第10話 僕の辞書にラブコメは存在しない

 唐突に告白されて、僕は一瞬だけ思考をフリーズさせていた。この感覚は、そう……いつかのとき、澪に告白されたときと同じだ。


 穴の空いた胸を貫通するかのような、とても空虚で、心が全く揺れ動かない。


 僕は澪と彼女になった、けれどそれだけだ。


 関係性は彼氏と彼女だけど、本質的な部分で僕は澪を彼女だと思っているかどうかなんて、もはや口に出さずとも明白なことだ。


 僕が、恋焦がれているのは……今も、昔も、最強という唯一無二の頂なのだから。


「悪いが、僕はお前の恋人にはなれない。諦めろ」


 何の気遣いもなく、ほぼドスレートでの剛速球。相手が受け止められるかどうかなんて、僕には本当に関係のないことだった。


 確か、澪に告白されたときも一度は振ったと記憶している。しかし、駄々をこねた澪の我儘に半ば強制的に付き合う形で恋人関係を構築した。


 今も約束の内容を続けているので、十八になるまでこのまま付き合い続けたら僕は澪と結婚しなければならない。別にそれ自体に抵抗があるわけじゃないが、しかし、一般的に知られる夫婦関係とは程遠いものになるのではないかと勝手に思っている。


 僕が、最強という存在に焦がれる限り……未来永劫ね。


 彼女……上野百合は体を小刻みに震わせて俯いている。表情に影がさしているせいで、今の彼女がどんな心情なのか僕には推し量ることができなかった。


 上野百合の保護者になっている藤崎先生の方は、まるで彫刻のように固まっているけれど顔はとても嬉しそうだ。上野百合に恋人ができることは、きっと彼女にとっては好ましいことではなかったのだろう。


「ね、ねえ……。流石に、直球過ぎない? 彼女の私が言うのもなんだけど」


 一方、ずっと後方で成り行きを見守っていた僕の彼女はと言えば、ひそひそ声で何故か上野百合を擁護するような台詞を吐く。今の澪と藤崎先生の表情を逆にしたら納得もいくのに、僕にはどうも理解しがたい何かがあるようだった。


「シグマにとっては嬉しいことなんじゃないのか?」


 なので、僕が何にも包み隠さずに尋ねると困惑しながらも答えてくれた。


「だって、告白って勇気のいることでしょ? いくら突発的なものとはいえ、好きな人に突き放されたら誰だって少なからず傷つくものじゃない?」


「……そういうものなのか」


「そういうものだよ! ……翔って、人の心を理解しているようなところもあると思えば、肝心なところが理解できてないところあるよね」


「今始まったことじゃない。そんなことくらい、自分で分かってるよ」


 でもね、澪。君も一つだけ勘違いをしていることがあるから訂正しておこう。


 僕は、他人の気持ちを理解したことなんて一度だってない。確かに、魔力を持っていて最強を目指しているけれどエスパーを目指したことは一度たりともないから。


 他人の気持ちを想像して考えることはできるかもしれないけれど、それだって正確に読み取れていることなんてほとんどないのだと思っている。増して、人の気持ちを完全に理解するなんてことは不可能に近いんだ。


 ただ単に、僕が感じたことのあることに共感させているってだけのことだと、僕は思ってるよ。


 けれど、そうやって徹底的に討論したりとか、論破しようなんて思考は微塵も持ち合わせていないので喉元に留めておく。すると、勝手に溜飲も下がって言葉はまた腹の奥に沈んでいくのだ。


「ともかく、僕は付き合わない。これだけは確かだ。それに、僕には既に恋人がいるし、どの道付き合うことは不可能だ」


「……そう、ですか」


 覇気のない、とても暗い海の底に沈んでいくかのような落ち込んだ声音だった。他者の気持ちを知ることも、理解することも難しいことではあるけれど、ほんの少しだけ澪の言ったことも考えてみる。


 今の彼女の様子を見るに、あまり直球に伝えすぎるのも相手を傷つけることに繋がるのだと学んだ。


 僕としては、包み隠して伝える方が相手に希望を持たせるようで申し訳ないと思う気持ちの方が強く、きっぱり諦められる方が良いんじゃないかと思っている。だから、澪のときも、今もありのままの気持ちを包み隠さずに伝えたに過ぎない。


 けれど、同じ表現でも伝え方によってはもう少し空気を重くせずに解決できる……要するに、言葉を選ぶべきだったのではないかと。だからと言って今更謝るのは彼女に失礼なことなのでやらないけれど、次の機会があれば、もうちょっとだけ配慮をしてみようと考えた。


 ただ、一向に顔を上げようとしない彼女はどうしたものか。流石の落ち込み様に藤崎先生もほんの少しばかり汗が滲んで表情が堅苦しくなっていっている。


「やっぱり、やり過ぎたんじゃない? 何か、言ってあげたら?」


 シグマによる後方からの援護射撃に加えて、横から飛んでくる「お前のせいだろ、何とかしろ!」と睨んでくる先生の視線が痛い。


 ……あまり面倒なことは御免なのだけれど、自分の招いた結果なので仕方なく今回はフォローを入れることにした。


「……なあ、上野百合。その、言い方は悪かったと思う……。だが、どうしてもお前の彼女になることはできない。それだけは、分かって欲しい」


「……です」


「ん? 何だ?」


 あまりに声が小さくて上手く聞き取れなかった。僕は今度は聞き逃すまいと全神経を両耳に集中させ、部屋の中で舞う塵一つの挙動すら聞き逃さないように万全の状態を整えて聞き返した。


「私、今回も本気なんです。女優を目指したときと同じくらいに、あなたに本気なんです」


「……そうか」


「だから、私はあなたを略奪してみせます」


「え?」


「エニグマさんが本気で私のことを好きになってくださるよう、ちゃんと努力致します! なので、首を洗って待っていてください!」


「……どうしてそうなる」


 僕の周りにいる女の子というのは、どうこうも肉食系が多いのだろうか。叶わない恋だと知った時点で、キッパリと諦めてくれればこっちも気が楽なのに。


「私、叶わないと分かったことほど本気になれるタイプみたいなんです。今の彼女さんがどんな方かは知りませんが、私は尽くすタイプですよ? 決して、あなたを飽きさせたりなどしませんから。お試しで、まずはお友達デートから始めませんか?」


「しないと言ってる。……って、おい! どさくさに紛れて抱きつこうとするな!」


 上野百合は体を蛇みたいにくねらせながら、ぬるりと腕を伸ばして腰にまとわりつこうとしたので慌てて身を引いて回避する。彼女は「えぇ〜?」と言いながら、しかし、見た目同い年くらいの女の子とは思えないくらい妖艶な笑みを浮かべて誘惑を続ける。


「エニグマさんは私と恋人になるのを拒んでいますけど、これでもスタイルにはかなり自信があります。今は元女優とは言え、女優になれた経歴があるくらいには周囲にも認められているのですよ? ほら、もっとよく観察してみてください」


 彼女は体を少し傾けて、足を手折るようにしてソファの上に乗せてセクシーポーズを取る。スラっと伸びた長い脚と程良い弧を描いた脚線美、体のラインは細めだがメリハリはあり、胸も歳不相応に大きく、顔立ちも良いので男性からは大人気間違いなしだ。


 きっと、こんな風に迫られて顔を縦に振らない男なんて僕くらいなものだろう。


 あと、後ろから物言いたげな殺気が主に僕に向けられているのだけれど、浮気はしないから怒りを心の鞘に収めてほしい。


「何度も言うように、僕はお前とは付き合わない。それに、冗談はそれくらいにしないと僕も容赦しないぞ」


「……っ。仕方ないですね。でしたら、今は一旦引きましょうか。ですが、私は諦めていないということは覚えておいてください」


 個人的にはあまり覚えておく価値のない事柄だとは思ったけれど、奇襲を喰らう可能性も考慮すると頭の片隅くらいには入れておこうと思う。主に、自己防衛のために。


「……そろそろ、お嬢との話し合いも終わったか? さっきの話がまだ途中だからな、このまま「はい、さよなら」と返すわけにもいかない」


 お嬢が大切だと言う藤崎先生は、まだ二回しか会ったこともない、しかも素性も素顔も分からない男に告白したのにも関わらず黙って成り行きを見守っていた。いや、大切だと思うからこそ、彼女の気持ちを尊重したとも取れるかもしれない。


 そんなお嬢思いの彼女にとって、護衛が二人も確保できるのはこれ以上にないくらい美味しい話に違いない。


「だが、上野百合は交渉を拒否した。そうだろう、シグマ?」


「まあね、さっきの段階では玉砕並みの速度で振られちゃったよね」


 先ほどの殺気が嘘のような笑顔混じりの明るい声色で僕の意見を肯定し、「ただ……」と自分の意見の続きを話す。


「今は、違うかもじゃん? さっきは説得前だったけど、今はエニグマの話をちゃんと聞いた後のわけだし。お互いに利益があることは既に話してあるし。でしょ? 上野さん」


「ええ、その通りです。一度は断っておいて図々しく思われるかもしれませんが、今度はこちらか改めてお願い致します。どうか、私とフジを守ってください」


 上野百合は頭を深々と下げてお願いするが、そこで「お嬢、待ってください」と藤崎先生が不満そうに言う。


「私は守る側であって、決して庇護されるような存在じゃないですよ」


「そうは言っても、異能力による実力差だけ見ればフジの方が下です。違いますか?」


「それは……。否定できません」


「……ほう?」


 この上野百合とかいう娘、まさか異能力がどれだけ強いかの指標まで分かるのか? だとしたら、もしかしたらアレに使えるかもしれないと思ったり、思わなかったり……。


「でしたら、ある程度は頼っても問題はないでしょう。勿論、フジの強さは頼りにしていますが、最近は働きすぎですし、ここは一つ任せてみましょう。ね?」


 上野百合の少し威圧がかった満面の笑みに藤崎先生も言い返す気力が削がれたのか、歯切れ悪く「わ、分かりました……」と弱々しく返したことで話はまとまった。


「ともなれば、後は……。お前たちの正体は、明かしてくれるのか?」


 藤崎先生は、いよいよ物事の核心とも言うべき話題に踏み込んできた。


 今の今まで僕たちの正体に関する話題をスルーしてたのは、互いに仲間同士という認識がなかったからだ。


 しかし、今この瞬間をもって、僕たちは口約束とはいえ仲間になったわけだ。このまま隠しておくこともできるけれど、要らない誤解を生まないようにするためにも明かすべきなのかもしれない。


 正体を知られないようにするのは、万が一にも自分達の私生活に影響を及ぼさないため……。だけど、秘密厳守の約束をした以上、これを破ろうものなら二人とも容赦なく始末しようと心に誓う。


「シグマ、正体を明かすぞ。覚悟はいいな?」


「もっちろん。仲間になるからには、ちゃんと心を開かないとね。これからは、運命共同体ってことで」


 僕たち二人は魔力により構成したフードを取り払い、元の制服姿へと戻った。その顔ぶれを見た筋崎先生は、驚きで開いた口が塞がらなくなってしまっていた。


「どうも、藤崎先生。さっきぶりですね」


「どうもー、藤崎先生。翔とお付き合いさせてもらってる、西園寺澪でーす。上野さんも、よろしくね」


「ま、まさか……。あのバカップルの二人が、正体……? こんな、おちゃらけた二人に私は手も足も出なかったと言うのか……」


「うわー、すごい失礼ですねー」


 澪の言う通り、とんでもなく失礼なことを言う。そして、おちゃらけているというのもかなりの偏見がかかった誤解である。


 浮かれているのは一方的に澪の方だけであって、僕は別に浮かれているつもりもなければ世に言うバカップルになったつもりもない。


 そして、対抗心をメラメラと燃やす獣のような視線を送って来る人物もここに一人いる。それは主に、僕にではなく澪に対してだけどね。


 上野百合はふらつきながら席を立ってこちらに近づいてくる。僕が後ろに下がって道を開けてあげると、彼女は会釈をしてから澪の前まで進み出た。


「どうも、改めまして上野百合です。先ほどは、あなたの彼氏とは知らず目の前で誘惑してすみませんでした」


「いいよ、別に。この程度の誘惑で翔がどうこうなるとは思ってなかったし」


「へえ、凄い信頼を置いてるんですね。お二人は、幼馴染とかですか?」


「よく分かったね。私たちは、幼い頃からずっと一緒にいたんだよ。お互い、色々な面を見てきた唯一無二の関係で、今は恋人で、相棒でもあるんだから」


「それは頼もしいです。こんな人たちに守ってもらえるなんて。でも、幼馴染で今は恋人かもしれませんけど、うっかり彼氏さんが私の方に鞍替えしても恨まないでくださいね。そのときは、あなたの魅力を私の魅力が上回ったということで」


「絶対にあり得ないので、承諾しかねるわー。こちらこそ、よろしく。私の彼氏を誘惑する女狐」


「よろしくお願いします、彼氏に尻尾を振るお犬さん」


「ふふふ……」


「うふふ……」


 うわあ、とんでもなくドロドロした雰囲気の戦いが繰り広げられてる……。絶対、あんな底なし沼には沈められないように関わり合いはなるべく避けておこう。


「……だが、二人が同じ教室にいるのなら安心だな」


「「安心?」」


「それはどういう……。まさか、フジ!?」


 藤崎先生の発言の意味を分かりかねて僕と澪は首を傾げたが、どうやら事情を把握しているらしい上野百合……改め、上野さんは驚きと歓喜の混じった大声を上げていた。


「ええと、いまいち要領を得ないんだけど……。どういう意味ですか、先生」


「ああ、お前たちには話しておこうか。お嬢は少し遅れてだが、お前たちと同じクラスに編入する。今まではあまり体調が優れなかったし、さきの襲撃の件もあって外出は控えさせていた。だが、このままというわけにも行かないからな。知り合いの異能力者をおど……。いや、助けを借りてお嬢の怪我の治癒を促進、ついでにお嬢の正体を隠すための道具も借りてきた」


「今、脅すって言いかけませんでした?」


「言ってない」


「さいですか」


 藤崎先生がギロリと睨んできたので、僕はそれ以上深くは詮索しないことにした。どうやら、僕たち以外にも一応はパイプラインがあるらしい。


 まあ、そうでもなければ今まで芸能活動なんてやって来れなかっただろうし、政府や別の組織の追ってから逃げ続けるのも不可能に近かっただろう。そういうことなら護衛も楽になると思いたいけど……、事がそう上手く運んでくれる気がしないのは何でだろうなあ……?


「そういうわけだから、一週間後くらいに編入させる。ちょうど、体力テストがある日だが、よろしく頼むな」


「はーい」


「了解です、藤崎先生……じゃなくて、フジ先生って呼んでいい?」


「西園寺、フジというのはお嬢だけに許した呼び方だ。それに、お前がフジと呼んだらクラスの奴らが真似するだろう。辞めろ」


「はーい」


 澪は多少は不貞腐れながらも了承した風に見せたが……。ピーピーと口笛を吹いているのを見る限り、たぶんこれはやらかすなと長年の経験がものを言っている気がした。


「そういうわけだから、今日はもう帰るといい。流石に、時間が遅くなり過ぎたからな。怪しまれないよう、上の家に登ったらいつもの藤崎玲として対応するからそのつもりで」


 そんなわけで、僕たちは今朝に学校であったゆるふわ系の藤崎先生に「気を付けて帰ってくださいね~」と見送られて家へと帰った。


 その次の日、学校で澪がフジ先生呼びをしたおかげで学年全域にフジ先生というあだ名が定着したのは、言うまでもないことだった。

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