第4話 かけがえのない存在
年月が過ぎるのは早いもので、澪と出会ってから早五年の月日が経過した。
澪を助けてからというもの、澪とは度々公園で会っては遊ぶようになっていた。彼女は日に日に黒髪を伸ばしていき、いつの間にか後ろでポニーテールをするのが当たり前になっていたのが見た目で大きく変わったことだろうか。
僕の生活習慣で変わったことと言えば、勉強や運動すること以外に特撮のテレビを見るようになったことかな。
彼女はとにかく変身ポーズや戦闘シーンとかが好きで、よく先週の日曜日とかにやったシーンを何度も何度も、それこそ飽きても飽き足らず練習をするのだ。そして、僕はそれに日が暮れるまで付き合わされている。
最初はちょっとした人助けのつもりで彼女の女優道を応援しようと思ったばかりに、もう遊びの範疇を軽く超えようとしてしまっていた。
なので、こっちも彼女の本気度合いを見込んで、もう少し込み入った演技を教えてみることにした。具体的には、戦闘シーンを演じている役者さんたちに近づくために、僕が前世で習得してきた格闘技術を伝授するのだ。
「いいか、澪。戦隊物のヒーローは単に拳を振り回してるんじゃないぞ。こうやって、型を使って相手の急所を的確に突いたり、ときに受け身を取って攻撃を躱したりするんだ」
僕が自分の培ってきた護身術や受け身を披露すると彼女は興味津々そうに僕の姿を観察していたけど、すぐに疑問符を浮かべた。
「へえ、そうなんだ。でも、それが何の役に立つの?」
「護身術って言ってね。前みたいに虐めっ子に虐められても、撃退できる」
「凄い! それって、もしかして演技の役にも?」
「当然、役に立つ」
「やる!」
ということで、僕が上手く乗せた形で彼女に護身術やその他諸けど々を教えてあげることになった。体術、剣術、柔術、この世界で手に入れた知識と異世界で培ってきた実戦での戦闘技術を合成させた最も合理的な戦い方を彼女に仕込み、立派な武闘演技派な女の子に育て上げるのが最終目標だ。
まあ、実のところを言うと演技のためというのすらも建前で、本音は僕と対等に戦うことのできる存在を一から育てて、僕と一緒に最強プレイをしてくれる有望な人材を育てたい一心なんだけど、そのことは絶対に内緒だ。
あるときは、体術の訓練の一環で拳を扱う練習を。
「はい、一! 二!」
「一! 二!」
「もっと腰を落として、足は引いて、力強く!」
「はい!」
あるときは、武器を扱う訓練のためにラバーナイフを用いての対人戦を。
「一! 二! 三!」
「ナイフを振るうときは、初撃よりも二手目、三手目の方が大事だ! 躱されても即座に戦略を組み立て、反撃するんだ!」
「はい!」
あるときは、素手、武器、飛び道具を持った相手に対する訓練を。
「自分が常に有利な状況なんてほとんどない! 相手が銃を持っていようと、刃物を持っていようと、素手だろうと、常に自分は何も持っていない状態で対応している想定をするんだ! 飛び道具は最小限の動きで回避、刃物を躱すときは自分ならどうするかを考えながら動く!」
「はい!」
「柔術は基本的に、例え力の差や体格差があろうと身を守れるようにするための術だ! 相手の重心の位置を意識して、自分は常に相手が崩れるような技を出し、こちらは重心を崩されないように位置を掴ませるな!」
「はい!」
そして、最後はやはり走り込みや筋トレがメインになってくる。走る場所は基本的に住宅街から大通りを抜け、最寄り駅まで行ってから公園まで帰って来る。
「走れ、走れ! リズムは常に一定に! 呼吸を整えろ! 口で息をするな!」
「き、きついよ! 流石にこれはきついよ!」
「いくら技術を持っていても、体力は全ての事柄における資本だ! ほら、少し!」
「ひいいいい!」
そうして、走り込みが終わったら追い打ちの筋トレを行い、メニューは終了。気づけばいつも日が暮れていて、彼女は大体、公園の真ん中で大の字になって寝ている。
「もう、無理ぃ……」
「お疲れ様。追い打ちに追い打ちをかけた体には、休みも必要だ。ほら、おいで」
「……うん」
僕は彼女にできる限り傍に寄ってからその場に正座をすると、彼女は自分の頭を僕の膝の上に乗せて枕代わりにした。いつも、訓練が終わると習慣的に僕の膝枕を堪能したいらしく、とても満足そうな笑みを浮かべている。
「澪は好きだね、膝枕。そんなに気持ち良い?」
「うん。翔の膝は、私の特等席なの」
「座ってないじゃないか」
「じゃあ、私専用の枕ね。絶対、誰にも渡さない」
澪は頬をすりすりと押し付けてきて、頭が揺れるたびにサワサワと彼女の綺麗な黒髪が僕の手に触れてくすぐったい。
「こら、辞めろって。僕、こそばゆいのには弱いんだ」
「あ、照れてるでしょ。翔は、女の子の友達いないもんね」
「男の友達もいないけど。っていうか、サラッと友達がいないことをディすらないでほしいんだけど」
「いいもん、別に。だって、私がいるし。翔に友達ができなければ、私が翔を独占できるから」
「何だそりゃ」
僕は別に澪の所有物というわけじゃないと思ったけれど、特に口に出すようなことはしなかった。僕に友達が澪以外にいないのは事実だし、本人が満足しているのならわざわざ水を差すような物言いをしなくても良いと思ったからだ。
西日の方から眩しい光が差し込んできたので視線を向けてみれば、どうやら割と大きめな雲の影に隠れていた太陽が顔を出したところだったようだ。思わず目線を奪われるくらい巨大で美しい橙色の光源すらも、いつか砕けるほどの力を有せるようになりたいなあと考えていたら上着のお腹辺りをクイッと引っ張られる感じがしたので視線を戻した。
澪は何だか物言いたげな顔をしていたので、何を言い出すのかと思ったら今度は頭頂部を僕のお腹に押し付けるように体勢を整えた。
「ねえ、翔」
「どうしたの?」
不意に名前まで呼んで、一体何を考えているのか。珍しく、他人の発言の意図を考えていると今度は急に起き上がって僕の首に腕を回してギュッと抱き着いた。
「大好き。凄く好き。大好き」
「……? 急にどうしたの? 本当に」
ほんのりと甘い香りが鼻の裏をくすぐるように体の中へと入ってくる。夕日を見て急にセンチメンタルになったとか、そういうことなのだろうか?
「翔は、私のことどう思ってる?」
「ん? そうだな……」
あまり澪がどういう存在とか深くは考えたことがなかったので、改めて聞かれると返答に詰まってしまう。なので、あまり深くは考えずに思ったことを口にする。
「友達だと思ってるよ。澪のことも一緒に遊んでいて楽しいって思うくらいには好きだし」
「……」
あれ、何だか不穏な空気が漂い始めているって思ってるのは僕だけだろうか。
ちょっと、どうして首を絞める力を強めてるの? いつの間にか足が腰の裏側に回されているのは何故なんだろうか?
「……ねえ、翔。私のこと好きなんだよね?」
「……? うん、好きだよ。それがどうしたの?」
澪は首に腕を回したまま、彼女の丸くて黒いつぶらな瞳が僕の瞳の中へと飛び込んでくる。何故か頬は化粧をしたかのように紅潮しており、ほんの少しばかり俗っぽいけれど同い年とは思えないくらいの色っぽさがある。
「多分だけど、翔は何も分かってない」
「分かってないって、何が分かってないの?」
「分かってないから、そういう言葉が出てくるんだよ。私の気持ちを、本当の意味で理解してくれてない」
「ええ……?? どういうこと?」
僕には益々、彼女が何を言っているのか分からなかった。好きだという言葉に少なくとも嘘偽りはないはずなのに、理解していないということが僕には理解できない。
「私はね、その……。翔をお婿さんにしたいくらい、好きなの」
「……ええと、つまり。僕と結婚したいってこと?」
「……うん。駄目? 私、翔のことが好きなんだけど……」
あー、ああ……。つまり、澪が言いたかったのはライクじゃなくてラヴの意味の好きっていうことか。
これには流石の僕も頭を悩まさざるを得ない。残念ながら僕には恋愛に対する興味は微塵もないし、澪が好きなのは確かだけれど別に結婚したいほど入れ込んでいるというわけでもない。
「……僕は、確かに澪のことは好きだけど。結婚したいほど好きってわけじゃない。だから、付き合うことはできないんだ」
「……そう」
「うん。だから、僕のことは諦めて……」
「嫌だ」
……あれ? 今、嫌だって拒否された気がするんだけど気のせいだったかな?
「えっと、だから僕は澪のお婿さんにはならない……」
「嫌だ。絶対に、嫌!」
「え、ええ……」
そんな子供みたいに駄々をこねられても……って、まだ子供だけど。何なら、まだ十歳児だし結婚なんて五年以上も先の未来なんですけど。
「澪、結婚できるのはもっと先の話だし、その間に良い人が見つかるかもしれないし。僕にこだわる必要はないと思うけどな」
「良い人かどうかは私が決める! 翔、本当に駄目なの? 私じゃ駄目?」
「いや、だって別に僕は結婚したいわけじゃないし……」
「結婚したくないってことは、別に付き合わない理由にはならないよね? 私のことが嫌いならともかく」
「それは、そうかもしれないけれど……」
「ほら、それに付き合ってるうちに好きになるかもしれないでしょ? ドラマとかでも、お試しで付き合うってよくあるし」
「それ、昼ドラとかの内容だよね?」
全く、このマセガキはどこでそんなことを覚えたのか……。
人知れずに賢くなっていた幼馴染少女に頭を抱えながらも、どうすれば良いかを何とか頭の中を捻り絞って考えてみる。
僕自身は別に、付き合うこと自体には全く問題はない。ただ、容姿端麗で周囲からもかなり目立つ澪の彼氏という立場が今後どのような影響を及ぼすのか……。
それに、一方的に愛情を注ぎ続けるほどしんどいものはないだろうと思う。届かない夢に片思いし続けても叶えられずに散っていった前世の同志たちの姿を見ていれば、そんなのは想像するまでもなく分かることだ。
片思いだと分かっている、けれどもしかしたら、思い続ければ振り向いてくれるんじゃないか。そんな邪念がほんの少しでもあるのなら、付き合うのは本気で辞めておいた方が良いと僕は思っている。
しかし、彼女は引く気はないようだ。誰に似たのか、一度やり始めたら絶対に最後までやり通す厄介な性格をしているし……。
考えに考えた挙句、僕は一つの結論を出してあげることにした。
「分かった。付き合おう、仮にではあるけど」
「……本当?」
「ああ、本当だ。僕は約束は守る主義だから、絶対に破らない」
澪は僕の真意を確かめるために首を傾げながら聞いてきたので、誠心誠意、本当のことを彼女の目を見ながら伝えた。
「ただし、条件がある」
「条件?」
「そう。僕が十八歳になるまで付き合うこと、僕が十八歳になっても結婚の意思が変わってないこと。これさえ守ってくれるなら、付き合ってそのまま結婚してもいい」
「それだけ? 本当にそれだけでいいの?」
「うん、いいよ」
澪は暫く黙っていたけれど、ゆっくりと僕の首に回した腕の拘束を解くと、すっと立ち上がって背を向けながら少しだけ距離を取った。
「……澪?」
「約束だからね。破ったら、許さないからね。絶対の、絶対だからね?」
「……うん、そんなに念を押さなくても分かってるよ」
「……私、今日はもう帰るね。バイバイ、また明日」
「ああ、また明日」
彼女は僕に視線を向けることなく、別れを告げて家へと帰ってしまった。
最後まで意味深な言動ばかりだったけれど、まあ何とかなるだろう。
少々楽観的過ぎかなとは思ったものの、子供の戯言ならば三年もすれば飽きるだろうと割と本気で思っていた。
しかし、僕はあまりに舐めていたのだ。西園寺澪が、自分の欲しいと思ったものは意地でも手に入れる物凄い諦めの悪さというのを。
それから数日が経ち、そろそろ新しい技術を教えようと思って考えたのは隠密術の習得練習だった。実は、戦闘において僕が一番重要視しているのが隠密能力であり、僕が一番教えたい技術でもある。
ぶっちゃけ、隠れているだけで地味って思われるだろうけれど、その重要性は時が来ればいずれは理解できるようになると思う。
というわけで今回、住宅街の電柱の影に隠れた僕たちは尾行しやすそうなターゲットを探していた。これも全ては、完璧な隠密術を身に着けるための修行なのだ。
「これから、気づかれないように人の後ろを尾行します」
「尾行……。つまり、ストーカーってこと?」
「人聞きが悪いよ。相手に気づかれてないうちは、ストーカーにはならないから」
「凄い屁理屈だよね、それ……」
「ほら、これも修行の一環だよ。相手に気づかれないこと、気配を悟られないこと。いくら他人が僕たちに危害を加えようと思っても、そもそも認識されてなかったら危害を加えられることはないってことだよ」
「一応、趣旨は理解できたよ。でも、本当に全く気付かれないなんてできるの?」
「まあ、見てれば分かるよ。ほら、ちょうど良いターゲットがいた」
この電柱から見える十字路の先に見える家から、一人の私服姿の男性がこちらとは反対方向に向かって歩いていくのが見えた。近所の顔馴染で、まあすれ違ったら挨拶をする程度の感じだけれど、こちらに気づけば間違いなく挨拶はしてくる。
だから、逆に気づかれないように接近して、彼の後をつけるのが今回の訓練だ。
さて、今すぐにでも訓練を始めたいんだけれど……。
「……澪、少し近過ぎないかな。というか、僕の腕にしがみつくのを辞めてほしんだけど」
「どうして? 私たち恋人なんでしょ? くっついていて何が悪いの?」
あの日以降、澪と僕の距離が近くなった。正確には、距離が無くなったと言えばいいのかな。出会ってから離れなければいけない瞬間がやって来るまで、絶対に僕の傍を離れようとしない。まるで、周囲に見せつけるかのように歩くものだから、学校でもかなりの噂になっている。
「澪、言おうと思ってたんだけど時と場所を弁えようよ。学校でもそうだけど、もう少し節度を持ってお付き合いがしたい」
「腕を絡めるのは駄目なの?」
「駄目じゃないけど、公共の場でやるのはあまり良くないと思うんだ。プライベートでどこかに遊びに行くときならまだしも、学校の皆が注目しているときや、訓練のときにもくっつかれてたら自由に行動できないだろ?」
「うう、確かにそうかもしれない……」
少しきつい言い方をしてしまったけれど、こういうのは割とはっきり物申さないと相手には伝わらないものだ。何も、絶対に抱き着いちゃいけないとは言っていないのだし、公私の切り替えさえきちんとやってくれれば僕は全く問題ない。
澪の表情を窺ってみると、少しばかり残念そうにしょんぼりさせてはいたけれど、すぐに僕の顔を見て口を開いた。
「じゃあ、訓練が終わったらいっぱい抱き着いて良い?」
「うん、いいよ」
「登下校中とかは?」
「まあ、許容範囲内かな」
「昼休みは?」
「場所によるかも」
「……分かった。じゃあ、一旦離れるね」
「うん、ありがとう」
僕の言葉を聞いてようやく安心してくれたのか、腕の拘束を解いてくれた。近所の男性は少し遠くに行ってしまってここからだと見えないけれど、距離はまだまだ追いつける程度の場所だし問題はない。
「じゃあ、行こうか。追いかけよう」
「うん。あ、でももうどこかに行っちゃったよ? 他の人を探す?」
「大丈夫。僕が場所を把握してるから。さあ、行こう」
澪を連れて迷路のように入り組んだ住宅街を暫く右へ左へ方向を変えながら進んでいくと、大通りへと向かっている先ほどの男性の後ろ姿を発見した。
「え、嘘。どうして場所が分かったの?」
「僕の特技の一つなんだ。これは、澪には真似できないから秘密だけど」
本当のことを言えば、魔力を使って周囲の気配を探知していただけの話なので大したことじゃない。今の年齢だと、せいぜい二キロメートル圏内を探るのが限界だし、前世の実力に比べたら小指の先程度の実力だ。
「さあ、澪。気配を消すには、まずは音から消さないとね。足音は一切立てちゃ駄目だ」
「足音って、そう簡単に消せるものなの?」
「重心の運び方にちょっとしたコツがあるんだよ。体の軸と重心の位置を一致させつつ、足裏に余計な力さえ入れなければ音はほとんと立たない。あとは、まあ見てれば分かるよ。ほら、ついてきてごらん」
「う、うん……」
普通に歩く僕の後ろから、抜き足差し足でゆっくりと澪が付いてくる。僕の場合だと、もうずっと前世からやってきたことなので走ったって余裕なんだけれど、最初は澪にも慣らしてあげるために澪のペースで対象へと近づくことにした。
必死についてくる澪と、対象の男性が結構ゆったりとした速度で歩いてくれていたおかげもあって、すぐに背後へと回ることができた。今のところは、彼はこちらの気づいている様子はなく、初めてにしては澪はよくやっていると思う。
けれど、これではまだ子供の悪戯程度のお遊びに過ぎない。本番は、むしろここからだ。
僕はちらりと後ろを向いてから意味深に笑みを浮かべると徐に手を上げて前後に手を動かす動作をした。僕が何をする気なのか悟ったらしく、澪は駄目駄目と首を横に振っていたが、辞めるつもりもなく「とん」と後ろから男性のお尻を優しく叩き、すぐに澪の隣まで下がった。
男性は叩かれたことでこちらの存在に気が付いて振り向くと、すぐ目の前にいた僕たちに視線を向けてにっこりと笑った。
「おや、こんにちは。君は……。いつも近所で見かける子だね」
「こ、こんにちは!」
「あはは、元気がいいね。今日は一人かい? おじさんに何か用かな?」
「え、一人……?」
澪は明らかにおかしいと思って視線だけチラリと隣に立つ僕に向けた。まるで、僕の姿が見えていないかのように喋る彼の言動を不審に感じているのだろう。
だから、僕もご期待にお応えして男性にわざと気づかれることにした。
「こんにちは、おじさん。僕も一緒だよ」
「ん? あれ、こんにちは……? あれ、いつの間にいたんだい?」
「何言ってるの、ずっとここにいたよ」
「ああ、そうだったかな? 最近の子は、隠れるのが上手なんだな」
「あはは。ごめんなさい、おじさん。実は、学校の課題で近所の人に休日の過ごし方についてインタビューしてたから引き留めたんだ。迷惑じゃなければ、お願いしてもいいですか?」
「ああ、もちろんいいよ。何が聞きたいんだい?」
もちろん、全て即興で作ったネタ話なので、軽く幾つかの質問だけ済ませた。
「ありがとう、おじさん。参考になったよ」
「ありがとうございました」
「力に成れて良かったよ。学校の課題、頑張ってね」
話してみると意外と気さくな男性はそのまま大通りの方へと歩いて行き、僕たちはその後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
そして、予期していた通り澪が僕の方を向いておっかなびっくり気味に声を上げて訴えてきた。
「ねえ、どういうこと!? さっきの、どうしてあの人から見えてなかったの!?」
何だか幽霊でも見たときのような慌てた反応なのが面白くて、内心では結構笑いが止まらなかった。けど、あまり意地悪しても仕方ないので種明かしをすることにした。
「簡単に言うと、人っていうのはより目立つ物や興味のある物に意識が向くんだ。それに、どれだけ集中して物を見ようとしても、そもそも視界に入っていなければ注意することはできない」
「目の前に立ってるのに、どうしてそんなことができるの?」
「さっきのは、相手の盲点になる場所に自分の位置を合わせていたんだよ」
「盲点……?」
「そう、人間には死角になるポイントが存在する。それは、人間が体の外から光を網膜に取り入れて焦点を結ぶからなんだけど、その位置上に自分がいなければいいって話なんだ。まあ、練習すればできるようになるよ。あとは、気配を消すとかね」
「気配を、消す……」
言ってることは簡単だけど、いざ実践するとなると困難なのが隠密だ。こればっかりは感覚で覚えてもらうしかいんだけど、一応は極意みたいなものを教えておく。
「言い換えると、自然体でいることだよ。例えば、綺麗に掃除された道に石ころが落ちていたら不自然だけど、山道とかに石ころが落ちていても誰も気に留めない。つまり、その場の空気に溶け込むことが気配を消す上では一番重要なんだ。だから、それができれば……」
僕は彼女の前からパッと消えて見せた。
「あれ? 翔!? どこ!?」
今、僕は澪の横顔を眺めているんだけど、彼女は僕の存在に全く気付いていない。
僕がツンツンと彼女の肩をつつくと、彼女はパッと左横を見たけれど既に僕の姿は見えず、今度は反対側から彼女の横顔を眺めていた。
「翔……。どこぉ……? 置いてっちゃやあ!」
「ああ、ごめんごめん! ここにいるから、ね?」
澪が今にも泣き出しそうなくらい目いっぱいに涙を溜めていたので、慌てて泣き止ませにかかる。彼女の涙を手で拭ってあげて、優しく頭を撫でてあげた。
「どこにも行かない?」
「どこにも行かないから。だから、もう泣き止んで?」
「……うん」
少し傷つけてしまったし、少し早いけど僕は約束を果たすことにした。
「ほら、約束のご褒美。これから公園にでも行こうか。そこで、少し休もう」
「……やった! 翔、大好き!」
嬉々として僕の腕にしがみついて来た彼女を受け入れて、僕たちは傍から見たらイチャついたカップル? に見えるかもしれない雰囲気で公園へと向かったのだった。
それからも、彼女は僕が教えたことを面白いくらいに吸収していき、更に一年が経った小学六年生になる頃には特殊エージェントにも匹敵するレベルの隠密、殺人、対人スキルを持つようになっていた。髪も身長も伸びたし、増々立派なレディーに近づいた。
そんなある日のこと、公園でいつものように「遊んで」いたとき、彼女は言った。
「ねえ、翔! ふっ!」
「はっ! どうした、澪!」
彼女が繰り出してきた右ストレートを躱して左手で掌底を放つ。
「何か、非日常的なこと起きないかな! えい!」
彼女は僕の掌底をバック宙で躱しつつ、ブレイクダンスの要領で足元を掬いに来た。
「よっ! 日常が一番! 僕は御免だね! せい!」
「きゃあ!」
だが、僕が彼女の蹴りを前に飛んで躱し、彼女の襟を掴んでグッと背負い投げした。
もちろん、最後は優しく地面に着けたけどね。
「ほら、大丈夫?」
「うん、それはいいんだけどね……」
澪を地面から起き上がらせると、彼女は何か困った様子で声を発した。
「私、実はちょっと迷ってることがって」
「迷ってること?」
「うん。ちょっと聞いてくれない?」
「別に構わないよ。どうしたの?」
「うん……。最初、訓練を始めたのはヒーローに憧れて女優を目指すためだったでしょ?」
「まあ、そうだね。僕が勧めたことだし」
彼女は女の子なのにも拘わらず正義のヒーローを主題としたドラマやアニメが好きで、そのことを男子たちに揶揄われていたのがコンプレックスだった。だから、正義のヒーローが好きであっても良いようにと女優になる話を勧めたのだ。
「……私、今はあまり女優に興味が無くて」
「興味がない? じゃあ、訓練はもう辞める?」
「そういうことじゃないの! 私、こうして体を動かすことの方が何だか楽しくなってきちゃって。むしろ、もっとこの身に着けた力を活かせる何かがないかなって思ってるの。ねえ、翔。何か、これを活かせそうなことってあるかな?」
「どうだろう、僕もそれは分からないかな……」
この世界において、僕はまだ最強としての身の振り方を定めることができていない。どうにかして、最強という立ち位置を確立できるような何かがあるといいんだけどね……。
「ねえ、翔。前から疑問に思っていたんだけど、どうしてそんなに強くなりたいの?」
「どうして、強くなりたいか? あれ、言ってなかったっけ?」
「うん、一回も聞いたことがない。そもそも、最初に会った時から結構強かったし……。どこで、そんなにも強くなったの?」
さて、どうしたものか。僕が転生者だということを素直に話す?
いや、それは辞めておいた方がいいかもしれない。彼女のことを信じていない……わけじゃないけれど、完全に信じ切っているわけでもない。何かの拍子で僕が転生者であることが第三者に漏れたりしたら困るし、これは黙っておこう。
しかし、僕が強くなりたい理由だけは話しても良いかもしれない。これを聞けば、もしかしたら呆れて僕との結婚を諦めてくれるかもしれないし。
「僕はね、ただ強くなって最強になりたいんだ」
「最強? そのためだけに、強くなろうとしてるの?」
「そう、それだけのために僕は全てを捧げてきた。最強になるためだったら、僕は何だってやって見せる。どんなことをしてでも、必ずなりたいんだ」
この世界では、この話を誰かにしたのは澪が初めてのことだった。両親には勿論言ってないし、周囲の人間にも、クラスメイトにも言っていない。
これを話してしまえばそもそもモブじゃなくなるし、それに現代社会で「最強」なんて中二病ちっくな夢を語ったらそれこそ昔の両親みたいに相手にされないだろう。それでも、これは僕にとっては大切な夢で、生涯をかけてでも叶えたいことなのだ。
てっきり、澪は「馬鹿馬鹿しい」とか「呆れた」とか言ってくるのかと思ったけれど、彼女は口元に小さな笑みを浮かべると優しく僕の手を取った。
「……澪?」
「私、今やっと分かった気がする。この力を、何のために使いたいのか」
「どういうこと?」
「私、決めた。この力を、翔の夢を叶えるために使うね。翔が最強になりたいなら、私は最強の次で良いからさ。私たち二人で、世界の頂点に行こうよ」
あまりに荒唐無稽すぎる発言に、僕は言葉を失ってしまった。まさか、彼女の方から僕の夢に乗っかって来るなんて予想外で、逆に疑問が湧いてきてしまう。
「……いいの?」
「何が?」
「いや、だってさ。最強を目指すんだよ? 叶えられるかも分からない夢のために、自分の一生を使おうとしてるんだよ? なのに、それでも僕に付いてくるの?」
「うん。もう決めたから、私。だって……」
澪はギュッと僕を抱きしめると耳元で囁いた。
「どれだけ無謀な夢でも応援したくなるくらい、翔のこと好きだから」
「……」
本当に、この娘はどうしようもないくらい馬鹿だけど。でも、同時に、それほどまで僕のことを好いてくれているのだと改めて思い知らされた。
「……なら、とことん付き合ってもらうからね」
「むしろ、こっちが逃がさないから。覚悟しておいて」
こうして、僕たちは現代世界において本気で最強の存在を目指すバカップルが誕生してしまったのだった。
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