第8話 初手

 日が沈み始めたことで世界が夕焼け色の光で包まれてきた頃、翔たちの担任の先生である藤崎玲は既に学校を出て自宅への帰路に着いていた。


 春風と言うには少しばかり肌寒い向かい風が吹き付け、思わず自分の体を抱いてしまう。


「……本当、この国って夏は暑すぎるけど、冬は寒すぎる。春だって気候が不安定で、ちょっと過ごしにくいわ……」


 学校で作っているフワフワ天然系の親しみやすいキャラとは違い、今は誰も見ていないからか素の自分が顔を出す。


 いや、素というのは些か誤解を生みそうなので訂正をすると、彼女にとって巣の自分というのは凡そ存在していない。彼女は政府のとある極秘研究施設から脱走した身であり、そこに勤めていた頃から周囲の環境に合わせたキャラづくりを行って生きていたためである。


 現在は、自分の守るべき対象に接するときの自分を演じており、学校での自分もまた演目に応じて配役を変えた自分を演じていただけ。それ以上でも、それ以下でもない。


 彼女にとって、自分の人格がブレることよりもその環境下で上手く生きていくことの方が大事なのだ。


 だが、そんな彼女は現在、周囲の様子に若干の違和感を抱えていた。夕暮れ時、閑静な住宅街に自分のヒールが一定のリズムで地面を踏み鳴らす音と自身の息遣いだけが耳の中へと伝わって来る。


 何もおかしなことはない。この時間になると、人通りが少なくなるのはいつのものことのはずだ。


 しかし、それは外に限っての話であり、家の中から生活音が聴こえてきてもおかしくないはずなのに、まるで息をしていない街中を歩いているかのような錯覚に囚われてしまっている。


「……静かすぎる。この感覚は、まさか……」


 やがて差し掛かった十字路の中心で玲は歩みを止めた。四方八方から、ただならぬ殺気と気配をまとわせた黒い視線が彼女を取り囲んだからだ。


「……お前たちか。確か、ついこの間まではお嬢様に酷いことをしてくれた連中だな。少なくとも、政府の人間ではない……。何者だ?」


 玲が静かに視線を巡らせながら問答を行い、彼らの出方を窺ってみる。全身黒装束にフードを被り、白い仮面を付けた道化師を演じているかのような姿をした構成員が全部で八人、四方の道を塞ぐようにそれぞれ一人ずつ、それから周囲の住宅の屋根の上に四人立っている。


 彼らは玲の問答に答える気はサラサラ無い様子で、仮面越しにも分かるほどの濃密なまでの悪意と殺意だけを彼女に向ける。


 彼女にとってはそれだけで十分だった。何故なら、こういうどうしようもない連中が素直に自分の知りたいことを教えてくれたことはないことを知っているからだ。


「答えないのなら、答えを聞き出すまで」


「無駄だ。ここは現在、人払いの結界が張ってある。貴様は最初から、ここにはいなかった。それが、我々の描くシナリオだからな」


「ようやく喋ったと思えば、この私に対して死の宣告とは……。愚かな。お嬢を守るこの私が、よもやただの人間とは思うまい」


 彼女は眼鏡を外してポケットにしまうと、己の体からバチッと青い光が迸り乱れた短髪が瞬時にしてサラリと整えられた。彼女の鋭利な両目から放たれる視線は稲妻の如し、彼女を囲う殺気を睨みを利かせただけで蹴散らし対象を射抜く。


 彼女の手にはいつの間にか一本の青白いレイピアが握られており、黒ずくめの集団もまた戦闘態勢へと移行しナイフや剣をどこからともなくその手に握らせた。


「お前たち、武器を取ったな? なら、もはや終わりだろう。私の速さには、誰も追いつけやしないのだから」


 彼女が呼吸をすると、そこに一瞬静寂が訪れる。肺の奥まで周囲の音を吸い込み、静止した時間より速く彼女は動き出す。


「疾風迅雷!」


 彼女の周囲に剣にも、また槍にも似た雷の化身による一撃が放たれる。彼女にとって縦は横で、上は下、ただ一筋の線をなぞるように雷の剣を振るうだけで縦横無尽に理不尽なまでの光速な剣撃が空間を裂くように走る。


 剣を振り終えた彼女が元の位置に戻ったときには、既に引き裂かれた体を灰へと変えて風に吹かれる者たちの姿が映る。たった一人、彼女の目の前に転がる両手両足を失った死にかけの人間を除いて。


 彼女は雷の剣を虚空に消すと、彼の首を鷲掴みにして持ち上げ殺気を放ちながら静かに問う。


「おい、聞こえるか? まだ、生きているな? 質問に答えろ」


「……答える義理は」


「……」


「ぐわああああっ!?」


 彼女は掌から青白い電撃を走らせる。彼に肌の内側から突き刺すような痛みが全身を駆け巡るも、徐々に感覚がなくなっていくのがすぐに分かった。


 それは単に死にかけているからでも、出血多量で死に向かっているからでもない。突如として、体中の感覚という感覚が彼女に奪われたのだ。


「私が拷問をするときによくやるんだけど、人は手足を切り落とした程度じゃ簡単に死なない。私は脳に電気信号を送ることで生命活動を維持するよう体に働きかけることができるし、脳さえ支配してしまえば私が望んだヶ所に痛みを与えることもできる。ただ、目的を喋らせるとなると少し面倒だから……できれば、自分の口で喋ってくれないかなって。どう? まだ、死ぬには一日以上の時間が必要だと思うけれど?」


「あ、あぁ……。が、や、やめ……」


「やめて欲しいなら、早く吐いた方がいい。私は、そこまで優しくない」


「ぎゃあああああ!?」


 再び、彼女の体から電撃を流されて痛みに悶え苦しみ、彼女以外には誰も聞く人がいない絶叫が住宅街に響き渡る。彼らの張った人払いによって、逆に助けを呼ぶことができなくなってしまっているのは大きな失態だったろう。


「喚いていたら、何も分からない。こうなったら、痛みに慣れる前にその口から証言してもらおうか。……精神汚染」


「あっ、が……。……」


 徐々に、仮面越しに彼の目が虚ろになっていく。先ほどまでは痛みに苦しんでいたのに、突然人形のようにこと切れて全身を脱力させた。


「答えて。あなたたちは何者?」


「……我々は、「WARS」」


「WARS? それが、あなたたちの所属する組織の名前?」


「ああ……。我々は、異能力を用いて世界を裏から牛耳ることこそ目的。今回の目的は、上野百合……」


「あなたたちは、どこからやってきた? 政府との関係性は?」


「……政府は、無関係。我らは、欧州よりこの地に舞い降りた……」


「あの子を攫って何をするつもりなの?」


「それは……。あ、がああああああ!?」


 彼が目的を喋ろうとしたその時、彼の心臓部分から紫色の光が放たれるのと同時に苦しみ始め、やがて体全体が腐食していきするりと玲の手の中から溶けて地面に落ちた。その場には彼の着ていた戦闘服と仮面のみが残され、玲は証拠が残らないように電撃を放って完全に燃やし尽くしてしまった。


「これで、始末は完了ね。ここを嗅ぎつけたということは、早いところ場所を移さないといけないか……」


 彼女は小さく溜息を吐き、夕日に背を向けて帰ろうとした。だが、後ろ髪を強く引っ張られたかのように咄嗟に振り返って雷の剣を構えた。


 そこには、先ほどの黒装束とは明らかに別の存在が二人佇んでいた。全身を黒いローブで覆っているのは同じはずだが、しかし、纏っているオーラは下っ端のそれではなく強者のもの。呼吸をする度に喉元がチリついて、肺の中の空気が押し出されるかのような圧倒的なプレッシャーに心臓の鼓動が徐々に早くなる。


「……お前たち、前に会ったことがあるな?」


 既視感を覚えたらしい玲が尋ねると、左にいた男らしき人物が顎に手を当てて少し考えてから発言をした。


「……ああ、あの時の。気配に覚えがあったが、そういうことか。お前は、あの如月組のアジトで僕たちを挑発した人物だ。まさか、こんな形で再会するとは思ってもみなかったぞ」


 男は含み笑いをしながら、声が弾むのを抑えるようにして饒舌に語る。隣のローブ姿は明らかに女の体型をしており、彼女は男に対して友達感覚でラフに話しかける。


「うっそ、あれがこいつと同じ? 本当に? 冗談抜きで? へえ、こうやって気配を隠すんだ……。ちょっと勉強になったかも」


「シグマ、余計な口を挟むな。今は、彼女のことが最優先だ」


「はいはい、分かってるって」


 女はごほんと咳ばらいをすると、ビシッと人差し指を玲に向けて元気よく高らかに宣言した。


「じゃあ、さっさと本題! 上野百合はどこ?」


「っ!? 何故、そのことを!?」


「まあまあ、落ち着いて。私たちは、さっきの人たちと違って乱暴しようって気はサラサラ無いから。もちろん、上野百合を奪おうとも思ってない。ただ、取引がしたいってだけ」


「……取引?」


 女……シグマは警戒心を削ぎ落すような軽快な身振り手振りを交えて、可愛らしい猫撫で声を発しながら玲に自分たちの持ってきた提案を持ち掛ける。無論、玲はその程度のことで警戒心を解く気などないが、話に応じるつもりはあるらしく青白い光を放つ剣を構えたまま口を開く。


「あなたたちの目的は何? 一体、何がしたいの?」


「僕たちはただ、僕たちの目的のために。そのためには、上野百合という存在が少しばかり気がかりでな。既に、彼女の異能力についても把握している。僕たちはただ、お前や彼女に僕たちの邪魔をしないよう頼みに来ただけだ」


「……つまり、自分たちの異能力の公表を恐れていると?」


「話が早くて助かる。万が一、彼女が僕たちを詮索しようものなら……。そのときは、容赦なく潰すが……。今のところ、僕たちにその意思はない。むしろ、こちらに協力してくれるのであれば、上野百合を彼らの手から守ることだってできるだろう」


「……そういうこと。見返り、ってやつかしら。あなたたちに一度助けられているから、乗ってあげたい気持ちはある。けれど、信用はできない」


「……ならば、どうする?」


「直接、語り合うまで」


「……問答は不要か」


 彼の口元がニヤリと三日月を浮かばせた刹那、彼女の雷にも等しい速度の剣撃が襲い掛かる。彼女はそのまま彼の体を細切れにするつもりで斬りかかったが、しかし、結果は彼の作り出した一振りの黒い剣によって止められてしまっていた。


「っ!? 私の一撃が……!?」


「ふっ……。中々の踏み込みの良さだったが……。まだ、足りんな。無駄な動きが多すぎる。そんなことでは、僕は愚か、シグマにすら勝てん」


「黙りなさい!」


 稲妻と化した彼女の体が縦横無尽に空間を駆け回り、あらゆる角度から彼に対して攻撃を仕掛けるも全て彼の剣の前に弾かれてしまう。光の速度と同等の剣技を音や視覚に頼って防ぐことは不可能に等しいが、まるでそこに攻撃が来ると初めから分かっていたかのように完璧に防いで見せる。


「どうして……」


「単調。ただ、速さと威力にかこつけて戦っているに過ぎんうちは僕に刃を届かせることなどできはしない」


「ちっ……。なら、あなたのお仲間を細切れにすれば、少しはその不細工な喋り方も可愛らしくなるか!?」


 男に剣の技量で敵わないと分かると、今度はシグマに苛烈で過激な電撃の強襲を仕掛ける。彼女の真上から体を真っ二つに引き裂かんと突撃するも、シグマはクルリと体を回転させて最小限の動きで玲の一太刀を躱した。


「う、嘘!?」


「ごめんなさい、私はあまり荒っぽいダンスは好きじゃないんだ」


「この!」


 玲の放った次なる鋭利な一撃も、彼女は高速で錬成した銃剣を構えて銃口の上に取り付けられた刃先の尖った剣先で撫でるようにして受け流す。


「私、才能あるらしいんだよね。こうやって、誰かと戦うことに対するさ」


「何を言って……」


「私は死の恐怖を感じにくい体になってる。何度も死に目にあったせいかね。今更、雷如きでビビるようなことはないかな」


 彼女はその場で踊るようにして華麗に攻撃をいなし、そして更にすれ違いざまに玲の体に強烈な蹴りを一撃加えることに成功した。嗚咽を吐きながら、進行方向を急に曲げられたことで痛みは倍増しボールのように地面をバウンドしながら倒れ伏す。


「……っ。馬鹿な、私がこんなあっさりと……」


 玲は自分の攻撃を簡単に躱されたことにも驚いていたが、内心では反撃を喰らったことに一番驚愕していた。光速で移動する自分の体を蹴り上げるのには、とてつもないエネルギーをぶつけなければ不可能だからだ。


 膨大な運動エネルギーを持つ彼女の攻撃を受け止めるだけならともかく、方向転換させるほどの力など、それこそ強力な異能力者でなければできない。つまり、彼らは何らかの異能力を行使できる「チルドレン」であることを証明していた。


「……まさか、異能力者だったとは……。あなたたちの強さにも、納得がいくわね」


「悪いが、全てを異能力の力だけなどと思わないことだ。言っておくが、お前の攻撃を受け流した剣技は全て、異能力を行使せずに成し得たことだ」


「馬鹿な……。そんなこと、人間には不可能なはず……」


 とても信じられないと絶望に打ちひしがれている玲に、彼は小さく笑みを浮かべて彼女の前まで進み出て倒れる彼女を見下ろした。


「不可能などと……。自分の限界を自分で決めているうちは、僕たちに力が届くことはない。最強に果て無し、限界を知らなければ僕たちはどこまでも高みに登ることができる」


「……まさか、あなたみたいな逆賊に教えられるなんてね……。教師なんてやってるのに、まだまだ……。聞かせてくれない? あなたの、名前を……」


 男は彼女の腕を掴んで無理矢理に立たせると、今度は彼女の手をしっかりと握って闇に包まれた自身の名を明かした。


「僕の名前は、エニグマ。最強を目指す者だ」


「……そう。私の名前は藤崎玲。上野百合の……保護者みたいなものよ。よろしく、エニグマ。それで、そっちのお嬢さんは……」


「シグマ。それが、エニグマから貰った大事な名前。よろしくね、フジさん」


「え、ええ……。よろしく」


 急に馴れ馴れしく自己紹介をしてきたことに戸惑うも、気さくに話しかけてくるシグマを警戒しきれずに握手を交わしてしまう。


「それで? あなたたちの要求は、自分たちのことを内密にして欲しいってことで良いの?」


「それは、彼女と直接会って話すことだ。僕たちの目的を阻害するか、それとも目を瞑るか……。それによって、対応も変わってくるだろう」


「そういうこと。フジさんと取り引きしても、あまりこっちにメリットはない。それに、明確な敵になりそうな存在も見つかったし。ね?」


 エニグマはシグマの言葉に小さく頷くと、改めて玲に面と向かい合う。と言っても、玲の方からエニグマとシグマの顔を見ることはできないが。


「それで、どうする? 僕たちを上野百合に会わせるのか、会わせないのか」


「……会わせるしか、ないでしょ。あなたたち二人は、少なくとも私より強いのだから。あなたたちが本気だったら、私は死んでいた。それでも生かしたということは、まだ利用価値があるってことだもの」


「……なら、話はついたな。行くぞ。案内しろ」


「……こっちよ」


 彼女は全身をボロボロになった体をフラフラな足取りでも何とか支えながら先行して歩いていく。二人は彼女の背後に立ってついていくが、その道中、不自由に歩く彼女に一切の手助けをすることは無かったのだった。

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