第5話 最強の始まり

 僕と澪は一緒に最強を目指すことにはなったものの、特に具体的な方針があったわけじゃない。そもそも、前世の僕からすれば最強とは孤高の存在……仲間を作ることなんて考えたことすら無かったので、チームアップがどんな結果を生むのか全く見当もつかなかった。


 しかし、うじうじと悩んでいても何も始まらなかったので、とにかく今は自分たちの力量を上げるために訓練に打ち込んでいた。思いつかないものは仕方がないので、ならば行動していく中で方針を徐々に固めて行こうということである。


 ここで、皆に勘違いしないで欲しいのは、何も僕と澪は訓練するためだけに一緒にいるわけじゃないということだ。確かに、日頃から遊びの範疇を越した訓練生活に明け暮れているのは認めよう。


 けれど、夏にはプールに行ったり、冬にはクリスマスパーティーを開いてみたり、春になったらお花見をしたりと、夏には花火を見に行ったりと、家族ぐるみで付き合うこともよくある。澪と付き合うようになってからは更に露骨になっており、お買い物や映画を見に行くといったイベントに参加することも多くなった。僕たちがまだ小学生というのもあり、単独で動けないことが大きな要因なのだろうけれど、澪からすればこれらは立派なデートに該当するものらしい。


 僕自身としては、最強になる以外のことに関してあまり興味を持ちたくないというのが最初の意見だった。けれど、息抜き程度にする娯楽というのも悪くはなく、季節に合った風情のあるイベントに大衆に混ざって参加する様はまさにモブっぽさを学ぶ上では実に有意義なものだった。


 そんな今日は日曜日、本日は澪とそのお母さん、そして僕のお母さんと僕の四人で一緒に水族館に出かけることになった。何でも、澪のお母さんが懸賞か何かでペアチケットを当てたらしいのだが、一枚余ってしまったので一緒にどうかというお誘いだった。


 僕のお母さんからすれば特に断る理由もなく、「翔だって、澪ちゃんと一緒にお出かけしたいでしょ?」とにやつきながら言われたので僕も了承した。一般的な恋人関係というのは、一般的にはとにかく一緒に何かをして過ごすことが普通らしいから、僕もそれに合わせて行動しているに過ぎなかった。


 今日の天気は若干曇り気味の不安定な空模様で、午後からは雨も降る可能性があるとのことだった。お母さんが折り畳み傘だけ携帯してくれて、家の近くで今日の同行メンバーは合流、そのまま駅に向かって歩いていたのだが、途中で銀行を見つけたところで足を止めることになる。


「ママたち、銀行でお金下ろして来るからね」


「二人とも、良い子で待ってて」


「分かったよ、母さん」


「はーい、ママ」


 四人で銀行の中へと入り、僕と澪は受付近くの椅子に座って二人が戻って来るのを待っていた。そのとき、何となく澪のお母さんの後ろ姿を観察していたら、隣の澪がクイクイと服の袖を引っ張ってきた。


「どうしたの、澪?」


「ママのことずっと見てたから……。何か気になることでもあった?」


「ん? 何となく視線がね。ほら、背が高くて姿勢も良いし、歩き方にも品があるし、良いなって思ってた」


 澪のお母さんのイメージを一言で表すなら大和撫子だ。モデルだと言われても疑わないくらいのスタイリッシュで、長い黒髪が似合うとても落ち着いた雰囲気を身にまとった、笑顔に凄みというか、周囲を黙らせてしまうような圧力がある品格の高い御仁である。


 最強を名乗る僕の戦いには確かに圧倒的な強さはあっても、彼女ほど他者の目を自然と引き付けるような品格は備わっていないかもしれない。あの人の所作の一挙手一投足を真似すれば、もっと自分自身を磨けるかもしれないと考えている。


「ねえ、翔。つまり、お母さんに見惚れてたってことでいいの?」


「うん? うーん、見惚れてるっていうと意味が違う気がするけど、かなり近いかもしれないね。それがどうかした……の?」


 澪の顔は、今日の曇り空すら吹き飛びそうなくらいとても明るい笑顔に満ち溢れていた。ただ、額に青筋さえ浮かんでいなければ、の話だけれど。


「僕、何か変なことでも言った?」


「むー、私というものがありながら、お母さんに目移りするなんて! 翔だって、こう背が高くて、胸がボインで、綺麗な女の人が好きってことでしょ!」


「いや、言ってないし……。僕が澪のお母さんを見ていたのは、動きが綺麗だなって思ってたからで……」


「ほら、やっぱり。もう、翔なんて知らない!」


 弁明しようとしたら逆に機嫌を損ねてしまい、頬を膨らませた彼女はそっぽを向いてしまった。


 もう、どうしてこうなるのかな……。別に目移りをした覚えは全くないんだけど、これが所謂、嫉妬という奴なのだろうか?


「ねえ、澪。ごめんって。澪が彼女だっていうことは分かってるから」


「ふん!」


 ……はあ、と心の中で大きな溜息を吐いた。女心と秋の空なんて言葉があるように、心は気まぐれで移り変わりも激しいようだけど、一度機嫌を損ねてしまうと中々曇り空は晴れてくれない。


 ここは、暫く時間を置いて頭を冷やしてもらった上で、冷静に話し合える状態に戻ってもらう他に無さそうだ。


 そんなときだ、不意に視線を送った入り口から全身真っ黒な服装をした目出し帽の怪しい二人組がそれぞれ大きな黒いバックを抱えてやってきた。二人組は銀行にやってきたにしては、入り口の傍から離れようとはせずに周囲をキョロキョロと見渡して、まるで店内の人員配置を観察し、隙を窺っているように見える。


 何だ、あの二人は……。まさか、そんなことが本当に起こるのか!?


 気づいた僕は慌てて二人組の元に向かおうとしたが、二人がバッグを落とすと同時に取り出した巨大な黒い銃を構える方が速く、その銃口を天井に向けた。


 ダダダダダダダ!


 薬きょうが何個かカラカラと地面に転がり、発射された弾の何発かが天井の照明を撃ち抜いたことでガラスの破片がパラパラと散って銀行内の一部が暗くなった。


「動くな! 今すぐ金を全部出せ!」


「きゃあああああ!」


「た、助けてくれええ!」


「騒ぐなって言ってんだろ! 殺されてえのか!?」


 興奮した強盗たちが機関銃を再びぶっ放しそうな状況下で客たちは皆大パニックに陥りかけていたけど、怒声に乗せられた強烈な殺気に怯え再び全員が黙り込んでしまう。


 傍にいた澪も声にならない声を出しながら全身を震わせており、目には今にも零れそうなくらいの涙を溜め込んでいた。彼女は隠れるようにして僕に密着し小さな手で袖をギュッと掴んでくると、ふわっとだけど甘い香りがした。


「全員、縛り上げてやる! 鉛玉を全身で食いたくなかったら、大人しくすることだ!」


 それから、奴らはバックから取り出した縄で僕たちの手を後ろで縛り上げて、身動きを完全に取れないようにした。声を上げたら殺される、そんな恐怖からか誰一人として声を出して抵抗するような真似はせず大人しく銀行強盗たちの指示に従った。


 この段階で反撃に出ようか悩んでいたけれど、僕は敢えて捕まることを選んで彼らの隙を窺ってみることにした。今の僕でも十分彼らを制圧できる力は持っているけれど、流石に十歳児が全員の前で強盗性質を一網打尽にしたらビックリするだろうし、正体を隠して戦った方が良いと考えたからだ。


「お願い、神様……。どうか子供達だけでも……」


「お願いします、お願いします……」


 捕まった時に離れ離れになってしまって、母さんと澪のお母さんからは僕たちの姿が見えていない。こちらから見える彼女たちは僕たちの無事を願って、ただ神に祈りを捧げるように泣いていた。母親が子供を心配するのは当然のことだと理解はしていたけれど、実親がここまで真剣に子供のことを思ってくれるのなら、僕もそれに応えるべきだろう。


「さっさと金を用意しろ! もたもたするな!」


「余計な動きをしたら殺すからな! 間違っても警察呼ぶんじゃねえぞ!」


 銀行員の人たちが強盗たちの差し出した黒いバックの中にせっせと金を詰めていき、そんな彼らに強盗たちは機関銃を向けている。僕たちのことなど脅威とすら思っていないらしく、既に視界と意識の中から外れているのは見ていれば分かる。


「さて、このままだと殺されるし……。反撃しますか」


 僕は完全に気配を消し去って皆の視界からちょうど外れる後ろの壁際まで移動した。魔力を使って自分の腕力を少しだけ強化すると、後ろで縛られた縄を軽々と引き千切り、後は変装をしてから戦いに乗り出すだけだ。


 その時だ、僕の服の袖がクイクイと何者かに引っ張られる。


 一体誰だ、僕は今から戦場に出なければならないから忙しいんだけど。


「ねえ」


「……澪? よく分かったね、僕がここまで移動してきたこと」


 何と、気配を消したはずの僕のところにやってきたのは澪だった。


「いつも訓練してるから、私も気配を消してここに来たの。皆は気づいてない」


 どうやら、僕の気配を消す感覚に慣れてしまっていたらしく、彼女から逃れられなかったようだ。まさか澪に看破されてしまうとは、僕もまだまだ修行が足りないらしかった。


「それで? 何するつもりなの?」


「彼らを止める。僕なら一人で制圧できるからね」


「危ないよ、絶対に辞めた方がいいよ」


 彼女は僕のためを思って忠告してくれているのだろうけれど、僕はそういうわけにはいかなかった。せっかく、銃器を所持した大人という素晴らしい対戦相手が現れたというのに、引き下がるなんて選択肢はあり得ない。


「このままだと、母さんたちも危ない。それに、澪のことも」


「私? 私のことを心配してくれてるの?」


「澪は彼女だろう? 彼女のことを守るのは、彼氏の役目らしいよ」


「翔……。私のことを、そこまで……」


 まあ、一般的にそういう風に言われてるからだけど。僕が奴らと戦うことで、結果的には全員を助けることになるのだから間違ったことは言っていない。


「私も行く」


 ……聞き間違えかな? と思って、念のため一応は聞いてみる。


「今のは聞かなかったことにしてあげるから、もう一回言ってみて」


「私も行く。二度も言わせないで」


「絶対駄目だ」


 僕は間髪入れずに答えた。まさか、自分から戦場に出ようとするとは思わなかったけれど、今回は流石に同行を許可することはできなかった。


「行かせられない、危険すぎる」


「それは翔だって同じでしょ?」


「僕は大丈夫、あれくらいなら一人でも何とかできるから。でも、澪は実戦経験はまだないだろう? それなのに、いきなり銃を持った大人を相手にするなんて」


「それじゃあ、いつまで経っても翔と一緒に戦えない。私、言ったよね? 翔の夢を全力で手伝うって。最強を目指そうとしてる私たちが、あんな大人相手に怖気づいていいわけがない」


「そうかもしれないけど……」


「お願い、一緒に戦わせて」


 彼女の目には、確かな意志が宿っていた。絶対にやり遂げて見せるという意志が。


 それは、いつかの僕にも宿っていたものとどこか似ている気がした。あの日、あの時、僕が最強を志すと決めて歩み始めた時の感覚と……。


「……命に関わることだ。もしも失敗したら、死ぬぞ。本当に、いいんだ?」


 彼女は静かに頷いた。ならば、もう僕から彼女を止めることはできない。


「分かった、連れて行く。いいか、ちゃんと訓練通りに動くんだぞ?」


「うん、分かった」


 僕は音を立てずに移動し、彼女の縄を魔力で強化した怪力で断ち切ってやる。


「それで、まずは隠密だよね?」


「それはそうなんだけど、ちょっと待って。僕たちは姿を隠す必要がある。これだけ人目のある場所で、目立つわけにはいかない」


「どうするつもり?」


「こうするんだ」


 僕は自分の魔力を、この世界で初めて表に出した。黒く怪しい光が僕たちの体を包み込み、魔力で編んだフードの姿へと変身させた。


「これは……」


「僕のとっておき。これがあれば、正体がバレることはないよ」


 魔力で編んだフードは、防弾、防撃に加えて温度変化や強い衝撃にも耐性がある割と万能な防具だ。これで、何があったとしても彼女が傷つくことはないだろう。


 さて、これでようやく準備は万端だ。


「いいか? 隠密の基本は……」


「自然体でいること。了解」


 僕たちはごく自然な状態で歩いて彼らに近づいて行く。母さんたちや他の捕まった人たちすらも、僕たちの存在には気づいていない。今のところ、完全に僕たちは空気となっている。


 そして、完全にお金に注意が向いている彼らに……。


「今だ、行け」


「了解」


 澪は短く言葉を発すると、二人同時に駆け出していく。彼女が一人の強盗の脛を強く蹴りつけ、その間に僕は彼の体を素早く登ってから機関銃を持つ右腕にまとわりついて体全体を使ってグッと捩じ切ってやった。


「ぐああああああああ!? 何だ、こいつら!?」


「てめえら! どこから入り込みやがった!?」


 僕は絶叫を上げる強盗の一人を盾にしてもう片方がぶっ放した機関銃の攻撃を回避し、その間に澪がもう一人の方の首に素早くまとわりついてグッと足で締めあげた。


「この! この! ふざけやがって!」


 機関銃による攻撃が止むと、盾にしていた強盗の後ろ襟首を掴んで後ろに引っ張り地面に叩きつけて気絶させ、すぐにもう一人の方へと駆け出して跳躍すると、機関銃を持っていた利き手に蹴りを与えて武器を弾き飛ばした。


「いてえええ!?」


 彼は溜まらず絶叫を上げるが、その間にもずっと首絞めが効いてきたらしく泡を吹いて倒れた。


「よし、やった」


「よくやった。さて、ここからどうするかだけど……」


 銀行強盗はあっさりと制圧することができたけれど、他の人たちが一斉に僕たちへと熱い視線を注いでいる。あまりに突然、謎の黒いフードの二人組が現れて彼らを倒してしまったことで、全員が言葉を失っているとも取れそうだ。


「撤収しよう。気配を消すんだ」


「……分かった」


 僕は手元に魔力の塊を作り出すと、それを一気に解放することで眩い黒い光を周囲に撒き散らした。全員が僕たちの姿を見失っている間に、僕たち二人は元居た位置に戻って捕まっているフリをし、あたかも彼らが消えたのを一緒に見ていた一般人という立ち位置を演じ切る。


「……あれ? 今、何が起こって……」


「何だったんだ、さっきの二人組は……」


「すぐに警察を呼べ! 捕まった人たちも拘束を解くんだ!」


 銀行職員たちの冷静な判断と行動で僕たちは救出されることになったけれど、流石に千切れた縄を見られたら不審に思われるので、僕たちは再び気配を消して縄をどこかへ適当に捨てた後に救助されました風に振る舞っておく。


 そして、頃合いを見計らって見失った僕たちのことを探していたお母さんと澪のお母さんの前へと姿を見せた。 


「翔! 澪ちゃん!」


「澪! 翔君!」


 二人は僕たちの姿を見つけると、急いで駆け寄ってきて僕たちをそれぞれの親が強く抱きしめてくれた。


「二人とも、無事でよかった! 怪我はない? 乱暴されなかった?」


「大丈夫だよ、母さん。僕はこの通り無事だから。母さんこそ、大丈夫だった?」


「ええ、私も大丈夫よ。ありがとう、心配してくれて。……翔!」


「澪も、無事で良かった……。本当に、本当に……」


「ママ……。私も、ママが無事で良かった」


「怖かったでしょ、澪? あんな怖い人たちに乱暴されて……。泣きたかったら、泣いても良いのよ? 何なら、翔君に慰めてもらったら?」


 僕たちはお互いに生きていた喜びを分かち合っていると、不意に澪と目が合った。彼女は何やら意味深な笑みを浮かべると、涙目になったかと思ったら急に僕の方に近寄ってきてギュッと抱き着いた。


「翔! 私、凄く怖かったよ!」


「え?」


「あらあら、澪ちゃんったら甘えん坊さんね」


「翔君は彼氏だし、やっぱり私より甘えたいのよ」


「ほら、翔。可愛い彼女が泣いてるんだから、ちゃんとよしよしってしてあげなきゃ駄目よ? 女の子を喜ばせるには、女の子が好きな男の子が甘やかすのが一番なんだから」


「え、あ、うん……。よ、よしよし、怖かったねー、澪ー」


 僕は正直、ここまで露骨な茶番劇を見たことが無かったので驚きを通り越して呆れている。けど、澪は僕の耳元に口を寄せると囁き声で言った。


「私を甘やかしてくれたら、さっきお母さんに目移りしたことは忘れてあげる。だから、存分に甘やかして」


「……はいはい」


 ということだったので、僕は彼氏としての役目をしっかりと果たすために彼女の頭を優しく撫でながら優しく抱きしめ返して、暫くは彼女を慰めることに努めた。


 それから、警察がやってきて銀行強盗たちが連行されるのを見届けてから僕たちも水族館に向かうために駅の方面に向かって歩き始めた。その道中、澪はこっそりと僕の方に耳打ちをしてきた。


「ねえ、私さ。思いついちゃったんだけど」


「思いついた? 何を?」


「何をって、それは勿論、最強になる方法。翔だって、実は思いついてるんじゃないの?」


「……一応は、ね。さっきの戦いでやった、あれをするんだろ?」


「そう。そうすれば、私たちは正体を隠したまま活動できる。そのまま有名になれば、きっと世界中に私たちのことが知れ渡るようになるよ」


「けど、そのためには僕の使った力を澪も使えるようになる必要があるよね。一応、その方法自体はあるんだけど、結構辛い訓練になると思うよ? それでもやる?」


「勿論。むしろ、ここで置いて行ったら許さないから」


「……もう分かったよ。これ以上は止めない。こうなったら、とことん僕の夢に付き合ってもらうから、覚悟しておいて」


「……うん! 翔、大好き!」


 はあ、と僕は心の中で小さな溜息と吐いた。けれど、それは別に憂鬱な気分で出るようなものじゃなくて、僕の夢を素直に認めてくれる存在が傍に居てくれることからの安心感というか、ちょっとした幸福から漏れ出た溜息だということは間違いなかった。


 その日以降から、僕は澪が魔力を扱えるようになるよう訓練をすることにした。


「澪、この間、君に与えた力は魔力っていう力だ。これから、君に僕の魔力の一部を譲渡して、君にも扱えるようにしてあげる」


「魔力……。それを使えば、もっと強くなれるの?」


「間違いなくね。魔力は身体強化に、自己治癒能力の向上、周囲の気配感知にも応用できるようになる。武器を生成したり、この間みたいに自分の正体を隠すのにも使えるし、応用の幅もかなり広い。ただ、使いこなすにはかなりの鍛錬が必要だ」


「分かった、頑張ってみる」


「じゃあ、手を出して。僕が君に魔力を譲渡するから、上手く制御するんだ」


 僕が差し出した手を、彼女は迷うことなく手に取った。初めてのことで、もっと怖がるかと思ったので少しばかり関心してしまう。


「怖くないの? この力を受取ることが」


「怖くないよ。私、もう決めたから。翔と一緒に、夢を叶えるって」


「……愚問だったね。じゃあ、始めよう」


 僕は、自分の中にあった魔力を澪の体内へと流すことで魔力の譲渡を試みる。彼女と繋がった柔らかい手の感触を通して魔力が徐々に彼女の体内に蓄積されていき、やがて限界ギリギリまで魔力を与えたところで送り込むのを辞めて手を離した。


「どうだろうか。これが、澪の新しい力だ」


「これが、魔力……。感じる、私の中に渦巻く凄い力の流れを……」


 澪は自分の中に生まれた新しい力の感触を確かめると、新しい玩具を手に入れた子供みたいに目を輝かせていた。


「さあ、これで澪にも必要な力が備わった。後は、修行あるのみだ」


「……うん! 私、頑張るね!」


 それからというもの、僕たちは魔力の扱いをより本格的にトレーニングするために「あること」を始めた。


 夜な夜な、こっそりと家の外へと抜け出すと、魔力で作った外套を身に纏い、魔力で生成した黒色の金属バットのようなものを右手にチンピラどもの巣窟に殴り込んだり、暴力団のアジトを襲撃して悪事の証拠を警察に届けたりすることだ。


 具体的に、僕たちがどんな風に戦っているのかを見せるべく、今から戦いを挑むことになる都内でも有名な暴力団組事務所『如月組』襲撃の様子を見せようと思う。


 どうやら『如月組』は、街の少年少女が拉致・監禁されているらしく、僕たちが彼らを踏み台にするには絶好の狩場になっている。なので……。


「ヒャッハー! しがないモブマン参上! てめえら全員、お縄に付けやゴラァ!」


「モブマン二号も続けて登場! 誘拐した子供たちを解放しなさい!」


 チンピラ上等な掛け声と共に、僕たちはアジトの二階から窓ガラスを叩き割ってかなり派手に内部へと侵入を果たしていた。見つかれば不法侵入と器物損壊で一発逮捕、ヤバいねこれ。


「何だ、こいつら!? 窓ガラスを割って入って来やがった!」


「頭を守るんだ! てめえら、さっさと動け!」


「撃て! 撃てえええええ!」


 吹き荒れる銃弾の嵐、日本刀の刃先のように鋭い殺気の数々が一緒にもれなく飛んできて、僕たちの体を貫かんと強襲して来る。


 しかし、魔力で強化した体を銃弾如きが捉えられるはずもなく、加えて魔力によるエネルギーで編まれた外套やバットを銃弾が貫くことは万に一つもない。


 僕はと言えば、思う存分に自分の力を振るえる高揚感で、かなりハイテンションになって頭ぶっ飛んでいた。一方の澪は一見冷静そうには見えるが、口元にはしっかりと三日月が浮かんでいてこの状況を楽しんでいるらしかった。


「お前たちは全員、僕たちに処刑されるんだああああ! 食らえ! 人間フルスイング!」

「ぎゃああああ!?」


「食らえ! モブマンスラッシュ! モブマン千本ノック!」


「な、なんだこのがぎあああああ!?」


「私も負けてられない! 行け! モブマンソード! モブマンアタック!」


「お助けええええええええええええ!」


 僕たちは彼らの頭上を踊るように舞い出ると、一人、また一人とバットで後頭部を打ち付けて気絶させていく。そして、僕は最後に残った首謀者の男には特別にケツバットと腹バットをお見舞いしてやった。


 散乱した資料、それに銃弾乱射によって飛び散ったガラス片が視界の端々に映り、目の前には怯えた表情で体を生まれたての小鹿のように振るわせる頭領。僕は彼にバットの先を向けて、とにかく平然とした声音で問い詰める。


「さあ、吐いてもらおうか。君たちが捕らえた人たちはどこにいる?」


「どこにいる、だと? それを素直に教えると思うか? クソガキ風情に」


「まだ自分の立場が分かってないみたいだね」


 少し辺りを見渡した時、ちょうど傍にあった机をバットで思いっきり打ち付けた。すると、あまりの怪力に机が紙くずのようにぐしゃりと捻じ曲がってしまった。


「君の頭がこんな風になりたくなかったら、早く場所を言いなよ。それとも、こんなあくどい商売っていうのは君の命よりも大切な事なのかな?」


「それは……。分かった、話す。話すよ……」


 話すと言ったので、敢えて隙を見せるみたいにバットを下げたら思った通りだ。彼は自分の腰に差さっていた拳銃を引き抜き、銃口を僕に向けて引き金に手をかけた。


「動くな! これで、形勢逆転……」


「とか、思ったんでしょ?」


「あうっ……」


 既に彼の後ろに回り込んでいた澪が、彼の後ろから頭を強く殴打していた。頭領さんは呆気なく気を失って、その場に倒れ込んでしまった。


「全く。ちょっと人が優しくすると、すぐに人間はつけ上げるからいけないよね」


「いいんじゃない、別に? どの道、この人たちは刑務所に行くことが決まっているんだし。この人たちが今後どうなろうと、私たちの知ったことじゃないでしょ」


「それもそうか」


 僕たちは証拠が残らないように魔力で編んだ手袋をして、事務所の内部の捜索を続ける。すると、一階のエントランスから脇に入ったところに隠し通路を発見し、そこから暗い地下室へと行くことが出来た。


 その先で見た物は、正直に言うとこの世の地獄とも言える場所だった。


 薄暗い通路にはほんのりとした灯りが一定間隔で吊るされており、やがて暗闇に目が慣れてくると壁だと思っていた物は黒く堅い鉄格子だった。


 部屋の中には血や死体の臭いと思われる酷い悪臭が充満しており、鉄格子の間から中を覗いてみると灯りに照らされた死体にハエが集っている様子を観察することもできた。もはや精気など感じることすらできず、攫われたほとんどの少年少女は過度な虐待によって死亡していた。


「酷い……。こんなことをするなんて……」


「見たところ、ほとんどは死んでるようだけど……。どうやら、生き残りがいるみたいだね。魔力感知に、僅かだけど反応がある」


「……本当だ。早く助けに行こう」


「……そうだね」


 その中で、一番奥の左手にあった牢屋の中には僕と年齢が同じくらいの一人の少女が蹲っていた。ほんのりと照らされた髪色は栗色の髪をしていて、彼女の瞳にはもうほとんど精気が宿っていないどころか、深い海の底のような絶望の色に染まっていた。


 僕が鉄格子にかけられた鍵を壊して牢屋の扉を開け、二人して無遠慮に中へ入って行った。


「ねえ、君。立てる?」


「……あ、なた、は……?」


 名前も知らぬ少女は掠れた喉を震わせながら弱々しく声を発した。


 聞かれたからには、名乗らないと失礼ってものだよね。


「僕? 僕はね……。しがない通りすがりのモブマンだよ」


「モブ、マン……?」


「そう。モブマン。で、こっちが……」


「モブマン二号です。よろしくね」


 彼女の瞳には徐々に光が戻り始め、モブマン、モブマンと胸に刻み込むように何度も何度も呟いていた。


 あまり名前を呼ばれても恥ずかしいから、用件だけ言っておこう。


「ここに僕たちが来たことは、絶対に秘密にしてほしい。助けたついでに、君のことを家まで送ろうかと思ったけど……。どうやら、お迎えが来たみたいだ。そうだろう?」


 僕は視線を彼女に落としたまま、牢屋の影に隠れている誰かさんに声をかけた。


「……よく気づいたな。私の気配に」


「丸分かりだよ、もっと修行を積んだほうが良い。僕の相方でも気づいた」


「それは、腕も鈍ったものだな。肝に銘じておこう」


「ふじ! 来てくれたの!?」


「お嬢、何か酷いことはされてませんか?」


「だ、大丈夫! 私は平気!」


 女の子の元気な声からして、どうやら知り合いで間違いないようだ。後ろから漂う気配にも、彼女の無事が確認できたことで若干の弛緩を感じられた。


 しかし、すぐに僕たちへの警戒心が高まり、肌を刃物で逆撫でされているかのような殺気が漂い始めた。


「ちょっと、助けてあげたのにその対応は失礼過ぎじゃない?」


 澪が抗議の声を上げるも、檻の影に隠れた第三者が警戒を解くことはない。


「一度助けたくらいで信用されると思うな。増して、こんな場所に二人で乗り込むような怪しい輩など、信頼するわけがない」


 まあ、普通はそうなるよね。自分の身内があられもない姿にされて冷たい鉄格子の奥に閉じ込められてたのだから仕方のないことだ。


「分かった、僕たちはこのまま去る」


「ちょっと、いいの? あのまま言わせておいて」


「別に構わない。警戒心が強い方が、むしろ任せられる」


「……まあ、そう言うなら」


 澪はこれ以上は何も言わずに引き下がってくれた。僕たちは踵を返して、檻の外へと向かう。


「ま、待って……。まだ、お礼を……」


 彼女は僕たちを引き留めようとか弱い手を伸ばしたけれど、力が入り切っておらず体が前のめりに倒れてしまう。体も頬骨とか、腕の骨が見えるくらい衰弱しているし、臭いも少しばかり酷い。身内の人には、ちゃんと介抱してもらった方が良さそうだ。


「ねえ、知り合いの人。この子のこと、よろしくね」


「言われるまでもない」


 彼女の返事には、彼女を大事にしようという強い意志が感じられた。だから、僕たちは何も口を出すことをなく出口へと向かう。


「まっ、て……。おね、が……」


「じゃあね、誰かも知れないお嬢さん」


「バイバイ、またいつか。どこかで」


 僕たちは外套を翻すと、檻の外へと出る。すれ違いざま、第三者の顔を確認しようと視線を這わせてみたけれど、暗かった上に闇と同じフードを被っていたので正体までは分からなかった。


 その後、幾つか金品と資料を拝借してから誰にも見つからないよう夜闇に溶け込むようにしてこの場を去った。僕たちが離れてから暫くして彼女らの気配もどこかに消えたので、無事に逃げられたのだろう。


 家の近くまで戻ってきた後、澪が例の少女についての話を切り出してきた。


「あの子、大丈夫かな? 身内みたいだったけど、こっちからしても向こうは怪しい人に変わりはないよね?」


「大丈夫だよ、きっと。女の子も信頼を寄せてるみたいだったし、あの人も彼女のことを大事に思ってた。そうでなければ、あんな殺気は出せないだろうからね」


「……分かった。一旦は、彼に任せてみる。それに、これ以上はお節介が過ぎるよね」


「……うん」


「じゃあ、また明日。奪った戦利品の中身、明日にでも共有してもらうから。独り占めしたり、ねこばばしたりしないでね」


「はいはい。おやすみ、また明日」


 澪と別れた僕は足早に家に戻ると、そのままベッドにダイブして朝までぐっすり眠った。


 次の日、「如月組」が壊滅したというニュースが朝一番のテレビで報道、父さんが読んでいた新聞の一面も見事に飾っていた。


『昨夜未明、如月組が何者かの手によって壊滅させられました。警察の調べによりますと、室内には銃弾や窓ガラス片などが散乱している他、組員の頭部に打撲痕があったことから激しい戦闘があったものと推測されています。また、防犯カメラの映像を調べたところ、暗闇の中を謎の黒い物体が高速で移動している様子が記録されており、現場からは凶器なども見つかってないことから、新種の生物の存在の可能性を考慮し、生物学の専門家らが警察に協力して調べを進めています。なお、この暴力団アジトには地下室のようなものが存在し、そこには拉致・監禁されていたと思われる少年少女の遺体が多数発見されましたが、生存者は確認できませんでした。不可解なことに金品などの一部が強奪されていたことも明らかにはなっていますが、先にお伝えした謎の生物が持ち去ったものとして、引き続き調べを進めています』


 僕がせっかくテレビを見ていたのに、父さんがリモコンでテレビを消してしまった。


「もうご飯は食べ終わったんだし、別に見ていても良くない?」


 僕は不満たらたらで言ってみたけれど、父さんは朝食のパンを食べながらも小さく首を横に振った。


「まだ、皆が食べているだろう。それに、テレビじゃなくて新聞を読んだ方が良い」


 新聞なんて、紙の無駄じゃないか。目が悪くなることを危惧してるのは分かるけどさ、こっちが読む代わりに喋ってくれるなら別にいいとは思わないのかな。


 けれど、父さんの言うことは絶対だし、母さんも黙々と食事を続けているので僕が反論するだけ無駄だろうと悟った。


「はいはい、じゃあ僕は部屋に行くよ」


 僕はそそくさと席を立つと、逃げるように二階への階段へと向かおうとした。


「翔」


 父さんに呼び止められたので、一瞬だけ足を止めた。


「最近は物騒になっているみたいだから、お前も気を付けなさい。来月から高校生なんだから、その準備も忘れるな」


「……はーい。分かったよ、父さん」


 そして再び、二階へと向かうべく歩みを進める。


 僕の父親は典型的な頑固おやじというか、前時代的な思想が頭の中に詰まった人だ。ただ、誠実で根は真面目だし、子供のことを一番に考えてくれているという思いは伝わって来る。


 ただ残念なことに、その物騒な事件に関わっているのがまさか、自分の息子だと知ったらどうなるだろうと考えると少しだけ面白いのだ。きっと、白目を剥いて泡を吹きながらひっくり返るに違いない。


 まあ、絶対に家族にも秘密なんだけどね。


 僕は階段を登ってすぐ手前側にある自室の中に入ると、せっせと制服に着替えてから昨日に勝ち取ってきた戦利品を眺めることにする。金品の類は時価一千万円相当の宝石類と現金二十万ほど。それはきちんと机の引き出しに鍵付きで保管してあるんだけど、重用なのは今目の前の勉強机に置かれている極秘と赤文字で書かれたA4サイズの茶封筒だ。


 この中に、如月組が少年少女を誘拐し続けた真実が眠っていると思われる。


 その茶封筒の中身を調べてみると、とんでもないことが記載されていた。


「なるほど、異能力者に関する様々な極秘資料と……。それから「チルドレン計画の概要」ね……。僕みたいな存在がまさか唯一無二なわけないとは思っていたけれど、こんな計画があるとは……。いよいよ、面白くなってきた」


 資料の概要としては、アニメやゲーム内だけの存在とされていた超常現象を引き起こす異能力者と呼ばれる存在が実在することを発見したこと、極秘に調査された国内の異能力者あるいは異能力者予備軍に登録されている人間の情報、彼らを保護・研究する「チルドレン計画」があること、そして保護した異能力者たちの用途・過去の研究データなどの記載……。これらすべては、この国の政府が持っているはずの極秘資料であった。


 どうして、こんな大事なものがチンピラどもの巣窟にあったのだろう? というか、ここに記載されている異能力者情報の一つにさっき助けた女の子の情報もある。


 名前は、上野百合。この子は……、ほう、なるほど。これは、確かにヤバい感じの情報なのかもしれない。


 もしも、ここに書かれていることが事実だとしたら、即座に手を打たないといけないのだろう。こうなるなら、彼女を保護する時に口約束の一つでもしておくべきだったと思ったけれど、もう手遅れか。


 「チルドレン計画」自体への興味は薄だけれど、僕としては異能力者の存在の方が気になる。得体の知れない力を使う人間……彼らと接触し、戦うことができれば、この世界における最強に近づけるかもしれない。


「そうと決まれば早速、澪と情報共有だな」


 僕は自分の携帯のアドレスに登録された数少ない連絡先の中から澪の連絡先を選択すると、メッセージを送った。案外、すぐに返信が返ってきて、準備を整え次第こちらに来てくれるとのことだった。


「……ここからだ。ここから、本当に始めるんだ」


 これが、僕たちが中学卒業直後のときの出来事だ。


 そして僕たちの、本当の最強になるための物語は高校時代へと引き継がれる――。

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