、逆に似合わん。背伸びしすぎだ」

「…ちっちゃくないもん」

「15で身長138はちんちくりんだぞ」

「140」

「アホ毛込みでだろ」

「アホ毛じゃない。身長」

「前から言ってるが、毛は身長に含まれないぞ」

「……140だもん」


ぐすっ、と涙目で鼻を啜るフィシィ。

140でも138でも、背が低いことには変わりない。

しかし、流石にからかいすぎたか、と2人して軽く頭を下げると。

こんっ、こんっ、と窓が鳴った。

帰宅部らがそちらを見ると、絶えず肉球を叩きつけるシュレディンガーが見える。

ご飯でもねだりに来たのだろうか。

そんなことを思いつつ、帰宅部は窓へと歩み寄る。


「シュレちゃん?

なんやいな、えらいとこから呼んで」


がらっ、と窓を開くや否や、シュレディンガーはその場から降りてしまう。

帰宅部がシュレディンガーの行先を視線で追うと、そこには険しい表情のルミが立っていた。


「…顔からして、えらい面倒な状況みてーだな」


帰宅部は言うと、玄関前で待つルミの元へ向かうべく、部屋を出ていく。

残された2人は顔を合わせ、軽く首を捻った。


「……『えらい』…?」

「なんで『えらい』…?」


ただの方言であるという事実を知るまで、あと2日。


♦︎♦︎♦︎♦︎


「…というわけでさ……」


自身がビューティ・ルビーである事を伏せ、一通りの説明を終えたルミを前に、リヴェリアとフィシィが険しい表情を浮かべる。

どう考えても魔神軍絡みの事件である。

シュレディンガーが居なかったら詰んでたな、と思いつつ、帰宅部は茶化すような口調ながらも、真剣な眼差しで頷いた。


「なるなる、なーる…。

それで漫研が誘拐されちったわけね」

「その『漫研』って言い方やめろよ。

なんか変に聞こえる」

「仲間内でコードネームごっこやって5年経つし、もうこれで慣れてっからなー」

「何歳だよお前ら」

「ほぼ全員が高3だぞ。俺も高3。ギリッギリ3月生まれだから今年いっぱい17だけど」

「年上かよ…って、そんなこと話してる場合じゃないんだよ!」


叫ぶことで逸れかけた話題を無理やりに戻し、ルミは深々と頭を下げる。

なくなったチームのことでとやかく言っている場合ではない。

今は、なんとしてでも彼らに協力を仰がねばならない。

ルミは絞り出すように、帰宅部たちに懇願した。


「なぁ、頼むよ…!なにがあっても、彼女さんは絶対守る…!

だから、協力して欲しい…っ!!」

「おう。ちょっち待ってろ」


事の重大さに反し、軽く返事した帰宅部は、携帯の画面に連絡先一覧を表示させる。

その中から1人、暇してそうな人間の連絡先をタップし、電話をかけた。


「あ、もしもし?漫研誘拐されたって。

んで、相手さんがリヴェリア連れて来いって喚いてんだわ。

……さっすが、話早くて助かるわー。

場所はあそこの廃工場よ。ほら、茶道部がこないだ土地買って取り壊す予定の。

ん。ん。おっけ。じゃ、現地でなー」


まるで友だちと遊ぶ約束でもするかのように会話を終わらせると、帰宅部はルミの肩に手を置いた。


「さ、あんたの親戚助けに行こうぜ、最強の魔法少女様」

「……………あれ?私、正体言ったっけ?」

「……あやべっ」

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