第7話 事件調査
一ヶ月前のこと、謎の襲撃によって壊滅を余儀なくされた如月組の元アジトにて。そこには何台かの警察車両が到着しており、一台の車両から昭和の刑事風な濃い緑色のコートを羽織った中年の刑事が出てきた。
年季の入った髭の剃り残しと長年の経験から身に付いた獲物を狙う狼のように鋭い眼光を放ちながら歩く彼を見て、周囲の警官たちはビシッと敬礼して敬意を示した。
「お疲れ様です、山中警部!」
「おう、ご苦労さん。これから、中調べてくる。ちゃんと見張ってろよ」
「はっ! どうかお気をつけて!」
山中賢二、勤続十五年のベテラン刑事で、今年の十月には三十八を迎える男だ。様々な難事件を地道な調査と鋭い観察眼、そしてキレる頭脳で解決してきており、またの名を「狼の山中」と呼ばれている。
堂々とした足取りでアジトの中に入った彼は、早速、明かりで照らされた室内を見渡してから足元の床を念入りに調べてみる。侵入者か、もしくはこのアジトの人間の足跡を調べるためだったのだが、残念ながらそれらしきものを発見することはできなかった。
「……流石に、足跡は残ってないか。確か、監視カメラの映像ではこのアジトの人間以外で誰かが映った形跡がなかったな。だが、不自然なノイズが三、いや四回……。きな臭いな」
山中は入り口付近に仕掛けられた防犯カメラを見ながら、ため息交じりに呟いた。
防犯カメラの映像を事前にチェックしていた山中が気になったのは、正常に作動していたはずのカメラに入った複数回のノイズだ。ある瞬間だけ映像に乱れが生じてまともな映像がデータ上で保存されなかったのが、数えていて四回もあった。
もしかしたら、偶々故障が起きていて映像が上手く保存されなかっただけかもしれないが、四回というのがとても気になった。
「ここを出入りするとき、最低二回はカメラに映る。侵入者が何かしらの手段を使って、カメラに意図的なノイズを走らせていたとしたら……。四回、つまり侵入者は二人以上か」
しかし、辺りを見渡してみても特に不審なものは発見できない。つまり、侵入者たちは持ち運び可能な小型の機械か何かを使って監視カメラを潜り抜けたのではないか。というのが山中の推理だ。
実際は、侵入者たちがカメラでも捕らえることが不可能な速度で移動したことによってデータが上手く保存されなかったのだが、そんなことを考えつくはずもなく。山中は、顎に手を当てて懸命に防犯カメラの謎について考え続けている。
そんなときだ、後ろから誰かが近付いてくる気配を感じて思考を中断し振り返る。そこには、まだまだ若々しい二十代の男が黒いコートを羽織った出で立ちでやってきた。
「山中警部! お疲れ様です!」
「おう、松下か。ご苦労さん」
松下竜一、勤続五年目の若手捜査官で、現在は賢二の助手を務めている見習い刑事だ。山中とは対照的にフレッシュさ溢れる爽やかな顔立ちをしており、その眼は様々な可能性を秘めた希望の光を宿したかのような瑞々しさが感じられる。
「山中警部、報告です。如月組構成員計十四名、全員確保しました」
「そうか。奴らの様子はどうだった?」
「全員、気絶させられていました。それから、全員がどこかしらに打撲痕と、それから銃弾による負傷と思われる風穴が複数個所。命に別状はありません」
「ほう? 銃撃戦までやらかして、全員が無事だったのか。妙なこともあるもんだな。それで? 誰か目は覚ましたか? 取り調べは?」
「いえ、まだ誰一人として意識を取り戻してはいません」
「なら、奴らを一度病院送りにした後で事情聴取だな。事前の調査で分かっていることではあるが、児童虐待に監禁、これは許されないことだ。絶対、奴らの口から目的を吐かせてやる」
山中は懐から煙草を一本と銀色のお洒落なライターを取り出すと、バチッと火を点けて吹かせた。松下にも一本どうかと手で勧めてみるが、彼は遠慮して受け取らなかった。
山中は少しだけ残念そうにしながらもライターの側面で火を消すと、グシャッと手で握り潰してコートの中に吸い殻を突っ込んだ。
「確か、ドンパチしたのは二階だったな?」
「はい。現場検証も、一通りは終わっています」
「よし、行くぞ」
「はい」
自分よりも少しだけ小柄だが大きな背中を見せる山中に、松下は素直に従ってついて行く。
正面の階段から二階に登ってたどり着いたそこは部屋の中が真っ暗になっていてよく見えない状態だった。試しに、扉の横に手探りで見つけたスイッチを押してみるも反応はなく、パチパチと何回か切り替えてもうんともすんとも言わなかった。
「どうやら、照明自体が駄目になってるみたいだな。監視カメラの映像は?」
「部屋の中が暗くなって銃撃戦が始まり、そこから暫くはフラッシュと黒い影が横行するのが確認できましたが、流れ弾をもらったようでそれ以降は……」
「そうか。よし、中を捜査するぞ」
山中の指示で、二人はスマホのライト機能を使って室内を照らして捜査を開始した。デスクは散乱、書類もところどころに散らばっていて、床にはガラス片や銃弾が転がり、部屋中に風穴が空けられている。中には血痕も残されていて、ここでかなり激しめの戦闘があったことを暗に物語っていた。
「如月組から押収した武器は? 侵入者は武器を使ったのか?」
「如月組構成員の所持していた拳銃や刀といった武器は合わせて三十五、調べてみないと分かりませんが、いずれも非合法な手段で入手したものかと。侵入者については不明です。そもそも、人間でない可能性が濃厚とされていますし……」
「いや、侵入者は間違いなく人間だ」
「何故ですか?」
「お前、まさかこの世界に幽霊みたいな超常現象が存在するとか思ってんのか? それとも、魔法や剣を使うファンタジーな世界からUMAでもやってきたとか本気で信じてたりするのか?」
「いえ、そこまでは言いませんが……。しかし、未確認の生物だっているかもしれませんし」
「それこそ、可能性はゼロに近いだろう。そもそも、そいつは監視カメラにまともに映ってたのか? 一度でも」
「いえ、明るいときには決して監視カメラの射角には入っておらず、暗くなってからもまるで闇に紛れるかのように移動をしています」
「明らかに、監視カメラの存在を認知してる奴の行動だ。人間と同等以上の頭を持つ知的生命体で未確認生物だったらそれこそ大発見だろうが、今まで姿を現さず、しかも監視カメラの存在を知っているような奴がノコノコと現れるわけがない。それをするってことは、もしかしたら馬と鹿を掛け合わせた生物かもな」
「つまり、人間の仕業だと?」
「ああ。自己顕示欲があるのは、今のところは人間特有のものだろう。生き延びるために進化した動物は軒並み、隠れるのもお上手だ。だが、人間だけは隠れられる頭脳があるにも関わらず、わざわざ目立ちたがる。それに見ろ、この弾痕を」
「壁や床に空いていますね。それが何か?」
「何かじゃねえだろ、よく見ろ。天井にまで空いてんだぞ? この部屋中に銃弾の雨が全方位から降り注いでたんだ。少なくとも、侵入した輩は飛んだり跳ねたりしたってことだろうな。でなきゃあ、天井なんて狙うわけがねえ」
「それなら、やっぱり猿とか鳥みたいな生物の仕業じゃあないですか?」
「鳥で打撲痕ができてたまるか。仮に猿だったとしても、防犯カメラを掻い潜るだけの知能はねえよ。しかも、奴らは向こうの窓を割って侵入してきてんだ。使われた凶器が押収できなかったってことは素手だったってことだろ? 猿が素手で強化ガラスを割れると思うか?」
「……無理ですね。現実的に考えて」
「ああ。それに、このアジトの壁は垂直で登れやしない。つまり、侵入者は一階から二階まで大跳躍するだけの身体能力と強化ガラスを割るだけの腕力があるってことだ。仮に、トランポリンみたいなのを使ったとしても、腕力だけはどうにもできないからな。これを仕出かす力があるなら、飛べてもおかしくはねえ」
「それこそ、変じゃないですか? そんなことができる人間、いるはずがありません」
「それこそ、どうしてそう言い切れる?」
「え? だって……」
「そりゃ、UMAもびっくり人間もどちらも信じ難いが、びっくり人間の方がまだ信じられる。何せ、人間はこの地上に実際に生きているしな。姿を一度も見たことがない生物よりかは、よっぽど信じられるってものだ」
「では、そのびっくり人間がこれをやったのだとして、何の得があったのでしょうか? 確かに、如月組が多数の犯罪を行っていて警察も足取りを追ってはいましたが、証拠が掴めず捕まえられなかったこの状況を解決するなんて……。やっぱり、児童虐待及び監禁と何か関係があるのでしょうか?」
「さあな。奴らのアジトだ、資料か何かは残ってなかったのか?」
「部屋中の書類を調べましたが、どれも犯罪に関する証拠になりそうなものは一つもありませんでした。やはり、ずっと証拠を掴ませずにいただけのことはあるかと」
「何褒めてんだ、警察がぼんくらだと自白してるみてえなもんじゃねえか」
「すみません……。ですが、もしそうだとしたら、その人たちは人知れずに悪を倒した正義の味方ですかね?」
「馬鹿言ってんじゃねえ。そいつらも同じ穴の狢、つまり悪だ」
「何故ですか?」
ここで初めて、山中は松下に対して「これだから若造は」みたいな意味を込めて大きな溜息を吐いた。彼は部屋の中の捜査を続けながら、彼の疑問に答えることにした。
「何故ですかって、お前なあ。絶対悪を倒すために暴力が認められるなら、この世界のいざこざは究極的には暴力で解決できるってことになるだろうが。そうだとしたら、暴力を法で取り締まる方が馬鹿みたいに思えないか? それこそ、警察がいる意味なんてどこにもねえ。民間人が暴力によって、悪を退治できるんだからな」
「でも、良いことしてるのに変わりないじゃないですか。警察だって、手をこまねいていたっていうのに」
「世の中にはな、守らなきゃいけないルールがあんだよ。赤信号は渡らないとか、人を傷つけたり殺したりしてはいけないとかな。例え、善意が理由の根底にあったとしても、犯罪は犯罪だろう? 世の中のルールっていうのは、自他を守るため、そして公平性を保つためにある。それを破ることが許されるなら、世界中の人間が善意や周囲からの同情、慈悲を理由に犯罪が行われるのがまかり通るだろうが。例えば、お金が無くて働けもしないから仕方なく盗みを働いたとか、親に虐待されていたから殺したとかな。情状酌量の余地はあったとしても、許されないことをしているのに変わりはない。違うか?」
「それは……。はい……」
まくしたてるように説明されて、反論する言葉もできずに頷いてしまう松下。山中も、昔は松下のように「悪を倒すためなら、特別措置が許される」と思っていた時代もあったが、警察という職務に準じていくうちに「そういった特別を許さないために警察がいる」ということに気づいた。
それからは、なるべく警察という立場を守るために動いている。調査は地道に足と聞き込みで、そして犯罪は何人たりとも、いかなる理由があろうと許さない。
それが、山中にとっての警察としての信念なのだ。
「ともかく、今度は虐待が行われてたっていう地下を……」
言いかけたところで、山田の懐ろにしまってあったスマホがバイブを鳴らした。せっかく調査が良いところまで行っていたのに邪魔されて苛立ちを隠せず舌打ちをすると、スマホを取り出して番号も確認せずに電話に出た。
「はい、山中。……お疲れ様です、本部長。はい、はい……。は? 調査を中断? どういうことですか? いえ、そのようなことは……。はい、はい……。……失礼します」
「どうしたんですか?」
「本部長からの命令だ、撤収する」
「は? どうしてですか?」
「上からの圧力ってやつだな。これ以上の捜査は認めないそうだ。この件も、近くの山から動物が下りてきたってことにして、如月組は同士討ちで壊滅ということにするらしい。詳細は不明だが、俺たちは知っちゃいけないことを知りそうになってたのかもしれないな」
「そんな……。いいんですか? このまま引き上げても?」
「上からの命令に背くわけにはいかねえ。ルールはルールだ」
「従うのですか、命令に」
「当然だ。ルールに背く人間を取り締まる側がルールを破ってたら世話ない。調査は中止、これは決定事項だ」
山中は諦めて出口に向かって歩き出し、途中で「そうだ」と歩みを止めた。
「四月から、俺もお前も本部に移動になるらしい」
「本部にですか? また、どうして?」
「さあな。だが、これはまたとない出世のチャンスだ。警察の本拠地で仕事ができるんだ、ありがたく仕事に励め」
「は、はい!」
「それから、俺は別にこの事件を諦めたわけじゃない」
「そ、そうなんですか?」
「ああ。本部なら、こんな田舎よりも情報は集まるだろうし、俺の権限なら多少は融通も利く。もしもまた、同じような事件が合ったらその時は……。必ず、そいつらを捕まえてやる。一緒にやってくれるな?」
「はい! 喜んで!」
「よし、今日は帰るぞ」
「イェッサー!」
この後、二人はいくつもの不可解な事件に遭遇しながら「彼ら」の足取りを追うことになるのだが……。この時の二人は、そんなことになろうとは思ってもおらず、本部からの命令通り調査を中断して撤退したのだった。
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