〈バナナフィッシュ〉について思考するにはうってつけの日

志熊准(烏丸チカ)

第1話 「バナナフィッシュを思考するにうってつけの日」

 私はこのかん、『バナナフィッシュにうってつけの日』について考えていた。


 1948年に発表された、J.Dサリンジャーによるこの作品。


 同作には不可解な点が多数残されている。


 それは例の「衝撃的なラストシーン」についてでもあるが、私はここでそのシーンについて改めて何か解明したいとかではない。


 単に表題にある「バナナフィッシュ」とは何かが、気になって、気になって夜も眠れずにいるのである。


 バナナフィッシュとは何なのか。


 小説では、どうやらバナナの入っている穴に入っていく「魚」だというのだが、そこでまた私は躓いてしまった。


 バナナの入っている穴とは何なのか。


 バナナとは、多年草の果実のことを指す。つまり「バナナが入っている穴」とは、少なくとも陸上になければおかしいのではなかろうか。


 ただ、不可解なことに、バナナフィッシュはその名の通り魚である。


 陸上にあるものが海中にあり、海中にいる魚が「海中の穴」へ向かって飛び込んでいくのか。


 はたまた、海中にいる魚が、陸上目がけてその穴へ飛び込んでいくのか。


 バナナフィッシュには、足でもついているのだろうか。


 私は、インスタントコーヒーを飲みながら、ぽつぽつと、バナナフィッシュについて思考し続けた。


 そもそも、バナナフィッシュとは何色の魚なのだろう。

 水色ということはあるまい。バナナというからには黄色であるのが妥当か。

 しかし、バナナフィッシュはバナナを追っているだけなのだから、わざわざ黄色である必要はないだろう。


 要は、チーズを追う鼠が黄色である必要はないように、バナナフィッシュも黄色である必然性はないというわけだ。


 では、バナナフィッシュとは、何色なのか。緑か? 緑ならば私の好きな色だ。好感が持てる。


 しかし、答えは書かれていない。


 むしろ、答えを探す方が野暮なのだと気付いた時、私はふと、バナナフィッシュという名の先入観にとらわれていたことを自覚した。


 もしや……バナナフィッシュとは「バナナ・フィッシュ」なのではなく、「バナ・ナフィッシュ」、あるいは無謀にも「バ・ナナフィッシュ」、「バナナフ・ィッシュ」ではないか。


 さすれば、バナナフィッシュは足がついていても――


 いや、それは流石に、おかしな話だろう。


 作中で、バナナフィッシュは魚だと明言されている。


 ならばやはり、バナナフィッシュは「バナナ・フィッシュ」だろう。


 また、振り出しに戻ったようだ。


 ここで、私は思考の方向性を変えることにした。コペルニクス的転回は作りうる。転換である。


 バナナフィッシュは、バナナが主食だという。


 付言すると、バナナフィッシュはバナナを食べ過ぎて、穴から出られずに死んでしまうこともあるのだとか。


 なんとも間抜けな魚ではあるが、ここで明らかになったことがある。


 バナナフィッシュが入る「穴」は、とても小さいものだということだ。


 食べ過ぎただけで、出られなくなるほどの「小さな穴」――いや、違う。それはまだ、コペルニクス的ではない。


 むしろ、驚くべきは穴に入れないバナナフィッシュがいないということだろう。


 バナナフィッシュはここで、規格化された人工魚である可能性がでてきたわけだ。


 造られた魚。いや、養殖魚かもしれない。だが養殖魚もまた、造られた魚か。


 養殖魚ならば、何故生産者は死を止められないのか。


 止める必要がないのか。それは何故?


 バナナフィッシュの謎は深まるばかりだ。


 いや、待てよ……。


 造られているのは、もしや――私は「それ」に気が付いた時、コーヒーカップをテーブルへと置き直した。


 


 私は、クローゼット脇に置かれたピストルを手に取ると引き金を引き、「バナナフィッシュに乾杯」との言葉を残して、眉間を打ち抜いた――

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〈バナナフィッシュ〉について思考するにはうってつけの日 志熊准(烏丸チカ) @shigmaya

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